第7話 立石君の気持ち

 加奈の夏休みは、殆どが学校の補習に費やされた。期末テストの数日前に受けた実力テストは、瞳の点数と殆ど変わらなかった。そのテストの範囲は、一、二年生の時のものだった為、いかに自分が勉強していなかったかが浮き彫りになった。これを教訓とし、加奈は今年の夏休みは、勉強三昧にしようと固く決意し、昼は学校の補習、夜は学習塾の夏季特訓を受けることにしたのである。

 この学習塾に関しては、瞳も一緒に受講することなり、二人で毎日夜遅くまで勉強することになった。また、時々瞳は、加奈の補習授業を一緒に受け、自分の弱点を徹底的に克服しようとしたのである。そのかいあってか、お盆前に行われた塾の一斉テストでは、二人とも上位に名を連ねたのである。

 お盆休み中は、二人とも自宅で勉強することになったのだが、一日だけリフレッシュをかねて海水浴に行こうということになった。

 加奈たちの家から海水浴場までは、電車で一時間半ほどかかるので、その日は朝早くから家を出たのである。まず、最寄り駅から電車をいくつか乗り継いでいくのだが、二人だけでこれだけ長距離を電車移動するのは初めてで、まさに小旅行気分であった。

 お盆とはいえ、朝の電車は混雑が激しく、窮屈であったが、町から離れるにつれて、乗客が減り二人はようやく座ることができたのである。

「お盆っていうことは、幽霊さんが帰ってくる時期よね」

「そうねぇ、でも、たいしていつもと変わらないわ」

「学校のほうの幽霊さんも」

「うん。けど、この前始めてみる子が何人かいたわね」

 加奈は、学校の幽霊のことで一つ、気になっていることがあった。瞳のクラスメートだった立石一馬という子が、思い難病にかかり、その後、ずっと闘病生活を送っていたが、去年亡くなったのである。その立石君が今、学校に姿を見せているのだが、なぜかいつも、加奈の方を見つめているのである。加奈はその視線がどうも気になっていたのである。

 加奈と立石君はクラスが同じになったわけではなく特に会話もしたことがない。なのに彼は、ずっと加奈のことを見つめている。それも、一定の距離を置いてである。加奈は、そのことを誰かに相談した方がいいのかどうか迷っていた。もしかすると加奈の思い込みという可能性もあるのである。しかし・・・。

「どうしたの加奈、顔色がよくないけど」

「うんうん、何でもないの。ちょっと考え事」

「悩み事。私でよかったら相談に乗るよ」

 加奈は一瞬考えたが、やっぱりこういうことは相談した方がいいのかもしれないと思い、瞳に立石君のことを話してみることにした。

「ふぅーん。そうなんだ。だったら直接言えばいいじゃない。なんで私を見てるのって」

「言っても向こうの気持ちはわからないのよ、私。前にも言ったけど、ゴーストアイはただ幽霊を見て話しかけることはできるけど、向こうが言いたいことは解らないのよ」

「中途半端ねぇ」

「悪かったわね」

「別に悪いって言ってるわけじゃないわよ。ただ、そういうのはもうしばらく様子見て、それでも見ているようだったら、話しかけたらいいんじゃない」

「そうね」

「あっ、もうすぐ乗り換えの駅よ。降りなきゃ」

 二人は網棚にのせていた荷物を下ろし、降りる準備をした。二人がホームに降りると、隣にはすでに乗り換える予定の電車が待機しており、二人はその電車の一番後ろに車両に乗った。一駅だけなので二人ともずっと立ったままでおり、お目当ての海水浴場のある駅には、同じ電車に乗っていた人の半分近くが下車した。

 海岸についた二人は、更衣室で水着に着替え早速海へと向かった。海にはすでにたくさんの人が来ている。さすがに都心から近いだけはある。

 加奈と瞳はこの日ばかりは幽霊のことなど一切忘れて、おもいっきり海で泳いだり、海岸の砂浜で遊んだりし、おおいに羽を伸ばした。

 「ねえ瞳、食べ終わったらあそこのブイまで競争しない」

加奈は、海の家で買ってきた焼きそばを食べながら瞳に言った。元々、加奈は水泳が得意で、同学年ではいつもトップクラスのタイムを誇っている。ただし、いつも加奈は僅差である女の子に負けてしまうのである。それが瞳である。

