第11話 天野樹里は潜入し、黒崎雅也は×××

2015年11月9日(樹里と雅也が日名子の部屋に忍び込む1日前)


 京都三条の河原町交差点から少し外れ、幾つかの風俗店を通り過ぎた裏路地に、人身販売組織M&Dが所有するビルがある。廃棄されたビジネスホテルを改装したものだが、外観は雑居ビルと変わらない。日名子麻美は、そのビルの一室に監禁されていた。


 日名子は、背に回した腕を手錠でつながれた状態で、アームチェアに腰かけている。彼女はただ無言で、向かい合う男がタブレットを操作しているのを眺めていた。


 日名子は周囲に視線を這わせた。タブレットを操作している男の他に、部屋には黒服の男が二人いる。


 ――息が詰まるような気分だわ。これそうそう帰れない流れよね。風間の嫌味でさえ恋しく感じそう。


 ふとしたした拍子に、日名子は向かい合う男――M&Dの幹部で川浪と呼ばれている――と目が合った。


「すまないね、自分が流した商品のいく末が気になったんだ。君も見物するかい?」

「いえ。興味がないので」

「最近では、輸入ビジネスにも視野に入れていてね」


 川浪は日名子の返答を無視して、タブレットの画面を見せてきた。動画の右上には「8years old / Republic of the Philippines 」と書かれたタイトルが表示されている、画面の中央では、幼い少女が怯えた顔つきで頭を抱え、カメラに向けて懇願するような視線を送っていた。


『服を脱がせ』

『可愛いな、でももう少し大きくないと』

『病気はなさそうだな』

『声を聞かせろ。手段は問わない』


 人身売買オークションに参加している小児愛者たちの飛ばす野次が、次々と画面に表示されて流れていく。日名子は微動だにせず、画面をじっと眺めていた。


「まったく、良くできたブラックマーケットだよ。……薬物、銃、変態趣味の性交渉まで何でも買える。セキュリティ破りのクラックツールや、3Dプリンターによる銃器製造の設計図なんかも流れてくる。匿名化ソフトが働いていて絶対にログイン元は割り出されない。売買に使うのも足がつかない仮想通貨だ」


 川浪の声にはほとんど感情が見えなかったが、ほんの少しだけ得意げな様子が滲んでいた。


「管理人は『ヴェルト・バズ』といってね。殺し屋としても有名な男らしい。一度会ってみたいものだ」


 落札価格の確定を見届けると、川浪は日名子に向きなおった。


「どうだ? 私の管轄ではないが、あと5分で3の売買が始まる。後学のためにそちらも少し見物するか?」


 画面にくぎ付けになっていた日名子は、不気味なほどゆっくりとしたペースで首と目を動かし、川浪に向きなおった。


「イカレてる」


 表情こそ真顔のそれだったものの、声には確かな怒気がこもっていた。川浪が、乾いた笑い声をあげた。


「威勢が良いね。さて、そろそろ君の将来について話そうか。君がどういう未来を歩むのか、卸先によって様々なパターンが想定しうるが、大丈夫、5分とかからない」


 一瞬を置いたあと。冷たい声で川浪が言った。


「君の未来はどのパターンも、このサイト上に全て載ってる」


* * *


2015年11月10日 同所


 日名子の監禁部屋のドアが突然開いた。肩に赤毛の女の子を担いだ黒服の男が部屋に入ってきた。男は女の子を投げ捨てるように床に転がし、日名子に向かって言った。


「……同居人だ。フランス人のフリーデザイナーなんだと。さばかれるまで、仲よくするこった」

ってのは商品として? 物理的に?」


 日名子の質問に答えることなく、男は無言で部屋を出て、外側から鍵をかけた。日名子は小さくため息をつき、床に伏した女の子へと目をやった。やや背の高い細身の女性で、端正な顔立ちをしている。


「大丈夫?」不安そうに、日名子が声をかけた。


 がばっと起き上がった女の子が、突然日名子に詰め寄って言った。


「猛烈に大丈夫です! もう大丈夫すぎて逆に大丈夫じゃないくらいです! これ以上大丈夫な大丈夫は存在しないと言っても過言ではありません」


「……あなた、大丈夫?」先ほどとは別種の不安を感じながら、日名子は訊いた。


「初めまして、日名子麻美さんですね!? わたくしめは天野樹里と申します! 何を隠そう、わたくしめはあなたを助けにきたスパイでございます! 目はカラコンで誤魔化し、髪はスプレーで染め上げ、本来今日誘拐されるはずだったフランス人に成り代わってきたのです。あ、肌は自前で乗り切りました。16分の1フィンランド人の血を引くこのわたくし、真っ白お肌にはそこそこ自信がありまして、白人になりすますくらい容易いのです!」


