第四章

第二編 第四章 ①

 次の日の早朝、リズは三和土たたきの上で特注の靴を履いて立っていた。


「さてと……」


 言いながら、リズは自らの出で立ちを確認する。彼女が着ているのは人形用のドレスだった。だが、たかが人形用と侮ってはならない。今時の玩具は精度が尋常ではないのだ。彼女の衣装も例に洩れず、上質な絹とレースを存分にあしらった巧みの品である。


「では、行ってきますわね、頼来」


 服装に乱れがないことを知ると、リズは傍らの頼来を仰いだ。


「行くって、何処行く気なんだよ」

「気の向くままに散歩するつもりですわ」

「お前、それでこの前も野良猫に追い回されてたじゃねえか」

「あれは、その……少し遊んであげていただけですわよ」

「嘘つけ」


 もちろん嘘だった。以前、起きて散歩に出た時、野良猫とうっかり遭遇してしまい、恰好の狩猟対象にされてしまったのだ。

 外の世界は小さなリズにとって危険が多かった。彼女にしてみれば野良猫はライオンであるし、野鳥は伝説上のロック鳥に等しく、飼い犬はもはや怪獣だ。ひとたび捕捉されてしまえば命も危うい。生きとし生けるもの全てが危険をはらむ。


 だが、本能のままに生きる彼らに罪はない。罪があるとすれば、理性を持って、自分を危険に導こうとする動物。つまり、彼女にとって最も危険な存在は、人間なのだ。


 欠落者は通常の人間とは異なる身体を持っている。その中でもリズのような身体は非常に珍しかった。否。珍しいどころか、恐らく、類を見ない存在だろう。

 そんな彼女を見知らぬ人間が見つければ、幻覚と疑って目を擦るか、もしくは貴重と思い捕縛するはずだった。その後、彼女がどのような目に遭うかは語るまでもない。


「……一人で大丈夫か?」

「心配ですの?」

「心配だ」


 頼来は即答する。彼は基本的に自分の感情に正直であり、自分の考えを口に出せる人間だ。それに、彼は他者に関してだけは非常に心配性である。

 リズはそれを賛美はしなかった。だが、多少は好ましいと思っている。

 心配性であることは問題ではない。心配した上で束縛しようとしたら、問題になるのだ。心配しているとうそぶきながら、他者を強引にリスクから遠ざけて自己満足にひたることこそが罪なのだ。


 その点、彼は違う。


「分かってるだろうけど、気をつけて行けよ?」


 頼来は腰に片手を当てて、首を斜めに傾けリズを見下ろす。彼は心配でたまらないくせに、自分のために他者を縛ろうとはしない。リズは彼のそんなところは好きであった。


「行ってきますわ」


 リズはふわっと微笑んだ。そして、歩き出したところで、彼女ははたと気付く。目の前に障壁が立ちはだかっていることに。


「頼来、開けて下さる?」

「……ホントに大丈夫かよ」


 頼来は嘆息して、玄関の戸を開けた。


 この街はずっと以前から過疎化が進んでいた。農林地帯と水産地帯の狭間。有名な特産品もなければ観光スポットもない。あるとすれば温泉であるが、そのほとんどが秘湯であり、人を呼び込むには魅力が足りていなかった。その結果、徐々にこの街の人口は減少している。

 流石にここら一帯では一番開けている商店街には人が大勢いるが、俯瞰ふかんして見ればやはりこの街は寂れていた。

 だが、リズは嫌いではなかった。

 人々の交流は都会よりは濃く、温かさを感じさせてくれる。

 静けさも自分の好みに合っていた。

 嫌う理由はなかった。

 それに、このくらいの街でなければ、自分のような存在は気軽に暮らせないのだ。


 どこに向かうでもなく、リズは外の世界を歩き回った。のどかな農園を越えて、閑静な住宅街を歩く。小さな公園を見つければ休憩がてらに寄ってみたり、知らない店があれば好奇心に駆られて中を覗いてみたり、心の向くままにリズは世界を堪能する。


 長期に渡って眠ってしまうリズにとって、起きている時間は貴重だった。自分で自由に動き回れるのは、この時だけだ。だから、リズはよく一人で街を歩き回っていた。危険は承知の上で、彼女は自由を満喫しようとするのである。


 気ままな散策を開始してから数時間が経った。平日だからか、街中はほとんど人気を感じられない。そんな静けさが漂う世界に、子供の甲高い声が響いた。近くに幼稚園があるのだろう。元気良い声に、リズは口元を緩めた。微笑ましくて、こちらまで元気が出てくる。


 穏やかな道を歩くと、今度は聴覚ではなく嗅覚が刺激された。どこからか甘い匂いが漂ってきて、リズの鼻腔をくすぐる。数軒先を見れば、小さなケーキ屋があった。


 リズは店に近づいて硝子戸から店内を見渡した。レジ脇のショーウィンドウの中にはモンブラン、シュークリームにイチゴのショートケーキが並ぶ。どれも定番ではあるが非常に美味しそうだ。甘い匂いが相乗効果をもたらして、至高の甘味に見えてくる。


 だが、あれを口にすることは叶わなかった。リズは人から隠れなければならない身。商品を購入することはできないのだ。そもそも、お金を持ってきていない。


(お腹が空きましたわね……)


 店内の時計を見れば、短針は十一と十二の間にきていた。そろそろ帰って、頼来が用意してくれているだろう昼食をいただくべきか。ここは諦めるしかないのだろう。


 リズは後ろ髪を引かれる思いでその場を離れ、帰路に着こうとした。

 しかし、彼女の足はすぐに動きを止めた。

 思いもよらないモノを見つけたからだ。


 リズは小走り気味に見つけたモノに近づいて、聞こえるように大きな声で話しかけた。


「こんなところで何をしていますの? 永久」

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