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高校生で迎える二度目の春がやってきた。
陸羽誠護は鞄を背負い、もう一方の手に文庫本を広げ、桜並木通りを歩いて行く。
脇を歩く車道には通勤ラッシュの車が制限速度を超えた速度で絶え間なく走っている。
同様に、誠護が歩いている歩道にも誠護と同じ高校に通う学生が溢れかえっていた。
藍色を基調としたブレザーは、中学までが黒一色の学生服だった誠護には、最初こそ新鮮であったが一年も経つとさすがに見慣れてしまった。
新入生はまだまだ高校に慣れておらず顔がこわばっている生徒もいるが、中には既に友達や先輩と仲良くなって談笑している生徒もいる。
二年生や三年生は築いてきたグループで話をしたりバカ騒ぎをやったりしながら高校までの道を歩いている。
しかし誠護は誰とも話すことなく、手にしている文庫本の文字列に目を滑らせながら、ただ高校に向かっていた。
不意に、視界に映ったものに足を止める。
脇の車道から自転車が歩道に乗り上げ、ベルを鳴らしながら目と鼻の先を通り過ぎていった。
後ろで前を見ずに騒いでいた一年生が誠護の背中にぶつかった。
「あ、すいません」
「いや、こっちこそごめん」
短くいい、また歩き始める。
小さくため息を吐きながら文字列に視線を戻す。
誠護の住むアパートは高校まで歩いて十五分ほどの距離にあり、すぐに高校の門が見えてきた。
本を持っていた左手にはめた腕時計に目を向けると、始業の二十分前だったので、十分に間に合う。
腕時計からまた本に視線を戻したところで、突然背中を叩かれた。
「おはよ、誠護君」
背後から笑顔で顔を覗かせたのは、長い黒髪が特徴の女子生徒だった。赤いリボンをしているので、三年生であることを示している。
「おはよう。汐織先輩」
着苦しくない程度にブレザーを崩してる誠護とは違い、きっちりとブレザーを着込んでいる汐織からは真面目な雰囲気が見受けられる。
汐織は誠護の隣に並ぶと、呆れたようにため息を吐いた。
「また本読みながら歩いてるの? 危ないよ?」
「危なくないよ。これでも俺はしっかり周りを見ながら歩いている。ご存じの通り」
「とかいって、さっき後ろから歩いてきた人にぶつかってたよね?」
どうやら先ほどのことを見られていたようだ。
読んでいた本を閉じると、背負っていた鞄にしまった。
「別にあれは俺が悪いわけじゃない。飛び出してきた自転車が悪かったんだ」
既に見えなくなっている自転車野郎に呪詛を送る。
汐織は再び深々とため息を吐き、やれやれと首をすくめていた。
大和撫子を思わせる長い黒髪が背中の中程まで緩やかに伸ばした髪が春風に揺れる。細身の体に小さな顔、細い眉にくりっと目がとても印象的だ。
ただ身長がやや低めで、百七十センチ後半ある誠護より頭一つ半ほど下にある。
さらに子供っぽさが抜けきらない童顔なので、美女というより美少女という印象だ。
たまに誠護の友達から話しかけられた際には、こんな人が彼女なんて羨ましいなんてことをいわれるが、そういう関係ではない。
「今日は何時くらいに部室に来られるかな」
「あー、まだ時間割把握できてないからあれだけど、確か最後が体育だった気がするからちょっと遅れるかな」
ただ単純に、部活の先輩後輩という関係だ。
「まあ、早めに行くようにはするよ」
誠護の部活は汐織と二人だけの部活だ。
普段ならちょっと遅れた程度で問題はないが、今日は遅くなるわけにはいかない。
誠護たちは高校の門を潜った。
私立彩海学園高等学校。
普通科から専門学科まで様々な学科があり、全校生徒が三千人の超える大きな高校だ。
私立で高校のレベルとしては中の上程度。頭が悪いわけではないがとりたてて良くもない可もなく不可もなくという辺りだ。
