第15話 天野樹里、チャック・ノリスには勝てない

2015年11月11日東京 M&D本社ビル


 川浪が篠原を取り逃したと報告を受け、梶は一瞬眉根を寄せた。しかしすぐに無表情になり、目を閉じ、アームチェアの肘掛に頬杖をついた。軽く握った拳の上に頭を乗せ、まるでレコードに耳を澄ませているかのように、目を閉じた。

 数分後、部下の黒服が報告に訪れた。


「オークション・サイトの管理人が、例の少女を5億円で競り落とした取引ですが、篠原が自身のスマートフォンで落札したとみて間違いありません。ログインした端末の記録ログが、確認されました……いえ……。どうやら匿名化システムのレベルを、自身のアカウントに対して引き下げたようです」


「……なるほどな」梶が薄く目を開いた。

 ――これ見よがしな真似をする――ヴェルト・バズは匿名化システムに干渉可能。魔法のパスワードをばら撒き、あのサイトで明らかにさせられる――あの話は、ハッタリではなさそうだ。


 ――篠原は個人で動いていたはず。5億の金を動かし、我々に喧嘩を売るふところが何処にある? オークションサイト『ピカロ』の管理者権限は殺し屋鴉の所有物。どういう経緯で、篠原にそんなものが渡されたというのか?


 ――あのマンションで一体何が起きた?


 瞼を下ろし思索にふける梶の姿は、一見すると眠っているかのようだったが、その姿でさえ、護衛の黒服たちをすくませるだけの風格を備えていた。黒服たちは微動だにせず立ちすくみ、ただそこにいるだけで神経が削られる空気に耐えていた。


 梶が目を開き、指で合図して黒服に書類を持ってこさせた。胸ポケットから梶が煙草を取り出すと、梶の左斜め後ろにいた黒服が、素早くライターに火をつけた。


 梶は日名子麻美に関するデータに目を通した。彼女の経歴や性格、卸先の予定や現在の監禁場所などが簡潔にまとめられていた。


 ――日名子麻美の部屋に入った侵入者――奴らに何か事情があり、この日名子とやらを助けるために篠原を援護しているというのなら、一応の筋が通る。あの黒崎雅也なら5億ぐらい余裕で用意できるだろう。


 ――しかし日名子は一般人。黒崎や天野のような、裏の世界の住人との関わりはない。


「……年はとりたくないものだ。餓鬼がきどものふざけ方が分からなくなる」


 梶は深くため息をついた。護衛の黒服たちが固唾を飲み、わずかに体を震わせた。


 梶はふと、日名子の書類の1項目に目をとめた。フランス人のデザイナーが、日名子と同じ部屋に監禁されていると書かれている。


「おい、この日名子麻美と一緒に監禁されているフランス人――こいつの調査担当者に、連絡はつくか?」


 黒服の男が首を横に振った。


「その調査担当者ですが……過去のデータを悪用して、脅迫行為をはたらいていたらしく……」


 ――そういえば、川浪が以前報告していたな。過去のデータを持ち逃げし、粛清された馬鹿社員。


「……つまり担当者の確認はとれないわけか」


 梶は指を鳴らして合図する。素早く流れるような所作で、黒服が携帯を手渡した。


「椿、計画変更だ。誰か1人、そうだな、とびを篠原追跡のチームから外させる。奴を三条の監禁施設に向かわせろ。念のため、始末しておきたい奴がいる」


***


2015年11月11日京都三条 M&Dの監禁施設


「どうみても日本人には見えないわ」


 日名子麻美は、猜疑心を隠そうともせず、口を横一文字に結んで樹里をじっくりと観察していた。樹里は簡易ベッドに腰かけながら、ニコニコとしてその視線を受け止めていた。


「天野樹里ってのは芸名か何か? あ、女スパイって設定だっけ? コードネーム?」

「スパイ云々はその場のノリで言った言葉ですが、名前は本名です!」

「えー」


 日名子は後ろ髪をかきながら、細く消えそうな声音で言った。


 天野樹里の髪と目については、カラコンと染髪によって変装を施したものらしく、その人種を推察する手がかりにはならない。ただ、肌には特に手を加えていないと聞いた。


釉薬で塗りつぶしたように白く、冷たそうで、血肉の感触を感じさせない肌――黒人ネグロイド黄色人モンゴロイドの遺伝子の気配は見えない。


「あなたが日本人姓を持ってるようには見えないけど」


 天野樹里はその出生について非常に事細かに説明してくれた。


 樹里の曽祖父は第二次世界大戦以前、上海租界でイギリス資本の貿易会社ブルック&メイソンを率いる会長だったという。彼はインドから持ち込んだアヘンを山東省に流した。当時の情勢と相まって莫大な利益と絶望的な腐敗を中国にもたらしたという。しかし曽祖父は、このツケを支払わされた。揚子江を握っていた軍閥との取引に失敗し、航路を絶たれてろくな商売ができなくなり、退陣させられたのだ。当時2歳の樹里の祖父は、多額の隠し財産と引き換えに租界で暮らしていた天野という名の外交官への庇護を受けることになった。天野家の養子となった祖父は、戦後日本で横浜に駐留していたアメリカ兵の娘と恋に落ちた。彼女の実家を頼りアメリカに渡ったが、一人息子――樹里の父だ――が生まれた直後、映画会社に就職。海外支社の立ち上げ人として日本に舞い戻ったのだという。


