三章・23
「そういうわけさ、田中職員。ぼくが彼らを匿ったのは、善の為でなく欲の為でなく、単純にぼくがぼくに定めた決まりに則ってのこと。氷点下の朝に霜柱が立つように、炎天下の砂浜が焼けるように、そこには余分な理由や思想を含まない。今回起こったのは、物理的な科学反応だとでも思ってくれて構わない」
ここを、疑う意味は無い。
そもそも嘘や偽りとはある種の駆け引きであり、自分に対して有利な認識を作り出す為に用いられるものだ。
神が人間に、いくらでも好き勝手に翻弄出来るちっぽけな相手に、そんなまどろっこしいことをする必要があるだろうか?
「……では、つまり。この一件を解決しようとすることに、天照大神様は人間からの介入に抵抗はしないし異議も無い、と考えて宜しいのですね?」
「勿論。この件でぼくが異世界転生課の主祭神を辞めることも、【連盟】の抗議を申し立てたりもしない。人々に与えていた加護もこれまで通り継続する。実にするりと滑らかに、摩擦無く問題を終わらせようじゃないか」
「ありがとうございます、天照主祭神。そう言って頂ければこちらとしても、」
「尤も」
仰向けから、うつ伏せに。
正しく、人間を見下ろす姿勢に、彼女は変わった。
「その前にひとつだけ。神の都合ではなく、人間の世界に、人間の道理に、人間の規則に、寄り添うきみに問いたいことはあるのだけれどね」
「――拝聴致します」
田中は恭しく答え、見上げる。
自らが司るそれのように、厳しい眼差しを地に注がせている太陽神を。
「きみの考える、この事件の解決とは何だ?」
声のトーンが、落ちた。
「ここでこの子達十二人が解放されることは、確かに【松衣幽霊城事件】とか呼ばれているものの収束にはなるだろう。だが、【それが起きた理由】、【動機】は、【目的】は、【渇望】は、【苦難】は、何一つ。終わりも閉じも正せも消えもしていないぞ」
頭の中に浮き上がる。
事件のことを尋ねる為に訪問した、藤間圭介の父親の、『心底くだらない』と唾されているような態度。
少年が震えながら語った、吐き気を催す思い出話。
「この状況は君にとっての課題なのだろうさ。上から命じられた仕事で、放っておく訳にはいかない異変で、とにかく何らかの功績を持ち帰らねば面子が立たない。元凶が自らの関係者であったことを含め、世間に話題が燃え広がる前に火消しも考えなければ。それら全ては、一刻も早く行方不明の子供たちを無事に保護者へ引き渡して始まるわけだが」
「…………」
「なあ、田中職員よ。きみはもう知っているだろう。彼らの望みを。彼らの選択を。彼らの意思を。彼らの苦悩を」
その為に取材をした。
さっき、直接話も聞いた。
おかげで、田中は理解している。
本来、暴力など好まない、ここでは年下の兄貴分として支えとなった藤間圭介が。
【居心地のいい場所】を与えられただけの子供たちへ、真に天岩戸を【安らげるところ】として成り立たせた、心優しき彼が。
【自分たちを探し、元の場所に帰そうとしている相手】の存在を知った結果、どのように必死にならざるを得なかったのかを。
見上げていた視線を戻し、周囲を見渡す。
皆、一様だった。
藤間少年以下、十二人の子供たちは、全員がその顔に不本意と、そしてそれを上回る、きっとこれまでの人生で何度と無く浮かべてきたのであろう、枯れた諦念を湛えていた。
「見たな。知ったな。今、感じたな? いいぞ、その上で答えてくれ」
天照は言う。
突きつける。
逃れられぬ、解答を。
「何処にも帰れなかった子供たちの。奇跡のように巡り会えた、彼らにとっての“異世界”を。剥奪していい道理は何だ? 誰もが再び、望まぬ環境に置き去りにされるとわかっていて――それでも君はこの子らに、『現実を見ろ』と言うのかい?」
喉も。
胸も。
詰まりそうな、切実さ。
――――それは、しかし。
反論する言葉が無いから、ではない。
これから。
自分が伝えようとしていることが、あまりにも酷だからこそ。
田中は、一瞬、逡巡した。
そして、
「はい」
その、隙間に。
別の声が、差し込まれた。
「……何?」
「私は、貴女に。異議を唱えます、天照さん」
確固たる、眼差し。
名無しの女神が、天照を、真っ直ぐに見つめている。
「貴女の創った、この空間が。天岩戸が、【一時の苦難を忘れる、娯楽の場所】というのなら。心地よく人を癒す……けれどそれでも、どこまでも“閉じた世界”でしかないならば」
「――――」
「育まれないものがある。それはとても大切で、不可欠なものだ。未来ある子らの成長を、神の勝手な見限りで、妨げてはいけない」
「議題が逸れているね」
興味と、嗜虐。
弄び楽しむ声色で、天照が言葉を返す。
「ぼくの質問は、【子供たちを如何に守るのか】、【大人の都合に巻き込む是非について】だ。『あなたの将来が心配だから』なんていう、いかにもありふれた正論を言い訳にした不条理の強行など、お呼びじゃあないんだよ、何処かの世界の名無しの女神。――――それとも、何かな。まさか、【太陽神】は【創造神】より、格下だとでも言いたいのかい?」
急速に高まる緊迫感。
見詰め合う神、二柱。
「うえぇぇぇっ!? いいえ、そんなまさかッ!」
それも、長続きしなかった。
先に折れたのは、女神のほうだ。彼女はぶんぶんと手を振り、【とんでもない】のボディランゲージをそれは必死に行う。
「わ、私なんて、所詮はまだ創造神の役職についてからまだ三百年足らずのペーペーですよ!? しかもまだ、天照様のように何一つ、信仰を集められるようなことを成し遂げられておりません! 断言いたしますけれど! 私は天照様のこと、とても凄くて偉大で、人間思いの方であると心より尊敬しておりますとも! ええ、この後には是非、連絡先を交換して頂きたいほどに!」
にわかにざわめきが生まれた。さっきまでは正面から否定するようなことを言っておいて、今度は急に尻尾を振る、媚びるような発言をした女神に、子供たちは困惑する。
――けれど。
「……では。きみは一体、そんな相手に何を聞かせてくれるのかな?」
「はいッ!」
田中は。
天使は。
そして、天照は。
名無しの女神の、弱気と強気、異議と賛同、一見して反する二つを持ち合わせながら、それでも。
自身のやるべきと感じたことを、曲げず揺るがず見失わない、彼女の姿勢に、それぞれの笑みを浮かべた。
「それは、勿論ッ! 私が学び、私が信じ、きっと、私だからこそ言える――――尊敬する相手にだって、胸を張って言い切れるッ! そんな辛さの乗り越えかたです、天照大神様!」
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