第3話 潜入ミッション!



 子供とは時に大人の想像を遥かに上回る事を仕出かすものである。



「フッフッフッ……」


 なんとあれから1週間で俺はスムーズな歩行を可能とした。


 見よっ、ムーンウォークもかくやというこの滑らかな足捌きを(※摺り足にはなっていません)!


 因みにムーンウォークはまだ出来ない。

我が子がちゃんと前向きに人生を歩み始める前にもの凄い速さで後ろ向きに歩み出したら、きっとご両親の心境は複雑だろう。


 というわけで。

かねてよりの潜入作戦本日ここに決行である。



「ゆっくりとおやすみなさいね、アルちゃん」


 母上の手でベッドに連れて来られた俺は、横になるなり眠そうに欠伸をし、すぐに目を閉じる。


 母上の告げるお休みが耳に心地良く、胸に痛い。

痛いほど心臓が高鳴っていた。


 暫くすると静かに部屋の扉が閉まる音がする。

念の為にと少し長めに寝たふりを続けていた俺は、ゆっくりと目を開けた。


 ミッション開始だ。


 そろりとベッドを降り、扉に歩み寄ってなるべく音を立てないようにゆっくりと押し開く。

蝶番に適度に油を注され、きちんと手入れを施された扉は子供の力でも簡単に開けることが出来た。

僅かに作った隙間から廊下へと身体を滑り込ませた。


 よし、とりあえずは脱出成功だな。

小さくガッツポーズをして、首を廻らせた。



 右良し、左良し、正面は花瓶のみ。

背後は俺の部屋。


 よし、敵影無し、全面クリアだ!

一つずつ点検するように指差してきっちりと確認する。


 やばい、すごい楽しい。


 無線機があればもっと雰囲気が出るんだろうか?

『こちらL1。R2、応答せよ』とか言ってみたい。


 トランシーバーは魔道具で代用が効かなくもないか?

まあ、今の俺がやっても完全に一人芝居だけどな、とほり。


 右は確か玄関ホールへ続いていたはずだ。

父上の書斎も書庫も、反対側だ。


 父上の書斎及び寝室はこの屋敷の最奥部に位置付けられている。

となるとまずは書庫を目指すべきか。


 ただの自宅探索と侮あなどるなかれ。

シックザール家はアイヒベルガー皇国でも有数の貴族である。

その本家屋敷ともなれば、日本の邸宅の規模とは比べ物にならない。

ぶっちゃけ体力的な不安が半面、迷子の心配が半面である。


 ハッハッハ、インドア派の恐ろしさを思い知れ。


 後者はより深刻だ。

家の中でもまだ入ったことのない部屋などたくさんある。

一つひとつ扉の向こうを改めていきたいところだが、今はその時ではない。


 また、どこぞのテーマパークと違って深部への賊の侵入を防ぐべく屋敷全体が複雑な構造となっており、案内板や地図なども存在しない。

その全容は大昔にこの屋敷を手掛けた建築家と、代々のシックザール家当主だけが知っているのだ。


 ゲーム本編のシナリオには謎の多いアルフレートの生い立ちを探ろうと家捜しをしたヒロインが、何故か大陸の果ての砂漠に飛ばされた挙げ句、謎の変死を遂げるエンドすら存在していた。

