第一編 第二章 ⑤

 貴方は厨房に入り、積み上げられた段ボール箱の上に最後の一つを乗せた。


「やっと終わりか……」


 自然と溜息が出る。男の自分でもこうなのだから、もしニャー先輩がやっていたらどうなったのか。

 どうもならないだろうけど、あの様子を見る限り、達成できるかは少し怪しい。

 しかし、自分がいなかった時は彼女がやっていたはずなのだ。その労力を考えると、なかなかにもどかしかった。


 もやもやした気持ちを抱えたまま、貴方は段ボールの位置を調整する。もう大丈夫かと離れて段ボールを確認すると、不意に厨房台に何かが置かれているのに気付いた。

 そこには『お疲れ様』と書かれた紙切れと包装紙にくるまれたあめ玉――だと思う――が置かれていた。

 労いの言葉と、その報酬なのだろう。


(これって、あれですわよね?)

冥沙めいささんからだな」


 名前を高渡たかわたり冥沙という。

 厨房内の仕事を一人で担う、いわば料理人である。この人の情報といえばこれくらいであり、貴方はこの人の性別さえ正確には知らなかった。

 というのも、冥沙さんはこの厨房から姿を現すことが決してないからである。

 白雪さん曰く、仕事はできるから気にする必要はないわ、とのことだ。


(相変わらず、この人も謎ですわね……)

「まあ、いいんじゃね?」


 姿を見せないというのには、何かしらの事情――欠落症――があるのかもしれない。そこを無理に探るのは人として最低な行為だろう。


「ありがたくもらっておくよ、冥沙さん」


 おそらくだが、裏口に出て貴方が去るのを待っているだろう冥沙さんに礼を言った。

 あめ玉を手に取ると拍子で紙切れがずれ、もう一枚メモがあることに気付く。


『白雪が呼んでる』


 と簡潔に綺麗な文字で書かれていた。

 なんだろうか、嫌な予感がする。

 貴方はほぼ無意識にあめ玉の包み紙をとり、口に放った。直後、口いっぱいに甘さが――いや、むしろ甘ったるさと言ってもいいか――香りと共に広がる。

 こんな味の駄菓子があったな、と少し昔を思い出す。なんだか懐かしくて、心が安らぐのを感じた。


 心なし軽くなった足で、貴方はメモに従って白雪さんがいるバックヤードの部屋へ。

 果たして彼女はいた。

 パイプ椅子に座り、テーブルに肘を乗せて、瞳を閉じた彼女は、


「頼来」


 と、綺麗な唇を動かし、ゆっくりと双眸を開いて、言った。


「私は暇よ、頼来」

「――……そうか」


 貴方は思わず息をのみ、一緒にあめ玉を嚥下えんげしてしまった。喉の痛みを感じながら、踵を返そうかどうか迷った。

 それを読んだのか、彼女はすかさず、


「何よ、その反応は」

「それ以上の言葉が見つからなかったんだよ」

「そう。つまり、私の言いたいことが分からなかったのね?」

「違う……」

「仕方ないわね「聞けよ」それならば私が、母国語でさえ不自由である愚劣な貴方にも分かるように説明してあげるわ」


 言いながら、胸を反らして、


「私が暇だから、貴方、私の暇つぶしになりなさい」


 落ち着き払った声音でそのようなことを仰った。

 貴方は小さく溜息をついて答える。


「あのさ、一応言っておくけどな。俺は今、仕事中なんだよ」

「そんなことは分かってるわ。だけどそれがなんだって言うの? 私だって仕事中よ!」


 いやもう、なに言っているんだこの人――と、貴方は彼女の手元を見る。よくよく見ればその手にはゲームのコントローラーが握られていた。


 どう見ても仕事してないだろ、それ……。


 そう貴方がアンニュイな表情を浮かべていると、彼女は首を傾げて、


「どうしたのよ? 頼来。アホみたいな顔して」

「誰がこんな顔にしたと思ってるんだよ……」

「当然、貴方のご両親でしょう?」

「そりゃそうだけどなって違えよ!?」

「整形したってこと!?」

「顔立ちの話じゃないってことだよ!!」

「私は最初からそのつもりで言ったのだけど?」

「いくらなんでも脈絡なさ過ぎだろ!?」


 大嘘だ、そんなの。


「仕事中なら、白雪さんも何かしてくれよ……」

「だからゲームしてるんじゃないの」

「仕事をしろって言ってんだ!!」


 本当にこの人、店長か?