 瞳にとって体育は得意な方ではないが、水泳だけは誰にも負けない自身があった。幼少のとき、病弱だった瞳はあゆみの影響と心身を鍛えるために水泳を始め、小学校卒業するまで続けていたのである。

 加奈は瞳とは一度だけ勝負したことがあった。元々一年の時、クラスは違ったが体育をするときだけ一緒になっていたので、先生に無理を言って勝負したのである。結局その時はほんのタッチの差で負けてしまったが、それ以降、二人は水泳に関してだけは互いをライバル視しているのである。

「いいけど。でも加奈、もうそんな激しい運動して大丈夫なの」

「この前病院に行ったらいいって言われたの。早くしよ。私、泳ぎたくてうずうずしてきた」

「さっき泳いだばかりじゃない。まぁいいわ、一緒に泳ぎましょ」

 沖合にあるブイまではだいたい一〇〇メートル前後はあるだろう。しかし、今の二人にとってこの距離はたいしたことはなかった。

 昼食を食べ終え、しばらく休憩した後、二人は沖合のブイに向かって泳ぎだした。他の海水浴客がいるため、ぶつからないように慎重に泳いで行ったのだが、やはりそれでは全力が出せない。おまけに加奈は、長い間運動していなかったこともあり、ブイにつく頃にはへとへとになってしまっていた。それでも二人はほぼ同時にブイについていた。

「やっぱり瞳、すごいよ。私もうへとへとだわ」

「加奈だって、全然スピード落ちてないじゃない」

「私もうだめ、しばらく泳げないわ。やっぱりいきなり遠泳はきついわ。するんじゃなかった」

二人はブイにしばらくの間、しがみついていた。

「あれ」

加奈は沿岸で何かを見つけた。

「どうしたの、加奈」

「あそこにいるの、あゆみお姉ちゃんだ」

「うそ、お姉ちゃんが来てるの」

「うん、あそこに・・って言っても解らないか」

 あゆみは加奈と瞳が焼きそばを食べていた辺りで、大きく飛び跳ねて手を振っていた。加奈は、あゆみに向かって大きく手を振った。瞳も横であゆみの姿は見えないのであるが、手を振り返した。

「そろそろ戻ろう」

瞳が言ったので、加奈は「うん」と首を縦に振り岸に向かって泳ぎだしたが、加奈は、あまり体力が残っておらず、足がつく場所まで泳ぐのがやっとであった。

 ―――帰ったら体力元に戻さないと―――加奈は、自分のブランクの長さを痛感した。


 その夜、二人はあゆみの部屋で彼女とはお話しをしようということになった。というのも、あれからずっとあゆみは二人の側から離れず、まるで保護者のように二人を見守っていたのである。しかし、加奈は、あゆみが何故かあたりを警戒しているような素振りをしていたので、そのことが少し気になったのである。

 加奈は自宅に一度戻ると夕飯を食べ、再び瞳の家に向かった。瞳の家に上がった加奈は、そのままあゆみの部屋へと直行した。部屋ではすでに瞳とあゆみが喋っているところであった。

「あっ、加奈。やっぱり立石君、加奈のこと見ていたみたいよ」

「えっ、どういう意味」

 加奈の言葉に呼応するかのようにディスプレーに文字が映し出された。

『この前、学校行ったらさ、加奈ちゃんの後ろに男の子がいて、ずっと加奈ちゃんのこと見てたのよ、声かけたんだけど、そしたらすごい勢いで逃げられちゃって』

「お姉ちゃん、それ本当に本当なの」

瞳は念を押して聞いてみた。するとすぐにディスプレーに文字が映し出された。

『本当よ、今度あんた達が学校行くとき、私も行くから、あいつ、何で加奈ちゃんにつきまとうのか聞いてやるんだから、もしストーカーならとっちめてやる』

「ストーカーって、第一、幽霊さんがずっとつきまとっていても何にもおこらないんじゃ」

『確かに幽霊が付きまとうのと不幸が起こることに関しての因果関係は、私たちの世界でもまだ解明されていないわ、けど、だからって言ってほっておけないわ、だって気味悪いじゃん、私なら嫌だし気になるし問い詰めたいもん』

