最終便は、一つ前。

俺は流れ行く電車の車窓を眺め、車内を見渡し、陰鬱な三人の乗客に目をやると、溜息をついた。

初めて女と別れたことを後悔していた。


別れを決意する理由など、一つだ。

好きではなくなった。

これ以外に何があるのだろう、と俺は常々思っていたのだ。


最初は好きでも、相手の別の一面が見えてきて、好きではなくなるなんていうのはよくある話だと思うのだ。

女は平気で、それを面と向かって言えるのに、男にはその権利が無いというのはおかしいと思う。

俺がはっきりと理由を述べると、最後に彼女はこう言ったのだ。


「酷い。あなたなんて、地獄に堕ちればいい。」と。

俺は無宗教主義なので、地獄などという物は無いと思っている。

俺は、女から「好きではなくなった」という理由から別れを告げられたことは何度もあったが、それは仕方の無いことだと思っていた。


好きではなくなった。これ以上の理由は無いのだから。

例えば何か、困難があったとする。

両親の反対、横恋慕、仕事や転校で離れ離れになってしまう。

本当に好きなのであれば、どんな困難も乗り越えてでも、愛し合うはずだ。

駆け落ちしてもいいし、一緒に死ぬというのも手だ。

それが出来ないのであれば、それは好きではなくなったこととなんら変わらない、というのが持論だ。


好きではなくなったと、手っ取り早く伝えた返事がそれだった。

もう一つ、理由を挙げれば、最初から好きではなかった、くらいだろう。

実を言うと、今回は後者である。


はっきり言うと、俺は、彼女の金に興味があった。

俺よりかなり年上の彼女には貯金があり、俺は貢いでもらうつもりだったが、彼女は財布の紐が固く、俺の体を貪るばかりで、一向に貢いでくれないので、見切りをつけたのだ。


恨み言を言い泣く彼女にさんざん食い下がられて、駅に着いた時には、最終電車を逃していた。

俺は舌打ちしか出なかった。タクシーで帰る金なんて持ち合わせていない。

もう一度引き返して、彼女にうまいこと気を持たせて、帰りのタクシーのお金を借りようかとも考えたが、もうあんな面倒くさいことはゴメンだ。


そんなことを考えていた時に、ちょうどホームに電車がすべりこんできた。

よかった!電車、遅れてたのか。

俺は、ラッキーだ。

この寒空の下に外で一夜を過ごしたら死んでしまう。

俺は電車のドアが開くと、温かい車内に駆け込んだ。


すると、その車両に居た、全員が一斉に顔を上げて俺を見た。

あれ?俺、そんなに騒がしく乗り込んだっけ?

