第47話 初めての修羅場?

 少し遅めの晩御飯を食べ終えた俺は、自分の部屋で軽く休憩していた。


 この後の予定は兵士用の共同浴室で汗を流し、就寝するだけ。

 既に体に染み付いた、いつも通りの生活サイクル。


 しかし、今日はそのサイクルが乱れることになりそうだ。

 部屋の扉が控え目にノックされたからだ。

 こんな時間に誰だ?


「マティウス。いる?」


 ティアラ!? 何でこんな時間に!?


 疑問が頭に浮かぶと同時に、俺は部屋の扉を開けていた。


 ティアラは、先ほど部屋で別れた時とは違う格好をしていた。

 肩の出た淡い黄色のワンピースは薄手で、ティアラの身を守る物としては色々と頼りない。

 つまり俺にとって――。


 いや、今はよそう。


 彼女は入浴を済ませてきたらしい。全身から石鹸の良い香りが漂ってくる。


「あのね、お話したいことがあるの……」


 何とか聞き取れるほどの声量でそう言ったティアラを、俺はすぐさま部屋に招き入れる。

 こんな所を誰かに見つかったりしたらヤバイ。

 俺達の関係は、アレクとタニヤしか知らないからだ。


 俺のベッドに慎ましく腰掛けたティアラ。

 この部屋には椅子なんて気の利いた物などない。


 ていうか、置いてしまうと移動ができないほどの広さだからだ。

 兵士用の個室は部屋数を稼ぐため、狭い造りになっている。


「それでね、あの――」


 一体、ティアラは俺に何を告げようというのだろうか。


 しかし、なかなか続きを喋ろうとしない。

 緊張しているのか? ていうか、緊張することを言おうとしているってことなのか!?


 もしかして別れ話とか?

 うわ、マジでそれだったらどうしよう……。俺、絶対泣くぞ!?


 しかし、彼女はまだ口を開かない。

 そこでようやく俺は気付いた。

 ティアラの目が、枕元を凝視したまま固まっていることに。


 彼女はおもむろに枕に向かって腕を伸ばし、何かを摘んだ。

 目を凝らして見ると、どうやら髪の毛を摘んだらしい。


 ティアラはその髪の毛を手にしたまま、全く動かなくなってしまった。

 わかりたくはなかったが、俺はその理由が理解できてしまった。


 彼女が持っていたのが、長い、金色の髪だったからだ。


 いちいち確認する間でもなく、その髪の主はもう一人しかいないわけで――。


 タニヤは何かと理由を付けてこの部屋にやって来ては、ベッドにどかりと座る。

 だが「その時に落ちた髪だろう」と俺は言うことができなかった。

 タニヤがこの部屋に来て俺と話をしていることは、ティアラには言っていないのだ。


 十中八九、ティアラは今、俺がタニヤを部屋に連れ込んで何かしたのではと疑っている。

 これはかなりマズイ事態だ。早急に疑いを晴らさなければ。


「……違う」


 しかし俺のその否定の声は、かなり震えたものになってしまった。


 これではまるで浮気がバレてしまった男そのものな反応じゃねえか! 逆効果の予感!


「何が、違うの? だってこれ、タニヤの髪……だよね?」

「あぁ、タニヤの髪で間違いないだろう。でも、違うんだ。ティアラが考えているようなことはしていないし、起きていない」


 唇が急激に乾燥し、動悸が激しくなってきた。


 俺はティアラ一筋だと、他の女なんか眼中にないのだと、心の中では何度も叫んできた。

 だが本人にそれを伝えるようなことは、今までほとんどしていない。

 それこそ、片手で数え足りるくらいだ。


 ティアラはこれまで何があっても、俺のことを信用してくれていた。

 でも今は彼女に信用されていないみたいだ。

 物的証拠があるだけに、それは仕方のないことかもしれない。


 俺に向けられる、疑惑の光を宿した目。

 胸が張り裂けそうなほど苦しい。


「二人でお話していたのは、事実なんだよね?」


 彼女の琥珀色の瞳を、透明な薄い膜が覆い始める。


 ダメだ。

 ここは恥ずかしがっている場合ではない。全て話すしか道はない。


「その……悩みを相談、してたんだ」

「私じゃ、だめだったの? 私じゃマティウスの悩みを、聞いてあげられないの?」


「あぁ、ダメだった」


 ついに膜が崩壊し、涙となって白い頬を伝う。


 最後まで聞いてくれ。泣かないでくれ。

 そんな顔は見たくない……。


「ティアラがどういうことをしたら喜ぶのか、なんてこと、本人に聞けるわけねえだろ……」

「え?」


「俺、その……。今まで恋愛とか全くしたことなくって。何もかもティアラが初めてで……。だから女の子がどういうことで喜ぶのかとか、情けねえけど全然わかんなくてさ。だから時々タニヤに相談してたんだよ……」


