二章・05
「天使さん。あなたには頷くことが出来ない話ですから、私が勝手に話します」
「え、」
「あの女神様には、創造神として足りないものが多すぎる」
ともすれば、自らの主にぶつけられたあるまじき侮辱。
天使がぶるりと震えても、ソファから腰を上げなかった理由など一つしかない。
田中の目が。
その態度が、決して、女神の尊厳を傷つけようとしているものではなかったから。
それがわかったからこそ、天使は落ち着きを失い切らず、次の言葉を聞く姿勢に戻れたのだった。
「女神様がこれから創ろうとしている世界と、他の創造神様たちが既に多くの転生者を招いている世界。その違いは明確だ」
「……」
「最初から用意されたものじゃあなく、そこに産まれ、生き、育った者達が創り上げた、時代の変遷、文明の足跡、進歩と衰退、隆盛と滅亡、全てを包み込む、【時間】」
「……あ、」
「形のないものではあるけれど、それが決して無意味なものでも、不必要なものでもないということは、異世界転生課が蒐集してきた数々のデータから既に証明されています。そして、多くの異世界転生希望者は、そういったものを参考に、自分達の世界とは違う道程を歩み、積み重ねた場所を、その【歴史】をこそ。時間と、そこに住む者たちの営みが生み出した、【厚み】を欲するということも」
【転生】とは。
それを行う当人にとって、一大決心の大勝負だ。決して安易な気持ち、失敗してもいいつもりで、文字通りの【住む世界】を変える者などいない。
何せ。
【異世界転生】を行える回数には、神々が定めた、異世界和親条約に基づく取り決めがある。
全生命体、一律三回。
二度までは、しくじろうとまだ次のチャンスがある。
だが、三回の権利を消費してしまったら、もう――
――自分の生まれた世界にすら、帰れない。
「つい最近、再創造されたばかりの、歴史無き世界。転生希望者受け入れの表明以後、三百年近くに渡って誰も招くことが出来なかった創造神の世界。そうした事情がどれだけ、この、星のより多くの転生先がある時代で、生涯通してたった三回の機会を浪費してまで選ぼうと思うのを妨げるかは、考えるまでもありません」
「……」
「現状、たとえ女神様が、どこかの人気の異世界を完璧に模倣にして、そっくりの代物を創り上げたとしても。或いは、人の脆弱さをきちんと理解され、転生するに足る快適さと魅力ある世界を創り上げたとしても、きっと、他でもない彼女の過去が足を引く。その現実を覆すことは難しいでしょう。それはつまり、この世暦という時代の、様々な世界に生きる人々に広まり根付いた【異世界転生観】を、強引に否定するということ他ならないのですから」
そのように、語りながら。
けれど田中の表情には、やはり、一度として浮かんでいない。
諦めが。
迷いが。
もう嫌だという、弱音の色が。
「けれど。その横合いから指を差し込む道理も無い強固な道理を――正面から突破する方法ならば存在します」
「――――」
「多少、長い目で見なければなりませんがね」
「それは、」
天使が。
ずっと、閉じていた口を開いた。
「正しい世界を創る、だけでなく。創られる世界を――世界を創り出す創造神をも、同時に育てていく、ということか」
工藤の示した方法。
最適を拒んだ理由。
田中が目指したのは、つまり、最善であったということ。
彼は。
女神が目的とする、【人が転生したくなる世界】――では、なく。
その先の。
【正しい世界を創れる創造神を作ること】を、目的と定めたのだ。
「いやはや。中々に、骨の折れる案件です」
飄々としたふうに言う。
ぬけぬけと、よくもまあいけしゃあしゃあと。
その為に必要なもの。
女神自身の成長。世界との接合。段階を踏んだ認識の拡大。
そこに辿り着くまでに、一体、どれほどの苦難が待つものか。
計り知れない旅路の中に、確かなことが一つある。
骨が折れると彼は言った。
冗談ではない。
骨が崩れて砂になろうと、その寿命が終わりを迎えて遺骸が形を失おうとも、これからたった百年に満たない程度の束の間で、田中の描いた理想と願いが形を結ぶわけがない。
絶対に。
「世歴が始まってからこちら、かつての使い方はとんとされなくなってきましたがね。――私は、次の生では彼女の世界に転生しようと、一応はそうしたぐらいの覚悟でやっているんですよ、天使さん。勿論、とうの女神様が、お嫌でなければの方針なのですが」
「――――」
「やっぱり私には、いくら手早いとしても、付け焼刃で理想的な異世界を創り上げる方法を、どうしてもお奨め出来ない。だって、そんなふうにして創った世界では、手入れの仕方もわからない。彼女が自分で創り上げ、そこに人々が住むようになった世界を、ちょっとしたミスで台無しにしてしまうような真似だけは、絶対にさせたくありませんから。その為ならば、私が行う苦労など、何の問題にもなりません」
「――――何故、」
当然の疑問が、飛んできた。
「何故、タナカは我が女神に、そこまでのものを賭けるのだ」
これに対して。
田中は実にシンプルな、考えてみれば確かにそうだと誰もが頷く一言を、一瞬の逡巡も挟むことなく即答した。
「これが私の、仕事ですから」
それだけではっきり知れる。
彼にとってその“理由”が、とても身近に存在する、人生の指針であったのだと。
「……タナカ」
「はい」
「奇妙なものだな、コウムインとは」
「私は不良なほうですけれど。なので、今の話、くれぐれも本神にはナイショにしておいてくださいね?」
おどけるように立てた指を口元に当て、持参してきたお茶請けの、団子の皿を天使に差し出す。
天使はそれを受け取りながら、勿論だとにんまり笑う。
その胸中に抱いた決意を、ここでは微塵も悟らせず。
――そして。
これをきっかけに動き出したある暗躍が実を結ぶのは、田中が、自らの身勝手のツケを支払うことになるのは、これより、もう一月の後になる。
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