5章(現在編) 2015年 11月10日―11日 京都
第14話 須崎奏、勇気を与える
2015年11月10日 東京M&D本社
東京都渋谷区にあるM&Dグループ本社ビルの会議室で、男たちがプロジェクターに投射された画面を真剣な面持ちで眺めていた。そこにいる全員が、凄んでみせれば視線で人を殺せそうなほどの強面だったが、その中でもひと際眼光の鋭い男がいた。M&Dグループ社長、
梶とその部下たちが視線を注いでいるのは、日名子麻美のマンションに備えられた監視カメラの映像だった。梶が視線で合図を送ると、黒服の若い男がプロジェクターと接続されたノートPCを操作し、映像を停止させ、抑揚のない声で報告した。
「……監視カメラが設けられていたのは、マンションのフロントとエレベーター、非常口へ通じる廊下の三か所。非常口は内側から施錠されており、人の通った形跡はありません。フロントの映像を分析したところ、この日、マンションを訪れた部外者の内、身元の確認がとれない者が3人います」
梶が指を鳴らすと、男がノートPCのキーを叩いた。プロジェクターに3人の男女の画像が表示された。画像はやや粗い。監視カメラの映像を切り取り、拡大したものだろう。
一番左は、うさぎ耳の装飾のついたコートを着た少年、中央には腰にシザーバッグを巻いた若い男、最後にはハイヒールを履いた女の画像が表示された。カメラの角度が悪く、缶バッジで彩られたマリンキャップの鍔で隠され、女の顔は口元しか認められない。肌の色と薄い金髪から察するに、白人と察せられる。
「マンションに入った順序は、初めが少年、次に男、その次に女の順です。全員エレベーターを利用していますが……3人とも別々に乗っていました。降りた階は3人とも同じで、日名子麻美の部屋がある階です。彼らがエレベーターを降りた4時間後、篠原を含むわが社の社員が3名、同じ階を訪れています」
男がPCを操作すると、篠原が、ハツカネズミとツキノワグマを引き連れてフロントを通り過ぎる時点を捉えた画像が表示された。
「おそらく、計6人が日名子麻美の部屋で会したはずなのですが……」
部下の男が言いよどんだ。梶は無言のまま背もたれに体を預け、眼で合図して続きを促した。
「このうち、若い男と実働部隊の2人は、非常口とフロントのカメラ双方において、マンションを出た姿を確認できません。マンションを出た姿が認められるのは、篠原、少年、白人の女の3人だけです。3人は全員、スーツケースやショルダーバッグなど、大荷物を抱えていました。我が社の社員2人とシザーバッグの男が殺され、残った3人がそれぞれ1体ずつ死体を持ち出した……そう考えると辻褄が合いますが……」
梶が指で机をコツコツと叩いて合図すると、画面がまた切り替わり、身元不明の3人のビデオカットイメージに戻された。
梶は脚を組み、ひじ掛けの上で頬杖をつく。画面に映し出された、黒崎雅也の顔を見ながら嘆息した。
「……厄介な相手だな」
その声はさほど大きくないはずなのに、部屋にいた者たちは、まるで雷鳴がびりびりと空気を震わせながら身体を貫いたかのように、身を竦ませた。
梶は目を閉じ、意識を宙に遊離させ、思索の海に潜った。
――黒崎雅也と天野樹里――1年前、九龍新会が巻き起こしたあの騒ぎの渦中において、銃弾1発で戦闘ヘリコプターを沈めた武勇伝をもつ2人組――奴らが相手となると、川浪の小僧では荷が重すぎる。
梶が指を鳴らすと、部下の男が素早い所作で携帯電話を持ってくる。梶が番号をコールすると、相手はすぐに出た。
「久しぶりだな、我が盟友よ」
