マイアの敵②

「そもそも、ききたいのはこっちなのよ。国王陛下はどういうおつもりなのかしら? ルダにマリアベル殿下を勝手に押しつけたかと思えば、今度は返せですって? ずいぶんな言い草じゃない」

 さすがに苛烈過ぎると判断したのか、文官たちが一斉に咳払いした。これで止まるようなルダの公女ではない。アイリスの鼻息はますます荒くなる。 

「ええ、そうよ。ルダは公爵家。あくまでマイアから預かっている国だと承知してるわよ。王家に忠誠だって誓っているし、ルドラスが攻めてきたときにはルダも戦うわよ。でもね、誤解しないでくれる? ルダはマイアの属国ではないの。マイアの隷属れいぞくになった覚えはないのよ」 

 アイリスは力任せに机上をたたいた。もっともな声である。いずれアストレアを継ぐ者としてブレイヴもおなじ考えでいる。ルダには名だたる魔道士たちがいる強い国だが、アストレアと同様に小国でもある。アイリスもちゃんとわかってはいるのだ。北の敵国ルドラス、かの国が本気で戦争を仕掛けてきたらルダもアストレアもとても持たない。だからマイアに守ってもらうしかないことも。

 ブレイヴは思う。たとえば黒騎士ヘルムートの治めるムスタールや、幼なじみのディアスの国ランツェス、あるいは南のオリシスであれば自力で公国を守れるだろう。それでも、イレスダートの公国は王家に絶対の忠誠を誓っているし、マイアのために戦う。騎士として当然の信念だ。ルダとておなじはずだったが、それが却って裏切りとして感じるのかもしれない。

「つまるところ、アナクレオン陛下はそれだけの男ってことね。怯懦きょうだだなんて言われた前の王サマの方がまだ良かったわ。少なくとも、ルダを大事に扱ってくれたもの」

「アイリス」

「なによ、本当のことでしょ。いいわ、マイアがその気ならルダは戦いつづけるわよ。だいたい、そんなつまらない男のために、ルダがいつまでも下にいるなんておかしいじゃない?」

 これはもう駄目だ。どんな言葉で諫めたとしても手遅れかもしれない。失笑しそうになったブレイヴだが、しかし椅子の倒れる音に皆は注視している。

「取り消してください」

 ブレイヴの幼なじみだった。主君に対する数々の暴言は褒められたものではなかったが、ルダの声を代弁するアイリスには皆ある程度同調した思いだった。それでも、身内を罵倒された彼女はそうはいかない。 

「あら、はじめまして。オヒメサマ。言っておくけれど、相手が誰であろうと私は発言を撤回するつもりはないわよ」

「その呼び方はやめてください。わたしは、レオナです」

 想定内の人物、それも思ったよりもしたたかな声で返されて、アイリスはいささか面食らったようだ。ただしここで引きさがるようなルダの公女ではない。

「温室で育ったレオナサマが、何を知っているのかしら?」

も要らない。レオナでいいわ」

「そ。が陛下の味方をするのはよくわかるわ。お身内ですものね」

 ふたりのあいだに火花が飛んでいるのは気のせいだろうか。文官たちも将軍たちも、とりわけ男たちはこっちに飛び火しないようにと黙りこくっている。

「そんなの関係ない。でも、兄上はこんなひどい仕打ちをしたりなんかしない。ぜったいに」

「どっちだっていいわよ。そんなもの」

 アイリスは片手をあげて、レオナの声を遮る。

「今回の件に陛下が関わっているかどうかなんて、どうだっていいの。だって、マイアはルダの敵なんだから」

「敵、なんて」

「そうでしょ? こっちはね、王妃と王子を匿ってやっているのよ。感謝してほしいくらいなのよ、わかる?」

「あねうえを、マリアベル王妃を守ってくださったことは、感謝しています」

「ふふっ。正直でいいじゃない。でも、そうね。逆なのよ、本当はね。マイアがルダを敵だと見做しているの」

 この舌戦には誰も割り込めずに見守るだけ、しかしブレイヴはあえて問う。 

「だから戦うというのか?」

 ルダはもう退けない。ただ、降伏するという意思がないだけだ。

「アストレアとはちがう。ルダは、最後まで戦うわ」

 悪意のある発言の数々は不快に感じるものの、ここでアイリスと口論してもなにもはじまらないだろう。アストレアの面々も大人しく、いつも多弁な軍師が黙っているのはただ単に面倒だと思っているのかもしれない。