違和感を感じた。

一人は、こんな時間にも関わらず、女子高生。

もう一人は、痩せてくたびれた感じの中年サラリーマン。

もう一人は、不潔で何日も風呂に入っていないような格好のおたくっぽい青年だった。

全員、一様に表情は暗い。

だが、一瞬俺を見ただけで、興味無さそうに、女子高生はすぐにスマホに目を落とし、サラリーマンは腕を組み目を閉じ、青年は、ぼんやりと窓の外に視線を外した。


十分に座れるスペースがあったので、俺はそれぞれの人間と間隔をあけて座り、安堵した。

ようやくあの好きでもない女との擬似恋愛から解放されるし、俺はもう誰にも干渉されない。

自由だ。

俺は苦笑いした。

自分から近づいておいて、何だが、この俺があの女に惹かれると思うほうがあつかましいだろう。

もうすぐ三十路女で、俺はまだまだ二十歳そこそこだ。

なるほど、焦ったアラサーは色気たっぷりフェロモンを発してはいたが、所詮オバサンだ。

金以外、用事があるわけないだろう。

あんたなんて地獄に堕ちればいいだなんて、古臭い捨て台詞だな。

そうバカにしていた。

あの言葉を聞くまでは。


途中からおかしいとは思っていたのだ。

あまりにも車窓は変わらないし、電車にしては、延々と真っ直ぐな道をひたすら走っていく。

異変に気付いたのは、あまりにも駅に着かないことだった。

いつもであれば、もうそろそろ俺の家の最寄の駅に着いていい頃だった。

乗り過ごしたかと窓の外を見たが、相変わらず、街の灯りが流れて車窓の後ろへと飛んで行く。

一向に駅の名前のアナウンスもない。

俺は不思議に思い、一番先頭まで車掌を探しに行った。

運転士の後姿は見えるが車掌はいない。

仕方なく、俺は、前に座るサラリーマンに話しかけてみた。

「あの、今どこらへんを走っているんでしょうか。〇〇駅は通り過ぎちゃったんですかね?」

そう訪ねると、その男は、さあ?とだけ言って黙り込んでしまった。

さあ?どういうことだ。まあ、この男はまだ先の駅で降りるのだろうから知らなくても仕方ないか。

俺は、そう思い、また座り、次の駅のアナウンスを待った。

まあ、一駅分くらいなら歩いて帰ろう。

そう思って、はや30分が経過したが、一向に駅に着かない。

俺は焦って、もう一度、スマホから目を離さない女子高生に聞いてみた。

「ねえ、この電車って〇〇行きの最終便だよね?」

そう訪ねると、女子高生は面倒くさそうに目をスマホから上げて答えた。

「最終便は、一つ前。」

一言言うと、またすぐにスマホ画面に目を落とした。


いや、待て待て。

おかしいだろ。

最終便は、一つ前って。

じゃあ、これは何便なんだ?


「ふざけないで答えてよ。」

俺は苛立ちを滲ませた。

すると、今度は女子高生が冷笑を浮かべた。


「あんた、一体何をしたの?」

「はあ?何もしてねえし。なんだよ、お前。」

女子高生はフンと鼻を鳴らした。


「言霊にやられたのよ。世の中にはね、言霊使いが居るのよ。」

何を言っているのかさっぱりわからない。

「あんたが酷いことを言った人に、なんて言われたの?」

俺は、心当たりがあったが、憮然として言った。

「おめーには関係ねーだろ。」

「そうね、関係ないわ。じゃあ話しかけないでね。」

そう言うとすぐにスマホに目を落とした。

イライラが頂点に達した。

俺は女を無視して、隣の不潔な青年に当たった。


「なあ、どういうことだよ。何故この電車は止まらねんだよ!」

青年も面倒くさそうに、顔を上げた。

「つまり、僕たちは、酷い言葉で相手を傷つけたために、言霊を使える相手によって、封じ込められここから出られない。」

「はあ?何それw」

バカバカしい。何が言霊使いだ。

中二かよ。

いつまでも走り続ける電車。

俺は、たまらず先頭車両まで走って行き、運転席のすぐ後ろの窓を叩いた。

「何で駅で止まらねえんだよ!降ろせ、降ろせよ、このやろー。」

いくら窓を叩いても、運転士はびくとも動かないし、何も聞こえていないかのようだ。

ドアを押しても引いても開かないし、俺は無駄に体力を消耗した。


諦めて席に戻ると、女子高生が露骨に迷惑そうな顔をした。

「いい加減に諦めたら?あんた、何を言ったのさ。誰かに何か酷いことを言ったんでしょう?」

俺は、もう疲れきっていたので、事の詳細を話した。

そして、相手から地獄に堕ちればいいと言われたことを告げた。


すると、女子高生はせせら笑いながら言った。

「まあ、ここよりは地獄のほうが退屈しなくていいのかもね。」

そう言いながら、目を落とすスマホ画面には、何も映っていなかった。


俺は今日も、陰鬱な女子高生とサラリーマン、オタク青年の乗るこの陰鬱で退屈な電車に揺られている。

そして、明日も明後日も。

永遠に。

あの女と別れたことを一生後悔しつつ。

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