第十五章 破壊の使 其ノ二

 クリノを乗せたハクビは黒牙森へ降り立った。

「トラピスタリアへ行くのではないのか」

「うん。ハクビ、教えてほしいんだ」

「何だ?」

「光魔術を使う者と、闇魔術を使う者、それぞれの本拠地ではない場所なら、魔力を弱めると一緒にいられる?」

「いられる。どちらか又は両方が魔術を使えないほど死に損なっていればな」

 クリノは覚えていた。ラピナ魔術創史について師にたずねた際、二賢者が「共に破壊使を撃つ」には一緒にいなくてはならないと疑問を持ったクリノにセルゲイはこう言ったのだ。

「どちらの魔力が落ちていたか、どちらかが瀕死の重症で既に結界が壊れていた可能性がある」

 心配するなと言っていたが、師セルゲイはかつての恋人レリディアに瀕死の重傷を負わせたりはしないだろう。クリノを閃燿の城に運ぶ際にに負った魔傷は、本拠地とはいえレリディアを傷つけないよう配慮したに違いない。

 方法はわからないが、師ははラピナ魔術創史の『とどこおりし土地』で調定を結ぶために、再び自らの体を死の近くまで傷つけるつもりなのだろう。

「ねえ、光と闇と四霊司の調定って、次の千年にどうしても必要なのか?」

「必要だ。あれを調定と呼ぶのは人間だけだがな」

「人間以外は何て言ってるんだ」

「『くくり』と言っている」

「ずいぶん違うんだな」

「違っているのは人間だけだ。人間は光と闇を増大する力を他のどの存在よりも使いたがる。だから四霊司でその術を引き継ぐ者を、千年に一度括るのだ。そうしなければ星が傷つく」

「ハクビと話していると、時々人間に生まれたのが恥ずかしくなってくるよ。括られる光と闇、どちらかが死に損なう以外に、両者が立ち会う方法はないのか?」

「戦ってそれぞれの結界を壊してしまえばいい」

「結界というのは、無意識のうちに光魔術、闇魔術を使う者が望まなくても張ってしまう結界のこと?」

「そうだ。戦えば壊れる」

「それってやっぱり死に損なうってことじゃないか」

「そうなる場合もある」

「それじゃ駄目なんだ。師匠とレリディア様を戦わせたくないし、戦わせてはいけない。どちらかが一方的にやられるのも駄目だ」

「そうしないと長年かけて無駄に結界を強めてきたあの二人は一緒にはいられない」

「無駄に?」

「光魔術、闇魔術は使えば使うほど自然に張られる結界が強くなる。あの二人は人間同士の殺し合いに魔術を使い続けたせいで結界が強くなりすぎた。長く離れていたので壊し合うこともできなかった」

