第四章(急):只人間と荒御霊

四章(急)・01



 ――決着が、着いた。

 否。

 最初から、そんなものは始まってすらいなかった。


 絶対の理。

 不変にして普遍なる優劣。

 上下関係、順位制定。


 人が。

 何を、どれだけ、苦心し、無心し、血反吐飲む至難に耐え望まぬ汚泥に身を浸し一心不乱に積み上げようと、

 そんなもの。

 神は。

 指の一振りすら必要とせず、否定出来る。


 無様に地べたを這いずり回る虫けらの分際で――慈悲を請い許しを願いただひたすらに頭を垂れねばならない存在と、【同じ場所】に至ろうなどという思い上がりを。

【対等】だと。

【話になる】という、幻想を。


「かぁわいい」


 言葉に篭められたのは歓喜。とろけるような愛玩の意。

 全霊の敵意、交戦の覚悟、自我を押し通す為の他者排斥、それら一切を曲解無く減算無く浴びて受け止めて理解して、尚ハルタレヴァは【善哉】と肯定した。


 向けられた暴力を悲しまず、

 丁寧に丁寧に丁寧にへし折った。


「なんて、なんてなんて素敵なのかしら。心ときめく醜悪なのかしら。汚らわしくって美しい。無様過ぎて格好良い。ええ、私は好きよ。人間のそういうところ。何かを願っても、何も成し遂げられずに潰れてゆくところ!」


 彼が異世界転生課の門から現れ、不正な侵入に警報が鳴り響き、それから十秒も経たない内には、それはもうそこにいた。


 警備隊の到着よりも早く、職員及び一般人の避難を待つまでもない。

 大創造神御自らの出陣。懲罰。成敗。勧善。


 この世界の名は、彼女と同じく【ハルタレヴァ】。それは即ち、ありとあらゆる法則性がその前に傅き、意のままに従い変幻するという意味に他ならない。空間とそこに満ちる概念全てが拡張された自己の一部であり、此処へ踏み込むというそれ自体が支配下に置かれることへ直結する。


 取り分けハルタレヴァが得意とする【創世】は、【空間多層化ディメンションマルチレイヤー】。一つの場に異なる【面】、新たなる【位相】を創造し、存在の認識と干渉の有無、共有される項目を、事象単位で切り替える。


 これを用いれば、たとえば同一のコンサートホールの最前席に、普通では入り切らない観客を同時に収容することも出来るし、

 危険極まりない侵入者を、その場から一歩も動かさずして異空間とでも呼べる領域に隔離することも可能となる。


 その中で行われる戦闘は、困惑と動揺を否応無く与えるものだった。

 机に当たる。

 かと思ったら、触れずにすり抜ける。

 床を踏む。

 確かに見えているのに、足が突き抜けつんのめる。


 その逆も然り。

 無いはずのものに、何度ぶつかったかわからない。一切の感覚に捉えられない存在、生き物であれば傾向を読むことも出来よう、だが何の意図も無くただそこにあるだけの無機物に、対策などどう打てばいい。


 機先はことごとく制されて、何一つピントが合わず調子が狂う。

 弄ばれた、という言葉こそ相応しい。

 ハルタレヴァはくすくすと嘲笑混じり、まったく本気を出していない欠伸交じりで、侵入者を娯楽気分に圧倒した。

 

「ねえ、どんな気分? 今、何を考えてる? 教えて教えて、たーなーちゃーんっ」


 ハルタレヴァの異世界転生課はその人気と反し、こじんまりとした場所であった。

 何故ならば、その必要が無い。厳格な人数制限と徹底した管理の下に運営される異世界ハルタレヴァでは、異世界転生課が受け持つべき仕事が殆ど回ってこないのだ。


 大創造神が頻繁に行う外部広報機関や出版社からの取材の案件、異世界巡りライブツアーのイベントなどの交流は、彼女自らがセルフマネジメントで行っている。


 だから、こんなにも空々しい。

 一握りの職員。

 お飾りの設備。

 どれだけ丁寧に偽装しようと、その侮りと傲慢さの裏に、真実は透けて見える。


 足りていないのだ。

 欠けているのだ、肝心が。

 それは、【実際に繰り返された作業の色】。

 それは、【年月で染み付いた利用者の癖】。


 つまるところ。

 ここの異世界転生課には――世界と世界を繋ぎ、人々をより適した場所へ運ぶのだという情熱が、営みの痕跡が、まるで感じられなかった。

 