高校としての歴史は浅いが、逆にいえば建物は新しく、学費も高いわけではないので最近の学生には人気高校の一つである。
高校内に入ると、上級生たちが溢れかえっており、ポスターを体に貼り付けた生徒や勧誘チラシを配る生徒がひしめき合っている。
かれこれ二週間ほどこの光景が続いており、今日が最終日のためか、全員の雰囲気が鬼気迫っている。
「毎日毎日皆よくやるよねー。私たちも勧誘する?」
「やってどうするの。まともな活動もしてないのに部員増やしてもしかたないでしょ」
「えー、ちゃんと活動してるじゃん。部の活動とは関係ないけど」
「それを俗に活動してないというのです」
誠護の言葉に汐織は不満そうに口を尖らせてた。
部員を増やしたいという汐織の気持ちは誠護とてわからないわけではない。
誠護が彩海学園に入学した際、汐織の部は汐織一人という状態だった。そこに誠護が入ったことでようやく二人になっているのだ。
しかし、元より誠護たちの部の内容が変わっているため、下手に新入部員を入れるというのはあまり気が進まない。
入ったはいいがイメージと違っていました、という可能性が非常に高いのだ。
誘うのであれば、まだ入部する部活がなく、遅れている上でなおかつ部に入ろうとしているという生徒を探す方がいいだろう。
提案しようものなら真っ先に食いついてくるだろうから、口に出しはしないが。
誠護と汐織はごった返す生徒たちの間を縫うようにして足を進めていく。
彩海学園はネクタイやリボンの色によって学年を見分けることができる。今年は赤は三年生、緑は二年生、青は一年生だ。これはローテーションとなっており、来年度の新入生は今年の三年生が使っている赤を使うことになる。
そのため誠護と汐織は声を掛けられることなく進んでいくことができる。
「大体、こんな激しい勧誘活動をする元気は俺にはないよ」
「大丈夫っ、私が引っ張り出すから」
「強制労働っすか」
「部長命令」
汐織は歩きながら、誠護の顔にビシッと指を突き立てた。
誠護はため息を吐きながら汐織の手を取る。
首を傾げる汐織をよそに、誠護は汐織の体を自分の方へと引き寄せた。
直後、汐織が立っていた場所にチラシを配っていた相撲部の男子生徒が勧誘活動の激しさに弾かれて転がってきた。
倒れた拍子にチラシが周囲に散乱する。
「大丈夫ですか?」
すぐに汐織が倒れてきた相撲部員の生徒に声を掛ける。
もう少しで自分が押し潰されていたにも関わらず、そんなことを歯牙にも掛けないのが汐織という人だ。
「あ、はい、すいません。だ、大丈夫です」
男子生徒は誠護と同じ二年生だった。
整った顔の汐織に間近で見つめられて、顔を赤くしてしどろもどろになっている。
気持ちはわからんでもないが。
実際汐織は相当な美少女だと思う。だが、訳あってそれは周囲に認知されていない。
誠護は足元に散らばったチラシを拾い集め、砂埃を叩いて男子生徒に差し出した。
さすが相撲部という風体の男子生徒は、恰幅もよくて背も大きい。
彼に対してこんなことを思うのは失礼だが、押し潰されれば擦り傷程度では済まなかっただろう。
「おい、サボってないで勧誘しろ」
部長らしき生徒に怒られて、男子生徒は慌てて誠護からチラシを受け取って立ち上がると、ぺこりと頭を下げて勧誘活動に戻っていった。
「汐織先輩、俺たちも行こう。遅刻する」
「ん、そうだね」
誠護たちは勧誘活動の荒波から抜け出して校舎へと入る。
「じゃあ、誠護君。また放課後ね」
汐織は小さく手を振ると楽しげに歩きながら自分の教室へと向かって行った。
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