『あんたと盟友になった覚えはないね。お互い顔が利くってだけでしょ?』
「そうだな、この業界で、君や私ほどに名を馳せた人間は多くはおるまい。さて、君に少し仕事を頼みたい」
『何かしら?』
「君とも因縁深い相手……黒崎雅也を殺してほしい」
『……奴を見たの?』
「そんなところだ。確か、君たちは今、日本にいたな? 6時間やる。牡丹、夜鷹、
電話の相手は無言だった。
「迷う必要はないはずだ。黒崎雅也さえいなければ、君は梟と鈴蘭を失わずに済んだ。君としても、奴がのさばっているのは面白くない。そうだろ? 椿」
***
2015年 11月11日(2日目) 京都駅
京都駅のプラットフォームに、赤茶色の車体の特急列車が近づいていた。篠原は、震える脚に力をこめ、線路へと駆け出した。
「こっちへ」
死者の声が聞こえた。その声に誘われるように、篠原は線路へと飛び込んだ。篠原はもう、死を恐れてはいなかった。
ブレーキがかけられ金属が軋む音に交じって、何かが弾かれる音がした。
* * *
2015年11月11日(2日目) 京都三条M&D京都支社
――篠原が死者の声に誘われ、線路に身を投げ出す1時間前のこと。
川浪はオフィスの窓に向かってたたずみ、物思いにふけっていた。
彼の頭を占めていたのは、姿を消した3人の社員のことだ。一人は調査員の篠原――裏切りの疑いをかけられていた男だ。あとの2人は荒事専門の部隊の構成員だ。
――篠原が裏切ってあの2人を殺して逃げた? いや、実働部隊の連中は、篠原に仕留められるほど
「川浪さん!」
黒服の男が、慌てた様子でオフィスに飛び込んできた。
「今日競りに出した10歳の娘を、高額で競り落としている客がいて」
「……それの何が問題なんだ」
「額が異常なんです! 直前の入札価格が800万なのに、そのアカウントは5億円で競り落としてるんです」
「……5億? 誰がそんな真似を……いや、それ以前に、 何故そんな真似ができる?」
M&Dが取引に使う闇のオークションサイト「ピカロ」――そこでは入札に制限がかかるシステムが採用されている。一見の客は1,000万を超える入札ができない。購入履歴の金額に応じて動かせる金は大きくなり、競売を有利に進められる仕組みである。5億の金を支払えるのは、毎年20億を超える取引を行った超優良会員だけだ。
「買い手は優良会員じゃありません。それどころか、今まで一度も競売に参加したことのないアカウントです」
「……馬鹿な」
川浪は競売履歴を検索し、問題の競りの結果を開き、10歳の少女を落札したアカウントのプロフィール情報を表示させた。
**********************
Account Name “Welt Buzz"
Class / Limit “SS / No limit"
Purchase History “-----------“
**********************
――購入履歴は確かに空欄。だがSSクラスで入札制限もないVIP待遇。
――なんだこのアカウント? いや、それよりも。
「ヴェルト・バズ? ……管理人だと?」
――管理人がシステムに干渉して、入札のリミッターを解除する? ありえない。システム管理者の立場を悪用した越権行為だ。
川浪はネットマネーの入金状況を確認した。5億の金は本物だ。競売システムへの干渉を除けば、取引に一切の不正はなかったようだ。
――馬鹿な。本当に5億払っている。1000万でも余裕で落札できるガキに――システムに干渉してまで――こいつは、何を考えている?
