9章 (現在編) 2015年 11月11日 京都

第21話 殺し屋燕はビジネスライクに振る舞えない

2015年11月11日 京都 特急列車内


 M&Dの黒服を2人引き連れ、西舞鶴駅で乗り込んできた男は、野獣のような風貌をしていた。背丈は2メートル近くあり、筋骨隆々としていて、眼は油を塗った金属のように冷たくぎらついている。オールバックに撫でつけられた長髪は、獅子のたてがみように跳ねていた。


 しかし彼は、その岩のようにゴツゴツした肉体を、小ぎれいな紺のスーツに無理やり包みこんでいた。品のあるデザインの山高帽を脱ぎ、運転手やドアマンがするような清潔な手袋を胸に当て、きっちり45度の角度でお辞儀した。


御初おはつにお目にかかります、篠原様。わたくしのことは燕とお呼びください」


 武骨な体躯にそぐわないその口調に、彼の背後にいたM&Dの黒服たちがたじろいだ。篠原だけが、平静さを崩すことなく彼のことを見つめていた。燕は軽く会釈すると、篠原の前の座席を半回転させ、向かい合うように席についた。


「篠原様、わたくしはあなたにある取引を提示しに来たのです」

「取引ですか?」

「ええ、その取引に応じてくだされば、あなたはM&Dの拷問室に連れていかれることはありません。わたくしとしては魔法のパスに興味はありませんから、あなたを拷問しようとは思いません。ピカロの市場がどう荒れようと、私には関係のないことです」


 篠原は2人の黒服を見やる――呆然とし、目元をわずかに吊り上げているのが見える――当然だ、彼らにとっては話ではない。張り詰めたような険悪な空気が流れるが、篠原も燕も意に介さない様子で話を続けた。


「篠原様は、拷問や処刑についての知識はございますか?」

「鋼鉄処女や審問椅子といったものしか知らないとは一線を画していますね」

「なるほど、例えば『ワニのペンチ』や『スコットランドの深靴』といった拷問具についてはご存知でしょうか? プレス・ヤードや中国の凌遅法は?」

「知ってます」

「『梨』の使い方はご存知ですか」

「さあ、正確な使い方までは。肛門にねじ込んで内部で炸裂させるものとしか」

「なるほど、篠原様はたいへん博識でいらっしゃる」

「恋人のおかげです」


 2人はまるで世間話でもするかのように、拷問談義に花を咲かせた。傍で見ている黒服たちが、明らかに引いている。

 篠原の知識は、かつて奏に読ませられた、拷問博物館を巡る旅行記にる――綺麗なものを書ける人は、汚いものを書く際にも品を見せます。品のある残虐さには、触れておく価値があります――かつて奏はそう言った。対して燕の知識は、に基づくものだ。


「篠原様にそのような苦痛を与えるのは、私としても忍びない」

「あ、今の話、私に実践する流れだったんですね」

 篠原はきょとんとした顔で言った。驚いてはいるものの、その顔に怯えの色はなかった。燕は物憂げに目を伏せた。


「取引に応じていただけるなら、M&Dを裏切り、今この場で、眠るように死なせてご覧にいれましょう。私も職業柄拷問の勉強はしておりまして、その過程で人体の構造も学んでおります。そして私の経験則ですが、苦痛を与える技術を知ることは、苦痛を与えない技術を知ることになるのです。服の上からでも肉や血管を避け、痛みもなく心臓だけを……」


 もはや無言の重圧だけでは御しきれないと判断したのだろう。2人の黒服が燕に銃口を向けた。


「勝手な真似は慎んでもらおう、よそ者が」


 燕は困り顔で胸ポケットから万年筆を取り出し、頭を軽く掻いた。

 突然、銃声とともに、穿。燕はくるりと万年筆を手の中で回し、ダーツを投げるようにスナップを効かせて飛ばした。万年筆が、もう一人の黒服の右目に突き刺さった。思わず前のめりにうずくまった黒服の顔面に、燕は裏拳を食らわせ、万年筆を