 タニヤはこういう話が大好きだ。

 彼女に面白がられていることは俺もしゃくに障るが、両者の利益が一致しているので、互いに利用している。

 だが、それだけにすぎない。


 ティアラはその言葉だけで全てを理解してくれたのか、小さく頷いたあと手の甲でぐしぐしと涙を拭い始める。


 こういう時、できる紳士ならハンカチをそっと手渡すのだろうが、生憎あいにくそんな小洒落た物など俺は持ってはいない。

 手を洗った後は自然乾燥だ! うむ、我ながら惚れ惚れするほど男らしい。


「そう、だったんだ……。ごめんなさい……」

「いや、その――」


 俺も誤解させて悪かった――と言おうとしたのだが、口から出てくる直前で、その言葉達は喉の奥に引っ込んでしまった。


 俺の頭の中にある疑問が湧いたからだ。


 タニヤが最後に俺の部屋に来たのは、三日前。

 その間から今日まで、俺はその枕元に落ちていた金髪に、全く気付かなかったことになる。


 自分で言うのも何だが、俺は結構キレイ好きな方だと思っている。あ、ハンカチの件は別な。


 そして何より、城に仕える侍女達が、昼の間に掃除に入っているはずなのだ。

 今日も間違いなく掃除したはずだ。


 そこから導き出される答えは、おのずと一つだけ――。


 俺はティアラの前に膝を付いてしゃがんだ。そして小さな頭に手を置き、なでりなでりと撫で回す。

 少しだけはにかむティアラ。やっぱり可愛いな……。


 たちまち部屋に広がる和解の空気。

 とりあえず一件落着だ。


 ――と見せかけて、俺は獲物を狙う肉食獣のような心境になっていた。


 気取られてはいけない。

 まったくそちらには興味がないと、気付いていないと、そういう素振りをしないといけない。


 今の俺に必要なのは、演技力と瞬発力だ。


 俺はティアラの頬を両手で優しく挟み、真っ直ぐと目を見据える。

 今から俺が何をしようとしているのか察知したティアラの顔が、瞬く間に真っ赤になった。


 でも、ごめんティアラ。

 この行動は獲物を捕らえるためのおとり的行動なんだ。続きはまた後でな。


 そこでティアラから手を離した俺は、床を強く蹴り、勢いをつけたまま扉を全開にする!


「ふぎゃ!?」


 扉の前にいたタニヤが、まるで動物のような悲鳴をあげて少し飛び上がった。

 まさかいきなり俺が部屋から飛び出てくるとは、思ってもいなかったのだろう。


 それにしても驚愕で浮く人間を、俺は初めて見たかもしれない。


「はいはい容疑者確保。ちゃんと吐けよ?」


 俺に首根っこを掴まれたタニヤは、獣のようにうーと小さく唸りながらも、首を縦に振ったのだった。






「マンネリ感を打破するためにも、恋愛にはちょっぴりスパイスが必要なのよ」


 悪びれもせず、床に正座した金髪容疑者は語る。


 どうやらティアラが俺の部屋に来ることを知っていたタニヤは、俺が飯を食っている時に部屋に侵入し、髪を置いたらしい。


「余計なお世話だ。こんなスパイスなんかいらねー」

「雨降って地固まるって言うじゃない」


 まぁ、確かに今まで気持ちを伝え足りていなかったことは確認できたから、その点では良かったような……。


 でもそれを言ってしまうと、絶対にこいつは調子に乗るだろう。

 俺は眉間に皺を作るだけで、それ以上何も言うことができない。


 しかし、救援は思いがけないところからやって来た。


「タニヤ。私、タニヤを疑いたくなんてないよ。もうこんなことはやめてね……」


 まさかティアラがタニヤに苦言を呈するとは。

 だが金髪侍女は、ティアラの言葉もまったく効いてはいない様子。

 なぜか満面の笑みになった。


「私なんかに嫉妬しちゃうだなんて、姫様も女の子ですねー。もう、相変わらず可愛いらしいんですから!」


 そう言ってタニヤはティアラに近寄り、強く抱きしめた。


 大きなタニヤの胸に顔を挟まれ、苦しそうにむぐむぐと声を洩らすティアラ。

 女性同士のこういうじゃれつきにどういう反応をすれば良いのか、俺はいまだにわからないでいる……。






「それで、結局何の用事だったんだ?」


 タニヤを部屋の外に追い出した俺は、ティアラの当初の目的をやっと質問することができた。


「あの、それはね、その……アレクから、聞いたのだけど……」


 俺が話を振った途端、ティアラはもじもじとし始めた。


 一体アレクからナニを聞いたというのだ……。

 急激に俺の心を不安が襲う。


「マティウス。その、少し、屈んでくれる?」

「――?」


 いきなり何だ?

 でもティアラの言葉通り、今はおとなしくそれに従うしかなさそうだ。


 俺の目線がティアラの目線とほぼ同じ高さになると、彼女は優しく微笑んだ。


「誕生日、おめでとう」


 あ、そういえば……。

 そんなこと、キレイさっぱり忘れていた……。


 祝福の言葉を俺に告げた後、彼女の柔らかい唇が俺の額にそっと触れる。


 瞬時に俺の首から上の体温が上昇するのが、嫌というほどわかったのだった。

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