第十五章 破壊の使 其ノ三
夜遅く、キルシュは速馬を馳せてルクラン領主の館に着いた。館の馬丁がまだ出てきてもいないのに馬を乗り捨て、急ぎ領主の部屋へ向かい、息も整えず扉を開ける。
話には聞いてはいたが、実際に会ってみると面白いほどに自分と従兄はよく似ていた。
違いは紺地に金の飾りのついた一風変わった服と、目の色だけである。
「キルシュアール・スツ・レイブンだ」
勢いよく手を差し出すと、翡翠色の目をした従兄も手を出した。
「クレイユノ・トマ・ティ・ラナイだ」
二人はしっかりと握手を交す。
「さっそくだが君は魔道師なんだな?」
「ラピナでは、魔術師と言うけどね」
「何か見せてくれ。君が魔道師、いや、魔術師であるという証拠を」
「どのようなことが証拠になるか、君が決めてくれ」
「そうだな、じゃあ、あれを動かしてくれ」
キルシュは領主の部屋に飾られたフクロウの剥製(はくせい)を指した。
クリノは一度目を閉じてから呟いた。
「おや、可哀相に」
手にした杖をそっと振ると、剥製のフクロウがぶるぶるっと身を震わせてから両翼を広げた。確かめるような数回のはばたきの後、止まり木を勢いよく蹴って部屋の中を狭しと飛び回り、クリノの腕に止まった。
「すごいな! 生き返ったのか?」
「いいや。魔術で死んだものを生き返らせることはできない。さあ、お戻り」
フクロウは止まり木へと飛んで戻ったが、止まり木をつかんだ瞬間にもとの剥製に戻ってしまった。
「今のは、まやかしと浮遊、呼び寄せの組み合わせだ」
キルシュは目を輝かせてクリノにたずねた。
「そうするとだ、例えば魔術師が戦場にいれば投石機なんて必要ないのか」
「必要ない」
「一晩の内に城を燃やしてしまったり、軍の砦を壊したりすることもできるのか」
「もっとわかりやすく言おう。三日で、トラピスタリア全土が灰になる」
キルシュはその一言で、クリノの言わんとすることを悟った。
部屋の奥で見守っていたルクラン領主が口を開く。
「若君、ラピナはトラピスタリアへの侵攻を決めたそうです」
「……クレイユノ・トマ・ティ・ラナイ、君がここへ来た目的は何だ」
「僕がラピナの進軍をウルファで止める」
「君が一人で?」
「いいや、魔術を教えてくれた師匠と、他にも協力してくれる友が」
「君はトラピスタリアに恨みを持っているのかと思っていたが」
「十七年間、やさしい人たちに育てられた。トラピスタリアは大切な祖国だ」
「その人たちをウルファで救ったのは君か?」
「……その人たちを、ウルファという地獄に追いやったのも僕だ」
「やはりわからないな。ラピナの進軍を止めて、一体君にどんな利益がある。トラピスタリアから追われた君は更に、ラピナをも敵に回しかねない」
「トラピスタリアは大切な祖国だ。どんな目に遭おうとそれに変わりはない。ラピナは祖国を追われた僕を受入れてくれた第二の祖国だ。この二国が戦争することを僕は望まない」
「どれだけ強力な師匠と友人か知らないが、もしも君が今回の侵攻を止めることが出来たとしても、ラピナが本気でティクリートと戦争するならすぐにその次があるだろう」
「今回止めることができれば、その次はない」
「なぜ一国の政治的決定を、君がそう簡単に断言できる」
「僕がラピナの現政権を破壊するからだ。可能であればトラピスタリアの現政権もついでに破壊したいと考えたから、ここへ来た」
キルシュは笑い出した。
「現政権を破壊するって、ずいぶん簡単に言うじゃないか。それに正反対にあるこの国の王権政治とラピナの議会政治、どちらの政権も破壊するのか。君の言っていることはおかしいぜ」
クリノは微笑んで、静かに言った。
「おかしいと思うだろうなあ、当然だ。だが君は、簡単ではないその機会をずっと狙っている。違うかい」
キルシュは笑うのをやめた。
「僕は魔道師狩りにあって、異端審問にかけられて、祖国を追われて、魔術を覚えて、ラピナの軍に入った。そしてウルファでの両国の戦争を見た。
トラピスタリアは外国から見てもおかしな国だ。国の権力者のために罪なき人々が日常的に殺されていく、不条理でおかしな国だ。