 わずか3秒。受け皿に乗せた紅茶カップの香りを吟味するかのような優雅さを保ったまま、燕は一連の所作を終わらせた。


「万年筆型の22口径拳銃ですか」

「さすが篠原様だ、仕込み武器にも造詣ぞうけいが深い」

「2日間で2度も実践を目にするなんて、願ってもないことですけどね。しかし、あなたの立場的にこれは不味いんじゃないですか?」


 燕は万年筆についた血をハンカチで丁寧に拭くと、すっと篠原の胸ポケットに入れた。


「篠原様が抵抗したことにすれば、何の問題もありません」

「あ、私になすりつける流れですか」

「ご不満が?」

「いえ、正直ちょっと感心してます」

「川浪様をどれだけ怒らせようと、貴方にはもう関係ないものと存じます。貴方はここで、私に殺されるのですから。魔法のパスワードがばら撒かれる装置は時限式で既に用意されておられるのでしょう? 貴方がここでパスワードを胸に抱いて死ねば、M&Dはもう、大きな痛手を避けられない。まあ、彼らにも力はありますし、多少の火消しはなされるのでしょうが……それでも、一個人が与えるにしては十分すぎるほどの大打撃を与える結果になるでしょう。復讐の成果としては満足のいくものではないですか? M&Dに連れていかれた上で、拷問に耐えるつもりでしたら、考えを改めていただきたい。直に手を貸すのですから」

「言いたいことは、もったいぶらずにまとめませんか?」

「失礼、では、一言だけ。恋人の復讐のため、魔法のパスを胸の中に秘めたまま、


 篠原は指を組んで、軽く背もたれに身を預けた。


「応じるかはともかく、燕さんが何を欲しているかには、興味があります」

「ただいくつか、質問に答えていただくのみでございます。最愛の友にして人類の宝と称すべき技術屋であり、私にとって唯一の兄弟子――鴉の兄様は、何処にいますか?」


 その瞬間、燕の周囲の空気が変わった。親しみを込めてにっこりと微笑みかけているのに、瞳の奥に、獲物を見据える猛禽類のような不気味な炎をちらつかせている。


 しかし篠原は眉一つ動かすことなく、暗く冷静な眼で、燕の眼をまっすぐに見返していた。

 燕は口からふっと、ほんの少しだけ空気をもらした――神経質そうに見えて、実のところ相当。一般人と聞いていたが――M&Dの報告もあてにならない。


「鴉の兄様は、日名子麻美のマンションにて消息を絶っております。椿が連絡しても応じません。そして篠原様、貴方は例のマンションを訪れ、鴉の兄様の所有物――ピカロの管理人権限を持ち帰って来た。どれほど頭の悪い人間でも、関連性を疑わざるをえません」

「でしょうね」

「鴉の兄様は死んでいますか?」

「はい」篠原の脳裏に浮かぶのは、日名子麻美の部屋でうなだれていた若い男の死体だった。黒崎雅也と同じメーカーのシザーバッグを巻いた男――あれが鴉だったのだろう。


「篠原様、鴉の兄様を殺したのは、何方どなたですか?」

「答えない場合はどうなります?」

「心苦しいお話ですが、取引を渋るようでしたら、とはいかなくなります」


 言いながら、燕は胸ポケットから細い針を取り出し、篠原の手首を掴んだ。顔つきは思案にくれ完全に弱り切っているにも関わらず、滔々とうとうとした語りで、爪の間に針を刺し込み剥がすまでの過程について説明していた。


 篠原は燕の手を静かに見つめ、少し力を入れてみた。鎖で縛り付けられたかのように動かない――大した怪力だ。暴れたところで、顔色一つ変えずに燕は針を突き刺すだろう。


 この頃になると、篠原にも燕という人間が見抜けてきた。丁寧な物腰と立ち振る舞いを訓練で身に着けたらしいが、性根しょうねはプロフェッショナルからは程遠い――身内にも関わらず「鴉の兄様」と呼び、雇用主はぶっきらぼうに「椿」と呼ぶ――これを比べれば分かる――調教師ハンドラーの都合よりも私情を優先させる、雇用者からすれば扱いづらいタイプ。


 ――うさぎの少年の話では、確か天野樹里がかつての上司に切られた理由は、その上司よりも深く信奉した相手がいたせいだとか。

 ――根は燕も同じじゃないか。

 ――この男なら、使


 篠原はしばらく思案したあと、正直に答えた――うさぎの少年が教えてくれたそのままに――。


「殺し屋鴉を殺したのは、黒崎雅也です」


 燕は篠原の手首を抑えた指先に神経を集中させ、脈のリズムを測った――動揺なし――おそらく嘘はついてない――ただ、脈がのが気にかかるが――。


「なるほど、概ね予想通りです。貴方の口から確認が取れて良かった。しかし貴方も人が悪い。『若い男女2人組』なんて曖昧な報告をせず、黒崎雅也の容姿を川浪様に報告していれば……」

