第二編 第三章 ⑦


「よう、ボウズ。こんな所にいたのか」

「ボウズじゃない! オレは強志だ!!」


 貴方に声をかけられるなり、少年は強志と名乗った。強志は年齢的には六歳か七歳、小学校一年生くらいの子供だった。あの男性が言っていたように、左手には鋭い爪を持ち、その腕はトカゲのような、魚のようなゴツゴツとしたウロコに覆われていた。


「そうか、じゃあ強志。お前、追いかけられてたみたいだけど、何かしたのか?」

「知らねえよ! オレはなんもしてないのに、あいつがいきなり追いかけてきたんだ!」


 なかなかに強気な態度に貴方は微笑む。

 こういう小憎たらしい感じの子供は好きだった。


「あんたもなんなんだよ。あいつとケンカなんかして、いいのかよ」

「本当は駄目なんだけどな、強志が怖い目に遭うんじゃないかって思ったからさ」

「……なんで、あんたがそんなこと気にするんだよ」

「別に、特に理由はないよ。ただな、兄ちゃん、実は強志が商店街の店を見て歩き回ってるのを見てたんだよ」


 貴方はまた嘘をついた。


「そこで強志が追われてるのを見て、これは多分誤解されてるんだろうなって思ったから、ついあんなことしちまったんだ」

「ごかい……? あんたはオレが何してたのか分かってんのかよ」


 貴方は首肯して、答える。


「強志は誰かを――母ちゃんを捜してたんじゃないか?」

「えっ?」


 強志は口を半開きにして驚いた。

 その様子を見て貴方は、やっぱり、と頷いた。


 貴方はこう考えていたのだ。小さな子供がこんな時間に一人で店を歩き回っていたのは、人を捜しているからだと。つまりは迷子になって、はぐれた母親を捜しているのではないかと推測したのだ。

 宝石店を見ていたというのは、もちろん商品を物色するためではなく、、そこを見て回っていたというだけの話なのだ。


「迷子にでもなったのか?」


 笑って尋ねた。


「ちげえよ! オレじゃなくてあいつの方がはぐれたんだよ! だから……だからオレ、ずっと探し回って……オレ……」


 最後の方は、ほとんど聞き取れなかった。

 強志は口を尖らせてうつむいた。


「ああ。一人でよく頑張ったな」


 貴方は強志の頭を撫でて言う。


「でも、もう一人じゃないぞ。兄ちゃんも一緒に探してやるから、元気出せよ」


 強志は言われて目に溜まっていただろう涙をごしごしと拭いた。

 貴方は笑う。

 男の子はこうじゃなくちゃ、と。


「さ、早いとこ、母ちゃん見つけちまおうぜ。そんで家に帰ってメシ喰おう」


 貴方は左手を出す。すると強志も怖ず怖ずと左手を出した。握手。でも違う。貴方は握手をしたくて出したのではない。

 貴方が苦笑いを浮かべると、強志は気付いて、だけど自分の右手を見てやはり差し出さなかった。自分の爪とウロコが気になったようだ。

 何も考えず、怪我していない方の手を出してしまったことを貴方は後悔した。だが、すぐに思い直して、強引に強志のゴツゴツした右手を手に取った。


 優しく、握りしめる。


「行こうぜ」

「……うん!」


 貴方と強志は手を繋いで一緒に歩き出した。すると目の前に永久が立ちはだかった。

 ずっと貴方たちを見ていた彼女は「逃げろと言ったはずなのにな……」とぼやくと、貴方を睨み、


「頼来。捜しに行くのは構わないが、本を忘れるなよ」


 貴方は本の存在をすっかり忘れていた。


(本当に貴方は、何かに集中していると他の全てを忘れてしまうのですわね)



 とりあえず、貴方たちは強志を連れて交番に向かった。しかし、困ったことに、警官はいなかった。強志の母親が来ただろうと期待したのだが――もしくはそれで捜しに行って警官がいないのか――不発に終わる。


