エピローグ
第二編 エピローグ ①
二日後の六月九日。
永久の両親の葬儀が急遽行われた。
式は厳かに進行する。家族葬のため、それに永久に親族はいないため、参列者はほとんどいない。貴方や蒼猫、霞さんといった面々だけだ。貴方たちは二人を知らないので辞退すべきかと思ったのだが、永久ができれば出て欲しいというので参加したのだ。
だが、これでよかったのかもしれない。葬儀というものは考え方によっては、送り出す側のためにあるのだ。永久を心慮すればこそ、貴方たちは参列して正解だったのかもしれない。
通夜も葬儀も終わり、出棺の時が来た。
故人との最後の対面。
棺の中に横たわる二人は、綺麗な顔をしていた。ただ眠っているだけに見えた。
祭壇に飾ってあった供花を全員で棺の中へ入れ、故人の周囲を飾る。誰もが黙々と動き、滞りなく出棺の準備が整った。
あとは蓋を閉め、釘打ちをして、出棺するだけ。
その本当に最後の時に、永久が二人に言葉を送った。
「父様……母様……私を産んでくれて、ありがとう」
それは強い言葉だった。
それ一つで、自分の人生に意味があったのだと、自分が生きてきた証がそこにあるのだと確信させてくれる、強くて優しい言葉だった。
彼女の感謝を最後に、彼らは出棺した。
火葬がすみ、精進落としが行われる。その最中に、貴方は一人席をはずした。建物内の地図で喫煙所を探して、そこに向かう。
はたして、彼はいた。
「あれ? 頼来も煙草?」
礼装姿の心裡さんが煙草の煙をくゆらせながら言った。
「アホか、んなわけねえだろ。お前と話をしに来たんだよ」
貴方は彼に近づいて、軽口を叩いた。
心裡さんとは結局最後まで連絡がつかなかった。景政さんでさえ、彼を見つけられなかったのだが、彼は式の最中にひょっこり姿を現して、しれっと参列したのだった。
「いいの? 僕なんかより、永久と話した方がいいんじゃない?」
「あー、それはちょっと無理というかなんというかな……」
葬式の準備で永久がどたばたとしていたため、貴方は彼女ともろくに話せていなかった。だからもちろん、話したいのは山々なのだが、今は無理。彼女には蒼猫と霞さんと仁愛がべったりと寄り添っているから。
蒼猫は永久がまたどこかに行かないようにできる限り離れず、仁愛はニャー先輩を差し置いて抱きつき離さず、霞さんは永久を想って泣きながらも――式で泣いていたのは彼女だけだ――永久にくっつく。
永久は三人を煩わしそうに見ながらも、文句を言わないで彼女たちを宥めていた。
四人の仲睦まじい(?)様子を見て、その中に入るのは邪魔するようで気が引けたのだ。
「はは、そりゃ困ったものだね、頼来」
「いいんじゃねえの? どうせもう全部終わったんだしな。永久とはいつでも話せるよ」
貴方はしみじみ言う。
そう、全て終わったのだ。
昨日の朝になっても、永久は記憶を失わなかった。彼女が持っていた罪悪感が間違いであると分かってくれたのだ。それは、出棺の時の言葉によく現われていた。
母親に謝りたかったと言っていた彼女は、最後の最後、母親に謝ることはなく、代わりに感謝の言葉を送った。
彼女の中で、全てが解決した証だった。
彼女は自分を許すことができたのだ。
また、治験場事件について。
景政さんが言うには、やはり例の薬は違法治験場が関わっていたようで、結局、公表されないことになったようだ。ただ、博さんの製薬会社やそこの従業員が今後どうなるかは、まだ決まっていない。
しかし、違法性はあるとはいえ、人を死なせたりは一切なかったと調査で分かったらしいので、重い処分は受けないだろうと景政さんは言っていた。
この件についても、もう集束しつつある。
そして、世間的には永久の両親は謎の死を遂げたわけだが、こちらについては、全て社木さんの仕業であると公表された。これは彼が自ら申し出た話だった。医師であり二人の知人でもある自分が犯人となれば、彼らの遺骸に防腐処理を施したり、強引に連れ去ったりした理由は簡単にでっちあげられる、と言って。
この社木さんの働きにより、二人の遺骸を隠していた人間が罪に問われることはなくなった。彼のおかげで、本当に全ては何事もなかったかのように終わったのだ。
「そういや、なんで社木はそんなことまでしてくれたんだろうな」
貴方はふとした疑問を心裡さんにぶつけた。彼は煙草を一服して、不敵に笑うと、