 疑わしくなってきた。


「でも、頼来。私だって一応、珈琲をいれているわけでしょう? それは仕事よね?」

「ん、まあ、そうだな」


 言う通り、彼女はコーヒーをいれるのだけは自分でやるのだ。

 その腕前だけは――コーヒーを美味しくいれるのには様々な行程が必要で、その大変さは貴方も少しは知っていた――彼女がいれてくれるコーヒーの味だけは、どうやっても認めざるを得ない。


「でもだからって、ゲームしてていいのかよ」

「何よ、注文がないこの状況で、私が他にやらなければならないことがあるとでも?」


 白雪さんはいきり立つように言葉を並べる。


「それとも何? ただの従業員でしかない下賤な貴方が一所懸命に這いずり回っているくらいなのだから、店長の私には珈琲飲みながらゲームして暇を潰す以外にもやるべきことがあるはずだ、と言いたいのかしら?」

「その通りだ!! ていうか一言が長い! 言いたいことは短く言ってくれ!」

「下賤な貴方は這いずり回っているのね?」

「そこをピックアップしてどうする!?」

「貴方の要求通り、言いたいことを言ったのよ!!」

「罵倒が目的だったのか!?」


 また大嘘だ。嘘じゃなかったら泣きたくなる。


「白雪さん……あんた、一応この店の店長だろ」

「何よ、やっかみ?」

「違えよ! 店長ならこの状況でもやるべきことがあるはずだと進言してるんだよ!!」

「店長やらなければいけないことがあるの!?」

「店長あるって言ってんだ!!」


 前提がおかしいぞ。

 貴方はもう少し、何か言ってやりたかったのだが、


「…………はあ」


 言葉の代わりに溜息が出た。


「どうしたのよ、溜息なんかついて。溜息をつくと幸せが逃げるわよ」

「そうだな」


 その幸せはたぶん、あんたに叩き潰されていることだろうよ。


「全く……」


 白雪さんが目を細めて、沈み気味だった貴方を見つめて、


「貴方、なんだかんだで馬鹿よね」

「なんだそれ、誉めてるようでけなしてる?」

「失敬、言い間違えたわ。貴方、馬鹿のように見えるけど、なんだかんだで真面目よね」


 何を思い直したのか、彼女は誉めるようなことを言ってくれた。けれど、真面目と馬鹿には相関関係はないので、『馬鹿のように見える』の部分は不要だろう。

 いや、いっそ、この会話こそが不要ではないか?

 なんのために呼ばれたのか、と貴方は思ったが、気付いた。


「白雪さん……目的は達成できたか?」

「ええ、もう充分よ」


 彼女はすでに貴方を見ていなかった。テレビの方を向いている。画面には何やらゲームのムービーが映っていた。


「最近のゲームってデータインストール必須なのよねえ」


 最初から言っていたとおり、その間の暇つぶしに貴方は使われたわけだ。

 まんまと使われたわけである。


「なかなか良い仕事だったわよ、頼来」

「そんなフォローはいらねえよ……」

「でも実際、これだって仕事のうちなのよ?」

「え……悪い、ちょっと話についていけてない。ゲームの話か?」

「そうじゃなくて、なんのために貴方をここで働かせてあげているかって話」

「ああ、そういう話……」


 それがこの会話――もとい白雪さんの暇つぶしに繋がるのか。


「って、おい。俺はあんたの暇つぶし要員として雇われたのか?」

「違うわよ」

「えっ? 違うのか」


 じゃあ、なんなんだ?


「等価交換よ。貴方の仕事はその上で成り立っているの」

「何と何を交換してるんだ?」

「貴方と私の、言ってしまえば『わがまま』を交換してるのよ」

「……よく分からねえけど、あんたが今のをわがままだと自覚してることは分かったぞ」

「……?」

「なんでそこで首を傾げる!?」


 あれ? これ今、真面目な話をしてるんだよな?

