四章(急)・27



 何者かを相手とする時、そこに誰もが自己を見る。

【敵】とは即ち、己を映す鏡である。


 どこまでも我を張り、自意識を確固とし、世界に対して尽き果てぬ敵意を持っているハルタレヴァは、そのような自らもまた滅ぼされて当然であるという危機感を、反撃としての廃滅を常に覚悟しながら生きているのだと、田中は知った。かつて彼女に言われた、【神殺しを望んだ少年こそ、忘れ難き自分の初心である】と言い放った創造神の言葉を、ようやく正しく理解した。


 彼女は気付いていない。

 目の前にいるのが、自らの決めつけが生み出した、歪んだ虚像であることに。

 自分が田中を殺そうとしているから。

 田中も自分を殺そうとしているのだと思い込む。


 そして、本当は何の警戒も無く踏み込める“もう一歩”を、自縄自縛に躊躇する。

 幾度、繰り返される弱気。

 その眼、潜んでいる不信。

 それは、何とも不思議で皮肉な心地だった。


 こうやって、命を狙われる戦いを行うことで、田中は今まで一番、彼女のことに触れている気がする。ようやく、ずっとわからなかった、大創造神の本質を見ている気がする。


 いつだって誤魔化されてばかりで。

 肝心なところははぐらかされ続け。

 雲を掴むように。

 霞を吸うように。

 理解と最も遠い位置にあった、かつて神を殺しにいった少年と、殺しにきた少年を玩具にした神。

 本当に交わったことなど一度として無かった関係が、今、こうして、互いを探り合う場面にある。


 その魂胆を。

 その真実を。

 分かり合おうとするように。

 人と。

 神が。

 同じ舞台で、踊っている。

 

(――――はは、)


 声に出せない声で、スーツの奥で、田中は笑う。

 この時間が。

 頭の奥が痺れるような緊張感を、心地良く思う自分が――ずっと終わらなければいいなんて考えてしまった、心からの不謹慎さが、おかしくて。

 だから、罰だったのかもしれないし、ただの、どこにでもある不運だったのかもしれない。


 彼は見た。

 それを見た。

 彼にしかわからない感覚、彼だけが与えられた不幸、その【瞳】。

 

 大創造神ハルタレヴァに。

 葬世救神アンゴルモアと同じ【色】が、現れ始めていた。


 彼女は、今。

【世界を滅ぼすモノ】に、なろうとしていた。



                 ■■■■■



 勿論、気がついている。

 際限の無い昂揚感、歌い出したい開放感、億度煮詰めた切迫感。

 気を許せば背に羽が生えて飛び立ちそうな、何もかもを思うがままにしてしまいそうな感触に、しかしハルタレヴァは身を委ねる事が出来なかった。


 その疼痛が、悲鳴をあげてしまいたいぐらいにもどかしい。折角いい気分なのに、水を差されていることが不快で不快で堪らない。

 ちょこまかと動き回り、無様に損傷を負いながら、しかし決定的な一撃だけは避け続ける蚤。


 そうだ。

 今の奴には、決定的な【攻撃手段】が無い。危機を凌ぐことは出来ても、状況を打開する手立てを持たない。

 だからこそ、一層イラつく。


「何がしたいんだ、貴様はッ!!!!」


 ただ、不愉快の為だとしか思えない。

 まるで意趣返しだ。こちらの右往左往する様を、嘲笑っているようだ。


 ハルタレヴァもアンゴルモアも、全力などとても出せない。

 そのようなことをすれば第四層が、決して傷つけてはならない【墓標】が影響を受けてしまう。

 そんなものは認められようはずもなく、必然、現象の行使も狭く絞ったものになる。ならざるを得ない。


 それは、強大な力を持つ神にとって――取り分け、大雑把に、大規模な、派手で分かり易い現象を好むハルタレヴァへ、精神面のストレスを与える。

 これでせめても向こうからも突っついてくるならば、防御で無力を教え込み意思を挫く張り合いもあろうに。


 蚤は蚤らしく先程からずっと回避の一手、危なっかしく、挑発的に、墓標の間を駆け巡り、こちらの意識を牽制しながら、付かず離れずの状況を保っている。


 それが、あまりにも気色悪い。

 気味が悪い。

 空気の、肌触りが、悪過ぎる。

 思惑があるのは明白なのに、それがまったく読み切れない。こっちが圧倒的に上回っているはずなのに、思考が後手に回っている。


 偉大なる神が。

 人間の心なんぞを、窺わされている……!


