第二編 第二章 *


(これは一体……)


 薄暗い部屋の中、男は頭を悩ませる。

 ここに来るべきではないと分かっていても、堪えきれずに来てしまった。

 それほどに男は今、平静さを失っていた。


 紅坂ひろしとその妻である紅坂澄代すみよの失踪。


 偶然にも知ってしまったこの事実。にわかには信じられず、紅坂澄代が入院していた診療所を訪れるが、彼女の姿はなかった。また、こうして紅坂博の家も訪れたが、同じように彼の姿はなく、もぬけの殻であった。


 本当に、二人は失踪してしまったとでもいうのか。


 男は自認したはずの事態に懐疑を示す。澄代が既に自ら動けないことは分かっていた。であるならば、博が彼女と共に消えたか、もしくは誰かしらが彼らを連れ去ったか。

 双方共に可能性はあった。

 だが、可能性はあるにしても、どちらにも理由がないのだ。


 圧倒的に、目的が不足している。


 男は力尽きるように、手近にあった椅子に座りこんだ。傍らに設置されている文机に肘をかけ、焦りから来た荒ぶる呼吸を整える。

 やはり、これは事実ではない。

 矛盾点が多すぎる。

 しかし、報道機関が事実を偽る理由はないだろう。

 であれば、これは情報源の問題。

 情報源自体が歪んでいるのか。


 あの日、あのあとに何があったのかを調べなければならない。


 男は不意に手を伸ばし、文机の上にある便箋を取りあげた。これをしたためたのは博の娘。そこには彼女の近況が書かれていた。帰ってくるかもしれない父親に宛てたようだ。内容から、彼女が何も知らないのは読み取れる。父親の行方を尋ねても無駄だろう。

 ならば、自分が今、すべきことは何か。

 それを深慮した上で行動する必要がある。


「澄代様……博様……」


 男は無意識に、二人の名前を呼んだ。

 小さな呟きは暗闇に溶け、部屋には時計の針の音だけが残された。

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