第二編 エピローグ ②

 明日からのことを考える。

 未来を見ろと心裡さんは言ったが、それは貴方の意志とは関係なく実現してしまった。

 否応なしに、明日を考えてしまうように、なった。


 永久があえか荘を出て行ったからだ。


 葬儀が終わったあと、永久は帰った。それが当たり前だとでもいうように、彼女は自宅に戻った。実際、これが当たり前なのだろう。すでに彼女は渦中にないのだから。


 今、彼女は忙しいらしい。相続等の事務処理から、故人が世話になった人間へ礼に向かったりとやることは山積み。それを景政さんが手伝っているようだ。


 これは全て、霞さんから聞いた話だった。

 あの日から、貴方は永久とろくに話もできていなかった。学校では会うこともできず、忙しいからか電話も繋がらない。話す機会をほとんどつくれなかった。


 その様子を見ていた蒼猫は、


「避けられているんじゃないですか?」


 とずばり指摘した。


 変わりない蒼猫に貴方は違和感を覚える。永久があえか荘を出て行って、一番寂しがるのは彼女だと思っていた。だが、予想に反して彼女は特に何も感じていない様子。直截尋ねても、「別に」とやはり気にしていないようだった。


 ただ、悪戯っぽく笑うだけであった。


 そして、そんなたゆたう状態のまま時は流れ、一週間が経ち、四十九日がやってくる。

 今回の法要は身内のみで営むわけではなかった。葬儀は家族葬で営み、四十九日は手厚く供養する。最初から永久はそのつもりだったらしい。故人を想ってくれる人間への配慮は最初から考えていたのだろう。結果、参列者は数百人にのぼった。


 納骨を済まし、近場でお斎を開き、数時間に及ぶ法要は無事に終了した。


 参列者がめいめいに帰る中、貴方は永久の姿を探した。しかし、彼女はまだやることがあるのか、姿が見えなかった。


 会場が閉められ、貴方は参列者に押し流される形で外に出る。すでに時は夕暮れ。オレンジジュースを零したような空が広がっていた。

 このまま帰るわけにもいかない。

 そう思って永久を捜していると、参列者に紛れて霞さんが顔を出した。一言二言、お互いを労ったあとに彼女は言う。


「永久は今、二人のお墓にいるぞ。行ってあげろよ」


 多分、頼来を待ってるから――と霞さんは優しそうな笑顔を見せた。

 彼女はこのあと用があるらしく、その場を辞した。帰路に着く彼女を遠巻きに見ていると、そこに蒼猫とニャー先輩が現われて――貴方は完全に忘れていた――一緒に帰っていった。


(どうしたのかしらね? あの子たち)

「知らねえよ。俺たちは永久の所に行くぞ」


 貴方は心の中で言うと、踵を返した。


 霞さんの助言の通り、永久は二人のお墓の前にいた。

 厳かに手を合わせる彼女。

 貴方が玉砂利を踏んで音を立てると、永久は耳をぴくりと動かし、手を下げて場所を譲った。

 貴方は彼女にならい、黙祷を捧げた。

 それを終えたところで、永久が口を開く。


「ようやくこれで落ち着けるな。私たちも、それに父様たちも……」


 四十九日を過ぎれば、死者は安らかに眠ることができ、生者は弔いを終えて落ち着くことができる。そう言われている通り、ようやくバタバタした日々は終わりを告げたのだ。


 永久はお墓に向いていた身体を動かし、貴方を正面に捉えて、


「聞いたところによると、君は父様が自殺したことに対して怒っていたようだな?」

「怒ったけど……ん、ここは謝るところか」

「いや、謝る必要はない。私のために怒ってくれたのだろう? なら、素直に嬉しいぞ」


 永久は優しげな声で、言う。


「だがな、頼来。君が怒る必要はないのだ」

「……そうなのか?」

「ああ、私は父様に対して、怒りや悲しみは――いや、悲しくはあるがな――少なくとも怒りはまったく感じていないのだよ」


 はっきりと言って、彼女はゆっくりと墓石に近づいた。


「父様は確かに法を破った。それにより、様々な人に迷惑をかけてしまったかもしれない。当然それは誉められることではないだろう。私が代わりに、謝る必要があるとも思っている」