「もうお姉ちゃんたら、別に、何もそこまでしなくても」

『だって、人の顔見て逃げたのよ、あんな失礼な子初めてよ、私は怪物かって言ってやりたいわ』

 ―――そういえば幽霊さんって怪物になるのかな―――

『加奈ちゃん、今何か変なこと思わなかった』

「い、いえ、別に」

加奈は、まるであゆみが自分の心を読んだのではと思い驚いた。幽霊は、人の思考力を読むといった行為は出来ないらしいのだが、それでも加奈は、いきなりあんなことを言ったので驚きを隠せなかった。といっても、もともとあゆみは洞察力があるほうなので、顔を見て考えを読んだとも考えられるが・・・。

 最近気のせいか、あゆみが打つ文字の量が前にも増して増えたような気がする。しかも、一つの文章が映し出されて消え、次の文章が映し出されるのもとても早くなったような気がする。二人はすぐに消えてしまう文章を早く読まなくてはならなかった。ひょっとしたら速読の特訓かもしれないが、さすがにこれは考えすぎだろうか。

 とりあえずその晩は、その立石君の行動の真意はどういうものであるかについて推測することに集中した。


 お盆もあけ、学校での補習も再開された。あゆみは、二人について行き、立石君の行動を監視するといっておきながら、初日から二人の前に姿を現さなかった。

「もう、お姉ちゃんたら」

加奈は、あゆみがいないことを瞳に言った。瞳は、周りを見回しているが、彼女にはいくらがんばっても幽霊は見えず、はたから見ればただの挙動不審者にしか見えない。加奈は、そんな瞳が滑稽で今にも笑いそうであったが、それでは彼女に失礼なので、何とか笑いをこらえた。

 教室に入ると、すでに立石君は教室の後ろのほうにいた。加奈と瞳は最前列に座り、小声で会話をした。

「立石君、やっぱり私のほう見てるわ」

「やっぱり。で、お姉ちゃんは」

「それがいないのよ、口から出任せだったのかな」

「お姉ちゃんに限ってそんなことはない・・と思うわ」

「そうよね。あゆみお姉ちゃん、幽霊になっても性格変わってないみたいだから」

「でしょ、でしょ」

「おはよう、あら、今日は二人だけ見たいね」

都先生が入ってくるなり二人に声をかけた。補習授業は希望者の自由参加であるが、出席率は加奈と瞳の二人が一番高く、二人だけで受けていることもしばしばなのである。

 その日の補習は、古文の単語の意味、慣用句、正しい敬語の使い方について勉強した。補習はいつも午前中に終わり、いつもだと二人はそのまま家に帰り、夕方からの塾の夏季特訓の準備をするのであるが、今日はまだ塾の方は休みなので二人はいったん家に帰った後、図書館に行って本を読む予定をたてていた。

 いつもなら立石君は、補習が終わるとどこかに行ってしまうのだが、今日はどういうわけか、ずっと加奈と瞳の後ろをついて来ていた。それも、一定の距離をつけてである。

「立石君、さっきからずっとつけてきてるわ」

「それ本当。でも幽霊さんって見てるだけで何にもしないんじゃ」

 加奈は、意を決して立石君に話しかけてみようと思い後ろを振り返った。しかし、そこにはとんでもない光景が繰り広げられていた。

 逃げようとしている立石君の腕をあゆみが思いっきり引っ張っていた。二人は口を動かして何か会話をしているようであるが、その内容はまったく加奈には解らない。しかし、二人とも表情が尋常ではなかった。

 あゆみは、意地でも彼を捕まえてやろうという闘志丸出しの顔で、立石君はそんなあゆみの表情を見て恐怖感におののいているのか、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「止めて!二人とも」

加奈は、突然路上で叫んだ。隣にいる瞳は、突然加奈が叫んだのでビックリしてその場によろけている。

 当の二人はその場で固まっていた。加奈はそんな二人にゆっくりと歩み寄って、あゆみの腕に触れ、離すようなしぐさをした。あゆみはそれを見ると解ったのか立石君の腕を掴むのを止め、服を正した。

