賢王記外伝 闇夜の想い語り
~記せぬよう呪いが込められ、わずかな語り部だけがひそかに伝える、ある夜の物語~
静まりかえった平原には、焼け焦げた死体と、放り出された木刀や盾が転がっている。
雲が夜の暗さを更に重くしていた。
ラピナの哨兵が土と人の焦げた臭いとその光景を見るのに飽きた頃、黒い翼を広げた男が一人平原に舞い降りた。
哨兵から見える光景を自分の姿のないまやかしの景色に変え、翼をたたみ平原を見渡す。
見渡した平原の中に、セルゲイ・キヴィ・シュワルツニコフは不自然にこんもりとした盛り土を見つけた。側へ寄り、手を当てる。
「グノムスに感謝しろ」
杖を振ると、土はぱらぱらと流れるように崩れ、中から火傷を負い、気を失っているクレイユノが現れた。
「私の弟子たる者が何という様だ。しかし、あれだけの人数を一度に……軍人である前に、よく人間であり続けた。よくやった、よくやったぞクレイユノ」
師からの初めての褒め言葉を、クレイユノは聞くことができなかった。セルゲイはクレイユノをその肩に担ぎ、黒い大きな翼を広げて舞い上がる。
光暁の賢者レリディア・レビオルはただならぬ気配を感じて目を覚ました。素早く光り輝く杖を手にした時、ドアをノックする音と低い男の声が聞こえる。
「レリディア様」
「わかっている。かがり火を焚け」
レリディアはこの気配の正体を知っていた。しかしその者がここへ現れるはずがない。
一体何が起きているのか。
千年に一度の転換期、その終末を迎える時である。警戒心は高く持っていた。戦衣に着替えて白いマントを羽織り、城の外へ出る。
夜でも白く輝く城は周辺の森を明るく照らしている。闇の訪れない暮らしに少女の頃は戸惑った。「セルゲイは常に闇の中にいる訳ではないのに、なぜ私は」と不平を言ったこともあったが、大四司に役割の違いを説かれ慣れるしかないと諦めた。
二十年経った今は、城から離れた場所にいると自分の影にすら心乱される。
明るい森の中にも外にも、更にかがり火を焚くよう命じた。
「白虎」
「はい」
音もなく、白髪の大きな体躯の男が姿を現してレリディアの側に立った。
「紅鹿は」
「カルヤンを見に行かせました」
うなずいて、気配の方向を探る。上空からこちらへ向かっていた気配が、ゆっくりと地に降りたのがわかった。
「やはり、影多き森に降りたか。いくぞ」
白髪の男を従えてレリディアは歩き始めた。
セルゲイは森に降りた。
城の結界を破ったのが自分であると相手は既に気づいているに違いない。十年前、同じように森に降り立った時を思い出していた。
肩に担いだ弟子の重さもあるのだが、結界を破った際の魔力の消耗と、無数のガラスの破片にさらされたような体の傷に息が上がる。
それでもセルゲイは森の奥の輝く城に向かって歩き始めた。何としてでもその者に会わなくてはならないと、重い足取りを進める。
「そこで止まれ!」
懐かしい、美しく厳しい声が響いた。
セルゲイは足を止めて頭を垂れる。
「レリディア・レビオル、領内を犯したこと、まずは詫びたい」
森の中に沢山のかがり火が焚かれている。
「再びお前だとは思わなかったぞ、セルゲイ・キヴィ・シュワルツニコフ。一体何用だ」
遠くにレリディアが姿を現した。白い虎を従え、ブロンドの髪が風になびく。遠すぎてその顔を見ることができない苦しさは、十年前と変わらぬ思いだった。
「光暁の賢者よ、どうしても聞き入れてもらいたい願いがある」
「願い?」
セルゲイは気を失ったままの弟子を担いだ肩からおろして抱えた。
「私の弟子を、救っていただきたい」
「……」
レリディアは困惑していた。
セルゲイはレリディアを傷つけぬよう、自分の力を極力弱めて城の結界に入り込んでいる。セルゲイ自身が死ぬ可能性すらあるにもかかわらず、弟子を救いたいという言葉が人嫌いだったセルゲイの口から出たのに、驚いていたのだ。
セルゲイは言葉を続ける。
「噂を耳にしているかと思うが、これはトラピスタリアの出身だ。魔術は私がたたき込んだ。素質も十分過ぎる程だ。そして、薬草学に詳しい」
「……それで」
「ただ、性質が純朴すぎる。一度は軍に入ったが、人を殺すのに向いていない。トリエルのような英雄にもなれぬだろう」
意外な人物の名がセルゲイから発せられる。レリディアは更に戸惑った。
「これを、どうしても私は救いたい」
「なぜ」
なぜ、と問われて、セルゲイは初めて自分がここまでしてこの弟子を救いたい理由を知った。
「……この者と過ごした時間は私にとって、二十年ぶりに、楽しき歓びに溢れた時間だった」
セルゲイは抱えたクリノを、そっと地に寝かせた。
「探求心に溢れ、人間だけではなくこの世界そのものを愛する心を持った者だ。もし、これが望み、あなたが許すなら、ここのように静かな場所で生きるのも一つの道であると思う」
再び頭を垂れ、セルゲイはクリノから一歩下がった。
「救いたい弟子を、手放すというのか」
「……私の孤独を埋めるために、この者の生はあるのではない」
セルゲイは更に一歩下がる。
「この国で一番の薬事と医学の知識を持つレリディア……どうか……――クレイユノ・トマ・ラナイの命を助けて欲しい」
セルゲイの最後の声は小さく、レリディアにははっきり聞き取れなかった。
セルゲイの姿は、森の木々の陰の中にふわりと消えた。
一羽の黒い鳥が森から夜空へ飛び去ってゆくのをレリディアは見ていた。
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