「そりゃ、僕との約束だもん。今回の件について真実を教える代わりに、僕がやった悪事は全部君が引き受けてね、って約束してたんだよ」
なるほど。要は何も知らない彼の足元を見て取引を持ちかけたわけだ。
「お前、最低だな……」
「彼が強引に僕から聞き出そうとするから悪いんだよ。景政が来るって言ってるのに、いいから話せって聞かなかったし、結局最後まで残るしね。これは罰みたいなものだよ」
「何が罰だ。自分がとがめられないように社木を利用しただけじゃねえか」
「人聞きが悪いなあ。僕はどちらかと言えば厳殻さんや霞ちゃんに配慮したんだよ?」
不満そうに唇を尖らして彼は言うと、
「これで罪に問われたら後味悪いしね。彼らは僕に利用されただけなんだから」
「そりゃそうだけどな…………ん?」
貴方は彼の言葉尻に引っかかりを覚えて、
「お前に利用されて? 永久に、じゃなくて?」
「え? 何言ってるの?」
二人の認識が噛み合っていないのか、心裡さんは貴方の指摘に首を傾げる。しかし、ズレの正体が分かったのか、すぐに心裡さんは首を元に戻し、
「ああ、君はまだあの話を信じてるんだね」
「……は?」
「今回の件、全部永久が企んだって話だけど――あれ、僕がついた嘘だよ?」
さらりとした言葉に、貴方は絶句する。
もう、何を言われても驚かない自信はあったのだが……。
心裡さんはその様子を見て、呆れたように肩を竦め、
「いろいろと事情があった中で、一つだけ説明できないことがあるじゃないか。永久は昨日、その部分について初めて話を聞いたらしくてね、すぐに僕に連絡してきたよ。君は一昨日の時点で聞いているはずなのに、なんで気付かないかな」
「なんの話をだよ」
「霞ちゃんの話を、だよ」
心裡さんは文字を描くように煙草を振りながら続ける。
「霞ちゃんは最初から、永久の両親が亡くなっていることを知っていた。それは何故?」
「何故って、爺さんが……違うな。お前が教えたんだよな? 確か」
「じゃあ、なんで僕はそんなことを彼女に教えたんだろうね」
「そりゃ、永久のために……」
永久のために、なるだろうか。
永久のために、なっただろうか。
答えは否だ。
なりようはずがないではないか。
「分かったみたいだね。このままだと理由がないんだよ」
そう、教える理由がなかった。
むしろ、教えてはいけなかったはずだ。
教えた結果、彼女は両親が亡くなっていることを隠すために、永久から離れた。
一緒にいれば、隠し通せないと思って。
霞さんは教えられたからこそ、今回、何もできなくなったのだ。
「え、じゃあ、お前、なんでそんなことを」
「説明する前に、一つ聞いていいかな?」
心裡さんは煙を吐き出しながら言う。
「そもそもさ、君は今回の件、少しも疑問を覚えなかったの?」
「……疑問はねえけど、腑に落ちないことは、あるな」
貴方は一昨日を振り返って、気になっていたことを口にしてみる。
「三日前、リズの話を聞いて永久は記憶を失ったわけだけど……あの時は誰にも理由を話したりしなかったんだよな。もちろん、あの時は記憶を本当に失うのか確証がなかったのかもしれないけど、永久なら四月二十九日の出来事も大方想像ついたんじゃないかって思うんだよ」
記憶を失った理由を仮にでも決めつければ、永久なら自分が四月二十九日に何をしたのか、どうして心裡さんたちが隠し事をしているのか、分かったのではないか。
「そしたら、お前に話したように、俺にも話した方が都合がいいよな?」
「そうだね。もしかしたら、次の日に頼来が母親が亡くなっているって話をしちゃうかもしれない。そうしたら、次の日の永久は記憶を失わないから、四月二十九日に記憶を失った理由が他にあるって確定しちゃうね」
「だよな? やっぱり、あの場面だと俺やリズを利用した方が、自分の計画を達成しやすくなった気がするんだよ。どうも、そこがチグハグなんだ」
四月二十九日の永久は心裡さんを利用したと言っていた。なのに、三日前の永久は私たちを利用しようとはせず、ただ黙っていた。
確かに何か違和感がある。
「うんうん。他には?」
「……あと、記憶を失った本当の理由を隠すためだとしても、二人が亡くなったことを永久が利用するとは思えなかったんだよ。あれだけ二人を愛していた永久が、いつか知ることだとしても、二人の死を隠そうとするはずがないって……そう、思っていて……」
