約束②

 孤児院の寝台の数は限られているため、子どもたちはみんな一緒の部屋で寝る。男の子も女の子もおなじところだ。一人部屋は三つしかないのでそのひとつはマザーが使っていて客人用の部屋はシャルロットが、最後のひとつはキリルがいる部屋だ。

 栗毛の幼い少年はあれからずっと眠ったままだった。

 レオナがふたたびここを訪れたとき、キリルの傍にはマザーとルロイがいた。いきなりの来客にもマザーは驚きもせずに、やさしい笑みで迎えてくれる。ルロイはすこし眠っていたのかもしれない。まだ眠たそうにしている。

「突然お邪魔して申しわけありません。僕はアステア。アストレアの魔道士です」

 アストレア。思わぬ地名が出てきてレオナはまじろぐ。そうか。だからルテキアとこの魔道士の少年は顔見知りだったのだ。アステアの長い青髪とルテキアの青髪は、幼なじみの青髪よりももうすこし緑掛かっている色だ。イレスダートで青髪はめずらしくはないけれど、アストレアではもっとそうだった。

「専門とまでいきませんが、医学をすこし学んでいます。この子の症状も見てわかります」

 アステアは微笑んだものの、マザーは気まずそうに視線をおろした。

「薬は日頃から持ち歩いていますので、ちょうどよかったです。すこしここに置いていきますから、この子に与えてあげてください」

「は、はい……」

 マザーはうなずく。そこで台所からルテキアが戻ってきた。

「まず、このハイトの葉を煎じて飲ませてください。子どもにはちょっと苦いかもしれませんね。木苺のジャムがあってよかった」

 アステアはルテキアからお湯を受け取ると、そのなかに木苺のジャムをほんのすこし落とす。冷めるのを待つあいだに次はクカの実をすり潰す。こちらは甘いにおいがした。

「どちらも一日に三回ずつ、ぬるま湯と一緒に飲ませてください。熱は二日あればさがるでしょうし、その頃には咳もだいぶ落ち着くはずです」

 それから、アステアは大きな鞄から布袋を取り出した。なかに入っていたのは丸剤だ。

「これは……」

「ああ、ご存じでしたか。そうです。この子の病は呼吸器が原因ではなく、脳によるものです。でも心配は要りません。ロブリンの薬は特効薬として必ず効きます。子どもであればひと月もすれば、他の子みたいに元気になりますよ」

 湯が冷めてきた頃だろうか。アステアはキリルのちいさい身体を抱き起こした。ずいぶんと手慣れている。眠っているキリルもむずがったりせずに、ぜんぶ飲み干した。

「本当にありがとうございます。なんて、お礼を言えばいいのか……。ですが、わたくしには、あなたにお渡しするものが」

「お金は要りませんよ」

「しかし」

 アステアはまず笑みでマザーの声を遮る。

「ハイトの木はイレスダートの森に群生していますし、クカの実だってたくさん実っています。サリタでは高価に扱われているのかもしれませんが、アストレアでは簡単に手に入ります」

 それに、とアステアはつづける。

「薬はこういうときのために、多めに持ち歩いているんです。ですから、気にしないでくださいね」

 マザーは深くお辞儀をしたあとに、眼鏡を取り外して目元を拭った。ほとんど手入れがされていない白金の髪の毛に薄藍の瞳、年相応に置いていてもマザーは美しかった。もとは良家の家の娘であったのかもしれない。そう思わせるくらいに。

「ねえ……、キリルは? キリルは、良くなったの?」

 ルロイがマザーのスカートを引っ張る。これまで大人しくしていたのはむずかしい話を理解していなかったのだろう。マザーは声がうまく出てこないようだ。するとアステアがルロイの前でかがみ込む。

