四章(序)・18
異世界和親条約。
神々が定めた、新たなる救済の形。生きるということの、理の内に生きる存在だけではどうにもならない高次元航路の開拓。
正式な発表、世暦零年に定められた条文は、要約してこのようなことを言う。
【人々と神々の、そしてそれぞれが生きる世界の、正しく、新しく、幸福なる出逢いと発展を願い、権利としての異世界転生を、此処に解禁する】。
無論、どの世界でも常識であったように、物事は常に多種多様な側面を併せ持つ。
【幸福】という言葉に含まれる要素は余りにも多過ぎるし、また、薄ら寒いほどに聞こえがいい。人々の中には喜びに湧くものだけではなく、そのうますぎる話に疑いを持つ者も、当時は少なくなかったという。
その手の記事は、三百年弱が経った現在も、オカルト雑誌の話題の種だ。
未確認飛行物体であるとか。
知られざる未知の生物とか。
妖怪。
幽霊。
都市伝説。
街談巷説、陰謀論。
世界を問わず生まれてくる怪談の、どの世界でも共通する
≪ 異世界和親条約には、別の目的があったのではないか? ≫
「どう思う? 元・異世界転生課職員さま」
悪趣味だ。
返答など出来ないと、聞いている自身が一番わかっている。
猿轡代わりに噛まされたハルタレヴァの指、手足を不可視の力で押さえられ壁に貼り付けられた田中は、無様に聴きに徹することしか許されない。
「ぶぶー、時間切れ。――答えはね、イエスよ。神様たちは、決して、人間の為の慈善とか、今までに無かった面白いもの見たさだけで、こんなことを始めたわけじゃない。もっともっともっともぉっと――――のっぴきならない、止むに止まれぬ、絶望的な危機に迫られて、その“計画”を実行したの」
自分が今、どのような状態になっているのか、先程から田中は禄に覚束ない。話が始まる前に、何やらまじないめいたものを掛けられた。
ハルタレヴァは創造神であると同時に、本来自らの世界に存在する筈の分身たち――太陽や月や幸運、冥界や病や貧乏などの【万象の神々】を生み出さない・発生させないことで、その管理・権能を一手に担っている。
俗な例えをするならば、役職や管轄を分散させないことで権力を自らに集中させたワンマン社長だ。自分の治める世界の規模を最小限に留めることで自分だけの眼で隅々まで管理するのを可能とした彼女ならではの特徴であり、その分だけ彼女は多くの能力を持つ。
大創造神として集めた膨大な信仰がその特性・ポテンシャルを更に底上げし、特に【魅了】、【欲求を軸とした精神への介入】に関して、ハルタレヴァは抵抗不能の強制力を発揮する――仮に。
相手が、人々でなく神々だろうとも。
「【普及】。【周知】。【活路】。【新風】。神様たちが欲しかったのは、それ。…………うふ、ふふふ、うっふふふふふふふふふっ! そうよ、そうなの、わかっちゃった!? ねえ、たなちゃんっ! 【異世界和親条約】は、弱くて愚かで汚らしくて成長しない人間を、救う為のものなんかじゃあ断じてないッ! ――どうしようもなく行き詰って手に負えないまでに失敗した自分の世界を、無関係な余所者を無理矢理に引っ張ってきて修正させようと考えた、世界ぐるみ神様ぐるみのお為ごかしだったのよ!?」
その言葉。
他ならぬ大創造神の告白を、裏付ける例ならばもう知っている。
――――異世界、グヤンドランガ。
――――【
その事件があったのは、世暦の制定直後だ。
そうだ。
そうとも。
田中だって、知っている。
そのように講釈だって打っている。
人が、世界が、歴史を持てば、持つ程に。
神はそこに、干渉することが難しくなる。
「世界の救済と歴史の保持は共存出来ない。世界の危機に神が動けば、積み重ねた物と引き換えになる――四百年ほど前から、それがどの世界でも、なーんでかひどく深刻になっちゃってね。それはもう、大変で大変で大変だったの」
聞き覚えなど無い。
田中は、仕事上多くの世界について、歴史を調べてもきたが、そのような類似点は、
「【同時多発異世界破滅】――これは、単一の世界しか知り得ない人間ではとても観測しようのない状況だし、今の時代には巧妙に隠蔽されてて、それでも運悪く勘付いちゃった連中には、【世界を跨いで平和を守る】選抜部隊が動いてる。知らないことが幸せな真実に気付いてしまった愚者の末路は、わたしの知る限り、どんな世界でも不幸よね」
ハルタレヴァは言う。
嘲笑う。
「わかったかしら。異世界和親条約は、神様と神様が結んだ『自分の世界の玩具をあげますから、そっちからも面白そうなペットをください』っていう自由売買契約なの。人間は異世界中みぃいぃいいんなわたしたちの奴隷で、異文化の芸を披露する道化。色々と便利で、従順で、忠実で、何より、いくらでも数があるのが最っ高に愉快で滑稽っ! しかも【信仰】を捧げて私たちの栄養源、権能の源にだってなってくれるんだから! 一方的に愛でてよし、壊れるまで弄んでよし、適当にこき使ってよし、飽きたら食べてよしだなんて、本当っに人間って、つくづく捨てるところが無い動物だと思わない!? あっははははは、その有用性、誇っていいわよ、たーなーちゃんっ!」
期待したのだろう。
機会をくれたのだろう。
田中の口に、轡として噛まされていた指が引かれた。
少女の瞳が言っている。
『囀れ』。
『楽しませたなら、慈悲をやる』。
「どう思う?」
唾液で塗れた指を、舌先で執拗に嘗め回し。どろどろぐちゃぐちゃ混ぜ合わせ。
これ見よがしに糸を引かせて、
ハルタレヴァは、問うた。
それに、彼は。
胡乱な思考で、
けれど、
光の消えぬ眼で、
「何故、あなたは、あの女神をそこまで恨む」
「――――――――――――――――――――――――うふ、」
結果的に。
それは、期待を叶えた。
求められていたもの――それ以上の、思いも寄らない対応で以て、田中は、ハルタレヴァを真実、喜ばせた。
褒美を貰う。
首筋に歯が立つ。
跡を、刻まれる。
「えらいわね。ちゃんと覚えているなんて。もう、自分が何の為にここに来たのかすら、見失ったころだと思っていたけれど」
流血の痛苦に荒れる吐息。
吐き出された田中の呼吸を、自らが吸い込み直すように口元を寄せながら、ハルタレヴァはその続きを語り始めた。
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