第二編 第四章 ④
「なんでお前、こんな大事なこと話さなかったんだよ」
貴方はソファーに座って、カーペットに座りこむ永久の髪に櫛を通した。
「相談してくれれば、いくらでも手伝ったのに」
怒気は孕んでおらず、どちらかと言えば、寂しげな調子の声で言った。
声をかけられている永久は、貴方に背を向けて腕を組みながら押し黙っている。
「永久、聞いてるのかよ」
「聞いているぞ――いや、むしろ、聞いているのだろう? リズ」
永久は首を動かして、流し目で私を見た。
いや、正確には私は見えていないはずだ。
そこには誰もいないのだから。
あえか荘に帰ってきた数時間後、タイムリミットが来た。私が起きていられる時間が終わったのだ。そのあと、私の身体は自室に移され、今は貴方を観測している。
「全く……私は君に、今日の話は頼来にするなと言ったはずだが?」
(あら? 私、口にはしないと言ったはずですけど?)
「心の声を伝えただけだと言いたいのか? それは屁理屈だ」
(もちろん、冗談ですわよ。でも、大切なことは何も言っていませんでしょう?)
永久が貴方に感謝している、という話はしていなかった。それは彼女が話すべき内容だからだ。他の話は、情報共有すべきだと思ったから話したまでだった。
「それはそうだが……いや、やはりそれも屁理屈だぞ、リズ」
「――ちょっと待った」
と、口を差し挟んだのは貴方だった。従者の如く櫛を動かしていた手を止めて言う。
「お前ら、どうやって会話してるんだ?」
貴方の疑問により、私は一瞬、精神的に固まった。今、普通に会話していたけれど、それはおかしいのだ。何故なら、複数の人間を同時には観測できないから。
例えば、貴方を観測していれば、一緒にいる蒼猫は観測できない。心の声を蒼猫には伝えられないのだ。
(……どういうことですの?)
「言っておくが、私にはリズの声は聞こえていないぞ?」
永久は当然のように言う。
(ですけど、今、話していましたわよね?)
「それは君が言いそうなことを予測して答えていただけだ。リズがどのような人間なのかは大体、理解できたからな。君が言いそうなことなど簡単に予測できるぞ」
(なかなか言いますわね、貴女)
「事実を言ったまでだ」
(で、でしたら、これから私が言うことを当てて下さる?)
「構わないぞ。言ってみろ」
(……やっぱりやめておきますわね)
「なんだ、つまらない奴だな」
ふんっ、と永久は鼻を鳴らして私から視線を逸らした。しかも、私たちの会話を聞いていた貴方は感心したらしく拍手なんかしていた。悔しいったらない。
数秒ほど手で音をつくっていた貴方だったが、唐突に動きを止めて思った。なんの話をしていたんだっけ、と。
それを聞いて今度は私が思う。もしや、話をうやむやにするのが永久の目的だったのではないか? だとすれば、彼女はとんだ策士だ。
「まあいいや。それでお前、これからどうするんだ? もう一度望美に話を聞きに行くのか?」
貴方はあっさり思い出すのを諦めて、永久の銀髪を
「それは意味がないだろう? 彼女が何も知らないのはもう……」
髪を弄られていることは気にせず、永久が貴方の言葉に反論すると、
「その人、本当に何も知らなかったのか?」
貴方は永久の髪で三つ編みを作りつつ、疑問を差し挟んだ。
「何故、疑問に思う?」
「いつもと様子が違ったんだろ? 前までは優しかったって話じゃねえか」
「それは、私の父様のせいで仕事をなくしたからで……」
「仕事をなくしたくらいで、お前のこと嫌うのかよ」
永久の髪は柔らかで、こうやって弄っているだけでも心地よく感じられた。
「人って、そんな簡単に誰かを恨めるものか?」
「だが、彼女は私と同じで欠落症の人間だ。そう簡単に次の仕事は……」
「同じ欠落症の人間ってんなら、なおさらお前のことは嫌わないんじゃねえか?」
「む……」
貴方の言い分の方が正しいと感じたらしく、永久は口をつぐんだ。だが、すぐに、
「私のもそうだが、君のも――」
「お兄ちゃんたち、なんの話してるの?」
気づかぬ間に、ニャー先輩――ではなく、仁愛が側に立っていた。
「お姉ちゃん、何か酷いことされたの?」
「仁愛、お前……」
話を聞いていたらしい仁愛は、おそらく継ぎ合わせて永久が何かされたと思い込んでいるらしい。
それは半ば事実だが、真実ではない。
「……誰? 誰がお姉ちゃんに酷いことしたの? 私、その人のこと許さふにゃ!?」
「こら、何言ってるんだよ」
貴方は仁愛の鼻をペちっと叩いて言った。
「お兄ちゃん、何するのー」
「永久は何もされてないし、お前が心配することないよ。それにもし、何かされていたとしても、お前は怒っちゃ駄目だ」
「……なんで?」
「誰だとしても、人を傷つけちゃったら、ニャー先輩がもっと傷つくだろ?」
仁愛はしばらく考えて、こくりと頷いた。
貴方が手を伸ばすと、彼女はしゃがんで近くに寄ってきた。貴方がその頭を撫でると、仁愛は喉を鳴らして、ソファに寝転び、貴方の膝に頭を載せた。
「で? 永久、続きは?」
貴方は膝枕した仁愛の耳をくすぐるように撫でながら、永久に集中した。
ものすごく手慣れた手懐け方だった。
永久は首だけで振り向き、仁愛を見て、ぷいっと前に向き直り、
「……私のもそうだが、君のもただの感情論だ。どちらも確証はないぞ」
「確証ねえ」
貴方は完成間際だった三つ編みを右手で弄りながら、
「でも、間違いなく望美は嘘ついてるよな?」
「……? なんの話だ」
「仕事がないって話、たぶん嘘だぞ? 景政さんが言ってたんだけどな。最近、近所の診療所が潰れてそこの従業員はみんな撫原医院に雇われたんだってさ。診療所が潰れるなんて滅多にないから、景政さんが言う診療所って社木診療所のことだろ?」
貴方の話を聞いて、私は思い出した。景政さんは出会い頭でそんな話をしていた。だとすると望美さんも当然、撫原医院で雇われているはずだ。
(ですけど、今日は平日なのに、昼間から家にいましたわよ?)
