幕間

幕間 殺し屋梟の昔話

 樹里と雅也が日名子麻美の部屋に忍び込むよりも前、篠原がM&Dに調査員として潜入するよりも前、殺し屋梟が殺され、鈴蘭がうさぎ強盗を憎悪するよりも前、「ジャック・ピストルズ」で大暴れしたうさぎ強盗が九龍新会をブチ切れさせるよりも前――これは、ずっとずっと前のエピソードだ。


***


20××年 広東省のゴースト・タウン


 殺し屋「梟」は、中国広東省のとある田舎町に足を踏み入れていた。高級住宅街として設計されながら、バブルの崩壊とともに放棄されたゴースト・タウンだ。町並み自体はパリのシャンゼリゼ通りをモデルに設計されただけあって華やかだが、それ故に、人の気配の希薄さが異様に目立つ。


 空の上で湖の底が抜けたような土砂降りだった。隙間なく降り注ぐ雨の幕で、街頭の明りが霧の中に取り残されたようにぼんやりと薄まっている。明りのつかない豪奢な邸宅――ただし、建設途中で放置されているハリボテばかりだ――をいくつか通り過ぎ、梟は雨の幕から逃げ込むように、手近なパブへと滑り込んだ。


 パブの中は葉巻の紫煙で満たされていた。店内は広く、20を優に超えるテーブルが備えられている。その全てに何らかの模様が描かれている。それはチェス盤をあしらった市松模様だったり、碁盤の目だったり、あるいはシャンチーの盤面だったりした。


 客たちの何人かはその模様を用いて激戦を繰り広げていたが、彼らの指し方は、梟の目から見ておそろしく下品だった。相手の駒を荒々しく弾き飛ばし、マス目から駒がはみ出そうが碁石が線からズレようがお構いなし。盤上に煙草の煙やビールを飛ばし、試合中に冷やかし合って笑い声をあげている。


 梟は手元の煙草に火をつけた。

 ――試合の形式や道具に敬意を払う手合いじゃない。

 ――真剣師のたまり場か。


「お兄さんもどうです?」


 酒に酔った学生風の青年が、黒いキングの駒を掲げて見せた。梟は小さく首を振り、ウィスキーを一杯注文した。青年は残念そうに肩をすくめ、振り返り、部屋の奥にあるテーブルを囲む人だかりへと歩み寄った。


 梟はパブ全体に目を走らせたが、ギャラリーがついているのはそのテーブルだけだ。梟は興味を持ち、人だかりに加わった。


 賭博師の顔を見て、梟は目を剥いた。それは年端もいかない少年だった。喪服のような黒い服に身を包み、泣きはらした後なのか、大きなクマを目の下につくっていた。


 相手のクイーンの進路をふさいだときも、ナイトを中央に繰り出して戦局をひっくり返したときも、少年はうつむき、光のない眼で盤面を眺めていた。生気のかけらもない顔つきで、機械的なリズムで駒を動かしている。


 少年は強かった。ギャラリーの話を聞くと、もう22連勝らしい。先ほどの青年が、梟に話しかけてきた。


「10時間以上ぶっ通しでうってるのに、いやあ、おそろしい早指しですよ」

「そんなに? 何故休ませない?」

は、少年を疲弊させたいんですよ」青年は声を潜め、耳打ちするように梟に言った。

「馬とは?」

「この賭博場の胴元です。今の少年の対戦相手です」青年が説明した。


 ギャラリーから歓声とブーイングが沸き上がった。また少年が勝ったらしい。少年の対戦相手――馬という名前らしい禿げ頭の男は、顔を真っ赤にして青筋を立てたが、酒を煽り、大きく口を開けて笑った。


「ようし坊主」目をギラギラさせた様子で、馬は少年の両肩をつかんだ。


「次は倍賭けだ。今までの賭け金を全部賭けるんだ」


 ギャラリーから歓声が上がる。梟は目を細め、観客を見渡した。楽しんで参加するものもいたが、少年が勝負を降りる空気を作らせまいと場を盛り上げるもの――サクラも何人か混じっている。