タブレットから電子音が鳴った。「ピカロ」に出品者として登録している川浪のアカウントに宛てたダイレクトメッセージだ。差出人のアカウント名は「ヴェルト・バズ」――
**********************
『M&Dの幹部殿。ご機嫌うるわしゅう。ちょっと交渉したいことがあるんだ。アメとムチを仕込みつつ話すから、ちょっと耳を貸しておくれよ』
**********************
川浪は口元の煙草を手に取り、テーブルに押し付けて火を潰した。
――アメとムチだと。アメがさっきの競りを指すのなら。
**********************
『あなたのおっしゃるムチの内容を先に聞こうか』
『うわ、気が短いね』
『( ̄-  ̄ ) ンー』
**********************
川浪はゆっくりとアームチェアに腰かけ、両肘をテーブルに乗せて指を組み、長く長く息を吐いた。傍にたたずんでいた川浪の部下は、部屋の温度が一瞬にして下がったかのような錯覚に陥った。
**********************
『俺の闇サイトの匿名化システムには大きな欠陥がある』
『どういうことか、お聞かせ願えますか?』
『実はね、匿名化プログラムのコードの中に、ほとんど使われない機能に向けたゴミコードや、制作段階で本来必要のないはずのメモみたいなコードに交じって、魔法のパスワードが設計されているんだ』
『☆^∇゜) ニパッ!!』
『魔法のパスワードとは?』
『(゚ー゚)(。_。)ウンウン』
『そのパスワードは全アカウント共通。誰のマイページにも入れちゃう。ああ、もちろん、セキュリティシステムの一部を破壊しないとそのパスワードも使えないんだけどさ……そのセキュリティも俺の設計だからね。ちゃんと製作段階で綻びは用意したよ』
『セキュリティを破壊して魔法のパスをばらまけば、サイトを知る誰にとってもオープンな世界が作れるんだ。売り手はもちろん、買い手についても、購入履歴と身元の情報が溢れ出すよ』
『……冗談でしょう? あなたにメリットのある仕掛けじゃない』
『冗談で5億払うわけないじゃん。メリットとか関係なしにさ』
『……用件を聞きましょう』
『そう来なくっちゃ!』
『(*゚▽゚ノノ゙☆パチパチ』
**********************
川浪がこめかみに血管が浮きだたせ、無遠慮に机を蹴り上げた。部下の男がギョッとした様子で後ずさった。
**********************
『今日の20時、京都駅の4番線のホームに交渉役を送るから、必ず来てね。何も知らない下っ端は使わない。『ヴェルト・バズ』としての管理者権限はもう全てそいつに与えてるし、魔法のパスについても教えてある』
『正気とは思えませんね。その交渉役を拘束して魔法のパスを吐かせれば、あとはどうにでもなるのでは? パスワードさえ分かれば、プログラムのコードの海に隠された、あなたの言うところの"セキュリティの綻び"を特定して埋められるはずだ』
『彼が拘束できるような相手なら、可能だろうね。せいぜい試してみればいいんじゃない?』
『追伸:宇宙、生命、その他もろもろに対する普遍的な問いの答えは? これ、俺も最近教えてもらったんだー』
『マタネー!!.....((((((○゚ε゚○)ノ~~ |出口|)』
**********************
川浪は無言のままタブレットを置いた。静かな威圧感に耐えかねるように、部下の男はキョロキョロと視線を泳がせていた。
「人員を集めろ。京都駅に向かう」
「銃はどうしましょう」緊張に強張った顔で、部下の男が言った。
「人の多い場所だ。夜とはいえ騒ぎになる」
あくまで冷静な声を装って川浪は言った。
「
* * *
2015年11月11日 20時 京都駅
川浪は1人で京都駅のプラットフォームに立ち、煙草の煙をくゆらせていた。近くにはすぐに駆けつけられる位置に5人の部下を置き、万が一に備えて跨線橋へと続く唯一の階段にも、見張りを1人配置していた。
「お前は……」
川浪の傍に、喪服のように黒いスーツを着た人影が、ゆっくりと歩み寄ってきた。その人影を見て、川浪は目をむいた。
「……篠原」
川浪は小さく笑った。
「とっと消えろ。今、お前のような小物に構ってられん」