 傍目には西欧人にしか見えない女の子は、流暢な日本語ですらすらと口上を述べた。言い終えると、噛まずに言えたのがよほど嬉しかったらしく、後ろ手に手錠で縛られた状態のまま得意げに胸を張った。


「……スパイ。あなたひょっとして、警察の潜入捜査官とか?」

「違います!」

「あ、うん、そうだよね。良かった。この国の国家機関に不安を覚えなくて済んだ」

「おお、何が起こったのか存じませんが、日名子さんの不安を一つ取り除けたようですな!」


 樹里は満面の笑みを浮かべ、「しゃにむにばんざーい!」と不思議な掛け声とともに両手を上げた。


 日名子は、目を剥いた。

 ――は? ――え?

 ――え、だって。


「手錠は?」


 日名子の質問に対し、赤毛の女が右手の指に手錠をかけ、クルクルと回して答えた。


「ふふふ、職業柄、捕まった際の訓練は一通り受けてるのです! 関節外すくらいお茶の子さいさいささいのさい」

「……不思議な日本語使うのね」


 日名子は困惑を隠しきれない顔つきで樹里に言った。「手錠を外す術を求められる職業って何だよ」という疑問は、喉の奥でこらえた。


 ふと、樹里が手錠を回す手を止めた。


「どうしたの?」

「……手錠、思ったより重量あった……遠心力強い……指めっさ痛い……」

「……何で回そうと思ったの?」

「さりげない所作がカッコいいと思って」

「……そう」

「これは噂に聞くところの憐みの視線! つらい! とてもつらい!」

「なんというか、あなた、安定しないのね」


 日名子は職業柄、の応対も多く、ある種の慣れがある。定期的に奇声を発する老人、半笑いでもじもじと手遊びしながら小一時間視線を投げかけてくる中年男、空気に向かってブツブツ謎の話を続ける女――何故かこういう手合いに限って店員に絡みたがるのだ。


 ――でも今回は、初めて遭遇するタイプだわ。素晴らしく天真爛漫な、陽性に、可哀想な子。


 痛みから回復すると。女の子は仕切り直しとでもいうかのように、両手をパンと叩いて合わせ、首を傾げて微笑んだ。


「さあ、日名子さん、わたしは雅也の兄さんの命を受け、あなたを救出に参りました! めっさ先導しますよ? それはもうぐいぐい引っ張っていきますよ!」

「足を?」

「違います」

「ていうか雅也の兄さんって、誰?」

「あなたの部屋の鳩時計を分解したあげく修理を諦めた男ですな」

「え? 何それ、ほとんど嫌がらせなんだけど」

「ちなみに兄さんは、定価600円の『ラ・シエル』のアイスバーを食べました」

「なるほど、殺すわ」


 本気の殺意をこめて日名子は言った。樹里は笑顔でかぶりを振った。


「多分無理だと思いますよ。雅也の兄さんは、

「……不思議な人なのね」


 日名子は疲れたような笑みを浮かべた。

 ――なんというか、あれね。

 ――今、ここに来て一番切実に帰りたいわ。


***

2015年11月10日 京都 三条河原町、鴨川沿いの遊歩道


 京都大学大学院生、一ノ瀬ゆずるは、欠伸を噛み殺しながら鴨川沿いの遊歩道をのそのそと歩いていた。情報アルゴリズム輪講のプレゼンの準備に向けて、二日ほど研究室に詰めていたため、散歩をしたい気分になったのだ。


 ――平穏故に胸の奥がじくじくとうずく。俺の心臓は刺激を欲している。


 密閉型のヘッドフォンからは、洋楽のメタル・バンドのボーカルが発する、絶叫とほとんど区別のつかない歌声が流れこんでくる。


 音楽に身を委ねたとき特有の浮遊感を味わいながら、一ノ瀬は遠くを見据えながらポーズをとる。河川敷を吹き抜ける風に、銀に染め上げた髪を踊らせていた。


 一ノ瀬は完全にメタル・バンドの演奏に陶酔し、自分の世界に入り込んでいる。その足元を暢気な面構えをしたカルガモの親子がグワグワと鳴きながら我が物顔で通り過ぎた。


「相変わらず可哀想な子だなぁ、あんたは」少年らしい、少し高めの声がした。


 二つの人影が一ノ瀬に歩み寄ってきた。一人は、黒いコートに身を包み、フードを目深にすっぽり被った猫背の男で、花粉症対策のマスクで顔を覆っている。もう一人は、うさぎの耳のついた深緑のコートを着た少年だった。