「そりゃ当直明けとかじゃねえの?」
貴方は珍しく鋭かった。
確かにその可能性はある。
「だからさ、永久。俺には望美が何かを隠しているようにしか思えねえんだよ」
永久の髪を指先に絡めて遊びながら、真面目な声音で結論を下した。
そう考えれば、優しかったという彼女がキツい態度を取ったことにも納得がいく。納得がいくし、そうであって欲しいとも思う。
私はそこまで思って、何故貴方が珍しく冴えているのかに思い至った。多分、貴方は望美さんが永久を拒絶したという事実を信じたくなかっただけなのだ。
人の悪意を疑った結果、辿り着いた答えが今の話なのだろう。
答えの導き方はどうであれ、私は納得したのだ。あとは彼女がどう思うかだが。
「……そうだな。彼女が何かを隠しているのは間違いないのだろうな」
永久は貴方に背を向けたまま納得を示すと、「だが」と話を反転させる。
「だとしたら、彼女はあからさまな嘘をついてまで、私に何かを隠したかったのだ。再度、聞いたところで、答えてくれるはずがないだろうな」
「それは、聞いてみなくちゃ分からないんじゃねえか?」
「いたずらに聞くわけにもいかないだろう。もし今の話が真実なら、彼女は不本意ながら私を拒絶していたのだぞ? また私が聞きに行って、同じような態度を取らなければならなくなったとしたら……彼女が辛いだけだ」
その考え方は優しいものだった。それに正しいのかもしれない。貴方はそう言われてしまえば反論はできないと思ってしまった。
だが、私は少しだけ違う。素直に納得はできなかった。望美さんの気持ちを考えれば、詮索しないという結論を出すのは分かる。なら、他の方法を考えればいいのではないか。彼女を苦しませない方法さえあれば、それで……。
私は、ハッとする。
方法なら、あるではないか。
「この話はこれで終わりだ」
「永久、でもな「せ、先輩……?」そう、先輩…………って、ん?」
貴方たちは同時に、ニャー先輩の顔を見た。耳を撫でられながら、彼女は顔を真っ赤にして固まっている。
「あ、あああ、あの、これは一体全体、どういう状況でしょうか……?」
「…………仁愛は?」
「寝てしまったのではないか?」
なんて人騒がせな子だろうか。
貴方たちは二人とも毒気を抜かれたらしく、そのまま話を終えてしまった。
永久は三つ編みのまま――気付いていない様子――自室に戻り、ニャー先輩は恥ずかしそうに自室に引っ込み、貴方もリビングから自室に移動した。
まだ寝るにはだいぶ早かったので、永久から借りた本を読み始める。
だが、集中はできていなかった。
私はタイミングを見計らって、貴方に声をかけた。
(頼来。今日はもう離れますわね。ちょっと疲れましたわ)
「そりゃそうだろうけど。珍しくないか?」
(そういう日もありますのよ。では、お休みなさい、頼来)
「あ、待――」
私が意識を外すと、貴方の声は途中で切れて聞こえなくなった。
視点がなくなり、私の視界には目を瞑った時のような暗闇が広がる。
私の体質は寝ている間に他人を観測できるというもの。観測していない時は、意識だけが暗闇の中に浮かび、夢の中を漂うような感覚に包まれる。そして、誰かの側に行きたいと強く思えば、その誰かを観測できるのだ。ただし、観測できる対象は限られている。
(さてと、試してみますわね)
誰に伝えるわけでもないのに呟いて、意識を集中した。
観測できるかは分からない。
できなければ、それはそれ。
なんの問題もないのだ。
試す価値は十分あるはずだった。
私は望美さんの顔を思い浮かべながら、彼女の側に行きたいと、強く願った。
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