篠原は無言のまま、一歩も動かず川浪を見下ろしていた。川浪から笑みが消えた。
「見逃してやると言ったんだ、君は馬鹿ではなかったはずだぞ、篠原」
篠原は一歩も退かず川浪に向き直った。川浪は無表情のまま立ち上がり、裏拳で篠原を殴りつけた。篠原はしりもちをついたが、口元から流れる血を拭うことさえせず、立ち上がり、静かに川浪を見つめなおした。
川浪は舌打ちし、つかつかと篠原に歩み寄ると、煙草の火を篠原の頬に押し付けた。これには篠原も少し顔をしかめたが、一歩も後ろに下がることなく、川浪を見つめ続けた。
川浪が煙草を捨て、何か言いかけたとき、ようやく篠原が口を開いた。
「42」
一瞬川浪の目が驚愕に見開かれた。篠原が薄く笑った。
「何だ、川浪さんも『銀河ヒッチハイクガイド』お読みでしたか」
まるで親しい友人と本の感想を交わすかのように、気さくな口調で篠原が言った。
「魔法のパスワード、知りたくはないですか?」
言いながら、篠原は催涙スプレーを吹きかけた。とっさにのけ反って躱そうとした川浪の顎を、スプレー缶の底で殴りつける。待機していた川浪の部下たちが一斉に動き出した。
「追え!」
篠原は踵を返して駆け出した。改札へと続く階段を通り過ぎ、逃げ場のないプラットフォームの端へと走っていく。篠原の足元で、川浪の部下が放ったと思しき銃弾が跳ねた。
篠原は急に直角に曲がり、線路に向けて駆け出した。通過列車が今にも通り過ぎようとしている。篠原の顔は少しだけ、恐怖でひきつっていた。
「こっちへ」
黄色い点字ブロックを踏む直前、その声が篠原をまっすぐに通り抜けた。その瞬間、篠原の心から迷いが消えた。彼はためらうことなく地面を蹴り、通過列車の前に飛び出した。彼が3番線の枕木に着地する頃、先頭車両はほんの数メートルまで迫っていた。
「篠原ァ!」
川浪が咆哮し、銃を構える。しかし、通過する車両に弾道を阻まれ、銃弾が鉄の車体に弾かれる音がむなしく響いた。川浪はやつあたりに、銃で近場の自販機を殴りつけた。
篠原は2番線の線路を踏み越える。2つの線路に挟まれた島型のホームの向こう側――1番線の線路には、発車直前の車両が控えていた。プラットフォームに這い上がった篠原は、転がるようにして閉じかけたドアの隙間に滑り込んだ。
篠原は倒れそうになる体をなんとか支えようと、リノリウムの床に手をついた。空いた手で心臓を抑え、肩で息をする。
「いやあすごいなあ、篠原の
「篠原さん、お前と同い年だよ」
「いやだから、ボクが
「……そういえば、樹里が『うさぎ兄さん』とかいう不思議な呼び名使ってたんだが」
「あ、ボクもたまにそう呼ぶ」
「やっぱりお前が元凶か」
首にヘッドフォンをかけた若い男と、パーカーのフードを目深に被ったマスクの男が、奇妙な言い争いをしながら篠原に歩み寄ってきた。
「いやあ、雅也の兄さんがヴェルト・バズのアクセス権限と5億円ポーン渡して『M&Dの戦力削って』
「そうか? 俺はそんなに無茶だとは思わなかったが」
「あほか! 管理者権限使うてもあのリミッター解除すんの結構たいへんやってんぞ! つうか『ピカロ』のプログラム何なんあれ? 何であんな無駄なコード多いんや? 製作者の悪意さえ感じるわ!」
「電車で騒ぐなって。静かにしねえと、あれだ、今後お前の仮初の名をヘムヘムと略す」
「控えめに言って死ね!」
一ノ瀬は篠原には理解できない専門用語をまくしたて、自分の仕事がいかに繊細で手間をかけたものだったかを力説した。黒崎には話を聞く意思はないようで、立てた小指を耳に突っ込んでふさぎ、そっぽを向いていた。
「これで川浪は、2代目ヴェルト・バズの追跡に人員を割かざるをえなくなった。樹里とうさぎは、それぞれ大分動きやすくなる」
黒崎が窓の向こうの川浪たちを眺めながら笑った。
「篠原さんが勇気のある人で助かった」
篠原はほうほうの体で壁際の床に腰かけ、小さく笑った。
「私には勇気なんてありません」
笑みを崩さないまま篠原はゆっくりと瞼を下した。
「あれは、もらいものです」
線路に飛び込む直前聞こえた死者の声の存在が頭をよぎり、篠原は無意識にそう答えていた。一ノ瀬が力説を中断し、楽しそうな調子で言った。
「へえ、くれる人がいて幸せやな」
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