「そんなことがッ! 断じて、ありえて、なるものかぁぁぁぁぁぁああッ!!!!」

 

 気に食わない。

 気に食わない気に食わない気に食わない。


 そこを動くな。

 うろちょろするな。

 間違えたらどうする。万が一が起きてもいいのか。


 おまえにとって。

 おまえにとって。

 彼らを知らない他人にとって。

 それは、過去だろう。

 つまらない、たかが終わってしまったものだろう。

 それはそれとして切り替えて、忘れて、捨てて、やり直せばいいだけのことなのだろう。


 違う。

 違う。

 断じて、違う。

 彼は、

 彼らは、

 あの、六十万の命たちは、

 替えが効くものなんかでは、断じて無かった――――!


「た、な、かぁぁぁああぁあぁあぁぁあぁあぁあぁあああぁあッッッッ!!!!」


 憎悪を叫ぶ魔の形相。

 引き裂かれる欲求と感情。

 殺す。

 殺す殺す殺す殺す殺す殺す。

 侮辱が許せない。軽視が許せない。利用が許せない。不敬が許せない。

 そんなふうに使うな。どうして悼まない。畏まろうと思わない。


 無関係だから?

 終わった話だから?

 悪者の勝手な動機だから?


 ――それが?

 そんなことは、彼らには、それこそ何の関係も無いのに?


 踏み躙られる側の涙は、

 切り捨てられる方の意思は、

【仕方が無いから】でいくらだって、片付けられるとでも?


「ううぅうぅううううううああぁあぁあぁあぁぁぁあぁぁあぁあああああ嗚呼々々々々々々々々々々々々々々々々々ッッッッ!!!!!!!!」


 

 だから、出来る。

 思い切れる。

 自分がやろうとしていることに、ほんの一片、躊躇も無くなる。


 そんな奴らだらけの世界ならば。

 どうなったって構うものか。


 相手を蔑ろにする連中を、

 そうし返して何が悪い。

 仕返しをして、どうしていけない。


 これは、弔いだ。

 六十万の、葬送だ。

 軽んじられた喪失を、

 正しく供養する為に、

 三千世界を滅ぼし尽くす。


 歌え。

 謳え。

 詠え。

 謡え。

 衆生一切、命を惜しめ。

 自らの死を、理不尽を、悲惨を通して理解せよ。


 我が怒り。

 我が嘆き。

 世界を奪われた、|神《はは》の叫びを。

 知れ。

 悟れ。

 祈れ。

 許さん。


 おまえらが認めなかったように、

 こちらも決して認めはしない。

 その為に、

 その為に、

 思い知らせる為だけに、

 三百年を費やした。


 何を犠牲に差し出そうと、

 あの痛みより、

 苦しみよりも、

 辛いことなど無いのだと。


 屈辱を呼吸し、

 代償を厭わず、

 何が何でもと、

 それだけを抱いて、

 今日この日までを積み上げた――――!


「――――ああ、」


 そうか、と彼女は思った。

 これだ、と彼女はわかった。

 要するに。

 

 滅ぼされた皆が、

 答えをくれた。


「うん。そうじゃあ、ないか」


 彼女は笑う。

 うっとりと笑む。

 頷いて、噛み締める。


 わたしは。

 被害者だから、何をしたっていいんだ。

 被害者に、なればいいんだ。


【復讐】。

【おまえがやった】。

【だから、わたしはやり返す】。

 それこそが、万事を罷り通らせる、とっておきの免罪符。



                 ■■■■■



 ――そして、彼はそれを悟った。

 ついに、舞台が終わる時が来たのだと。

 彼女自身が気付いているのか、いないのか――それさえも曖昧な、笑みを見て。


 つまり、今が、決断の時だ。 

 この先の選択を終えたら、もう選べることは無い。その先にしか、進めない。


 自分がここへ来た理由。

 異世界公安と取り付けた【約束】。

 渡航門から旅立つ前。

 最後に交わした外での会話。


 自分の思惑を告げた時。

 それではおそらくあなたが死にます、と工藤は言った。


 猶予は。

 最後の最後まで、存在していた。

 だから、考え直せる機会は、どうやらここが限界だ。

 どうする。

 何を選ぶ。

 おまえの答えは、

 変わったか。


 ――――ああ、愚問だ。


 避けきれず、顔面を掠った。

 スーツの一部が遂に剥がれる。弱点でしかない肌が露出する。


 顔面、下半分。

 剥き出しになった口は、どうしようもなく笑っている。

 自らの馬鹿さ加減に。

 

 結局、

 こんなになってまで、

 変わらなかった、結論に。

 それこそ、死ぬまで直らないのだろう。

 いや、死んだところで繰り返すかも。


 そうとも、何しろ。

 別の世界に来たところで。

 阿呆な性根は、変わらなかった。


 ならばもう、後は観念するだけだ。

 最後の最後の最後を越えて、

 果ての果てまで付き合うだけだ。

 この信念と。

 この欲求と。

 自分自身の、感情と。


 さて、と思う。

 それじゃあ、と腹を決める。


 一丁、神様を信じてみよう。


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