 怒涛の勢いで樹里の口から溢れ出す国際ドラマに対し、日名子は真顔で応じている。


 しかし心中ではあくびをかみ殺し、「長え」「まとめろ」「本筋から逸れた情報増えすぎ」と連続して文句をたれていた。数分に1度、如何にも聞いている体を装い、うなずいたり質問を挟んだりしていたものの、耳から入った情報は日名子の脳裏をまっすぐすり抜け、2割も記憶に残らなかった。


 ――なまじ話が壮大な分胡散くさいなあ。まあそれでも、殺しても死なない人間とか、もはやわけの分からない話振られるよりマシだけど。


「大体わかったわ。あなたの血筋には白人しかいないけど、複雑な事情で日本姓の家系に属する日本生まれなわけね?」

「いえ、生まれ育ちは一周回って上海です」

「もはやわけが分からねえよ」

「日本語も最近覚えたのですよ! ジャッポーネは難しいです」

「これ以上国籍を混ぜんなや」

「ただまあ、実際国籍なんてあってないようなもんですよ! 住所不定無職、戸籍もない不法入国者ですので!」


 眩しいような笑顔で樹里が親指をたてる。日名子は「近年まれにみるリアクションのムズさだわあ」とぼやいた。樹里は国際ドラマの続きを話そうとしたが、ふと腕時計を目に止め、ベッドから立ち上がった。


「そろそろ時間ですね」

「時間?」

「篠原さんがM&Dに仕掛けています。多分今、監禁施設の見張りに割ける人員なんてほとんどいない。警備は手薄なはずです」

「警備は手薄って言っても、女2人で突破できるわけもあるまいし……そもそも扉に鍵かかってるよ?」

「道具を使えば簡単です」

「……道具って、あたし何も持ってないよ?」


 日名子が拉致されたのは夜のジョギングの最中で、財布や携帯も家の中に残したままだ――いや、どの道持ち込めたとは思えないが。


「大丈夫、私にはこれがあります!」


 樹里はポケットからダークグレーのボールペンを取り出した。日名子は一瞬、太さからして4色ボールペンかと思ったが、ノックは1つしかない。少しごつい点を除けば、一見して何の変哲もない、普通のペンだ。


 日名子は親指の先を顎に当てて考えこんだ。


 ――ボールペン。こんなんでどうするのかな? こんなぶっといペンでピッキングするわけでもあるまいに。食料を運び込みに来る見張りの首にでも突き刺して、部屋を出ようという魂胆だろうか。


「うーん」


 ――難しいと思う。

 日名子は、この部屋に連れ込まれた日、見張りを相手に派手に暴れている。完全に不意をついたつもりだったが、結果は惨敗だった。あっという間に組み伏せられ、首筋にナイフを突きつけられた。


「……あれは確実に訓練された人間の動きだったわ」樹里に聞こえない声量で、もごもごと日名子は言った。


 日名子があれこれ悩んでいるうちに、樹里は監禁部屋の出口へと歩み寄っていた。扉の前で目を閉じ、ペンを包み込む形で手を合わせ、深呼吸をしている。


 樹里は左足を前に両脚を前後に開き、上半身を反らせ、ペンを握りしめた右手を後方に伸ばした。やり投げのフォームに似た姿勢だ。樹里の左足が浮き上がり、重心が一気に後方に寄る。傍で見守る日名子の脳裏に、折れる直前までしなる弓のイメージが浮かんだ。

 

 樹里が左足を強く踏み込んだ。腰をひねり、弧を描くようにペンを振りかぶった。ペンの先端はシリンダー錠の鍵穴へと命中した。


 鋭く、鼓膜を突き破るような音が、びりびりと空気を震わせながら日名子の体をまっすぐに通り抜けた。反射的に目と耳を塞ぐ。数秒後、瞼を上げ、樹里の肩越しに恐る恐る鍵の様子を伺った。鉄製のシリンダー錠の中心を、樹里のボールペンが貫通していた。


「私が用意した秘密兵器に、言葉もないようですね」

「え? そこ? どう見ても力技なんだけど」

「何を隠そう、この子はスチールヘッドのタクティカルペン! これをボディチェックで見過ごすなんて、M&Dもぬるいですな!」

「『ペンで錠が突き破られるケース』てマニュアルに載ってたら、あたしはきっと会社を疑う」

「所詮ステンレスですよ! 百均のスプーンと同じですよ! そりゃ簡単にぶち破られますとも!」

「……あたしは生まれて23年、スプーンを女なんて見たことない」

「アルミ合金のスチールですからね。鉄なんだから鉄を突き破れるでしょう?」

「……そんな当たり前の理屈みたいに……ほとんど斬鉄剣じゃない」

「いやいや、ペンの力ですって。見てくださいよ、このフォルム。すごい尖ってますよ! 人を殺せる先端ですよ!」

「……あんたなら小指でチャック・ノリスを刺し殺せそうだけど……」

「チャック・ノリスはさすがに無理です」


 日名子は髪をかきながらため息をついた。樹里がペンを引き抜き、とどめの回し蹴りを食らわせると、ドアが勢いよく開いた。


「さあ逃げ道はできました!」

「……逃げられるのかなあ……外に出るまでにはまだ大勢見張りがいたよ? 銃を持ってるのもいたし」

「へっちゃらですよ、日名子姉さん! 見張りが来ようと殺し屋が来ようと、もーまんたいでございます!」


 樹里は両手でペンを握りしめ、胸に当てた。ほんの少し首を傾げ、わずかに頬を上気させ、楽しくてたまらない子供のような笑みを浮かべた。


「邪魔する者は塵も残さず、排撃して殲滅します!」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!