「きみが、この子のお兄さんだね?」

 ルロイがこくりとうなずく。

「そう……。弟をちゃんと守っていて、えらいね」

「熱も咳も、もう出たりしない? 目も……見えるようになる?」

 今度はアステアがうなずいた。

「おれ、やくそくしたんだ。キリルと。元気になって、目もちゃんと見えるようになって。それからおとなになったら……いつか、サリタを出ようって」

「そうだね。きっと、その約束は叶うよ」

 アステアはルロイの栗毛をやさしく撫でた。子どもはすこしくすぐったそうにして、でもちゃんと本当の笑顔で笑った。はじめて見る顔だった。

「お、おれ……っ、ほかのみんなに知らせてくる!」

 いても立ってもいられなくなったのか、ルロイは部屋を飛び出して行った。残された皆は笑い合って、そうしてレオナも子どものあとを追った。まだちゃんと話せていない。ルロイと本音で向き合う時間がほしかったのだ。

 レオナが部屋を出てあと、ルロイは廊下で尻餅をついていた。子どもの前には赤髪の青年がいる。

「うわっ、デューイだ」

「お前なあ、礼も言わずに出てきただろ?」

 デューイはルロイのちいさい身体を持ち上げようとしたものの、子どもは上手くすり抜けた。

「そ、そんなの、あとでするよっ!」

「いいや、だめだ。それにレオナにも礼を言わなきゃな。謝ってもいないだろ? お前」

「う、うるさいなあ! デューイのくせにっ!」

 これにはさすがに拳骨が落ちた。ルロイは頭をさすりながら、仕方なくといったようにこっちを振り返る。なんだかおかしくなって、レオナは笑ってしまった。なんだよう。そんな顔をする子どもにレオナは目線を合わせる。

「ね、なかなおりしよう?」

「お、おれはわるくない」

「うん、そうだね。でも、このままはいやなの」

「どこかに行ってしまうのか?」

 子どもは敏感だ。純粋で偽りのない目がレオナを見つめている。

「もう、会えないの?」

 どうこたえるのが正解だろう。どんな言葉も嘘みたいな気がしてレオナはルロイを抱きしめた。びっくりして子どもはレオナの腕から逃げだそうとしたものの、しばらくして大人しくなった。

「ねえ、わたしともやくそく、しよう? もう悪いことはしないって」

 声は返ってこなかったけれど、ルロイはレオナを抱きしめ返してくれた。子どもの体温はあったかくて、離れてしまうのがちょっと名残惜しかった。

「おれ、いつかレオナにも会いに行くよ。キリルもいっしょに」

 台所へとルロイが走って行く。部屋に戻ろうとしたとき、デューイはなんだか気まずそうに頭を掻いていた。

「あのさ、謝らなきゃいけないのは俺の方なんだよ」

「え……?」

「ごめん。あんたたちの事情も何も知らずに勝手なこと言った」

 そんなこと気にしなくてもいいのに。デューイが余所者のレオナたちを警戒するのは当然だ。でも、デューイはまだ自分に納得していないのかもしれない。

「あのさ、あんたたちはアストレアの関係者なんだろ?」

「どうして?」

 偽るべきなのだろうか。でも、デューイはきっと何かに気づいている。

「あの魔道士の坊やがそう言ってたから。じゃあ、ここに公子が……アストレアの聖騎士がいるってのも、本当なんだな?」

 心臓が大きく高鳴る。逃げられない。ルテキアを呼ぶべきでも、声が出てこなかった。レオナは一歩うしろへと引きさがる。その腕をデューイが掴む。

「待ってくれ。俺は別に、あんたたちを売るわけじゃない。でも、もう奴らは勘づいてる。早くどこかに逃げた方がいい」

「やつら、って」

「サリタは貧しい浮浪者でいっぱいなんだよ。そういう奴らは情報が早い。きっともう、イレスダートの騎士たちにも伝わってる」

「なんですって……?」

 追っ手が来る前にサリタを出なければなりません。幼なじみの麾下ジークはそう言った。シャルロットの回復次第そうするつもりだった。しかし、それすら時間は残っていないのかもしれない。震えが止まらない。どうかこれ以上悪いことが起こりませんように。そんなささやかな祈りも、願いさえも届かない。

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