つまり、自宅だからといって油断は禁物である。


 これだけの要素が揃っていたら慎重にならざるをえないだろう。

せっかく転生したのに、ここで終わりだなんて無念過ぎる。

逆に、危険と承知していてそれでも探索を決行するのは、一回死んでいるせいかもしれないが。


 それにこれは推論でしかないが、この俺の身体にシックザール家の血が流れている以上、ある程度の身の安全は確保されている筈だ。

でなければいくら油断しているとはいえ、聡明と名高い父上と母上が俺を野放しにする筈がない。

そんじょそこらの賊がこの屋敷に侵入したところで、母上に駆逐されて終わりなのもまた疑いようのない事実なのだが。


 物は備え、ということなのだろう。

何がトリガーとなってどんな仕掛けがされているのかはわからないので、あまり不用意に周囲の物に触れてしまわないよう、注意しなくては。


 もう一度周囲に人影がないか確認し、俺は書庫を目指しておっかなびっくり足を進めるのだった。




 抜き足、差し足、忍び足。

そんな言葉が聞こえてきそうなほど慎重に書庫への道を辿る。

やけに大きく聞こえる衣擦れの音と高鳴る心臓を携えた俺の足取りは牛歩並と云えた。

それでも一歩一歩確実に目的地へと近付いている。


「はふぅ~……」


 相変わらず人気のない廊下で思わず小さな吐息を洩らした。

そういえば子供って大人より体温が高いから、汗を掻きやすいんだっけ、などど頭の隅で考えながら額に浮かんだ汗を拭った。



――此処だ。


 俺の部屋の扉の同様、その扉は何の抵抗も無くするりと開いた。

一歩踏み込むと、埃の匂いに交じって古い本特有の不思議な甘い香りが鼻をついた。


 一度だけ、父上がこの部屋に入っていくのを見かけた事があった。


 部屋の周囲をぐるりと、天井まで届こうかという高さの本棚が囲んでいる。

その他理路整然と沢山の本棚が配置されていたが、収まりきらないのか脇の方に雑然と積み上げられた本や羊皮紙の山が対照的に映る。



「しゅごー……」


 圧倒的な蔵書の数に感嘆の声が溢れる。


 千や二千じゃないだろう、この数は。

代々引き継がれてきたに違いない。

何代か前に本好きな当主でも居たのだろうか?


 手近な棚から適当な本を抜き取ってみる。



『王家の谷』『アイヒベルガー皇国建国記』『世界毒舌大辞典』『これであなたも耳掻き名人』『西の果てへ~あの子を求めて三百年~』



 ……何だろう、途中から変なタイトルが目に入った気がする。

毒舌とか耳掻き名人とか微妙に気になるけどさ!


 こんな立派な書庫の蔵書にそんなものが紛れているなんて思いたくない。

それが我が家の書庫なら尚更、何かの間違いであって欲しい。


 建国記は後で読むとして、他に目ぼしい本がないか先に見てみよう。


とその前に、引っ張り出した本をきちんとお片付けしないとな。

俺は良い子だからな。


 どや顔で良い子宣言をした俺がその後、いらない本を棚に戻す作業に四苦八苦したのは言うまでもない。

子供のふりゃふにゃした非力な手でこんな分厚い本を扱えという方が無理があるんだよ!

俺の手より大きい本が悪い。


 と、逆ギレしながら乱雑に本を押し込んだ俺を戒めるかのように、何処からともなく飛び出してきた本が顔面ビンタをお見舞いしてくれた――はっ、これが本当の飛び出す本か!――というのもまた余談である。


 いっ、痛くないもんね!