「……可哀想な場所だ」

「応援ありがとーっ☆」


 膝立ちの姿勢なところ、無理矢理に掴まれた――握手させられた手で、振り回されてぶん投げられる。

 ひどいものだ。

 馬鹿馬鹿しい。

 壁に衝突する、かと思った瞬間、すり抜けた。“【壁】と干渉し合う”という項目が、端からオフな層に引き摺り込まれていたらしい。


 解き放たれた先は、空だった。

 今までの異世界転生課は、高層ビルの中にあったらしい。

 途端、理解する。

 このままではどうなるか。

 何気なく放り投げられただけではない――待っているのは、墜落死だ。


 落下地点にあったのは、枯れた針葉樹の林だった。

 それは今や、彼を串刺す地獄の針山だった。

 柔らかな腹部。

 迫る先端部。

 彼の死因が書き換わる。

 その瞬間に、


『発令』


 声がした。


『発令 発令 発令 発令。緊急警報。異常確認。危険感知。緊急要請。承認了解。期間限定、当状況回避迄』


 まるで奇妙なヤジロベエ。

 突き刺さる筈の幹の上、仰向けの身体が支えられて押し留まっている。絶妙な――まさしく神懸り的なバランスを保ち、ぶらりぶらりと揺れもしないで安定を保たれている。

 彼の身体が、神々しき光に包まれていく。

 

『神威解放、』

「  そ  れ  が  ?  」


 とん、と。

 その腹の上に降り立ったハルタレヴァが、

 彼の腹を、

 神の権能を身に受けた代行者の身体を、

 事も無げに、

 害した。

 串刺しの木に、押し込んだ。


「痛い? 苦しい? 切ない? 怖い? ああ、安心して、たなちゃん。あなたはすぐには殺さない。決して楽には逃がさない。だって、折角来たのだもの。わたしの中で会えたのだもの。その、情けない分霊の中にあるあなたの心――頂いてゆくわ」


 ソファにでも座るように、彼へ乗るハルタレヴァの指先が、傷口を撫でる、胸を伝う、首筋をなぞり、唇を割る。


 ぽっかりと、自らも、口を開けて。

 ハルタレヴァは、粘性のある吐息を出しながら、禁忌的なまでに艶かしく舌を動かす。


「ああ、そうだ。わたしとしたことが、ご挨拶が遅れたわね。――――いらっしゃい、たなちゃん。これからはずぅっと一緒よ。あなたのことも、あの女神とおんなじ、お人形にしてあげる」


 左目に愉悦。右目に侮蔑。

 口角は優越に上がり、舌先で凌辱が舞う。


 尊厳も、人権も、考慮に値せずと神は笑む。無価値の身が得た望外の用途に滂沱すべしと言い付ける。どこまでも一方的に、その身に相応しき目線で。許される、認められる、身の丈にあった欲望のままに。


 彼は。

 問うた。

 

「人は、いつまでもやられ役だと思うか?」


 表情が、

 固まる。

 溢れ出していた、止め処なき愉悦が。


 大創造神の威勢が、

 警鐘を、鳴らした。

 触れかけた唇が離れる。

 再度、観察する。


 ――――――――――――――――傷口。

 腹の、傷口。

 服の。

 破れた、下に、更に。

 肌着ではない、が見える。


「持って生まれたものこそが、その存在の全てであり。叶えられる願いの幅も、抱いてもいい望みの種類も、知らない誰かの采配通りに、最初から最後まで決まっていると?」

「――――おまえ、」


 違うな、と彼は笑った。

 違うな、と彼女は叫んだ。


「それを覆す為に、出会いがあるんだ。は好きだよ、異世界転生」

「田中じゃあ、ないッ!!!!!」


 ハルタレヴァが掴んだ手が、その皮を――木に突き刺さったことで傷口のところから破けた、スーツを剥いだ。


 それは、異世界VVVヴァルサ・ヴォルグ・ヴェルダの生体アンドロイドが生成した偽装皮膚。身に纏うことで質感・触感のみならず、外見上の体格サイズの違いやそこから発生する足音等処情報の辻褄までも自動的に調整し、別人だと誤認させる――他の異世界では未だ検証も再現も成らぬ未知の技術の産物たるそれが、今の今まで、面と向かった大創造神すらも欺いていた。


 誰あろう。

 彼こそは、


「グヤンヴィレド・ベル・オウルッ!!!!」

BOWわん


 やってしまった。

 血が昇った。

 ちっぽけな人間の、得意げな、まるで何かをやり遂げでもしたかのような表情を見せられた瞬間、心臓に腕を突き立てていた。


 それこそが。

 文字通りの、悪手。


「――――し、」

「あーあ。


 瞬間。

 再びハルタレヴァは、警報を聞いた。

 それは、彼女が仕掛けた、彼女のシステムではない。

 ――――大創造神の世界も【加入】している、とある【決まりルール】に反応した作用だった。

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