「それは勇気ではなく無謀だ。ルダの力だけでマイアには勝てない。あの騎士団は、」

「好きに言いなさいよ。私たちはとっくに覚悟を決めているの。それにもう白の王宮に剣を向けてしまったのよ? 王は絶対にルダを許しはしない。陛下は恐ろしい人ですもの」

「……っ、兄上は間違えたりしない!」

「王が馬鹿だから、ルダはこんな大変な目に遭っているのよ!」

 アイリスも椅子を倒しながら唾を飛ばす。しん、と。一瞬だけ静まりかえったのも束の間、椅子を起こして座り直そうとしたアイリスのところに幼なじみが向かっていた。

「……なによ?」

 怪訝そうに見つめるアイリスの頬を幼なじみの平手が襲った。

「黙りなさい! 兄を侮辱するのは、このわたしが許しません!」

「や、やってくれるじゃないっ!」

 自分が何をされたのかわかっていなかったのだろう。しかし、次第に感じる痛みとたたかれたという屈辱がアイリスを突き動かす。二度目の乾いた音がきこえた。

「黙らないわよ! ルダを侮辱しているのはマイアの奴らじゃない! 私は間違ってなんかないわよ!」

「兄は、間違ったりしない!」

「なにも知らないオヒメサマのくせに、知ったような口きかないで!」

「あなたこそ、勝手なことばかり言わないで!」

 こうなったらもう意地のぶつかり合いだ。繰り広げられる舌戦と平手打ちの合戦。彼女たちの傍にいた者は唖然とし、しかしようやく止めなければと気づいたようだ。

「あ、あああ姉上っ! や、やめてっ。おちついてください!」

「うるさいわね! 離しなさいよっ!」

 少年のアロイスだけでは抑えきれなかったらしい。他の従者と一緒になって三人掛かりでアイリスを羽交い締めにする。

「……っ! は、はなしてっ!」

「だめだよ、レオナ。落ち着いて」

「だって、あのひと……っ!」

 レオナもまたブレイヴの腕から逃れようとする。ここで離してしまったら、今度は拳で殴り合いそうだから、絶対に離すわけにはいかない。

 もう軍議どころではなかった。どうにかしてレオナとアイリスを引き離しても、いつまた喧嘩が再開するかもわからない状況だ。頭を抱える文官と将軍たち、竜騎士たちは一様に困惑し、アストレアの面々もこれを笑って過ごせばいいのか迷っている。

「二人とも、口を慎みなさい!」

 混乱を鎮める声が響いた。まだ暴れたりないレオナとアイリスも、その人を見た。

「だって、アイリ姉さま!」

「でも、アイリ!」

 同時に訴える二人をアイリオーネがじろっと睨む。アイリオーネはあのレオンハルトの妻である。つまり怒らせてはならない人で、思わずブレイヴも唾を呑み込んだ。 

「ここは軍議をする場所ですよ? 子どもが喧嘩をする場所ではありません。なんて見苦しいのでしょう。二人とも少し頭を冷やしてくるといいわ」

 アイリオーネは目顔で外に行くようにと言った。いまは窓の外では雪が降りつづいている。

「……さて、軍議は小一時間後に再開しましょう。レオナとアイリス、あなたたちはもう戻って来なくてもよろしい」

 にべもない。大きな子どもの二人は、黙ってアイリオーネの声に従うしかなかった。

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