 次に貴方たちは強志が母親とはぐれたという携帯電話のお店に向かった。

 母親がそこで店員と話している間に、退屈だったから強志は外に行って、戻ってきたら母親がいなくなっていたという。

 よくある迷子の原因だった。


 店内には母親はいなかった。店員も分からないと答える。どうやら母親は、契約途中で突然、店を出て行ってしまったらしい。


「そりゃ途中で強志がいなくなったって気付くよな……」


 店を出て、貴方たちは来た道を戻る。それから商店街をすみずみまで捜してみた。


 一時間が経ち、貴方は夕飯のことを思い出して、メルヴェイユに公衆電話から連絡する。事情を話して今日の夕飯は二人ともいらないと言って、電話を早々に切った。

 また、それから三十分ほど歩き回って、強志の母親を捜すが、見つけることはできなった。


 商店街を出て、人通りも少なくなった道まで行ったところで、貴方は考えた。

 先に帰ってしまったのだろうか。

 さすがにそれはないはずだ。

 なら、やはり……。


 もう一度、交番に行こうと提案しようとした時だ。強志が「あっ」と何かを見つけて声をあげて立ち止まった。


「強志っ!?」


 叫びに近い声を出して、禽獣のような耳をした女性がこちらに向かって走ってきた。


「お母さんっ!!」


 強志は貴方の手を振りほどいて、母親の元へ走り出した。


 母親は強志を抱き留めた。


「あんた、どこに行ってたの!?」

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「バカっ」


 母親は強志の頭を撫でた。

 撫でて頭を寄せて抱きしめた。

 貴方と永久は少し離れたところでそれを見ていた。貴方は安堵した表情で、永久はいつものように無表情で、親子の対面を見つめている。


 母親が不意に立ち上がり、ゆっくりと近づいてきた。

 お礼でも言うのかと思ったのだが、


「あなたが強志を連れて行ったのね!?」


 彼女は、そう叫んだ。


「ウチの子を連れて何をしようとしていたの!?」

「お、お母さんっ、ちが――」

「あんたは黙ってなさい!!」


 母親が怒鳴ると、強志は亀のように首を縮めて小さくなった。貴方はそれを見て、


「俺は強志と一緒にあんたを捜していただけだよ」

「嘘っ! あなたみたいな普通の人が私たちを助けるはずないじゃない!!」


 貴方は何も言わなかった。ただ、その発言は自分たちを人間じゃないと言っているようなものだと、自虐的な言葉は子供の前で言って欲しくないと、それだけ考えていた。


「なんとか言いなさいよっ。それともやっぱり……」


 母親はそこで言葉を止めた。永久が貴方の袖を掴んで、彼女を冷たく睨んでいたからだろう。

 母親は永久を見て、困惑した表情を見せたあと、


「……行きましょう、強志」


 きまり悪そうに言うと、強志の手を引いて貴方たちから離れた。


 貴方はまた何も言わなかった。

 言えなかったのかもしれない。

 どうやったって、こんな姿をした自分では、彼らに信じてもらえないのだろうから。


 どれだけ説得しても、分かっていると思っていても、理解したいと願っていても、彼らにその気持ちが届くことはないのかもしれない。


 ――欠落症じゃないお兄ちゃんに、私の気持ちなんか分かるはずない!!


 どうして自分は彼らと違うのだろうか。彼らと同じで、耳や尻尾でも持てば、全部が全部、問題なかったのではないか。自分もそれらを持ちたかったと思ってしまう。それが彼らを侮辱していると理解していても、願ってしまいたくなる。自分は何故、あの時――


「兄ちゃん!!」


 かんだかい声が響いた。

 貴方は閉じてしまいそうな目蓋を大きく開けて、声の持ち主を見た。

 遠くから、強志が左手を大きく振って、精一杯の声でこう言った。


「兄ちゃん!! ありがとう!!」

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