でもトラピスタリア出身の僕にはラピナのおかしさもわかるんだ。僕の師匠は、両国のおかしさが今わかるのは、僕だけかもしれないと言っていた。
でも、君だって十分おかしいよ、キルシュアール・スツ・レイブン。はたして僕の計画を打ち明けていい相手なのか疑問を感じる。父の遺したつながりからここの領主殿に辿り着き、君について聞いたが、レイヴン家は貴族の中でも古参の良家じゃないか。何不自由なく育った君がなぜ革命を求める」
しばらく二人は沈黙した。沈黙のレースから先に降りたのはキルシュだった。
「……確かに俺は君の言う通り若君などと呼ばれて何不自由なく育った。でも好奇心から身分を隠して国中を渡り歩いた時、俺に良くしてくれた宿の主人が魔道師狩りに狩られたんだ。もちろん無実だったが、その後どうなったかは君にはよくわかるだろう。その後は王権政治を打倒して議会政治への革命を目指すべきだと思うようになった。この国の王はもう、不条理しか生み出せていない。
だが正直、議会政治への改革を目指す俺には、議会政治国ラピナのおかしさというのが想像できない。だから、俺が目指す形で長らく栄えている政権も破壊するという君を理解できずにいる」
クリノはゆっくりとうなずく。
「ありがとう、よくわかった。でも君はおそらく、打倒を目指しているトラピスタリアのおかしさの根底を知らない。戦争状態のトラピスタリアとラピナには秘密の盟約があるんだ」
「トラピスタリアとラピナに、盟約?」
「そこから話そう。まず、この国の王宮には魔術師がいるはずだ」
「何だって?」
キルシュは身を乗り出した。
クリノはウルファ平原で見た光景と、レリディアに聞き出した話をそのままキルシュに伝えた。
キルシュは唇が血の気を失うほどに、怒りに震えた。
「民の命を、他国の権力者に捧げるだけでなく、残り物を王族が吸い取っている……?」
「王族とは限らない。光暁の賢者は『王宮に送っている』と言っていた。王族に仕える誰かなのかもしれない」
キルシュの心が落ち着きを取り戻すまで、クリノは黙って待った。
やがてキルシュは落ちついた声で、しかし爛々と輝く瞳で言った。
「……クレイユノ、君がこの国に来た目的が、俺がこれから成さねばならないことが見えてきた。次はラピナのおかしさについて教えてくれ」
クリノは魔術と使役される精霊たちとの関係、薬学や医学の稚拙さとその理由、議会という名の下のたった四人の老人による長い専制政治、歴史の隠蔽、そしてトラピスタリアとの戦争は、民の真の利益ではなく一時的な感情を利用した権力者のごまかしのためであることを、丁寧に話した。
どのように話せば、全くその国のことを知らない相手にも伝えられるか。それは全て、師、セルゲイ・キヴィ・シュワルツニコフに学んでいた。
「キルシュアール、君は僕に会っても、剥製のフクロウが羽ばたいても目を輝かせているね。君が理解しているとおり、魔術は邪宗の悪しき技なんかじゃない。職人の技術をもっと素晴らしいものへと発展させ、病に苦しむ人の助けにもなり、暮らしをもっと豊かにできる技だ。
風と話し、水と共に唄って、土と作物を愛でたら、沢山の存在とあたたかい火を囲みたくなる。本来魔術は、そういう技なんだ。
でも使い方を誤ると、今のラピナのおかしさを生む。それは時と権力によって当たり前のことになってしまう。
命を切り裂き、全てを凍てつかせ、愛しいはずの者を押し潰し、国を焼き尽くして地獄を造りだす戦争すら、当たり前になってしまう。やがてその当たり前は、人の命を吸い取る恐ろしい化け物を生むんだ。
君たちが協力してくれるのなら、両国のおかしさを知る僕は、両国の人々に、この星が生んだ魔術の素晴らしさと恐ろしさを同時に伝えてみせる」
クリノの話を聞き終えたキルシュは言った。
「……俺は単純すぎるのか。王家さえ倒して議会政治が始まれば、この国は変わると思っていた」
「変わるさ。議会が、民の心に添った議会なら国は変わる。ラピナもトラピスタリアも変わらなくてはいけないんだ」
「それで、両国の現政権の崩壊か。クレイユノ、理解した」
