四章(急)・15



 異世界ハルタレヴァ、第二層。

【記憶喪失】の安楽世界、【常春の夜】。


 そこに、光は無い。

 そんなものは、要らない。

 何故なら、そこに落とされたものは、そのような存在すらも忘れる。

 世界の果てから果てまでを包む闇に、何ら疑問も恐怖も抱くことはなく、誰もがその中に蹲り、もぞもぞと這いずり回る芋虫と化す。


 彼らは幸福だ。

 どれだけその心を覗こうと、ただひたすらに、どこまでも満ち足りている。

 足りないもの、必要なもの、求めるもの、

【欠け】。


 不足を一切認識出来ない、自らの精神に持ち得ない住人たちは、生きているだけで望ましい。不幸も幸福も知らないから発生しない。波風立たぬ永久の凪。喪失は一日毎に行われ、だからこそ彼らに明日も無く、未来も無く、現在も無意味であり、故に執着に値せず。


 それが【常春の夜】。

 生きることだけが生きる理由の世界。

 あらゆる理由を、活力を、目的を剥奪された――人を幸福にする為の地獄。

 幸福以外の全てを、奪い去る為の魔境。


 今日、そこに。

 創造より、未だ嘗て一度としてなかった現象が、起こった。



 日光。

 暖かなる、日の光。



 闇に包まれし異世界、【常春の夜】――二百九十余年間有り得なかったその概念は、第二層の全土を覆う。

 万象を、欺瞞を、隠されし不都合を。

 見ないことで、無かったことにされてきた、忘却の無を切り裂いた。


 閉ざされていた瞳が開く。

 横たわっていた身体が起きる。


 人々は、その時。

 闇が晴れ、その光を受けたことで、取り戻す。


 記憶を。

 意識を。

 言葉を。

 自身を。


 苦と楽の、両方が備わる生命を。

 そして。

 その中心点となった者こそが、彼だった。



 そこには。

 光放つ外装を身に纏う、物語の騎士が居た。



 彼は言う。

『この闇の中にいてはいけない』と。

『何も考えないということが、どれほどに虚しい生か、貴方たちはもう知っているはずだ』と。


 誰もがそれに、頷いた。

 手に入ると誘われた【安楽】が、どのような虚無だったかを、放り込まれた全員が、確かに理解していたから。


 外装の騎士は、その手に持つ剣で、異世界転生の門を起動させ、そして、第一層への扉を繋いだ。そこに戻れば、異世界転生課から各々の世界へと帰ることが出来る――緊急避難の要が認められている。


 第二層全土を照らす、光の根源――【太陽】を創り出し打ち上げてから、彼は別の門から、更に世界の奥、【第三層】へ向かうと告げ、去っていった。


 ――彼は。

 一体、何だったのだろう、と。避難する人々は、話し合う。


 名も告げず。

 人々を助け。

 ただ、静かに道を示し、そして、やるべき使命の為に進んでいく、【誰か】。

 それは、


「…………【英雄ヒーロー】」


 彼方の昔。

 約、三百年前――【世暦の起こり】に、頻繁に現れ、そして、数々の異世界で語られた伝説、【救世の主】。


【常春の夜】の中にあり、その姿を目に出来る位置に居た者は、自らの、取り戻した記憶の中から、それをイメージした。

 

「――――あれが、そうだったのか」


 きっと。

 これより生涯、もう二度と、忘れ得ぬあの姿。

 その姿の、向かう先には。

 挑む場所には、神が待つ。


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