「立石君、ずっと私のほう見てたみたいだけど、私の顔に何かついているの」

 立石君は固まって何もできない表情をしていた。彼は、加奈がゴーストアイの能力者であることを知らなかったらしいのである。自分の姿が見えている人間に始めて会ったので、何をどうすればいいのかわからないでいる様子だ。加奈は、彼の真意を知るにはどうすればいいのか考えた。ディスプレーにはあゆみしか文字を出すことができない。しかし・・・。

 ―――うっ、待てよ。ディスプレーに文字を打てるのはあゆみお姉ちゃんだけ。それであゆみお姉ちゃんは他の幽霊と話せるってことは・・・―――

 加奈はあることを思いついた。

「立石君、私と一緒についてきて。あゆみお姉ちゃんは家に帰ってコンピューター立ち上げといて」

 加奈は立石君を案内するかのごとく、家に向かって歩き出した。横にいる瞳は何のことかさっぱり解らず唖然としていたが、加奈が歩き出したのを見て、後を追うように歩き出した。


「幽霊さんは私と話すことはできない。ディスプレーにはあゆみお姉ちゃんしか文字が打てない。だったら、立石君が言ったことをあゆみお姉ちゃんが聞いて、それを文字にしてディスプレーに映してもらえばいいじゃないかなって思ったのよ」

「あっ、そうか。だったら立石君の気持ちが加奈にも解るわね」

「うん」

 加奈と瞳があゆみの部屋に入ってくると、あゆみはすでにディスプレーにスタンバイして文字を映し出していた。

『それで、私は何をすればいいの』

「今から立石君になんでこんなことしたのか聞いてみるの」

『それってひょっとして尋問』

すぐに文字が映し出された。

「そうかもしれないけど。やっぱりこういう事ははっきりさせておきたいし」

『そうね、つまり彼の話した事を私がここに映せばいいのね』

間髪いれず文字が映し出された。立石君は、部屋の隅で立ちすくんでいたが、あゆみに手招きされ、そのままあゆみの横に移動した。

「じゃあ、立石君。何で私を見ていたか話して」

 立石君はあゆみに耳打ちするように何かを言っている。その顔はとても赤かった。あゆみはそんな彼の言葉をうなずいて聞くと、それをディスプレーにまとめて文字に映し出して見せた。

『要するに、この子、加奈ちゃんのことが好きだったみたいなのよ、けど、気持ちを伝えられずに死んじゃったからそれだけが心残りになっていて、それでいつも学校に行ってあなたを見ていたんだって』

「私のことを!!うそ!!!」

加奈は戸惑った。今まで男の子に自分から告白したこともされたこともなかったからである。

「で、でも、私!立石君と同じクラスになったことないわよ」

 立石君はまたあゆみに耳打ちするようにまた何かを話した。そしてそれがまたディスプレーに映し出された。

『一年の時、この子瞳と同じクラスだったんだって、それでプールの授業のときに始めてあなたを見て、一目ぼれしたみたいよ、あなたみたいなスポーツ万能な子初めて見たって』

「でも、あの時は私も・・・。そうか加奈、一年の時、よくお昼休みとか私に会いに教室に来てたじゃない。それで」

瞳は思い出したように言った。こうでもしないと話題に置いて行かれそうに感じたのである。

 立石君はまたあゆみに何か話している。あゆみはそれに二言三言返していた。

『その時に立石君が、鉛筆落としたのを加奈ちゃんが拾ってあげたんだって、それで加奈ちゃんに、その、ほれちゃったと言うか』

あゆみは文字を濁らせた。それからしばらくして、また新たに文字が映し出された。

『だから、死んだ後もずっと何かで気持ちを伝えようとしてたんだって、けど、今日いきなり話しかけられてビックリしたって言ってるわよ』

加奈は、今までした自分の行為を反省した。

「ごめんなさいね、こんなことして。その・・・あなたの気持ち考えてなかったから・・・つい」

 立石君はそれを聞くと再びあゆみに何かを耳打ちした。それを聞いたあゆみは笑い出し、そのまま文字にして見せた。

『あなたのその猪突猛進というか、前後を見ずに行動するところ、一年から変わってないわね、一年の時、それで男子と大喧嘩したでしょ、加奈ちゃんのそういうところを見てこの子、あなたに自分にない何かを見たんだって、それも好きになった理由なんだって』

