第20話 好きな子の水着姿が嫌いな男はいない①

 今、俺の心臓は爆音を鳴らしていた。脈打つ度に胸が痛くなる。

 いや、落ち着け。静まれ――。


 しかし俺の心とは裏腹に、心臓はただ力強く、そして速度を落とさずに動き続ける。


 あぁ、もうコレだめだな。

 自分の意思に逆らう体のことは諦めて、俺は顔を空へと向ける。


 鼻を通り抜ける潮の香り。目に映るのは、雲一つ無い抜けるような青空。そして独擅場と言わんばかりに、はりきって地上に熱気を送り続けてくる太陽。


 その眩い光に顔をしかめながら、俺はただ『待って』いた。






 ティアラの誕生日から二ヶ月が経った。


 今俺達が居るのは、西隣のアクアラルーン国だ。


『水』と『慈愛』と『刃』の女神をまつるアクアラルーン国は、俺達の国アウラヴィスタと昔から良い関係を築いている。

 たまにこうやってティアラが招待されるほどに。


 遥か昔、この世界を築いたとされる女神達が起こしたという『女神戦争』。

 主に自分達が擁したい国の場所について争ったらしい。

 その時に『水の女神』と『光の女神』は手を組み、戦争終結後も国を隣同士に作り、積極的な交流をしてきたという。


 つい先日、『レイクビーチ』というものがアクアラルーン国内に完成したので是非どうぞ、とティアラが呼ばれた。

 で、当然俺とアレクもそれに着いてきたわけだが、今回は一泊二日ということもあって、タニヤも同行していた。


 こういう泊まり掛けの時しかティアラの視察に着いてこれないタニヤは、それはもうこっちがうざいと思うくらいにテンションが上がっていた。

 そのうざいテンションの中で、タニヤはこの国についてあまり知識がない俺に説明をしてくれた。


 アクアラルーン国は水の女神を祀っているだけあって、国土の四割は湖というほど各地に湖が点在しているらしい。

 今回の視察とはあまり関係はないが、刃の女神の恩恵も受けているので、主な産業は鍛冶、その中でも特に剣作りが盛んで他国に輸出もしているとか。

 俺の持っている剣も、もしかしたらアクアラルーン国産かもしれない。


 それはともかく、ティアラが今回招待されたこのレイクビーチは、アクアラルーン国内の一番大きな湖を利用して作られた、言わば大型娯楽施設だ。


 半月状の湖を取り囲むように建設された、ホテルとショッピングモール。

 カジノなどの遊技場も併設されている。


 夜になると湖に生息している魚達が青白く発光を始め、幻想的な光景をホテルの窓から見ることができるという。


 これからは鍛冶以外でも国を発展させようと、本格的に観光事業に乗り出した結果がこれらしい。


 そんな説明を俺達にしてくれた初老の使者は、ホテルに案内したところで「後はご自由にお過ごしくださいませ」と言ってさっさと退散してしまった。


 ティアラは子供の頃から結構な頻度でこの国に来ていたらしく、あの使者とも既に顔見知り以上の仲らしい。

 それを裏付けるかのように、あっちの俺達の扱いも慣れたものだった。


 ティアラに対し、「よそ様のお子様は少し見ない間にすぐに大きくなりますねぇ」と、まるで親戚のような言葉を吐いたのが印象的だった。

 他の国ではこんな適当な待遇はまずされないだろうが、いちいち施設の説明を受けながら興味の無い場所を連れ回されるよりは、断然気楽で良い。


 そんなことを考えている俺が今佇んでいるのは、湖の前の白い砂浜だ。

