三章・22



「おれの事情は、そんな感じ」


 グラスに入ったオレンジジュースを、藤間少年はストローでと啜った。


「皆が皆、そういうんじゃねえけどよ。同じなのは、【元々のところにいらんなくなった】、【どっかに行っちまいたいぐらい自分の境遇にうんざりした】――ってことかな」


 田中たち外部組に、藤間少年たち内部組が話し合っているのは、松衣幽霊城――改め、天岩戸内部の一室、広い多目的談話室だ。


 二十名弱が悠々と集える広いフロアには、ご丁寧なことにドリンクバーや各種ホットスナックの自販機までもが無料で開放されている。


 上位下位の区切りを持たない、向こうもこちらも繋がった円卓に座り、田中はようやく、【松衣幽霊城事件】の全容を把握しつつあった。


「つまり君たちは、誰に強制されたり、攫われたりしたわけでもなく。それぞれが自ら望んで、別々にこの場所にやってきて、自らの意思で留まっていたんだね」


 十二人の子供たちが各々の仕草で肯定を示す。

 それを見れば、彼らがここで少なくとも“辛い思い”をしてはいないことは窺える。

 案内図を見て、そして、話を始める前に実際に確認を済ませてもいる。


 天岩戸の居住性、そして娯楽施設としての快適性ときたら、それはもう凄まじい。

 骨休めの場所として、また悩みから解放されてくつろぐ場所としては、そんじょそこらの高級ホテルやレジャーランドにも引けを取らない。


 巨額の資産と神様としての権能を惜しげもなく投じられた施設はそれこそ現実離れしたド凄いクオリティであり、各種アトラクションの整備や安全性配慮も隅から隅まで行き届いていた。


 それらの整備、施設運営に携わるスタッフは、天照の太陽神としての力から生み出された“闇”や“稲の茎”を機織るように材料とした自動人形であり、施設利用者ゲストの様々な要望に懇切丁寧親身になったお応えするのだ。事実、田中たちはそれによって先程この場所にも案内され、飲み物まで給仕された。


 まさしく、至れり尽くせりの快適空間。

【無いものは窓だけですね】とは、案内パンフレットに書かれていたこれまでの来訪者、付き合いのある他の神、ギリシャ神話に於ける冥府の主、ハデスからの太鼓判だった。


「――そうか。それなら、うん。まずは、僕らも一安心だ」


 胸を撫で下ろしながら、複雑な心境を抱く。

 喜ばしいこととは言い辛い、しかし、田中はそれでも思ってしまう――きっと彼らは、この子供たちは、行方不明になる前よりずっと、血色のいい顔をしているのだろうな、と。 

 

「……なあ、田中。おれたち、これからどうなるんだ?」


 ――そうだ。

 その問題こそ、避けては決して通れない。


「とりあえず。幽霊城事件の全容が、誘拐とかの犯罪じゃなく――辛い家庭環境に耐え兼ねた子供たちの集団避難だったってことは、僕がしっかりと、他の人にも伝えるよ」

「……やっぱ。こんな騒ぎになって、すっげぇ叱られたりするんだよな」


 不安が如実に浮かぶ。

 彼らは、天岩戸の中で監禁や拘束を受けていたわけではない。その行動の自由は常に認められており、好きな時に外に出ることも、帰ることも出来た。

 

 事実、何人かはちょこちょこと松衣を歩いており、だからこそ昨日田中はちょっかいを出され、今日は天使が、曰く、自分たちの事情を伝え、攫われた。


 ――彼らの境遇は、十分に同情に値する。

 配慮を受けて然るべきな、不当の苦難に晒されている。


 けれど、別だ。

 藤間少年も勘付いている通り、法治国家の基準に照らせば少年少女の状況と行動は『かわいそうだから』と放置出来る一線を、とうに越えてしまって。

 

「天照姉ちゃんも、怒られるのか?」

 

