上の村 ③

「服を着なさい。」

私は、すがりつき泣く真理子の体を引き離した。

美しく潤んだ瞳が見上げたが、あえて目をそらして頑なに拒んだ。

心とは裏腹に熱を帯びた私自身はまだおさまりそうもないが、この女を抱くわけにはいかない。

狂っている。こんな場所につれてきて、いきなり自分を抱けだなんて。

いかれている。誰でもその美貌にほだされると思うなよ。バカにするな。

企画モノのAVかよ。

私は、強く拳を握った。


背を向けた私の後ろで諦めて服をまとう真理子の衣擦れの音だけが響いていた。

服を着終わった合図のように、真理子が口を開いた。

「すみません。突然、失礼なお願いをして。」

振り向くと、青ざめた顔で真理子は震えていた。

恥をかかされた怒りで震えている様子ではなさそうだ。


帰る道すがら、私達は一言の言葉も交わすことはなかった。

私は、真理子の家に着くと、すぐさま携帯電話をとりだした。

この村の連中が、ここから出さないということであれば、自分で帰るしかない。

どうやら、この村にはバス停がない。どんなにお金がかかっても良いから早くこの村を出たい。

その思いで、私は携帯のロックを解いて、タクシーを呼ぼうと思った。

圏外。

予想しなかったとは言えないが、さすがにこの現実には絶望した。


「こうなったら、君に責任を取ってもらう。明日の朝早く、まだここの連中が寝静まっている時に、私はこの村を出る。車の鍵を渡してもらおうか。」

私は、真理子に迫った。真理子は言いにくそうに、口を開く。

「無駄だと思います。先生だけでは、この村を出て行くことは出来ません。」

「じゃあ、君が案内してくれ。」

「私は、明日には生贄になるので、行けません。」

私は呆れた。

「まだそんな非現実的なことを言っているのか?生贄だなんて、そんなことがこの国で許されるわけないだろう。」

「本当です。ヨグ=ソトースの召喚の呪文を唱える時は知的な生物を神に捧げなければなりません。

私は、捧げ物となるのです。」

埒が明かないと思った。狂人に何を言っても無駄なのだ。

「そうか、わかった。それでは、君の望みどおりに、君を連れ出してやろう。

生贄になる前に、君を助けてやる。村の連中も、寝静まっている時は追ってはこないだろう。」

真理子の顔に一瞬、希望の表情が浮かんだ。

いいぞ、その調子だ。

「でも、私は、きっと連れ戻されます。」

「君は、村を出たら、誰かと交われば良い。村の男以外だったら誰でもいいんだろ?」

私がそう言い放つと、真理子の瞳から涙が溢れてきた。

少し、言い過ぎたか。


「私、先生が、好きです。」

「そんな言葉には騙されないよ、悪いけど。」

「本当です。先生の著書を読んで、そのお人柄に惹かれました。何度も何度も、あの本を読み返しました。星に対する、純粋な気持ちに心打たれました。」

そう言うと、机の引き出しからボロボロに擦り切れた、私のただ一冊の著書を出してきた。

私のファンであることには間違いないようだが、初対面の女性を愛することができるほど、私は若くない。

「とにかく、私は、この村を出る。協力してくれるね?」

真理子は静かに頷いた。


私と真理子は何事もなかったかのように、その晩、真理子の家族と食卓を囲んだ。

こんな人の良さそうな顔をして、私を新興宗教に引きずり込もうとするなんて信じられない。

しかも、監禁まがいのことまでして、どんなカルトなんだろう。

この出来事を、書くのもいいかもしれない。

真理子の気持ちを思えば、心苦しいが、私をこんな場所に連れてきて、巻き込んだことは、やはり許せない。

食事を終えると、私は、家族が寝静まるのを待った。


家の全ての灯りが消え、ようやく家人が寝息を立て始めたころ、私は真理子の部屋へと足音を忍ばせて近づいて行った。彼女を連れ出し、道案内をさせ、この村を出るのだ。次元の裂け目など、そんなものはあり得ないが、正直、山の中で迷うのはごめんだ。こんなことなら、真理子に連れてこられる時に、ルートを覚えておけばよかった。