「久しぶりだね、ヘイルムダルム」


 うさぎ強盗の少年が、HNハンドルネームで一ノ瀬を呼んだ。一ノ瀬はヘッドフォンを外して首にかけた。


「……ふ、ひさびさに仮初の名で呼ばれた気がする」


 一ノ瀬は微笑みながら遠い目をした。うさぎ強盗の少年は、片手を大きく振りながら、「ちゃんとこっちを見て。ただのHNハンドルネームでしょ。会話中に特に意味もなく黄昏たそがれないで」と注意した。


「で、今回も厄介ごとにでも巻き込んでくれるん?」

「……あ、うん、今ちょっと『M&D』ってとこの京都支社と揉めてるんだ」

「ああ、良くも悪くも噂の絶えないところやね。うん、これは丁度ええね。最近心がうずいてるんよ。非日常的な刺激が少なすぎてな」

「24歳はそういう台詞発しちゃ駄目だと思うよ?」

「ボクが病にかかるのは、ボクのせいやない。世界の頭が悪すぎるんや」


 一ノ瀬は、関西特有の「ボク」のイントネーションで言う。うさぎ強盗は隣にいたフードの男に向きなおり、一ノ瀬を指差して笑いかけた。


「ね、言った通りでしょ。なかなか吐けない台詞ボロボロこぼすんだ、こいつ」


 フードの男が顔を上げ、少し細めた目で一ノ瀬を観察した。こちらを見透かすような冷たい視線に、一ノ瀬は一瞬身のちぢこまる思いをしたが、何とか顔に出さずに構えた。フードの男は顎に親指を添え「……ヘイルムダルム、聞き覚えがあるな」とぶつぶつ呟いていたあと、軽快に指を鳴らした。


「思い出した。1年前にジャック・ピストルズを襲撃したハッカー……当時はけっこうな騒ぎになってたよ」


「ああ、知っているのか、我が破壊の歴史を」一ノ瀬が顔を覆い、ありもしない眼鏡を正すかのように指先を眉間に添え、ポーズを決めた。フードの男はげんなりとした顔をした。


「……こんな馬鹿の親玉みたいな奴とは知らなかったがな。半年前、『阪神ローン』って、金融会社が襲撃されたけど、あれ、お前の仕業だろ? ウィルスソフトや例の暗号のコーディングの特徴がそっくりだった」


 うさぎ強盗の少年が、同調するようにうんうんとうなずいた。


「分かる。こいつの書くコード、人間が書いたものに思えなくて、正直気持ち悪いんだよね」

「え? 何なん? 関数型プログラミングの美しさの追究を否定する気? 許さんよ?」


 一ノ瀬はほんの少し怒気を込めて、うさぎ強盗の少年を睨んだ。根が素直なのか、ある程度気に触れただけで、飾り気のない京都弁になるらしい。少年は両手のひらを一ノ瀬に向け、優しく微笑みながら首を振った。


「あの暗号は、俺も読んだよ」フードの男が言った。


「へえ、解けたん?」

「いや、俺自身は最後の最後でつまずいた。『宇宙、生命、その他もろもろに対する普遍的な問いの答え』が『42』だなんて、知らなかったからさ。俺だけじゃ解けなかったな」


 一ノ瀬は、眉をピクリと動かした。


 ――何なん? 『俺だけじゃ』解けなかったて、妙に含みのあるもの言いしよって。

 ――まるで、他の誰かと協力して、解いたみたいな。


 一ノ瀬は、フードを被った男の眼を見て、次にうさぎ強盗の少年を眺め、もう一度フードの男に目を戻した。そして「ああ」と小さく声をもらした。


「どっかで見た顔やと思たら……こらまた随分悪名高いの連れてきたなあ」

「……あ、やっぱこんなチャチな変装通用しないか」

「なるほど、よう分かったわ。『阪神ローン』に押し付けた暗号、解いたのは木村なんとかってシステム・エンジニアって話やったけど……やっぱあれ、表向きの話やねんな。あんたが一枚噛んでたんやね、雅也のあにさん」


 若い男はおもむろにフードをとりさった。顔を覆っていたマスクを下げて、ほころんだ口元を覗かせる。


「一ノ瀬は24だって? 年上じゃないか。なんで、雅也の『兄さん』なんて呼び方をするのかな?」

「ん? なんか文句あるん? ボクは大概、野郎に対しては『おいあんちゃん』とか『そこのおニイさん』とか呼ぶだけやぞ」

「別に悪いことじゃないんだけどさ」


  が、笑って言った。


「君の呼び名が、樹里にうつってるんだ」

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