「じゃあ、一度結界を壊したら、その後は無駄に魔術を使わなければ今のような状態にはならない?」

「ああ。多少魔術を使ったとしても常に近くにいて結界が弱いうちに互いに壊してしまえば魔傷を負うようなことはない。本来、光と闇は離れることない背中合わせだ」

「ということは……二人が一緒に居合わせる前に、どちらかの結界が壊れていればいいのか」

「そうだな、だが光は闇、闇は光でしか結界を壊すことはできない」

「……結界の壊れた片方が弱っていても、もう一方の結界を壊す方法はないかな?」

「結界が壊れた死に損ないでも、光は光、闇は闇。もう一方に直接触れれば相手の結界を内側から壊せる」

「よくわかったハクビ。ありがとう。僕を黒牙に会わせてくれ」

 霊司ユニコの耳が、片方だけピクリと動く。

「黒牙に、会ってどうする」

「闇になる」

「契約するのか」

「ああ」

 ハクビはまるで人が言葉を探すかのように、英知に輝く黒い瞳を瞬かせた。

「クレイユノ、黒牙は俺たち四霊司とは違う。俺たちは生まれたばかりでお前に会った。カルヤンは長く生きたがお前に借りがあった」

「ハクビ、心配してくれるんだね、ありがとう。でもハクビが僕の友になってくれたのは、生まれたばかりだったからじゃないだろう?」

「……」

「もし、今初めてハクビに会ったのだとしても、僕はやっぱり友になりたい」

「長く生きている魔霊は老獪だ」

「それは人間も同じだよ」

「お前には黒牙と対等にやり合える狡猾さがまるでない」

「人間が分け入るのを怖れる森の主なんだろう? 老獪で残虐だったとしてもそれだけでずっと森を治めることはできないはずだ」

「……だとさ」

 そう言ってハクビは振り返り、立ちふさがるようにクリノを背にして前方に黒い瞳を向けた。

 ハクビの前の木立が風もないのにざわめく。動けぬ草木が自ら必死で道をあける。そこを黒い何かがやって来る。黒い炎のようにその体の表面が波打って揺らめいた。

 現れた姿を見てクリノは思わず感嘆の声を上げる。黒牙は、山のように巨大な狼であった。

「クレイユノ・トマ・ティ・ラナイです」

 黒牙はクリノとハクビを見下ろして言った。

「ユニコが俺に喰わせたくない人間。なぜ、俺との契約を望む」

「他の人間と同じく力を得たいため」

「その力を何に使う」

「人間が築いてしまった、世界のとどこおりの破壊」

「人間の手で破壊すればいい」

「それができるのならあなたとの契約を僕も望まない。新たなる千年の豊穣は、人間だけを豊かにする訳ではないはずだ」

「豊かでなくても、森があれば我等はそれでよい」

「……森は、生きていられるだろうか」

「何?」

 ハクビの耳はぴたりと頭に貼り付いていて、毛は逆立ち続けている。

 だが今までも、クリノは自分よりも力を持つ者に対し、一切の小細工をせずにそのままのクリノであった。

 やさしき人々に育てられた自分。偉大なる師に導かれた自分。父に愛されていた自分。ハクビやギンビ、グノムスという友を得た自分。そしてサヘリア家やレリディア、わずかな時間を共に過ごした人々に支えられている自分。

 自分の存在。それだけが今も、この先も、唯一不変のものであると旅を通して知り続けてきた。

 今も巨大な狼に、自分の思いを、考えを正直に伝えるつもりしかない。

「黒牙、人間は愚かな生き物だ。戦争を起こして、互いの国を滅ぼし、屍の山を築き続ける生き物だ。それはどのように時が進んでも、たぶん、変わることはない。そして人間は浅はかだ。