私は、真理子の部屋の襖をそっと開けた。

すると、私の目に衝撃的な映像が飛び込んできた。

大きな祭壇には、何本ものろうそくが立ててあり、祭壇の最上部には、全裸の真理子が横たわって、手足を縛られていたのだ。

「ど、どうしたんだ!なんで、こんなことを。」

真理子はとめどなく涙を流していた。

「私達が逃げ出すことは、もう気付かれてました。だから、私は、逃げられないように拘束されたんです。」

馬鹿な。この近代社会に生贄というような、バカげたことが本当に行われるなんて。

私は、真理子の駆け寄り、真理子の手足の拘束を解いてやった。

「ダメです。先生。あなたまで生贄にされてしまいます。逃げて、先生。」

私は、哀れな少女を抱きしめた。

「逃げるぞ。」

私は、真理子の手をかたく握る。


ざざざざ。

その時、廊下から、物音が聞こえた。

ざざざ、ざざざざ、ずぞぞぞぞぞ。

何者かが、廊下を這い回るような音。

そのうち、全ての襖がカタカタと小刻みに揺れだした。

私は恐ろしさに固まっていると、真理子が震える声で囁いた。

「・・・見つかってしまいました。」

その刹那、襖から黒く鋭いものが、バリンと音を立てて突き出してきて、寸でのところで、私の手の皮一枚をかすめた。

「・・・っつ!」

手の甲から、生暖かい血が滲んだ。

その直後、襖は大きな音を立てて倒れ、襖の向こうに何か巨大な黒い影がいくつも並んでいた。

ろうそくの炎にぼんやりと、その輪郭が浮かぶ。

「えっ!」

私は思わず、叫んだ。

その姿は異形の物。黒く光る、鋼のような楕円形のフォルム。頭には触覚が生え、足は無数に動いている。

昆虫のような羽根を持ち、それは太古よりこの地球にはびこっている、嫌われ者の姿をしていた。

何頭ものそれが、わしゃわしゃと私達に迫り、間合いを詰めてきた。

「ひぃぃぃぃっ!」

私は、あまりのおぞましさに後ずさり、悲鳴をあげた。

私の手を掠めたのは、どうやら、この異形の物の、鋭い顎のようだ。

ゴキブリのようでもあり、顎の様子は、ハンミョウのようでもある。

信じられないことだが、今は逃げるしかない。

私は、真理子の手を引くと、一目散に、反対側の縁側から庭へと飛び出した。

車に真理子を引っ張り込み、鍵をかけるとエンジンをかける。

なかなかエンジンがかからない。

「くそっ!」

私が、ハンドルを叩くと、追い着いて来た異形が窓に張り付き、鋭い顎で窓を叩き割ろうとしている。

「なんなんだ!こいつら!」

「シャンの僕たちです。彼らは従順な僕。神の力には逆らえません。」

諦めたように真理子がうなだれる。ごめんなさい、ごめんなさいと繰り返し、泣くばかり。


「諦めるのはまだ早い!」

私は必死にエンジンをかける。

ピシッ!

窓ガラスにヒビが入り、あっという間に硝子が飛び散ってしまった。

異形の刺々しい足が私の腕に食い込んだ。

そのとたん、ブルルンとエンジンがかかった。

私は、アクセルを目いっぱい吹かすと、異形の足が私の腕の肉をわずかにえぐり、激しい痛みを伴った。

異形の物を振り切り、私は車を急発進させ、村を爆走した。

バックミラーには、信じられないようなスピードで、異形が追いかけてくる。

飛んでいる物もいる!

私はさらに、アクセルを踏み込む。


ガチャン!

