四章(急)・29



「言ったろう、ハルタレヴァ」

 

 それは。

 この一瞬の為の、雌伏だった。


「壊させないし、否定させない」


 愚か者が、

 馬鹿をやる。


 あろうことか。

 配慮すべき全てを除かれた、無常の空間で。

 彼は。

 田中は、走った。

 突っ込んだ。


「壊しもしないし、否定しない」

「っ、」

「僕は、それを伝えに来たんだ」


 葬世救神、アンゴルモア。

 彼は、触れる。

 それに、触れる。

 今や、直接に【葬世】を伝播させられずとも。


 彼がどのようにすばしっこく、どこまで逃げたところで、逃げも隠れも回避も出来ない、周囲空間全てを覆う【二次災害】を生み出せる存在に。

 離れもしないで、

 近付いた。


「な、」


 阿呆かと思う。

 狂ったかと思う。

 近付けば無効化出来る、自分ごと崩壊に巻き込まれない為には距離が必要だ、そんなふうに考えていたならそれこそ冷める。【救世主】が【葬世】に耐性を持つのと同じように、そして、所詮人間でしかない【救世主】と違って、アンゴルモアは、自分の齎す【葬世】の被害を受けることはなく、【二次災害】程度の現象でダメージを負うことも有り得ない。


【救世主】は。

【葬世神】に、勝てはしない。


 人は。

 神に。

 敵わない。


「人は、」


 言う。


「神を、」


 見る。


「敬うモノだ」


 起こす。


「【日光:巡廻】」


 掌から、伝わった。

 田中が唱えた瞬間、彼が身に纏っていた鎧が、

【日光照臨大権現】は。

【天岩戸】に戻り、

 そして、

 アンゴルモアを、その内部へと飲み込んだ。


「―――――――――は、」


 唖然と、呟く。

 ハルタレヴァは、突如現れた巨岩の洞窟に、暫し思考を失い呆けていたが、はっと気が付くと、そこに攻撃を加えた。

 駄目だった。


「【天岩戸】は、心を癒す。人だけではなく、本来――神が立ち直る為の、場所だ」


 物理的な暴力も。創造神としての権能も、通さない。洞窟の岩肌には一切傷つけることも出来ず、位相変更によるすり抜けなどの効果も全く受け付けない。

 それは、【天岩戸】という存在が持つ、【内部の者が自らの意思で出てくる以外に引き摺り出すことは出来ない】という性質であり、ハルタレヴァが取り戻した権能は、あくまでも【外敵に対する自衛にのみ用いれる】ものであるからだった。


「僕の目的は、最初から、これだ。アンゴルモアにされてしまった、彼女を――退けるのでも、倒すのでもなく。全てを受け止めた上で、荒ぶる御霊を、慰める」


 飲まれてしまった。

 取られてしまった。

 その中に。

 手が届かない場所に。


「歪みを切り捨てる剣も、第三層で役目を終えた。君たちを油断させる為に。どんな苦しみも、不要だと、断じない為に」


 創造神ハルタレヴァが、三百年を懸けて育ててきた――存在の目的が。

 その精神を、危うくもかろうじて繋ぎ止めていた【希望】という楔が。


「――――――――え?」


 真夜中。

 出掛けた先で、親とはぐれてしまった、子供のような顔。

 極めて不安定なバランスで、今、正に、どちらにでも、どのようにでも転び得る境の上に立っている、胡乱の眼差し。

 その先にいる、

 彼は。


「君に。その権能を取り戻させるように仕向け、進展の無さに焦れ、層を移すよう誘導したのも――やれやれ、どうにか、うまく行った。本来の機能を戻した【天岩戸】は、場所を取るから。流石にそれで、君が大切にしている墓標を、巻き込んじゃあいけないだろう」


 剣も。

 鎧も。

 全ての頼りを失った、

 何の変哲も無い、

 一般的なスーツ姿の、

 どこにでもいる公務員は、

 真っ直ぐに、

 神の瞳を、

 見つめ返して頷いた。


「彼女は、元に戻る。君もそろそろ――自分の喪失と、本当に向き合わなければならない。否定ではなく、肯定の為に。未来へと逃げるのではなく、過去を振り切り進んでいく為に」


 どうか、と。

 拍手を、打つ。


「畏み畏み申す。鎮まり給え、荒ぶる神よ。大創造神、ハルタレヴァ」

「死ね」


 指先で触れる。

 それだけで足りる。

 田中は冗談のように吹っ飛んで、天岩戸に激突すると、血を吐いた。


 もう、とっくに気付かれている。

 彼はその装備が為に――【人に神が道具を貸し出す】という条件を満たす為に。


 分霊憑依保険を、適用してはこられなかった。


「畏み畏み申す。鎮まり給え、荒ぶる神よ。大創造神、ハルタレヴァ」


 血を吐いて。

 首を絞められ、尚も続ける。

 死ねば死ぬ当たり前の人間は、生殺与奪を神に委ね、ただ、祈り、求め、訴えた。


「死ね」


 そして。

 神は、いつか自分を殺しに来た人間のように――熱を帯びた眼で、同じ言葉を繰り返した。

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