「ありがとう。僕にはもう一つ、君たちがどうする気なのか確認しておきたいことがあるのだけれど、いいかな」
「何だ」
「グラスタール聖教をどうする気だい」
「痛いところを突いてきたな。俺たち反政府勢力の間でもそれについての意見が割れている」
「そうだろうと思っていた。僕は教会に育てられた敬虔な信者だったんだ。だからもし、反政府勢力が王家だけでなく教会にもその矛先を向けた時の、人々の心が想像できる」
「周りの奴らに散々、『神を冒涜し王家に逆う革命は賛同されない』と言われているんだが、やっぱりそう思うか?」
「おそらくほとんどの人はそう思うだろうね。君はヴァリヒタルの出身?」
「ああ」
「田舎の暮しは、神に祈りを捧げて朝が始まり、眠る前の祈りで一日が終わる。決まった時間の教会の鐘の音に安心し、教会という共同体によって孤独と不安が薄らぐ。それが、人々の望む安らかな暮らしそのものなんだ。
キルシュアール、人々の望みを叶えるのが政治だろう」
「耳が痛いな。ここからの知らせが来るまで、俺は集会で仲間に向かって『教会もまとめてぶっ壊せ』と喚いていたんだ。しかし君は人が好い。君を魔道師と決めて処刑しようとしたおおもとだぜ?」
「僕を捕えたのはグラディスタ神そのものではないよ。それに、トラピスタリアとラピナの国交が開けたら、どうなると思う?」
「悪しき魔道師との国交か……」
「ラピナやティクリートに比べるとトラピスタリアは貧しい。でも今までは一部の人々の豊かさだけが重要視されてきて、国全体が豊かになるきっかけを活用できなかっただけじゃないかと思うんだ。交易を開けば、より優れた作物の種や技術が国内に入ってくる。国が元気になればトラピスタリア独自の農業や技術だって生まれるに違いない。それは人々の生活にとって悪いことじゃないはずだし、人々の暮しが変われば、その生活に密着している宗教も、少しずつ変わると思うんだ」
「……人間が、神を変えるのか」
「それはおそらく、今までも歴史の中で行われてきている。きっとグラスタール聖教だって、国教になる前は魔道師なんて狩れる力はなかったんじゃないかなあ」
キルシュは、この自分によく似た、そして自分とは全く違う生き方をしてきた従兄と、ずっと語り合っていたいと感じ始めていた。
「それから、キルシュアール」
「キルシュでいい。俺もクリノと呼んでいいか?」
「もちろんだよ。キルシュ、どうか人々の望みに基づいた革命を。トラピスタリアの領内に入ってここへ来るまでに見た街は、どこも飢饉に喘いでいた。これ以上田畑が焼かれたり、家畜を失ったり、家族を亡くすことを、人々は望まない」
「わかった。そう努めるよ。
でもクリノ、どうやら俺は君より小狡い。ラピナの魔術師軍を君がどう止めるのかも見物だが、この国の変化のために利用できるものは、いくらだって利用させてもらうぜ」
クリノは笑って言った。
「望むところだ。大いに利用してくれ」
「よし、革命の時だ。古狸どもの尻を叩きに行こうぜ」
それからの二十日間、二人は共にトラピスタリア国内を縦横無尽に駈け巡った。
後の世に遺っているキルシュアール・スツ・レイブン卿の回顧録には、「旅の目的を思えば不謹慎ではあるが、人生の中で最も楽しい旅であった」と記されている。
二人の邂逅から数日後、ラピナからトラピスタリアへ使者が訪れた。使者はウルファ平原の城壁の向こうでの会談を求めるが、トラピスタリアはそれを拒否。
翌日、光り輝く矢文がラピナのウルファ基地から放たれた。それは平原を一飛びに越えて、ベダリウ壁に当って落ちた。
文の内容は、宣戦布告であった。
それまで軍駐屯地としての役割を果たしていなかったウルファは一転、トラピスタリア兵で埋め尽くされた。しかし、魔道師相手の戦争は勝ち目がないと士気は低かった。
魔道師狩り全隊も軍に吸収されたが、ラピナの国軍相手に狩りの技術は役に立たないと、隊長のタキムは匙を投げてウルファに来なかった。
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