貴方は言いながら、それらの違和感を消す方法に思い至った。
「あ、そうか。だから、チグハグなのか」
「その通り。さっきも言ったとおり、永久はそんなことしてないんだって」
心裡さんはニヤけた笑いを隠さず言った。
「永久が僕に頼んだことは一つだけだよ。記憶を失う本当の理由を誰にも知られたくないって――つまりね、彼女は遺書を隠してくれとだけ頼んできたんだ。彼女は誰かを利用しようだなんて考えてなかったんだよ」
なんて説得力のある言葉だろうか。
彼女は終始、誰かを利用してまで隠し事をしようとしてはいなかったのだ。心裡さんを利用しようとしたわけでもなく、私たちを利用しようとしたわけでもない。それに、両親を利用しようとしたのではなかった。
貴方は、心の底から吐き出すように、ほっと息をついた。
本当にすっきりした。どこか、あんなことをした永久を――両親の死を隠したり、人を騙したりした永久のことを悲しく思っていたのだが、そんな気持ちは意味のないものだったのだ。
だって、永久は今回、何も悪いことをしていない。
「本当に全部、お前の嘘だったのか? 二人が亡くなっているのを隠したのは全部……」
「うん。僕の独断による行動だね」
心裡さんは、平然と言ってのけた。
もはや驚くことも怒ることもできない。
貴方は半笑いで、彼に答えを求めた。
「心裡……お前、何を考えてたんだ?」
「全部、永久のために行動していたんだよ。永久の母親に対する罪悪感を消してあげるために行動したんだ」
永久のための行動――それは白雪さんの言葉と同じだった。
彼は短くなった煙草を灰皿に落として、新しい煙草に火をつけた。
「一番重要だったのは、事の最初。いかにして永久を君と関わらせるか。このためだけに僕は、博たちを行方不明という形に仕立て上げたんだよ」
彼は仮の話をした。
もし、両親が亡くなっていると公表されていたとしよう。その場合、永久は誰かを頼ることはなかったはずだ。
永久があえか荘に来た一番の理由は金銭面の問題であったが、父親が死亡したとなれば、手元に通帳等がなかったとしても、公的書類さえ揃えれば相続が可能であるため、その問題もなくなってしまうのだという。
確かに永久の性格を鑑みれば、両親が亡くなって一人になったとしても、一人で生きていこうとするはずだ。
あえか荘に来ることはなかったし、貴方と関わることもなかった。
そこまで説明されて、貴方は先程の話を思い出す。
「あ! だからお前、霞に話したんだな?」
「そういうこと。事情を知らされていなかったら、霞ちゃんは間違いなく、一人になってしまった永久を案じて彼女の世話を買って出ただろうね。そうなれば、計画は水の泡だ」
貴方と永久を関わらせるために講じた一計だったのか。霞さんの行動を制限するために心裡さんは事情を伝えたのだ。自分の計画の邪魔をさせないように。
話の筋道はよく理解できた。
だが、
「なんでそこまでして俺たちを関わらせたんだよ」
「そうすれば、君が永久の罪悪感を消してくれると信じていたからだよ。永久を君に預ける時に僕は言ったじゃないか。『君を信じている』ってさ」
確かにそんなことを言っていた。ただ、あれは責任転嫁のための言い訳にすぎないと思っていたのだが。まさかそこに意味があるとは思ってもみなかった。
貴方が納得できかねて眉をひそめていると、心裡さんは煙草を揺らし、
「君がどんな風に彼女を説得したのかは知らないよ。でも、たとえ僕が君と同じ話をしても、彼女は説得に応じなかったと思うな」
「……そんなことはねえと思うんだけど」
「頼来、説得力っていうのは『何を言うか』ではなくて『誰が言うか』で決まるんだよ。受けとる側にとってどのような人物なのかが肝心なんだ。つまり君が彼女にとって信頼できる人間だったから、彼女は君の言葉を信じてくれたんだよ」
貴方は彼の言葉を胡散臭そうに聞き流しているが、私は彼の言葉に納得していた。少なくとも、永久が貴方を信頼していたのは間違いないから。でなければ、彼女は部屋の鍵を開けようとはしてくれなかったはずだ。
「もう少し詳しく話すと、君と永久を関わらせるのは第一条件だった。第二条件があえか荘に住まわせるというものだ。つまりね、リズと会わせたかったんだよ」
(私ですの?)