 そう、湖なのに砂浜があるのだ。わざわざ海から運んできたらしい。

 僅かに潮の香りがするのはこれのせいだろう。


 他の女性三人は着替え中だ。

 ホテルで水着の貸し出しサービスを行っているとのことだったので、急遽泳ぐことになったのだ。


 これは個人的に凄く良いサービスだと思う。俺は予言しよう。このレイクビーチは絶対に長い間繁盛することになると。


 ちなみに、俺は水着に着替える予定はない。

 隣の国とはいえ、いつどこでティアラを狙っている奴が現れるかわからないのだ。

 その『いざ』という時のために、俺だけはいつもの格好で彼女を見守る――。


 ……というふうに三人には説明したのだが、それは表向きの理由だった。


 本当は俺だって水着に着替えて、「キャッホー! 水だ! 冷たいぜイエエェェイ!」とか言って思いっきりはしゃぎたい。

 ティアラと「えいっ」「やったなー」「やん、冷たいっ」などとじゃれ合いながら水のかけ合いっこもやってみたい。

 予期せぬハプニング――即ちポロリも目撃したいッ。


 でも――――。


 俺は確信していた。水着姿になってしまったら、俺は確実にティアラに嫌われるだろうと……。

 理由はあまり具体的には言えないが、まぁその、主に下半身的な意味で。


 空気の違う異国の地、しかも半裸の状態で好きな子の水着姿を見るとか……。


 はっきり言って自分を律する自信がなかったのだ。

 ティアラの前で常に前屈みで過ごす事態にでもなろうものなら、俺は精神的にも社会的にも死ぬだろう。

 だからせめていつもの格好で、何とか気持ちの昂ぶりを押さえていたのだった。


「お待たせー」


 突如聞こえた金髪侍女の声に、俺は勢い良く振り返る。


 ホテルからこちらに向かってくるのは、言うまでもなく水着に着替えた女性三人。

 しかし俺の視線は、真ん中で気恥ずかしそうにしている小さいコだけに集中していた。


 うおおおおぉぉ!

 いよっしゃああああぁぁ!

 きたキタキタああああぁぁ!


 俺は心の中で雄叫びを上げ、何度もガッツポーズを繰り返す。


 妖精だ。妖精は実在したんだ! これが湖の妖精さんというわけですね!

 素晴らしい! 生きてて良かったありがとう人生!


 ティアラが身に着けていた水着は、胸元に二重のフリルをあしらうことで、控え目な胸が目立たなくなるという算段のセパレートタイプだ。

 白を基調としたオレンジ色の水玉模様が可愛い。


 オレンジ色という、普段の彼女からはあまり連想されない元気印な色が、逆に新鮮で良いと思いますッ。

 下の三角地帯にもフリルが着いていて可愛らしさはさらにアップ! 全く隠れていないオヘソが眩しいぜっ! 水の女神はきっとあそこの中に住んでいるに違いないッ。


 ――はっ!? ちょっと待て。オヘソ!?


 俺は慌ててジャケットを脱ぐとティアラの背後に回り、それを肩に被せた。

 体格の小さいティアラなので、俺のジャケットは彼女の膝上までをスッポリと被い尽くす。

 ティアラは突然の俺の行動にただきょとんとするばかりだ。


 うわ、この格好は格好で、何だか扇情的だな……。まるで事後に彼シャツを羽織っているようゲフゲフッ。


 おおおお落ち着け俺。こんな状況で妄想なんかすんな。ここで鼻血を出したら好感度が一気に下落だ。それだけは何としてでも阻止しないと、俺が着替えなかった意味がなくなってしまうっ。