生憎あいにく、私は忠実な社員ではなかったので」

「……そうでしたね。それもそうです。失礼、馬鹿なことを言いました」


 その一言が契約完了の合図とでも言うように、燕は篠原の手首をつかんでいた手を放し、針を篠原の心臓に向けてゆっくりと刺し込んでいく。


 胸の中に冷たい感触を感じながら、篠原は感心した――本当に痛みを感じない。筋肉や血管を傷つけず、隙間を縫うようにして、心臓への道を繊細な手つきで探っている。


?」


 篠原がおもむろに言った。針の先端が、心臓に届く直前で止まった。


「黒崎雅也に会わせてあげましょう。しかし、そうですね、私も燕さんを真似して、取引をさせていただきましょう。2つ条件を出しても?」

「どんな条件でも、喜んで飲みましょう」


 燕は前かがみになり、生肉を前にした猛獣のように充血した眼を見開き、篠原に顔を近づけた。


「ただし、先に黒崎雅也と会わせていただくことが条件でございます。私が貴方の願いを叶えるのは、その後です。また、今日中に彼と会えないようでしたら……梨がに思えるような拷問を、私自ら行わせていただきますので、その際はご容赦を」


 篠原はうなずいた。


「では、条件の1つ目を。燕さん自身の口利きか、あるいはあなたの上司の椿さんを通してもいいので……M&Dの古株に聞きだして頂けますか? 2年前に須崎奏という女性を殺した社員は誰か?」

「お安い御用でございます。もう一つの条件は?」

「私を生きたままM&Dの拷問室に連れて行ってください。そしてそこに、須崎奏を殺した人間が来るよう、手を回していただけますか?」

「……それは、構いませんが……その、復讐のつもりなら、やめておいた方が賢明かと。善悪を説くつもりはございません。ただ、手段がないのです。おそらくあなたは、小指一本動かせない状態で……」

「構いません」


 篠原はぴしゃりと燕の警告を跳ねのけた。燕は首を傾げるような仕草をしたが、深く気にするつもりはないらしく、軽く咳ばらいをして、襟を正した。


 篠原は舌の裏に意識を向けた――一ノ瀬が用意した爆弾――これに気づかれないまま、M&Dに持ち込めさえすれば――あとは――。

 

 特急列車は梅迫駅に着いた。8体に増えた死体は、燕が始末屋を用意して処理をすると請け合ってくれた。

 列車を降りる直前、燕は、牡丹と夜鷹の死体に視線を投げかけた。隣り合う座席に座らされ、牡丹が夜鷹の肩を枕にする形で眠っている。


「以前、夜鷹に言われたのです。『燕の兄貴と同じペースで10分トークできた人間は、悪党か狂人だ』と」

「なるほど、同意しかねますね」

「おや、篠原様はご自分が悪党でも狂人でもないとお思いで? 殺し屋に物怖じしない人間は、その2種類しかおりませんよ?」

「だったら私は例外です。私はただ、勇気を他人ひとからもらっただけです」


 燕が笑いをこらえきれないという様子で口元を覆った。しかしすぐに、礼儀正しさのベールに覆いつくせない、凶悪で粗暴な彼の本性が、爆発するような笑い声となって溢れ出た。


「勇気をもらった? 勇気をもらった! ええ、それは正しいのかもしれません。ですが篠原様、。一般人のあなたが、この世界において、私どもと同じ余裕を保つのは本来ならありえないんですよ? 良い! 良いですよ篠原様! 私はあなたのような人間が大好きだ!」


 篠原は燕の台詞を、狂人の戯言としてはねのけることができなかった。

 昨日、うさぎ強盗の少年にナイフを当てられてからだ――胸の奥の血がじんわりと熱を帯びたような――得体のしれない力が湧いたかのような錯覚に陥るようになった――実際に手元にあるのは、爆弾1つなのに。


 ホームに降りた瞬間、燕は麻酔針を篠原の首筋に刺した。篠原はホームを2、3歩よろめいたあと、前後を失い、崩れ落ちた。燕が山高帽を被り、篠原に微笑みかけたあと、背を向けて歩き出すのを、眼の端で捉える――彼の台詞が頭の中で蘇る――


 救急隊員の制服を着た男たちが、担架を手に駆け寄ってくる。見覚えがある顔――M&Dの社員だ――なるほど、こうやって連れていくつもりか。

 意識を失う直前、篠原は呟いた。


「そうか、なのか」


 ――もう、何も怖くない。

 ――でもそれはきっと、いいことではないのだろう。

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