「永久、それは」

「でもな、頼来」


 永久は貴方の言葉に被せて言った。


「私は父様がしてきたことを否定はしない。誰もが否定したとしても、私だけは絶対に否定しない。だって、父様はずっと母様のために生きてきたのだから。私が好きな母様のために、ずっと頑張ってくれていたのだから……それだけで、私は……」


 墓石を眺めて、言い切った。


「私は、父様を尊敬する」


 それは心の底から言った言葉に聞こえた。

 偽りない、彼女の本心。

 ならば、貴方が何かを言う必要はないのだろう。彼女がちゃんと父親を最後まで尊敬できたのなら、それでいいのだ。


「……すまない、また変な話をしたな」


 彼女は背中を向けたまま、そう謝った。


「だから、変じゃねえって言ってるだろ」


 貴方はそんな彼女の頭に手を乗せて、耳ごと頭を撫でる。


「さ、帰ろうぜ」


 永久の呟きに応じて、貴方は彼女から手を離した。


 二人はゆっくりとした足取りで帰路に着いた。墓地は市街から離れた山間にあったため、このまま行けばちょうどあえか荘を通る。三十分も歩けば、見慣れた日本屋敷が見えてきた。

 そのまま通り過ぎて永久を家まで送るつもりだったのだが、


「何処に行く気だ? 君は」


 あえか荘の敷地に入って、永久は小首を傾げた。


「お前、寄ってくのか?」


 慌てて引き返して、永久を追いかける。すると、見知らぬトラックが玄関前に駐まっているのを見つけた。永久を追い越して、貴方が車を横から見ようとしたところで、


「君、まさか聞いていないのか?」

「……今度は何を聞かされていないんだ? 俺は」


 永久にお伺いを立てようと振り返えると、


「永久。ちょうど良かったです」


 蒼猫がタイミングを見計らったかのように――いや、彼女のことだから事実そうなのだろう――玄関の戸を開けて、小走りで近づいてくると、


「今から運ぶところなんですけど、置く場所とかどうします?」

「適当でいいぞ。あとで頼来と仁愛にやらせる」

「何を「そうですね。分かりました」……おいおい」


 蒼猫は貴方を無視して言うなり、母屋へ戻っていった。

 視線だけで彼女を追いかけると玄関に霞さんとニャー先輩がいるのを見つけた。彼女たちは蒼猫と何か話したあと、こちらに目をやって――


 霞さんは笑顔を見せた。

 最近見た中では一番の笑顔だ。


 ニャー先輩は頭を下げた。

 本当に申し訳なさそうにだ。


 なるほど、彼女たちもグルか。

 永久も貴方と同じ思いを抱いたようで、


「だから、自分たちがやるなどと言っていたのか……」

「何をやるって?」

「それは……」


 どこかばつが悪そうに、彼女は目を逸らし気味に言う。


「……引っ越し作業」

「…………はあ」


 もはや驚く気も失せて、溜息をついた。


「いつから、その話を?」

「葬儀があった日――の前日だ」


 最初からじゃねえか!? と、やっぱり驚きそうになるけれど、それは胸中にしまって、


「あいつら、こんな大事な話を黙って……つーか勝手に進めてたのかよ……」


 貴方は呟いて玄関を睨みつけるが、彼女たちはすでにいなかった。

 怒りのぶつけどころを失ってやるせない思いに苛まれていると、後ろから声。


「頼来……その、駄目だっただろうか?」


 永久は窺うように上目で貴方を仰ぐ。


「私はてっきり、君から許しを得ているものと考えていたのだが……」


 貴方の呟きに不安を覚えたのだろう。永久はいつもの顔で、耳を若干折り曲げて言う。

 そんな彼女を見ていたら、貴方の中に嗜虐心がわいてきた。


(落ち着きなさい、頼来……)

