二章・08



 不夜王城街グヤンリー。

 そこに纏わる戦の歴史、【暗夜に浮かぶ徘徊者】と繰り広げられた血と涙の物語は、世歴制定の直後、他の世界から訪れた或る異邦人によって終わりを告げた。


 悲しみは去り、剣は置かれ、けれど後には風習が、形を変えて残される。

 泣き顔でなく笑顔の為に。

 日毎避けられぬ闇の訪れを。

 やり過ごすのではなく、ただ満喫する為に。


「ふぅわぁ……!」


 おそらく、本人も意図していない感動の息。

 見上げる瞳に映るのは、遥か空より来る夜を、押し止め支えんとするかのような地の光。


 高く、眩しく、美しく。

 どこまでもどこまでも果てはなく、街は、城は、人々は、この一夜を、昼に負けない活気の光で照らし出す。


 不夜王城街グヤンリー。

 かつては怪物を寄せ付けぬ為に。

 今は人々を呼び盛り上がる為に。

 七日七晩の夜を徹し、世界は祭りで包まれる。


「こ、困りましたね、田中さん……これ、どこから回ればいいのでしょうか……!?」


 それもまた醍醐味だ。

 あれにもこれにもそれにもどれにも、存分に目移りすればいい。繋がるようにあちらへこちらへ、忙しなく導かれるといい。


 それが祭りだ。

 浮かれて楽しむ大騒ぎだ。

 冷静さなど、遠慮など。

 早めにしまうが、この場を味わう最大のコツ。


「めが……工藤さんの、行きたいほうに行きましょう。どこへでもお付き合い致しますよ」


 何せ、今日は特別だ。

 念入りの計らい、どうせ乗るなら目一杯。考えるより動くべきで、止まっている時間が惜しい。


「は、……はい! では私、あちらに行ってみたいです!」


 王城街の入口の、三叉に伸びた道の、正面方向が指差される。

 何ともわかりやすい。工藤は内心で微笑ましい気分を味わう。

 正面の道のその奥には、大道芸の舞台が出ていた。


「では、あちらに。……そうですね」


 つい、と田中は女神へ手を伸ばす。


「さすがは全世界的に有名なお祭りだ。人込みではぐれないよう、お手を失礼してもよろしいですか?」

「…………っ! も、勿論です、こんな手でよければどうぞ、お好きなだけいくらでも……! って、こ、こんな言い方したら、工藤さんに失礼ですよね!? ああもう私ってば思慮が足りないんですから! ごめんなさい工藤さんこんななんてとんでもないです、私から見ても羨ましくなるすべすべなお手手です……!」

「はは。ともあれ、それはありがたい。慣れない履物でしょうし、御足元も気をつけて」


 言った傍から転びかけ、田中がその身体を支える。すみません、とどもりながら言う女神は、というかその身体は工藤なのだが、来ている服が今夜は特殊だ。

 浴衣。

 裾から覗く足元は、足袋に下駄を履いている。


「――祭りに行くなら欠かせない、って工藤さんが用意していたものですけれど。慣れないもので大丈夫ですか? 歩幅はゆったり目に歩きますが、辛かったら言ってくださいね」

「つ、つ、辛くなんてありませんとも無理なんてしていませんとも! その、むしろ、」

「?」

「…………新しい体験というのは、素晴らしいものですね! 田中さんっ!」


 彼女もそうだが彼もそうだ。

 これまで田中はこんなにも、【子供みたいに屈託の無い満面の笑みの工藤】を見たことはない。

 中々得難く、新鮮だ。


「ええ、本当に」


 そうして。

 二人は手を繋ぎ、異国の、異世界の、祭りの中へと歩いていく。


 歴史ある石畳の道。

 煌々と輝く娯楽の灯。

 四方八方から響き、無数に重なる楽団たちの音楽に、からころと鳴る軽快な下駄の音が混じる。  



                 ■■■■■



 異世界和親条約。

 それは簡潔に言うならば、【今とは違う異世界で新しい人生を始める為の制度】だ。

 ここでミソとなるのは、という点である。


 けれど、そこにはいくつかの例外が存在している。

 異世界転生に携わる公務に当たっている者、または新たな転生希望者を募る為に創造神が主催するイベントへ参加する者だ。


 世暦もその始まりから、来年で三百年。

 今や異世界転生は全世界の全知的生命体に与えられた平等の権利であり、また、それは創造神の界隈にとっても同等だった。


 平たく言えば。

 神々だって人気が欲しいし、その為ならば努力する。

 それが【異世界見学会オープンワールド】。各世界の創造神が主催する一日体験。

 その際にのみ、人は異世界に遊びに行くことが出来るのである。


 ただし、転生希望と同じに、その参加もまた抽選制。

 創造神グヤンドランガの世界で行われる不夜王城街グヤンリーの夜祭など、それこそ確実に体験する為に転生を行う者が絶えないほどの倍率だ。


 ……恐るべきは。

 そんな全世界的プラチナチケットを、工藤はあっさりと用意してしまったということ。


 しかも、グヤンリー王族が発行の権利を持つ特別招待枠。天使づてに受けた説明では、「なんでも『以前仕事をした時にちょっとした事情で個人的な親交を結んだことがあり、チケットが送られてきた。使うアテもなく持て余していたからこちらとしても丁度良かった』、だそうです」とのことだった。


 凄まじきは敏腕異世界コンサルタント。

 田中は改めて、自分と彼女の格の違いを思い知る。

 ……ただ。


「うわぁ……うっわぁぁああ…………!」


 その敏腕は、現在、少女のような眼差しで、いくつもの文化が溶け合い調和し、或いはぶつかりながらも半ば混ざりつつ並立する、異世界の祭りの夜に圧倒されている。


 一見すればそれらはみなてんでバラバラのようにも見える。だがその根底、どのブロックで催されている大騒ぎの中にも、共通したイメージを持つ。

 武具。

 兵装。

 狩猟。

 勇猛。

 煌びやかさを支える芯、獲得への情熱と生を謳歌する力強さ。


 世界の名は、基本的にそれを生み出した創造神と同じ名を冠する。異世界グヤンドランガは、意志を持ち願望に挑み、困難を乗り越えて誉れを得ることを、何よりも尊ぶべき理としている。


 火と鉄を崇める文化から発展した冶金学は、その他の技術や分野に幅広く応用され進歩を助け、大きいものならばあの夜天に雄々しく聳える、どのような戦でも決して陥落することの無かった立派な王城を創り上げた。


 生活に身近なところでいえば、グヤンドランガ製の特殊加工を施された釜で焼かれたパンは、雲のような柔らかさで子供から老人にまで愛される。

 他世界からの異世界見学会参加者だと分かり易い格好のせいか、数歩進む度にお里自慢の売店から声が掛かる。


 家の手伝いをしているらしい少女から手渡されたゴルフボール大の大きさにカットされた加熱冷却済みの特産果実を口にした途端、田中と工藤は未体験の食感と甘さの中にほのかな酸味と熱を残す不思議な味に思わず顔を見合わせた。


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