「ちかれた(疲れた)……」


 漸く本を元の棚に戻し終わり、どっと押し寄せてきた疲労感を紛らすかのようにもう一度室内を見渡すと、頭上から外の明かりが射し込んでいるのに気付く。

見上げると、天井の一部がステンドグラスのようになっているのが判る。


 空から降り注ぐ光に導かれるように部屋の奥へと進むと、一際強く照らし出された一冊の本が目に留まった。


 ごく自然に手を伸ばし、背表紙に指先が触れたと思った瞬間、ピリッと静電気のような感覚が走って反射的に引っ込める。

紅葉のような小さな己の掌をまじまじと見つめるが、特に外傷は見当たらない。


 ならばもう一度。

今度はそっと、手を伸ばした。


 その本に自分が呼ばれているような気がした。

尤もらしく言えば動機はそんなところだろう。


 見た目にも判るくらい、棚には隙間無く本が詰め込まれている。

しかし、その本は俺の手に吸い寄せられるかのように抵抗無く棚を抜け出した。


 何も書かれていない、古ぼけた茶色い無地の表紙。


 先程の痺れは何だったのだろうか。

つうっとやはり何も書かれていない背表紙を人差し指でなぞるが、指先に伝わる感触はカバーの硬質さと滑らかさのみである。


 静電気かただの敏感肌か。

これにはがっかりと言わざるを得ない。


 ゲームや小説に有りがちな喋る本だとか、記録された過去を見せてくれる本だとか、噛みつく本(もちろん自分が噛みつかれるのは御免だが)だとか、物凄い本を期待していた。

せっかくゲーム世界に転生したのだから、それくらい夢を見てもいいだろう。

幻想的な演出のもとに登場するアイテムは、物語の重大な鍵となる、良くも悪くも規格外の一級品であると相場が決まっている。


 しかし現実はどうだ。

何の変哲もないただの本ではないか。


 落胆しつつ表紙を捲ると、下の方に細かい字で何か書き付けられているのが目に入った。



『我、全てを此処に記す者なり――』



 日本語かと思った。

しかし、もう一度見直すとそこに在るのは絵本で見たこの世界の文字だった。


 この世界の古典文学など知りもしないのに、妙に古臭い言い回しだと解る。

それ以前に、その言葉が頭の中で直接音となって響いたような気さえした。


――誰だ、俺に話し掛けているのは。


好奇心に負けて、或いは答えを求めて頁を捲る。


 それは一見すると日記のようだった。

しかし読み進めていくとすぐにこの世界の魔法に関する彼なりの考察・研究の詳細が日毎に纏められ、非常に事細かに綴られているのがわかる。


 冒頭の記述によると、彼は幼い頃から人一倍魔法という技術に関心を持っていたが、膨大な己の魔力を上手く制御出来ず、持て余していたらしい。

また、当時はまだ魔法についての研究が未発達であり、魔法教育といえば感覚的指導が主だった。

つまり、まともに教導出来る人材が皆無だったのだ。


 こんな書物を後世に遺すあたり彼は非常に理知的で、論理的な思考を好む人柄だったのだろう。

そんな彼は当然の如く、出入りの教師のいい加減な指導に疑問を持つのだった。


 疎まれた教師は腹いせに、彼には魔法を扱うの才能がないと周囲に触れて回った。

そのせいで、彼は両親から魔法の一切の使用を禁じられたらしい。


 そこで終わればただの可哀想な少年だが、彼はそうではなかった。

数十年という歳月をかけ、密かに独自の魔法研究を行ったのだ。

その結果、晩年には己の編み出した新たな魔法を『魔術』と呼ばれる、従来の魔法とは一線をかくす体系にまでのし上がらせたのである。

その全てが、この本に記されている。


 最後の1ページには最初のページを同じく、下の方にこの本を手に取った人に向けたメッセージが書かれていた。



『真に選ばれた者にのみ、私の全てを明かそう。我が名はーー』



 その先はインクが滲んでいて読む事が出来なかった。

彼はいったい何者なのだろうか。

真に選ばれた者とはいったいどういう意味なのか。


 この本は魔法を学ぶのにきっと役立つだろう。

しかしこの本は俺にとって単なる魔導書以上の意味を持っている気がしてならない。



――ゴーン、ゴーン、ゴーン。


「ぃっ……」


 外から聞こえてきた鐘の音に驚き、身をすくめる。

気付けば随分と時間が経っていたようだ。


 鐘は朝6時から夕方6時まで、一日五回三時間おきに毎日鳴らされる。

前回鳴ったのは正午、という事はつまり。


 まずい、そろそろおやつの時間だ!

母上か例のメイドさんが起こしに来るかもしれない。


 続きが気になるが、見つかってしまっては元もこもない。

俺は急いで本を片付け、足音を殺して自分の部屋へと駆け込むのだった。

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