「い、いつにもなく殊勝だからつい」


 確かに、彼女にしては珍しい反応である。この一件で彼女も少しは変わったのだろうか。


「でもお前、自分の家はいいのか?」


 貴方が答えを保留して焦らすと、永久は首を振った。


「この先どうするかは決めていないが、今はな。もともと、あの家には特に思い入れはなかったのだ。あの家に、母様がいたことはほとんどなかったから……」


 それに、あの家は一人で使うには少し広すぎる――

 彼女は言うと、対比するかのようにあえか荘の母屋を眺めた。


 この家は広くても、人がいるから。


 誰かがいてくれるから――


「要は寂しいってわけだ」

「ちがっ……そうではな」

「いいよ、ここに住んでも」


 永久の反論をさえぎって貴方は言った。

 彼女は一瞬むっとして、貴方の言葉を咀嚼すると、


「そうか、なら良か――いや、引っ越し作業が無駄にならなくて何よりだ」

「……嬉しいのか?」

「な、何を言う。そんなわけないだろう」


 永久は折り曲げていた耳を立てて言う。


「断っておくが、私がここに来た理由は君が言うようなものではないぞ。私が家に帰るという話をしたら蒼猫がひどく怒ってな。怒るだけならまだしも、泣きそうな顔をするのだよ。さらに仁愛は寂しそうに笑うし、仁愛の体質は駄々をこねるし、何を言っても彼女たちは聞こうとしなくてな。だから私は、落ち着いたら必ず戻ってくると約束したのだよ。それに彼女たちだけではなく、霞まで同じようにここに留まらせようとしたのだ。まあ、霞の場合は主に私の食生活を安否してのものだったが…………とにかく、理由は私にではなく、彼女たちにあるのだ」


 さて、この言葉を聞いて貴方は、二つの感想を抱いた。


 一つは、長げえよ、というもの。


 もう一つは、どんな反応を返せばいいのか分からない、というもの。


 来たくて来たわけではないのだから、嬉しくはない――みたいなことを、そんな盛大に尻尾を振りながら言われたら、どんな反応を返せばいいのか分からなくなる。


 どうやら彼女は、自分が尻尾を振っていることに気付いていない様子。

 相変わらず、言葉と行動しっぽが違う子だった。


 貴方は我慢しきれず吹き出した。

 すぐさま口元を押さえて笑い出す。


「なっ……君は何故、笑っているのだ!?」

「いや、嬉しくて、ついな」

「嘘をつけ!! 君は嬉しかったら吹き出すのか!?」


 怒ったように言うが、尻尾は不変に振られている。

 貴方は彼女の様子に、笑いを微笑みに変えて、


「まあ、でも、嬉しいってのは本当だ」

「む……?」

「帰ってきてくれて嬉しいよ」

「――――」


 簡明直截な言葉に、永久は息をのんだ。

 振られていた尻尾はゆっくりとした動きになり、徐々にその動きを止めていく。


「……頼来。私は君に言わなければいけないことがある」


 尻尾の動きが完全に止まった時、彼女は貴方を見上げて言った。


「君には本当にいろいろと世話になった」


 見ず知らずの私を引き取ってくれたことも。

 食事などの世話をしてくれたことも。

 母様たちの想いを伝えてくれたことも。


 全部……全部――


「ありがとう、頼来」


 万感の思いを込めるようにして、永久は貴方にその言葉を送った。


 貴方は彼女の様子を目にして、心の奥底で静かに思った。


 自分は間違っていたのかもしれない、と。


 どんなことがあろうと、どんなことをしようと、過去は変えられない。自分がやったことを取り消すことなどできない。だから、自分を許してはいけないのだと、ずっとそう考えていた。


 でも、そんな考えは自己陶酔以外の何物でもなくて。


 そんなことを故人が望むわけがない。


 たぶん、彼らが望んでいるものは――


 今、目の前にある。


「――こっちこそ、ありがとな、永久」


 貴方は我知らず、笑みを零した。

 多分、彼女が笑っていたからだろう。


 儚さと、か弱さと、隠れた力強さを感じさせる小さな微笑み。


 自然と微笑む彼女の姿は、貴方の目に、あえかな花のように映って見えた。



   第二編「星の霜は夢見て」了

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

どこにでもあるような、誰もが望むような【完結】 高辻さくら @takatsuji-sakura

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