二章・07
「こんばんは、田中さん」
仰け反った。
心もそうだが反射的に身体が動いた。
金曜の夜。
いつものように訪れた、女神の異世界転生課。
そこには、
「く、く、く、工藤さん……!?」
「なんですかその反応。私がここにいることが、そんなに面白いですか?」
ソファに座った彼女が、湯気立つ湯呑を傾ける。
どうしたわけか、他の人はいない。
天使も女神も、席を外しているようだった。
「い、いやその、なんていうかな」
田中と工藤は、先々週、軽い口論……とも言えない言い争い、異世界創造の手伝いに対する見解を指摘されて依頼、仕事がやたら忙しくなったことも相俟って、係の違う二人は今日までろくに話が出来ずにいたのだ。昼に食堂へ連れ立つことも、夜居酒屋でぐだぐだとだらけることも途切れていた。
そこからの急な面会。
予期せぬ場面で再会。
唐突に与えられた機会は田中の思考をブン殴り、おたおたと慌てさせる。
「じゃあなんですか。ははあ。わかりました。面白いのでないのであれば、つまり面白くはないと。そうですね。そうですよね、当然です。自分の仕事場に突然別の係の人間が横入りしてきて笑っていられるのは余程鈍い盆暗でしょう。安心しました田中さん、面子に泥を塗られれば黙っていられない程度には、貴方は骨があるようだ」
「そんなことはどうでもいいよ」
あからさまな当て擦りに。
田中は、反射的に答えた。
考えるより先に出た、だからこそ、飾らない本音を。
「僕の面子や建前なんて今更君にどう守るのさ。恥ずかしいとこ情けないとこ、工藤さんは何から何まで知ってるじゃないか。だからとりあえず、ひとつだけ教えてくれ」
「……気が向けば」
「昨日、君のところ、あの女神様が来てただろう。それはわかる。でも、何を話していたかは僕は勿論知らないし知る権利が無い。それに、そっちも究極的にはどうだっていい。聞きたいのは簡単だ」
「前置きはいりません。本題を率直に、」
「彼女を幸福にしてくれるか?」
「っ、」
「女神様を。あの方を、最適じゃなくても最善のほうへ、正しい方向へと進ませてくれるか、工藤さん。“はい”か“いいえ”で答えてくれ。それだけでいい。君が僕の情けないところ頼りないところ恥ずかしいところつまらないところを知っているのと同じだけ、僕は君の、有能なところ頼もしいところ素晴らしいところかっこいいところを知ってるつもりだ。工藤さんが信頼に値する人物だということに、一片も疑う余地は無い。君になら僕は、安心して彼女を任せられる」
「…………」
「頼むよ、工藤さん。はいと言ってくれ。そうであるなら僕はすっぱり、君たちを応援していく方に切り替える」
傍に立ち、見下ろしながら。
田中がそう言い切った、途端のことだ。
鉄面皮の色を保っていた工藤が、口の辺りをきゅっと、何かを堪えるように動かしたかと思うと、いきなり、素早く、俯いた。
「――工藤さん。出来れば、天使さんと女神様が帰ってくる前に、」
「すみません」
「……ふ?」
「すみ、すみません、その」
「ゲェーーーーーーーーーーーーッッッット!!!!」
一瞬で振り切れた。
何がと言えば、田中の処理限界が。
まず、手狭な室内唯一の事務机の下から、樽に剣をブッ刺された海賊が如き勢いで、隠れ潜んでいた天使が雄叫びと共に跳び上がる。
その手にはプラカード。
頭の痛くなるようなフォントでデカデカと書かれた【ドッキリ大成功】の文字。
炊かれたカメラのフラッシュにも、一切反応出来なかった。
「はっはっはっは、いい顔だッ! そう、それが欲しかったッ! まったく君は最高だな、最ッ高の引っかかりかたをしてくれたッ! 実に素敵なものを見せてくれたな、ありがとうと言わせて貰おうミスタータナカッ!!!!」
「……は?」
「何を隠そう! その人は! 才色兼備のコンサルタンター工藤さんでは…………ぁございませんッ!」
大した仕込みであった。
勢いがままにプラカードを投げ捨てると、天使はどこからかマイクを取り出し、
宣言する。
「それではミス工藤
「あ、あの、田中さん……私、その、女神、です」
「イェーーーーイッ! その美しさ、健在なりやーーーーっっっっ!!!!」
彼女は。
工藤の姿で。
工藤の声で。
けれど、その仕草は、言い方は、振舞いは、確かに、完全に――田中の知る女神のそれで、打ち明けた。
「……………………ゑ゛?」
「わ! 私もその、こんなことはいけないってわかっていたんですけれど! でもこれが交換条件だって言われて! これをしなきゃあお手伝いは出来ませんって言われたのであくまでも仕方がなくですね!?」
「ははは! またまた、何を言っているんですか我が女神、お忘れになられました!? 昨晩工藤さんを連れてお戻りになられたときはあんなに乗り気だったではないですか!」
「え、」
「ッ、!」
「『田中さんはどんなふうに反応なされるでしょうね、悪いですけど気になりますね、仕方ないからいいですよね』って。それがちょぉっと予測しない類の反応だったからって、何を弱気になられていますか!」
「あ、あ、あの、違、違うんですよ、田中さん、その、こ、これは私もつい悪ふざけが過ぎたといいますか、」
「ここですよここ! こここそが詰めの一手の好機です! いい女とは、男を幸福に手玉に取り、何があっても最後まで振り向かず走り抜けるものなのですから! 恐れることは無い、貴女様にはその資格が十二分に有ると存じます! さささささささッ! いざ! 今! ハグの一つでもかましてやるべきと不肖天使は申しますもともッ!」
「った、頼むから天使は黙っててぇぇぇぇっ!」
呆然が、終わらない。
傍から見ればさぞや間抜けな有様だろうと田中は思う。頭が追いつかず、身体がついてこない。何を言うべきか、何を考えるかも定まらず、開けた口を閉じることさえ思いつかない。
「――――っ、は、はい、わかりました」
「…………」
「た、田中さん、その、工藤さんから、伝言です」
「…………」
「『田中さん、ぐっじょぶ』と。ど、どういう意味でしょうか……?」
「…………」
「あ、で、でも、わかる、気がします。――――っ!」
「…………」
「す、すいません、突然にこんな、目を背けたり、失礼だってわかってるんですけど、どうしてもその、む、無理でっ、まともに合わせられなくて…………」
「…………」
「…………た、」
「…………」
「田中、さん。…………お仕事中じゃない時は、自分のこと、…………『僕』、って、言ってるんですね。…………えへへ」
それから。
田中の思考がこの事態からそれなりにでも回復し、事情を把握しようと考えられる程度になるまで、十分程度の時間を要した。
放っておけば永久に続くのではないかと思えるほど互いにテンションを増幅しあって大騒ぎする天使と女神――を名乗る工藤に対し、
まず思ったのは、単純なこと。
二ヶ月付き合ってきて、今日、初めて発見したこと。
とても些細で。
けれど、何よりの、収穫。
こんなふうに打ち解けて喋ってるんだな、二人共。
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