星色の花〈1〉



 午後になり、ルファとアルザークが向かった先は馴染みの店となりつつある、あのパン屋だった。


〈ルキオンの月〉について詳しく知りたいと申し出たルファに、老店主は答えた。


「ふむ。そういうことはわしより婆さんの方が知ってると思うから聞いてみればいい。しかしなんだってそんな事に興味が?」


「───私は天文院の研究員で星見師なんです。こちらへは眠り夜空の研究を兼ねて来ているので」


「へぇ。お嬢ちゃん、星見師なのかい」


 店主はとても驚いた様子で、ルファの顔をまじまじと見つめた。


「そりゃ旦那も大変だ。 こんな若い嫁さん一人じゃ同行しないわけにもいかんだろうし、心配だろうのう」


 店主の視線は真っ直ぐにアルザークへ向いていた。


「ああ、気が休まる間もなくてな」


 アルザークの言葉にルファは絶句した。


(アルザークさんッ。そこは否定するとこなのではっ⁉)


「それじゃあ裏口へ行ってくれ。婆さん、今日はまだ家にいるからの。もう少し遅かったら出かけちまうとこだったよ」


 店主はルファたちを店の外から裏口へと案内し、裏庭へ招いた。


「おーい、婆さん!お客さんだぞ。───すぐ来ると思うから、ここで待ってなよ」


 こう言って、老店主はルファたちを置いてまた店に戻って行った。




 数分後、家の奥から小柄で恰幅のよい老婦人が外へ出て来た。


「誰だい? あんた達は。うちの爺さんは?」


「おじさんはお店に戻りました。あの、私は星見師のルファと申します。眠り夜空の研究のためにこちらに滞在しているのですが」


「へえ、星見師ねぇ。天文院も役にたたないわねぇ」


「は?」


「星読みをよこせばいいのに。もう何日眠り夜空が続いてると思ってんのさ」


「ぁの……」


「あのぼんくらな坊ちゃん貴族の星見師はちっとも役にたたないし。そもそもあの甘ちょろい貴公子風情の星見師がルキオンの駐在になってから、なんか夜空がパッとしなくなったよ。ま、こんなことあんたに言っても仕方ないけどね」


「はぁ……」


 ぼんくら、とか。


(甘ちょろい貴公子風情の、って。イシュノワさんのこと⁉)


 ルファは困惑し、なぜか横でアルザークが鼻で笑った。


「で? あたしに何の用だい、星見師のお嬢ちゃん。───あら、あんたよく見るとずいぶん若いのね。本当に星見師? 見習いじゃなくて? 何歳?」


「十六です」


「へぇ。まだ子供じゃないの。ああ、だから護衛が付いてんのか」


「その人は旦那だってよ、サヨリ。いつまでも立たせてないで家へ上がらせてやれ」


 家の奥から老店主が顔を覗かせて言った。


「うちのパンを気に入ってくれてるんだ。お茶でも飲んでってもらえ」


「はいはい、仕方ないねぇ。あたしはこれから出かけるところだったのに」


「森ならいつでも行かれるだろ」


「そりゃそうだけど。まあ、いいよ。お上がりな」


 サヨリ、と呼ばれた婦人はルファたちを家の中に招いた。


「それにしても、若い嫁さんだねぇ。結婚は子供のことを考えたら早い方がいいけど、後になって必ず後悔はするものさ。もっとよく相手を選んでおけばよかったとかね。子供がまだなら別れるのも今のうち、よく考えなさいよ」


 サヨリは真面目な顔でルファに言った。


「いえ、あの……。それは誤解で………」


 星見師を名乗っているので真実を説明するわけにもいかず、こういう場合は何と言ったらいいのかさっぱり判らず。


 ルファは思わず横を歩くアルザークを見上げたのだが。


 彼のその表情はいつにも増して仏頂面で。


 ルファは小さく溜め息をついた。



「で? なにを聞きたいって?」


 テーブルに着いた二人に、サヨリは温かなお茶を注ぎながら尋ねた。


「ルキオンではこの時期、天に現れる橙色の彩星のことを『二番目の月』と呼ぶのだと聞きました。それっていつから、なぜそんなふうに呼ぶのかと思って」


「なぜって言われてもねぇ。あたしが産まれるずっと前から言われてるそうだから。それにさ、逆を言えばあんた達はなぜあれを星と呼ぶ? 月とは呼ばないのは何故だい、いつからだね」


「それは……」


「答えられないだろ。それが当たり前だからね。同じだよ、ルキオンの月も。ここではそれが当たり前なのさ。でもそうだねぇ、あれは天が眠り夜空になる直前にあたしが見たあの月、彩星のことだけどさ。なんだか位置がいつもより僅かにズレてたような気がしたね。おまけにほうき星まであったっけ」


「えッ! 忌星を見たんですか! 」


「ああ、確かに見たよ」


「彩星ではない本来の月はどうでした?」



「ああ、見えてたよ。下弦の月がね」



 同じ……。星の泉で見たのと一緒だ。



 驚くルファにサヨリは続けた。


「彩星にはもう一つ……いや、ほうき星と合わせて二つか。別の呼び名があるんだが………。あたしはね、パン屋に嫁ぐ前から薬師の仕事もしていてね。故郷じゃ代々薬師を名乗る家系に生まれたんだけど。実家ではほうき星を『知らせ星』。彩星を『標の星』とも呼んでるんだ」


しるべの星⁉ ラアナが言っていたのと同じ呼び名だ!)


「知らせ星は十年ぶりくらいかねぇ。それから標の星と知らせ星が揃う夜にだけ咲く花があってね。幻の花とも呼ばれてるがね」


「幻の花?」


「星色花とも呼んでるけど。正式名は『ふのふわ』という変な名前の植物さ。花の後に付く実が貴重で万能薬になるんだ。だいたい十年周期で咲くから、あたしもようやく十年ぶりに拝めると思うと嬉しくてね。で、ここ最近森を散策して歩いてんだけど、それがどうしたわけか、なかなか見つからないのよ。場所はたいして変わらないはずなんだけどねぇ」


 サヨリは溜め息をつき、お茶を一口飲むと話を続けた。


「できれば夜も探して歩きたいのに『彷徨いの森』のせいで歩けやしない。うちの爺さん、あれでもわりと心配性でね。夜なんぞ歩き回って、彷徨いの森で迷子になったらどうするんだって怒るから」


 サヨリは笑った。


「『ふのふわ』はね、昼は蕾で夜に花が開くんだよ。星色に光ってとても美しい花なんだ」


「星色花なんて、なんだか素敵ですね」


「あんたの髪の色にも似てるけど。でもあんたのそれは〈風鷲の翼色〉に近いかな」


「その色の名前、前にも言われたことがあります」


 驚いたルファは宿館で会ったご婦人客の一人に言われたことを話した。


「あたしの故郷も南方だからね」


「では口伝もご存知ですか?」


「ああ、昔いくつか聞いたことがあったけど。……ん〜、最近物忘れが多くなってきてねぇ。急に言われてもすぐには思い出せないがね」


「教えてもらうことはできますか?思い出せるものだけでいいんです」


「あたしが知ってるものでよければ構わないよ」


「お願いします」


 ルファは頭を下げた。


 

「そういえば確か星色花ふのふわをイメージさせる詩もあったわねぇ。星の泉が出てくる詩だったかなぁ」



(えっ、星の泉が⁉)


 いったいそれはどんな詩なのだろう。



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