 貴方は混乱してきた。


「違うわよ、貴方が自分のわがままを理解していないことに驚いたのよ」

「ああ、なるほど……でも、俺のわがままってなんだ?」

「もしかして貴方、自覚がないの? それとも私が気付いていないとでも思ってる?」

「だから、何を?」

「貴方がここで働こうとした理由、私のためなんかじゃなかったでしょう?」

「ああ、そうだけど?」

「やっぱりあれは嘘だったのね!?」

「俺が言ったんじゃねえだろ!? あんたが勝手にそう解釈したんじゃねえか!!」

「それはお互い水に流すとしてよ」

「う……まあ、俺も訂正しなかったわけだし、悪かったよ」

「貴方、あの子のためにここで仕事をしようとしたんでしょう?」


 あの子、とは、言うまでもなくニャー先輩のことで。


「聞いたのよ。仁愛、貴方と再会したとき、住宅街でシャワー浴びてたんだって?」

「それは夢の話だ!」

「夢のような光景だったの!?」

「どんな想像してんだよ!?」


 貴方は自分で言っていて、どんな絵面か想像してしまった。


「とんだ露出狂じゃねえか!!」

「貴方馬鹿? どこの世界の道ばたにシャワーが設置してあるのよ」

「あんたが言い出したことだよな!?」

「そうね、あの子、倒れてたんだものね」

「いきなり真面目になるな!!」


 って、もう付き合ってられない。


「……そうだよ、倒れてたんだよ、あの人」


 貴方の頭の中に、自然とあの時の光景が、倒れていた彼女の姿が浮かんできた。


「それを貴方は、ここで働いていることによる疲労が原因だと予想した」

「そうだ」

「だから、少しでも負担を減らしたくてここで働こうと思った」

「その通りだよ」

「で、今日みたいに率先して自ら疲れる仕事を請け負ったわけね」

「それは、そこまで考えたわけじゃねえよ」

「いずれにせよ、貴方の目的は私の指摘した通りでしょう?」

「まあ、概ねはな」

「だったら、やっぱり、貴方のわがままよね、それ」

「そうなるのか……?」


 そうなって、しまうのだろうか。


「じゃあ聞くけど、あの子はそれを望んだのかしら?」


 貴方は考えて――考えるまでもなく、首を振った。


「そうね、あの子は強いだから。強くあろうとしている娘だから、そんな弱音は吐かないわね。これまでだって、仕事中、一度も弱音を吐いたことはないわ」


 それは、想像に難くない現実。


「それなのに他人がしゃしゃり出てきて助けようだなんて、独善的だと思わない?」


 独善的な行為。

 その厚意は、わがままでしかない、と。


「俺は……そうは思わねえよ」


 違う、と貴方は分かっている。

 思わないのではなく、思いたくないだけだ。

 そんなふうに考えてしまうと、今までの自分の全てを否定してしまいそうで。


 でも、だとしても、だ。それでも自分は、間違っていないと信じたかった。


 だって、たとえ助けを求めていなくても、助かりたいと願う人はいるはずだから。


 助けて欲しいと、誰かに求めることすらできない人は、確かに、はずだから。


「ふうん」


 白雪さんは値踏みするように頷いて、


「まあ、いいんじゃない? それでも」

「いいのかよ……」

「そもそもこんなの価値観の話だもの。私にとってはそう、というだけで貴方の考えを否定するつもりは最初からなかったわ。もし、そう聞こえたのなら謝りなさい」

「ああ、悪かったよ――って俺が!? なんでだ!?」

「失敬。言い間違えよ」


 最悪なところで言い間違えたな、この人。


「とにかく、私にとっては貴方の行為はわがままなの。だから私を、私の店を利用してそれを成そうとしている貴方には、私のわがままを少し聞いてもらう。道理でしょ?」

「ん……分かるよ」

「じゃあ、最後に一つだけ」


 白雪さんは言うと、こちらを見上げて、


「貴方の予想、恐らく少しだけ間違っているわよ」

「予想って……ニャー先輩が倒れた理由?」

「私も以前からあの子がどこか無理しているとは感じていたの。でも、そう感じたのは他のバイトがやめるよりも少し前のこと。ここを改装する直前よ」


 としたら、他に理由があるのか?


「ま、だとしても、ここの仕事を一人でこなしていたのは当然負担だっただろうし」

「あんた、少しは手伝えって……」

「私が接客なんてしたら店が潰れるわよ!! 貴方、責任取れるの!?」

「責任を取るのはあんたの役目だろ!?」

「なんでよ!?」

「店長だからだよ!!」

「都合のいい時ばかり店長呼ばわりしないでくれる!?」

「なんでそんなに偉そうなんだよ!?」

「店長だからよ!!」

「あんた言ってること無茶苦茶だぞ!?」

「それはさておき、貴方の行為は少なくとも、無駄になってはいないわね」

「……それなら、いいけど」


 本当にそうなら、何よりだけど。


「話はこれで終わり。そろそろ本業に戻っていいわよ」


 白雪さんは言うと、コントローラーを操ってゲームを始めてしまった。

 そんな彼女に、最後、言いたいことができた。


「なあ、白雪さん」

「何よ?」

「あんたのわがままを聞くのはいいんだけどさ。今回の場合はおかしくないか?」

「何が?」

「時間的に、最初から今の話をしてればインストールは終わったんじゃないか?」


 話し出してから考えると、優に必要な時間の倍は経っていた。どう考えても前半の会話は不要である。

 白雪さんは沈黙して、頷いて、


「それも私のわがままよ」


 視線を逸らして、ぼそっと言うのだった。

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