 今まさにラピナとトラピスタリアが戦争を始めようとしている。始まってしまえばその先はラピナとティクリートの戦争になる。

 三国に接するこの森が戦渦に巻込まれず、魔力を求める僕以外の人間が、あなたの使役を求めてこの森を焼き払わないと言い切れるか」

「お前の利益は、俺とこの森の利益と言うか」

 クリノはうなずく。

「次なる千年が豊穣であれば、人がこの森を焼く可能性は少なくなる」

 黒牙の深く黒い目が、クリノをじっと見ている。

「契約と言ったな。お前は俺を捕えて使役しようとは思わないのか」

「無理だろう。僕よりもあなたの方がずっと偉大な力を持っている。あなたは闇の力が強い。だからその名は闇の色、黒牙」

「……契約によってお前が得たい力とは、どのような力だ」

 クリノが望む力について黒牙に話すと、巨大な狼は首を横に振って言った。

「それだけの力を与えるには、ただの契約では難しい。一夜契約の方がいいだろう。一夜の内に互いの望みを叶え合う。叶わぬ時は共に死す」

「一夜あれば十分だ」

「そしてその契約によって、俺はかなりの魔力を消耗する。対価としてお前は何を差し出す」

「実は契約は初めてなんだ。何を差し出せばいい?」

 黒牙はぐいとクリノの顔をのぞき込んでいった。

「……お前、良い色の目玉を持っている」

「黒牙」

 ハクビが改めてクリノと黒牙の間に割って入った。

「目玉は、持ち主から離れるとその色を保てない」

「ユニコお前、クレイユノ・トマ・ティ・ラナイの目玉をかばっているのではないだろうな」

「黒牙に嘘を言って、俺の千年を逃げ回るだけの千年にするつもりはない」

「わかった。では、闇を与える代わりにお前の全ての光を差し出せ。契約を果たした暁には俺はその光で魔力を癒やす」

 クリノはいささか拍子抜けして言った。

「なんだ、命を差し出せって言われたら困るなあと思っていたけれど、そんなことでいいのか」

「お前が望む時にいつでも一夜契約が結べるよう、俺はお前の体の中に捕らわれてやる。お前の光、今すぐ差し出せ」

「ああ、かまわないよ」

 黒牙がその巨大な体を躍り上がらせたかと思うとクリノは真っ黒な炎に包まれた。炎はすぐに小さくなり、クリノの心臓の上からすっと、体の中に入っていった。



 クリノがカルヤラを発った翌朝早く、至急の用件としてアミ・サヘリアはセルゲイ・キヴィ・シュワルツニコフからの手紙を受け取った。

 長く、丁寧に書かれたその手紙はアミが読んだ端から文字が消え失せる。手紙の内容にアミが賛同しなかった場合、今後のセルゲイの行動にサヘリア家が関与していた証拠を残さないためのまじないであると、アミは読みながら理解した。

 読み終えて白紙となった便箋を、もはや差出人の名も宛名も消え失せた封筒に戻しながら、サミを呼んだ。

「お母様、早くからどうなさったの」

 アミは、いつもの穏やかな朝と変わらない微笑みで言った。

「サミ、杖を持ちなさい。そしてこれより私の行いを全て記憶なさい。代々、女によって継がれてきたサヘリア家の在り方をあなたに伝えようと思います。その途中で、あなたが思う正義に反する者があれば迷わず杖を振りなさい。どのような魔術でもかまいません。母が許します」

「……わかりました。身支度して参ります」

 一言ずつを噛み締めると母は大変なことを言っているのだが、五百年以上続くサヘリア家にとってみれば、いつもと変わらぬ朝、ということなのだろう。母はどこか、これからの行いを楽しみにしているようにすら見える。

「まずはそれぞれの議会議長の家を回ります。さあ、忙しくなりますよ。すべてはこの国の男が皆、揃いも揃って無鉄砲なせいです」

 セルゲイからの消えた手紙は、こう締めくくられていた。


「全てが終わった時、私の姿がこの星に在らぬ際はどうか、クレイユノ・トマ・ティ・ラナイの後見となって頂きたく臥してお願い申し上げる。

 セルゲイ・キヴイ・シュワルツニコフ」 

 



 その頃、セルゲイは大四司議会堂へ向かおうとしていた。

「お供をするわけには、参りませんか」

 黒猫はセルゲイを見上げて問うたが、一蹴された。

「足手まといだ」

 クリノからの手紙はまだ、主に渡して欲しいと言われた時ではない。だが守護精霊が主の覚悟を知りながら守りにつくのを許されぬとは。

「黒猫」

「はい」

「この学舎まなびやを守るのがお前の役目だ。わが弟子が成すべきことを成した時、学舎は本来在るべき姿となる。それを託せるのはお前だけだ」

 主の一番の望みをかなえるという役目に、黒猫は黙って主の背を見送るしかなかった。

 

 カルヤラの中心に、大四司議会堂がある。

 四つの尖塔の中心にドーム型の大きな建物があり、その最上階へとセルゲイは向かった。

 光暁の賢者、レリディア・レビオルは昨晩カルヤラからウルファへ向かった。争いから遠ざけるために戦場へ向かわせる、この事態は弟子の言う「おかしな国」の姿を現していると思う。

 かつて初めてここへ来た時は広々とした議会堂に心が躍ったが、今はこの広さを虚しく感じる。だがこの先の自分の成すべきことと弟子の希望を考えると、広々としていて良かったとも思う。