 そのことも。

 田中は、明らかにしておかねばならなかった。


「天照主祭神。あなたの動機を、お聞かせ願えますか」

「そりゃあ勿論」


 一人――というか、一柱ひとはしら

 席に着かず、円卓の中央の、その上でふよふよと浮くソファに寝そべっている天照は、答える。


「困っている人間を助けるのが神様だからさっ!」


 いきいきとした発言。田中に向けて突き出される親指。ペロリと出ている舌。


「主祭神」

「はいな」

「説得力がありません」

「部下にひっでぇこと言われたー」


 まるで動じたふうもなく、けらけらと笑う天照。


「うん、まったくその通り。流石は異世界転生課職員、主祭神のをよぉく知ってるじゃあないか」


 ――天照大神。

 彼女は地球世界の、日ノ本の、根幹に関わる偉大な神々の一柱であると同時に、数々の困った逸話を持つ。


 その最たるものと言えるのが、【天岩戸事件】だ。

 太陽神たる彼女が天岩戸という洞窟に引き篭ってしまったことで、地球の現世のみならず、彼女ら神々が住まう上位存在領域・高天原までもが闇に閉ざされ、結果多くの【まが】が発生、大混乱に陥ったという。


神様ぼくらは決して、理想の具現なんかじゃあない。時に気まぐれで、最適でも最善でもなく、自らの意思と判断基準を持つ。個人的な我儘、身勝手な情動、軽率な行為で傍迷惑を引き起こすことにかけて、こと神々ってのは、人間に負けちゃあいない。むしろ持っている力が段違いな分だけタチが悪いし、そして何が一番最悪かって――」

「――神を裁く権利は、同じ神のみが持ち得る」

「【出来る】【出来ない】の点でなら、神代まで遡れば事例がないわけじゃあないんだけどね。現在、現代、この世暦の、【神々との交流に人間社会の決定的な立脚点が置かれた】ヒエラルキィの中に、神はそれまでの威光、自らが起こす奇跡の影響とは異なる【憲法の盾】を確立した」


 手応え、と言い換えられる。

 実感、と呼んでもいい。

 世暦制定以前と違い、もはやあらゆる世界に於いて、神々とは、【一部の者のみが信奉する概念】ではなく、【確かに実在する絶対的な上位存在】なのだ。


 身近にあり。

 言葉が通じ。

 そして、頭が上がらない。

 

「早い話、人間以上に自我旺盛なぼくたちが、どれほどその結果迷惑を及ぼしたところで、人々の振るう【罪と罰】の物差しには縛られない。矢印は常に上から下へ――その理は、絶対だ」

「あなたにとって」


 そこに。

 口を挟んだのは、彼女だった。


「人々は。人間は――どう好きにしても構わない、ちっぽけで些細なものだとおっしゃるんですか、天照さん」


 ――名無しの女神。

 この場で唯一、天照大神と、位階を同じにする存在。

 異世界の、創造神。


「子供たちを迎え入れたのも、」

「単なる気まぐれで、面白半分」


 笑い混じりに、天照は言った。


「夏のこれぐらいの時期は、高天原や神宮の社から離れ、日本のどこかで誰にも関わらずのんびり隠れて過ごすのが趣味でね。その場所を決める為のロケハンをしていたわけさ」


 娯楽施設としての側面。

 だけではなく、かつて彼女が引き篭もった天岩戸は、【移動手段】としての機能も持つ。


 例の傍迷惑な事件の後、天照は天岩戸を己の所有物とし、更に自分好みの場所にする為の改増築にリフォームを繰り返しており、今となってはその中が世界で一番安らげる場所だというのは、まあそれなりに有名な話だ。


 地球の人間社会風に言うならば、【とてつもなくデカく、かつ多機能なキャンピング・カー】とでも例えられるだろうか。誰にも気を張らずくつろげ、行きたいところに持っていける、自分だけの空間ということで。


「そしたら、一般人には見られないよう座標軸をズラしていたはずの天岩戸が、発見されてしまったんだ。そうなるともう仕方がないじゃないか。ほら、人の作った決まりならいくらでも破りようがあるけれど――自分に誓った方針ってのは、これが中々背き難いものだから」

「……方針?」

「藤間くんの語りでも聞いただろう?」


 ぼくは。

 家から飛び出した子供ってやつを、見捨てないことにしている。


「【嫌な家族の居る場所になんて帰りたくない】。その気持ちは、無性に理解できるんだよ」


 有名な話だ。

 天照大神が、かつて高天原で天岩戸に篭もった――逃げ込んだのは、粗暴に振舞う弟神、|須佐之男命《スサノオノミコト》との不仲が原因であったことは。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る