 ―――そういえば・・・―――

 加奈は一年の時、廊下で女子を馬鹿にした男子生徒と大喧嘩をしたことがあった。その時のあまりに激しい取っ組み合いに学校中が大騒ぎになったのである。

 結局瞳に泣いて止められ、家に帰れば母親に深夜まで説教させられたのだが・・・。加奈にとって忘れられない出来事であった。しかし、加奈のわんぱくもあゆみの死を境にだいぶ収束していったこともまた事実である。

 加奈は、自分の馬鹿げた行為を反省していた。だが、立石君は、さっきからずっとあゆみと何やら話し込んでいた。その内容は加奈にはまったく解らなかった。

「ねぇ加奈。立石君、加奈のやったこと怒ってるの」

瞳が心配そうに聞いてきた。

「解らないわ。あっ」

 立石君は、あゆみに別れを告げるとそのままどこかに消えていった。

「あの、あゆみお姉ちゃん。立石君、怒ってた」

すぐにディスプレーに文字が出された。

『全然、だって、あの子加奈ちゃんのそういう所に引かれたんだもん、逆に喜んでいたわ、今まで誰にも自分の存在に気づいてくれなかったんですもの、あの子、あなたが気づいてくれて、すっごくうれしがってたわ』

 加奈は心のどこかでホッとした。すると文字が再びディスプレーに映し出された。

『あの子当分の間ここにいるって、あなたがどんな男の子と結婚するのか見届けたいって』

「へぇー。いいな、加奈はもてて」

「もう、からかわないでよ、瞳」

 加奈は、赤面して何をどうやればいいか自分でも解らなかった。しかし、ふとあゆみを見ると明後日の方向を見て何か物思いにふけていた。その目はとても悲しい目をしていて、加奈の夢の中や京都で彼女がしていたのとまったく同じ悲しく切ない目であることを確信した。

「あゆみお姉ちゃん、どうしたの」

加奈の言葉にわれを取り戻したあゆみは、すぐに『何でもない』と文字に出しごまかしたが、加奈にとってその目はとても印象的であった。


 翌日学校に行くと、教室には数人の生徒と立石君がいた。すでに今日の担当の理科の先生が教室に入っていて、理科の実験用具を広げていた。立石君は、加奈を見つけると手を振っていた。加奈はそんな立石君に手を振り替えした。

「後ろに誰かいるのか」

様子を見ていた先生が加奈に尋ねた。

「いっ、いえ。誰もいません」

加奈は、そう言うと後ろのほうの席に座った。今日は、瞳は用事があるため、加奈一人であった。

「よかったら私の隣に来ない。今日瞳来ないからここ空いてるよ」

 立石君はそれを聞くとテレながら加奈の横に座った。立石君の顔はとても赤らめていて、時々チラチラと加奈の方を見つめていた。

理科の実験用具が配られ、その実験は加奈一人で行ったが、その様子は立石君も真剣になって見つめていた。彼は、五教科の中で理科、特に化学系がとても大好きな少年であったっと聞いている。ちなみに、今補習授業をしている理科の先生は、立石君が一年のときの担任でもあった。

 補習が終わると、立石君は立ち上がり大急ぎで後ろに向かった。

「立石君」

加奈は、後ろに行く彼を呼び止めた。

「明日も待ってるかね」

加奈はそう言うと手を振った。立石君も加奈に手を振るとそのままどこかに去って行った。

 加奈は、帰ろうと思い、前を見ると周りの生徒と先生は、加奈の不思議な行動に奇妙な顔をして見つめていた。加奈は、その視線に顔を赤らめ、慌てて教室を出て行った。

 加奈が廊下に出ると、立石君が廊下の奥の方を走っていくのがちょうど見えた。

 ―――立石君か、もうちょっと早く出会えたらよかったな―――

 加奈は、そう思うとゆっくりと家路に着いた。



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