 脳内が色々と大変なことになっているそんな俺に、タニヤが噛み付かんばかりに吼えてきた。


「何をしてるのよマティウス君。せっかくの姫様の水着姿を!? 凄く可愛らしいのに!」

「だからだよ! 女の子が無闇にオヘソを見せびらかしたらいけません!」


 俺は周りをキョロキョロと警戒しながらタニヤに反論する。


 お前らの無駄にデカイ胸ならいくらでも他の男達に見せてもいいが、ティアラだけはダメだ。

 何せティアラは一国の姫だからな。通りすがりの奴が簡単に見て良いものではない。


 要するにこの水着姿は俺だけで堪能したいっ。


 …………あ。しまった。本音が。

 いや、でもこいつらには聞こえてないから別に良いか。


「そうは言うけどマティウス君、私達も女の子なわけだけど?」

「お前らは俺の中では別のナニカなので該当しない」


「失礼ね! この出るとこ出てる魅惑のボディを見ても何とも思わないわけ?」

「思わない」

「即答とか腹立つわー」


 いや、だって本当に何も思わねーし。デカイなぁと思って反射的に目はそっちに行ってしまうけど、生憎お前では心も下も反応しない。


 ちなみに、タニヤの水着は白色のビキニだ。白というのが狙っている感じがして、少しいやらしい。


 もしティアラのことを好きになっていなかったのなら、おそらく俺は今頃鼻の下を伸ばしまくっていたんだろう。

 でも今の俺の目には、もうティアラしか見えないわけで――。


「ま、まぁまぁ二人とも……。けんかはだめだよ。それにタニヤもアレクも、とても素敵だよ」

「ありがとうございます姫様」


 タニヤはほれ見たことか、というようにフフンと鼻を小さく鳴らした後、イーっと俺に対して歯をむき出しにする。

 お前は子供か。


「ティアラ、騙されるな。こいつは年増だから何となく色っぽく見えるだけだ」

「誰が年増よ!? 私はまだピチピチの十代よ!」


「十代でも崖っぷちなわけじゃん」

「いい加減殴るわよ」


「お前ら、こんな場所に来てまで言い争いなどするな」


 ギスギスした雰囲気の俺達に割って入ってきたのは、アレクだった。

 彼女は黒のヒョウ柄のトップスに、黒のショートパンツ型の水着を着ていた。


 タニヤ同様、大きな二つの膨らみがこれでもかと言わんばかりに主張している。

 最初に俺がこいつのことを男と勘違いしていたのが、馬鹿らしくなってくるほどだ。


 何でこいつ、いつもの服を着ると胸が全く目立たなくなるんだろう……。


 そんなことを俺が考えているなどとはツユ知らず、アレクは俺とタニヤを静かな口調で諭し始める。


「せっかく招待されたのだから、一秒でも長くこの場所を堪能しないと損だぞ」

「それは確かにそうね……」


「ということでほら、お前らも気分を変えるために試しに言ってみろ。『わーい』と」

「「わーい」」

「本当に言うとか。しかもハモっている上に棒読み」


 アレクは俺とタニヤを一瞥した後、プッと息を洩らしながら嘲笑した。


 ぐわああああ! すっげー腹立つ!

 普段が無表情なだけにその嘲笑の顔がインパクトありすぎてすっげー腹立つ!


 タニヤも今のは頭にきたらしく、その口元は少し引き攣っていた。


 またしても雲行きが怪しくなってきたその空気を変えようと、ティアラがおずおずと控え目に口を開く。


「あ、あの、みんな。早く湖に行こうよ」

「それもそうですね。ほら行くぞタニヤ。マティウスはしっかり見張りを頼むぞ」


 ティアラに促されたアレクは早速湖に向かって歩いて行き、タニヤもそれに続いた。

 ティアラは俺との距離を少し詰めると、桃色の小さな頭をペコリと下げる。


「マティウス。おへそなんかを出しちゃって……その、はしたなくてごめんなさい。でも、今日だけは許して、ね?」


 そう言うと今度は可愛らしく小首を傾げた。


 いや、あれは俺の本音じゃないから。他の奴にその姿を見せたくなかっただけだ。


 ――などとそんな独占欲から出た言葉だったとは当然言えるはずもなく。

 俺は彼女の言葉にただ無言で頷くことしかできなかった。


 ティアラは続けて「濡れちゃうから返すね」とジャケットをそっと脱ぐと、俺に手渡す。

 再び太陽のもとに晒された白い肌が目に毒だ。


 俺は咄嗟に視線を宙へと逸らすが、今の目の動きは不自然に思われなかっただろうか。不安だ。


「姫様ー、早くー! 冷たくて気持ち良いですよー!」

「うん、すぐ行くよ!」


 既に湖に足首を浸からせたタニヤが手を振ってティアラを呼ぶ。

 相変わらずあいつは行動が早いな……。


 ティアラはそれに手を振りながら応えた後、僅かに首から上を紅潮させながら、かなり小さな声で俺に告げた。


「あの、心配してくれて、ありがとう……」


 そう言うと二人の元へと駆けて行くティアラと、呆然とする俺。彼女が去り際に囁いた言葉が、俺の頭の中に吸収されることなく反芻はんすうし続ける。

 理解できなかったからだ。


 心配って?

 確かに他の男に見られたら嫌だとは思ったが、それは心配というより俺の我侭で――。


 それに今のあの態度は何だ?

 俺の目がおかしくなっていないのなら、照れているように見えたのだが。


 いや、彼女は恥ずかしがり屋なのでそれくらいおかしくはないだろう。でもその照れる要素がどこかにあったか?


 ひょっとして…………ってそれはありえねーだろ!?

 え? だったら今のは何だったんだ?


 答えの出ない自問自答を、俺はしばらくの間繰り返すことになるのだった。

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