飛んでいる一匹が屋根にはりついた。

私は、ハンドルを滅茶苦茶に切り、そいつを振り落とそうとした。

何度か蛇行して運転しているとようやく、ゴトンとその異形は道路に叩きつけられた。

ヤバイヤバイ!なんなんだ、この村は!


車を走らせていると、山の頂上が突然、大きな光に包まれた。

それを見て、真理子が恐怖におののいた顔で叫んだ。

「神の怒りに触れてしまいました!生贄の私が逃げてしまったから。

私たちは、滅ぼされてしまう!もう終わりだわ。終わりよ。」

真理子はさめざめと泣き出した。


光は徐々に巨大になって行き、とうとう村全体を包むほどの大きさになり、強烈な爆発を起こした。

私達の車が、宙を舞った。


ああ、私は、これで人生を終えるのか。

こんな所で。

今までの人生のシーンが走馬灯のように駆け巡る。

さようなら、父さん、母さん。先に行く親不孝をお許しください。


気がつけば、私は、駅の駐車場でハンドルに突っ伏していた。

私は、長い夢を見ていたのか?

私の頬をぬるい風が撫ぜた。

運転席の窓ガラスは割れている。

そして、隣には全裸で気を失っている真理子が横たわっている。

夢じゃなかったんだ。


「大丈夫か?」

私は、真理子の肩を揺さぶった。

すると、真理子はゆっくりと目をあけた。


「良かった。無事だったのか。」

私は、心から彼女が無事だったことを喜んだ。

もうこんな目に遭わされた恨みなど、吹き飛んでいた。

彼女は嗚咽して私にしがみついて泣いた。

私は、車の中で、彼女の髪の毛を撫で続けた。


私は、真理子に自分のコートを着せて、その車を離れた。

こんなところで職務質問にあったら厄介だ。


私達がなぜ、助かったかはわからない。

真理子が言うには、アザトースの怒りのエネルギーにより、次元の外にはじき出されてしまったのではないかということだった。恐らく、あの村は全滅してしまったのだろう。

真理子にもう帰る場所はない。

私は、その夜、真理子を抱いた。

きっと、これは運命だったのだ。


しばらくして、真理子が妊娠した。

私は、この年になって、子供を設けることができるなど思ってもみなかったので嬉しかった。

一生、結婚しないだろうと思っていたが真理子の妊娠を機に結婚した。


そして、私は今、真理子の出産に立ち会っている。

「お父さん、もう少しで出てきますよ。お母さん、頑張ってね。」

苦しそうな真理子の背中をさすってやる。

「がんばれ、真理子。もう少しだぞ。」

「んんんんっ、うぐぅぅうぅぅぅーーーーひぎゃあああああああ!」

真理子の絶叫とともに、医師も何故か驚き、絶叫した。

「ぎゃああああ、何だこれは!」

医師の叫びに、私は思わず、真理子の足の間を見た。

そこからメリメリと音を立てて、真っ黒な頭と触覚が、真理子の肉を裂いて這い出していた。

私はあの恐怖を再び思い出していた。あの異形だ。

真理子の肉を裂き、血まみれの黒い塊から、鋭いあごが飛び出して、医師の喉下に喰らいついた。

医師の首からはおびただしい血が、噴出し、私の顔を濡らした。

「わあああああああ!」

真理子は完全に白目を剥いて、意識が無い。

慌てて外に出ようと振り向くと、私の喉元に熱い何かが突き刺さった。


そこには、看護士が立っていた。

看護士の口は耳元まで裂け、中から黒く鋭い顎が飛び出し、私の喉を切り裂いていた。

その看護士の胸の名札には「上(シャン)」の文字が。

遠ざかる意識の中、生まれた異形に食われる真理子の姿を見た。


真理子、すまない。

君を護ってやることができなかった。

きっともうこの世界は終わるのだろう。


世界中に、緑の隕石が降り注いでいた。

焼き尽くす。

焦土となったこの地球に、次に君臨する者は誰なのだろう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る