「これは一体何倍まで続くんだ?」


 学生風の男は困ったような笑みを浮かべ、喪服の少年に、憐みに近い視線を向ける。それから、馬の耳に届かないようボリュームを絞って言った。


「もちろん、彼が力尽きるまで」


* * *


 少年はまったく力尽きなかった。


 ギャラリーから2席分離れたテーブルで学生風の男と酒を飲みかわしながら、梟は言った。


「もうあの少年を帰らせて、闇討ちしたほうが早くないか?」

「そりゃ駄目ですよ。建前上、彼が賭けに負けて金を失ったことにしないと。客が賭博場に信頼を寄せられなくなる」

「あそこまで露骨だと、もう完全に信用を潰してると思うがね」

「それでも、建前ってのは大事なものです。特にこういう世界では」

「……そんなものか、ところで、今賭け額はいくらだ?」

「初めの賭け額に2の24乗をかけた額ですね」

「つまり?」


「約1700万倍ですね。少年の賭け金は200元だったので、もう30億元を越えてます」青年は、携帯をいじりながら答えた。


「私が昨日会った変態野郎は、『男は1人当たり10万元で買える』と言ってたがな……」

「じゃあ、3万人買えますね」


 梟は煙草をくゆらせながら「国が作れそうだ」と呟いた。


 馬はあらゆる術策を尽くした。怒号や舌打ちで威嚇するとか、よろけたふりをして駒をずらすなんてのは序の口だ。賭博場で最も腕の立つ賭け碁師を呼び寄せ、彼に代打ちさせた。それでも歯が立たないとなると、シャンチーの棋士やチェスプレイヤーで同じことをした。それでも勝負にならないと悟ると、馬は、彼ら3人を相手にそれぞれの盤で三面打ちするよう少年に強要した。


しかし少年は文句も言わず一定のリズムで打ち続け、勝利を飾った。


「力尽きるのは、馬のほうが早いかもしれませんね」学生風の男が苦笑した。


「大人しく力尽きてくれると良いがな」


 少年が32連勝を飾ったとき、馬は倒れ掛かるように両手でテーブルを叩き、顔をうつむかせたまま震えた。やがて彼は、にんまりとした笑みを浮かべて顔を上げた。歯が見えるほど口角が上がっているのに、目はパッチリと開いている、奇妙な笑みだった。


「最高だよ! 小さな小さな真剣師よ! 君に敬意を示し、特設ステージにご案内しようじゃないか!」


 梟と学生風の男は顔を見合わせた。


「特設ステージとは何だ?」

「僕も聞いたことはありませんね。今考えて作ったんじゃないですか?」

「良い予感はするか?」

「するわけないでしょう」


 馬は客とサクラと少年を連れ、雨の降りやまぬ外に出た。梟と青年は勘定を払い、後を追った。


* * *


「賭けの内容は至極単純。橋くぐりだ」


 馬は少年と客たちを、19世紀のロンドン橋を模した石造りのブリッジへと連れてきた。100メートルを優に超える巨大な橋で、アーチを形作るように上方へ太くなる橋脚が11本伸びている。


 激流が頑丈な橋脚にぶちあたり、やり場のないエネルギーを飛沫に変えてまき散らしながら渦を巻いていた。橋脚の間隔は広くない。アーチをくぐりそこなえば、橋脚に叩きつけられて即死だろう。


「喜べ。あれで渡り切れば、賭け金をさらに10倍にしてやる。もちろん勝ち分全てを賭けるよな?」


 馬は、古い小舟が船着き場にもやいでつながれているのを指さした。梟が青年に尋ねると、開発当時、観光客向けに舟渡しの催しを用意していたと説明してくれた。


 馬の提案には、さすがに観客から非難の声が上がったが、サクラと馬が場を盛り上げて、強引に舞台を整えた。誰かが異を唱えようとすると、どこからともなく「しらけさせるな」「空気を読め」と怒号が飛んだ。


 馬が、うんざりとした顔を向ける梟たちを睨みつけた。


「お前らも文句があるのか?」


 学生風の男はおびえた様子で、素早く首を振った。梟は落ち着き払った声で「構わん。勝手に勝負をするといい」と言い、手を払う仕草をした。


「ただ、そうだな」


 梟は鞄の中から黒革の財布を取り出し、目を少年に向けた。


「私は、君が生き残るほうに有り金を全て賭けよう」


 観客たちのざわめきが消え、雨の音だけがあたりに響いた。馬も、学生風の男も、パブの客もサクラもみな、呆然と口を開けて梟を見やった。少年が何か梟に言いかけたのを、梟は掌を向けて遮った。