「うん、君だ。君という前例を、彼女に見せる必要があったんだよ」
(前例と言いますと……望んだ体質を得てしまったということですわよね?)
「答えは聞かなくてもいいよね? 永久がどうしてあえか荘を出て行こうとしたのか、それは彼女から聞いたはずだ」
煙草を吸って一息入れて、
「とにかく、僕がしたのはその後押しだよ。僕が真実を話せば、彼女はあえか荘から出て行こうとするはずだ。永久が出て行けば、頼来は必ず彼女を追う。あとは永久から逃げた理由を聞いて、彼女を説得するだけだ。どう? 全部僕の予想通りだったでしょ」
心裡さんはえくぼをつくって言った。
(えっと、つまり、私が望美さんを観測することまで分かっていましたの?)
「僕が言った条件は、君が情報を得るために誰かを観測するところを永久が見る、というものだ。相手が望美である必要はないよ。まあ、一番可能性が高いとは踏んでたけどね」
心裡さんは火をつけたばかりの煙草をペン回しの要領で回して――怖い――続けた。
「頼来が残した留守電で、その条件が満たされたことは知れた。だから、永久に全てを話すために、強引に博たちが亡くなっていることを暴露したってわけだ。そうしなきゃ、厳殻さんたちは納得しなかっただろうしね」
それにその方が頼来は必死になるでしょ――と、心裡さんはなおも笑って言った。
(……もしかして、ニャー先輩も私と同じだったんじゃありませんの?)
「ニャーちゃん? 望んだ体質を得たっていう前例ってこと? それは違うよ。彼女の体質は偶然で片付けられるものだ。それは永久も言ってたんじゃないの?」
さっきからそうだが、聞いてもいないはずなのに彼は言う。
「ニャーちゃんの役目はまた別にあったけどね」
そして、またしても意味不明なことを言い出した。
「お前、やっぱりニャー先輩のことも俺に任せようとしてたんだな」
貴方はこの間のことを思い出す。
心裡さんは明らかに全てを知っており、また、貴方が彼女を手助けできるようにいろいろと情報を渡していたのだ。
「うん。せっかくだから、今回の策に入れさせてもらったよ」
彼はしれっと肯定して、煙草を吸い、
「彼女の役目は一つ。リズの存在を外部の人間に知られないようにすることだ」
(私のことを……?)
「今回の永久の行動はさ、『望んだ体質を得た』欠落者があえか荘にいないと成立しないんだよ。永久があえか荘から出て行こうとする理由がなくなってしまうからね」
それはそうかもしれない。永久自身がそう言っていたし、途中で貴方も気がついた。
「もし、ニャーちゃんがあえか荘にいなかったらどうなる? 当然、該当する人間がいない。とすると、知られざる存在があえか荘にいることになる。第三者が事実を調べて考察すると、君の存在に勘付く恐れがあるんだ」
(それは……嫌ですわね)
第三者が私のことを知り、興味を持って曝こうとしたらどうなるか。
あまりいい想像はできない。
(ですけど、調べられたとして、そこまで推測できるものですの?)
「現に白雪は気づいてたよね? 彼女は僕がどうしてこんなことをしたのか、分かっていたみたいだし。それに永久が何故、君たちから逃げ出したのか気づいていた」
貴方はあの時の電話を思い出した。
思い出したはいいが、無駄話の方が強烈すぎて、細かい内容は忘れていた。
「そういや、そんなこと言ってた気がするな……」
「たぶん、白雪の中では、リズの役はニャーちゃんが負ってるはずなんだよ。ニャーちゃんがいるから、永久はあえか荘を出て行こうとしたんだって。白雪は、永久はニャーちゃんの体質から真実に気づくと思ってしまった、と解釈したんじゃないかな。納得するにはだって、それしかないんだもん」
私がいなくて該当するニャー先輩がいれば、少し不自然でも納得せざるを得ない、と。
「どう? 僕はリズのことも考えてたんだ。感謝してよね、リズ」
(……本当に、私たちは貴方の手の平の上で踊っていたということですの?)
