第二編 第四章 ⑤

 視界が切り替わって、完全な暗闇から薄闇に変化する。薄暗い部屋の中だ。光源はカーテンで仕切られた窓の外から入る光のみ。窓とは対角の位置にベッドがあり、布団に潜る女性の姿が確認できた。

 昼間見た姿とは違い、寝巻き姿の上田望美――貴女だった。


 就寝する直前だったらしく、貴女は考え事をしていた。明日のスケジュールについてだ。入院患者の名前と検査する内容を一つずつ頭の中で確認していく。それは明らかに仕事の内容である。


 勤め先の名前こそ貴女は頭に浮かべなかったが、間違いなくどこかに勤めている。どうやら、頼来の予想は当たっていたようだ。

 ならば、永久に何かを隠していたというのもまた、当たっているのだろうか。それを知れればと思うのだが、貴女はスケジュールを確認し終えると、まとまった思考をやめてしまった。とりとめもない考えが頭を占めていく。眠ってしまう前兆だった。


 このままだと、貴女から話を聞き出せない。だからといって、まさか質問するわけにもいかなかった。今ここで話しかければ、貴女は非常に驚くだろう。驚くだけならまだしも、自分の頭を疑うことになりかねない。


 それなら、と私は一言だけ貴女に伝えた。


(永久)


 きちんと私の声は届いたようで、貴女は半分眠りながらも寝返りを打って反応を示した。そして、今の私の声が自分の思考と勘違いした貴女は、今日の対面を振り返る。


 まさか、あの子が尋ねてくるとは思わなかった。いや、自分は思っていなくても、ちゃんと心裡さんは予測していたのだ。結局、全ては彼の忠告通りだった。永久は四月九日に何があったかを聞いてきた。彼の助言通りの態度を取ったからか、彼女は納得して――


 貴女はつらつらとそのようなことを思考するが、逆に私は思考が止まりそうだった。


 何故、ここで心裡さんの名前が出てくる?

 彼の顔が広いことは知ってはいたが、どういう……。


 私は次々と浮かんでくる疑問を無理矢理に塞き止めた。

 貴女が何か考えていたからだ。


 ――話してしまおうと何度も思ったけれど、誰にも話さないという彼との約束は守れた。誰かがいつかは話さなければならないが、その『いつか』は今日ではないし、話すのは自分ではない。社木さんや博さんに任せるべきだ。彼らがいなくなったのも、恐らく自分と同じ理由。彼女と一緒にいたら隠しきれないと思ったから失踪したのだろう。


 貴女が何を言っているのか、私には分からなかった。


 約束?

 心裡さんとの?

 永久の父親たちがいなくなった理由?


 ますます分からなくなる。


 もう少し何かを聞けるかと期待したが、いつの間にか貴女の思考は止まっていた。すでに眠りに入ってしまっている。だけど、これだけは聞かなければならない。


 どうしても、これだけは――


(貴女たちは、何を隠しているんですの?)


 私の心の声が届いたのかは分からない。

 だが、貴女は煩雑な思考の中で、ごめんね、という言葉を形作ると、


 寝言のように、こう呟いたのだ。



「……お母さんが亡くなっているって……話せなくて」

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