、少年」


 梟は財布を馬に投げつけながら、少年に言った。


「どの道私は生まれてこのかた、賭けに勝ったことがないんだ。負けたとしても、君が気に病むことじゃない」


* * *


 少年が舫を解き、流れに翻弄されながら漕ぎ出した。複雑に渦を巻く流れの中で舳先をうまくコントロールできていない。アーチを抜けるか橋脚にぶち当たるか、完全に運任せだ。


 渦に飲まれた船が大きく前のめりに傾き、舳先が水没しそうになる。何とか持ち直したが川の水が入りこみ、船は半分沈んだ。その状態で船は橋下のアーチへと吸い込まれた。


少年を見守っていた梟たちは、一斉に反対側に乗り出した。


「通った!」


 青年が歓声を上げた。

 橋下をくぐるうちに、船の状態は一層ひどくなり、船縁近くまで浸水していた。数秒も立たないうちに船は沈み、少年は激流に飲み込まれた。


* * *


 馬は観客たちを引き連れて、河川敷へと降りてきた。

 岸に這い上がった少年がうつぶせに倒れている。その少年の腹を、馬は蹴り上げた。かろうじて意識があったらしく、少年は小さくうめいた。


「起きろ、坊主」


 馬は、にんまりとした笑みを少年に向けて言った。相変わらず、目をパッチリ開けつつも口角を大きく上げている、化け物じみた不気味な笑みだ。


「次の倍賭けだ。もちろん、勝ち分全てをつぎ込んで……」


 馬の背後に梟が音もなく近寄った。梟のナイフは馬の喉笛を一閃し、腕と脚の腱を絶ち、そのついでに大動脈を切り裂いたあと、心臓に突き立てられた。一連の所作を、梟は2秒とかけずに終わらせた。


「昨日私が刺し殺した男は、『命の値段は10万元』と言っていた。私の財布の中身は2万元だったから、私は今20万元勝ってる……つまり」


 ナイフを軽く振って血を払い、梟は言った。


「あと、一人分買える」


 馬の取り巻きや野次馬たちが悲鳴を上げ、一斉にその場から散り散りに走り出した。学生風の青年だけは一度立ち止まって振り返り、何か声をかけようと逡巡したようだったが、すぐに他の後を追った。


「……負けるつもりの賭けだった」投げやりな口調で、少年が言った。梟は首を傾げた。


「命を賭けた勝負なのにか?」

「……そうだよ」


 少年は自分の素性を概ね語った。


 卒業旅行の際、親友と一緒に土産物屋で出された茶を飲んだ。意識を失った。自分は近場の路地裏で起きたが、親友は10日経っても戻らなかった。自分で調べて、親友が好事家の変態野郎に売られていたと突き止めた。親友はとっくに死んでた。仇をとろうとしたら、問題の好事家が昨日のうちに、誰かに刺殺されてた。親友がいつ何処で死んだかもわからないのに、出店で買った喪服に着替え、花を片手に大泣きしながら雨の中を彷徨った。泣き疲れ、ロンドン橋を模した橋の中腹にしつらえられたアルコーブで寝ていたら、馬に声をかけられた。


「……負けるまで、ずっと続けるつもりだったんだ」

「そのつもりなら、君はいささか強すぎたな」

「……僕を助けたつもり?」

「まさか。君のおかげで、私は、生まれて初めて賭けに勝った。ギャンブルに勝った人間は気持ちが昂り、こんなごみのような命でも構わないから、衝動買いをしたがるものなんだ。君が気にすることじゃない」


 梟は微笑んで顎に手をあて、少年の全身を観察した。


「ただでさえ葬式に出るような服装だったのに、濡れてさらに色が濃くなった。まるで鴉だ」


 茶化すふうでもなく、淡々とした口調で梟は言う。彼は意識を失いつつある少年を腕に抱えた。少年の瞼が、ゆっくりと降りていく。


「君、名前は? 発音から察するに、この国の人間ではないようだが?」

「……聞いて、どうするの」

「言ったろ。私は今、もう一人分買える」


 意識が闇に落ちる直前、梟の腕の中で少年は答えた。





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