「非常に素晴らしいダンスだったよ。見物できなかったのが悔やまれるくらいのね」
(貴方という人は……なんて人なのかしら……)
「褒めないでよ、リズ」
(褒めてませんわよ!!)
けらけらと笑う心裡さんに私はありったけの思いを込めて叫んだ。
「リズ……お前、またからかわれてるからな」
(……何がですの? また?)
「お前の声、こいつに聞こえてるはずないだろ」
言われて、心裡さんに心底からかわれていたと知り、私はさらに怒りを覚える。
「とにかく、これでこいつが何を考えてたのか分かったな」
確かに、心裡さんの真意にようやく考え至った。
心裡さんは終始、永久との約束は守っていたのだ。彼は永久が記憶を失う本当の理由を誰にも話さなかった。永久本人には教えたが、忘れてしまうのだから構わないわけで。
そして約束を守りながら、彼女の罪悪感を消すには、彼女本人から記憶を失う本当の理由を話してもらうしかなかった。
そのためには誰かが彼女としっかりとした信頼関係をつくる必要があった。
また、彼女本人から言わせるような状況を作り出す必要があったのだ。
だから心裡さんは様々な工作をして、永久をあえか荘で暮らさせた。私や貴方がいるあえか荘に永久が住めば、今日までのことが起こると確信して。しかも、私のことを守りながらというのが腹が立つ。
(本当に、なんて人ですの……)
「こんな奴だって最初から知ってただろ」
貴方は一度だけ大きく深呼吸をし、気を取り直して心裡さんを見た。
「もういいよ。お前の話は信じてやる」
「それは
「でも心裡、お前、なんでそうまでして永久のために行動したんだよ」
「君がそれを聞くの? 人を助けるのに理由が必要?」
「少なくとも、お前は必要なタイプだろ?」
「言うねえ」
ひゅう、と心裡さんは口笛を吹く。
戯けた態度にイラッと来るが、貴方は黙ったままだ。
しばらく待つと、心裡さんは横目で貴方を見て、表情を変えた。
「せめて、博が残した最後の望みくらいは叶えてあげたかったんだ」
口調どころか、声さえ違って聞こえる真面目な声音だった。
「彼は最後、『娘を頼む』って言ったんだ。それは別に、彼女の生活を保障するとか、そんな単純な意味じゃない。それを分かった上で、僕は彼の言葉を承った。だから、永久が生きていくのに障害となっているものを取り除くのは、僕の責務となったんだよ、あの時点でね」
彼の最後の望み。
それは、永久のこと、か。
「……だったら」
それは、分かる。
だけど、
「だったらなんで、博は自殺なんかしたんだよ……!」
貴方はようやくその疑問が口にできたと思った。一昨日は永久のことで頭がいっぱいで何も考えられなかったが、今なら考えられる。考えるというよりも、ただ怒りを覚えたというだけだ。
故人を悪く言うのは気が引けるが、娘である永久を置いて自殺するなんて、あまりにも身勝手すぎる。しかも一方的に自分の望みを残してなんて……。
「君の気持ちはもっともだよ。でも、それは意味のないものだ」
心裡さんは一呼吸置くと、貴方の目を見つめて続けた。
「誰かが自殺したことに対して何かを言う権利があるのは、残された者だけだ。君はそんなこと、知っているはずだけど?」
「……分かってるよ、んなこと」
他人がとやかく言う意味はない。残された人間がどう考えているかが問題なのだ。
「なら、彼を糾弾する前に、ちゃんと確かめてみるんだね、頼来」
彼はすでに葉っぱがなくなった煙草を捨てて、口調を軽くする。
「でも、あれだよ。後ろを見るのも時には必要だけど、今は前を向くべきだよ。だって、君たちにとっては本当に全て終わったことなんだからさ」
彼は灰皿の前から貴方の隣に移動して、
「博を想ってくれるのなら、君たちは前を向くべきなんだよ」
明日からのことを考えなよ、頼来――と、貴方の肩に手を乗せて、小さく微笑んだ。
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