フォルネの要人

山道を行く①

 自由都市サリタを経ってから七日が過ぎた。

 西の大国ラ・ガーディアまでの道のりはなかなかに長い。イレスダートからラ・ガーディアまで馬車を使うことひと月はかかるくらいには遠く、しかしこれはあくまで正規の経路だという。

 サリタの市長が用意してくれた馬は六頭。餞別代わりらしいが、つまりは体の良い厄介払いなのだろう。ともあれ、ただ馬を西へと走らせているだけで早三日、野を駆けて丘を越えて、はじめの二日はとにかくカナーン地方の西を目指した。

 東の聖王国イレスダートと西の大国ラ・ガーディアを繋ぐ街道は、多くの巡礼者や旅人が利用する。道のきちんと整備されているため、のんびり馬車を進ませていても苦にならないだろう。それは目的が旅行であればの話で、イレスダートを追われる形で西へと旅立ったブレイヴには、それほど悠長にしていられるような時間はない。西へ。とにかくまずは西へ。

 五日目にはふたたび森へと入った。針葉樹の森をまっすぐ進んで行くうちに、馬で行くにはなかなか苦労する坂道が現れる。この先は山道だ。道案内役の赤髪の青年は、ブレイヴの視線を受けてにやっとする。こっちの方が近道なんだ。彼は目顔でそう言った。

 急な勾配こうばいを乗馬しながら行くのは不可能で、馬を引きながらしばらく徒歩をつづける。いま先頭を歩いているのはブレイヴとディアスだ。案内役を買って出たデューイは後方でたのしくおしゃべりしているようで、声がここまできこえてくる。じゃれているのはレナードとノエル、彼らを叱っているのはルテキアで、笑う声はレオナとアステアだろう。振り返らなくとも、それぞれがたのしそうなのがわかる。

「なにを笑っている?」

 そんなつもりはなかったのに、いつのまにか横顔を盗み見られていたらしい。ブレイヴはもう一人の幼なじみに向けて笑む。

「いや、すこしだけ安心した」

 説明を求める視線をブレイヴは無視する。でも、ディアスだっておなじだろ? そう言ったところで幼なじみは渋い顔をする。

 城塞都市ガレリアからアストレアまで、けっして近い旅ではなかった。馬車のなかにずっと閉じ込められるのは窮屈だし、きちんと舗装されていない道を行くには馬車も揺れたはず、それでも幼なじみの姫君は不安も不満も零さなかった。アストレアを追われてオリシスへ、さらにはオリシスからサリタへと馬を飛ばしながら先を急ぎ、あるときは森で野宿した。今度の旅はそれよりもっと過酷だ。

「フォルネに入ればすこしは道も楽になる」

「そうだな」

 責められているのだろうか。ディアスの声には同情めいた響きがある。安全を考慮すればあのまま街道を行くべきだった。最短の行程を優先したのはブレイヴで、たとえそれをディアスに非難されても、言いわけひとつ返せはしない。

「あまり信用しすぎるなというだけだ」

 ブレイヴはまじろぐ。ディアスは嘆息し、ちらとうしろを見た。つまり彼のことを言いたいらしい。なぜ連れてきたのか。幼なじみの顔にはそう書いてある。

「成り行きってわけじゃない。でも、修道院でレオナが世話になったのは本当だし、道案内だって必要だろ?」

「別にあいつじゃなくても良かった」

「適任だよ。仔細を話さなくとも、彼は余計な声をしなかった。それに、ラ・ガーディアの出身だって言うから」

「西の国も広いだろ。あれはどこから来たんだ?」

「さあ? そこまでは」

 またため息。ブレイヴは苦笑する。ディアスの忠告は正しいのかもしれない。けれどもいまのブレイヴを陥れたとして、何の利点があるのだろう。イレスダートからの追っ手もせいぜいサリタまでで、そもそもあのデューイという青年はイレスダートに関わりはない。レオナが彼と出会ったのも単なる偶然だ。

「まるで遠足気分だな」

 ディアスが不機嫌な理由がわかってきた。たまにはいいじゃないか。そう言えば幼なじみはもっと怒る。

「だいじょうぶだよ。空元気よりは、ずっといい」

「それはお前もおなじだろう」

 動揺が馬にも伝わったらしい。ブレイヴはいななく馬をなだめながら、歩く速度を急に変えないようにと気をつける。きっと、否定で返しても無意味だ。ディアスは簡単な嘘でもすぐに見抜く。

「忘れろとは言わない。だがアルウェン公のことは、」

「わかってる」

 忘れない。忘れては、ならない。

 ブレイヴは巻き込まれたのではなく、巻き込んでしまったのだ。恩人を、尊敬する騎士を、オリシスという国も。お前のせいじゃない。ディアスはそう言っている。でも。

「俺は、なにもできなかった」

 オリシス公をほふったのは白の少年だ。それでも。

「俺が、アルウェンを見殺しにした」

 あのとき、アルウェンは自分の死期を悟っていた。はたしてそれは正しかったのか。オリシス公の声に甘えて、そこから逃げ出したのはブレイヴだ。あの場に留まってレオナの力を借りたならば、アルウェンは助かったのではないか。いまでも詮なきことばかりを繰り返してしまう。

「お前は自分への誓いを忘れてしまったのか?」

 ブレイヴは顔をあげる。ちがう。忘れたことなど、ない。

「レオナにまたを使わせるつもりなのか?」

 選択肢がなかったのは口実だ。彼女にそれを選ばせてしまったのは、ブレイヴがただ無力だったからだ。幼なじみの声がここまで届く。彼女はまた笑っている。たぶん、空元気だと思う。

「忘れたりなんかしない。それに、レオナと約束したんだ。かならず守ると。だから……もうあの力は、使わせない」

 使わせてしまっては、ならない。白い光。最初の光を見たのは、ブレイヴが十二歳のときだった。あれ以降、レオナは自身に秘められたその力に頼ったりはしなかった。けれど、解放された竜の力を使うことを、きっとレオナは躊躇わない。

 身震いがした。ブレイヴはそれを寒さのせいだと思い込む。日が落ちてきた山道では夜も早くなる。それまでに今夜の宿にたどり着かなければならない。

「急ごう。そろそろ、クライドと落ち合える」

 異国の剣士はオリシスからずっとブレイヴに同行している。でも、クライドはブレイヴの臣下でも従者でもないから自分の意思で動く。峠を越える前に宿があるとデューイは言っていた。ラ・ガーディアの青年を信頼していないのはクライドもおなじらしく、先に見てくると言った。

「ブレイヴ」

 急に話題を変えたのは失敗だった。いまさら笑みを作ったところで誤魔化せない。

「あれは、おなじ力だったのかもしれない」

 認めるべきではないと、そう思っていた。ブレイヴは吐露する。ディアスならばきっとわかってくれる。あの白い光を、最初に見たのはディアスもそうだ。だから、オリシスのアルウェンを奪った力が何であったのか、幼なじみも気づいている。

「あれは、人間ではなかった。あの白の少年は――」

 皆まで言えなかったのはブレイヴの心がまだそれを否定しているからだ。幼なじみはもう何も言わなかった。

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