「シュワルツニコフです」

「来たか」

 大四司が囲む議事を行うには広すぎるテーブル、その上には近隣国の地図が広げられていた。様々な色形の駒が軍の配置として置いてあり、南方以外はトラピスタリアの先、ティクリートに向いている。

 火の司が言った。

「お前には後発の対ティクリート軍を率いてもらう。それまではカルヤラと南方の軍備に抜かりがないか大将たちとの……」

 何もかも、わかりきった予想通りの指示であり、それ以上聞く必要はないと思った。

「提言がございます」

 突然火の司の言葉を遮ったセルゲイに他の三司も驚いた様子を見せたが、そのまま言葉を続けた。

「今すぐ、進軍の撤収を」

「……何を言っている」

「貧しいトラピスタリアに攻め込んで何になりましょう」

「その先のティクリートとの戦いに備えるためだ。今さらどうしたと言うのだ」

「ティクリートの先はいかがされる。南方諸国とはどのように戦われる。怖れながら、四司皆様揃って霊を逃されたとか」

 風の司がセルゲイをにらむ。

「シュワルツニコフ」

「この戦争が果たして国民の利益になりましょうか」

 水の司が声を荒げる。

「黙れ!」

「今の国力を、まずは国内のために有効活用すべきです。

 例えば裕福な家の子だけが優遇されている教育制度の改革と学校の設立。戦争で傷ついた兵士がまともな治療を受けられる医療制度と病院の増設。医療技術や知識の公示。

 これらの充実こそが今、ラピナの国民に必要なのではありませんか」

 大地の司がテーブルを叩く。

「国内は平穏である。今こそ国外へ向けて我が国の力を示す時と他の四議会も合意した!」

「合意? 操作された合意などに意味はありません」

 火の司が席を立ってセルゲイに向かって来る。

「シュワルツニコフ、気は確かか」

「はい」

「しばらく病に伏せっていたと聞く。顔色も優れない」

「お気遣いありがとうございます。十分に回復致しました。この国の薬学と医学は幼稚でありますが、幸いにして健康を取り戻しました」

「まだ具合が悪い様子だ。戦はレビオルと軍に任せて下がっておれ」

「トラピスタリア進軍に固執するのは転換期に使役するべき霊を逃し、天変地異の災いを招いた責任の転嫁だと、民が気付いていないとでもお思いか」

「……シュワルツニコフ、帰るがよい。下がって命を待て」

 初めからこの四人の老人を説得しようと思っていなかった。言葉を尽くしてもわかり合えぬ人間も、存在する。

 トラピスタリアへ行くと言い出して好都合だった。自分が成すべきと考えていることを知ったら、優しきあれは心を痛めるかもしれない。

「二十年前、私も、レビオルも、そしてラナイも幼く若かった。あなた方を畏怖(いふ)し、尊敬もした。しかし、民には伝えられぬ薬学と医学を独占し長生きした所で、改ざんされた歴史の上に胡座あぐらをかいているとも知らぬあなた方は、一体何でありましょうか。怖れるに、足りませぬ」

 クレイユノ、紛争なしに国を滅ぼすのはひどく難しい。私にはそのような器用な真似は出来はしない。だが、お前が祖国をどう動かすか楽しみでならない。

「シュワルツニコフ、闇夜の賢者の任を解く」

「望む所です。しかし、私もただ任を解かれにやって来た訳ではありません」

 お前が内戦を望まないと言うので、他の人々を傷つけぬようこの大きな議会堂を『逆さ結界壁』で覆い尽くすにはずいぶん苦労したぞ。クレイユノ、できうる限りお前の望みを叶えよう。無力な師は、この四人と我が命をもって国政を滅ぼす。安心しろ、ウルファへは指一本しか遺らなかったとしても、魂を乗せて必ず行ってみせる。

「火の司、風の司、水の司、大地の司、やはり怖れるに足りませぬ。攻撃魔術の基本は闇であることお忘れか?」

 セルゲイと四司、五人が同時に杖を振った。

 この後二十日間にわたってこの議会堂の中だけで続いた死闘を、後の人々は「シュワルツニコフによるラグナレク最終戦争」と名付けた。

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