第95話 里帰り



 その日俺たちが履修しているコマは、午前中まで。

午後からは何の講義も取らず、各々身体を休めるなり、稽古をするなり、研究をするなりに当てている。

この学園のシステムは、前世で言うならば大学のそれに酷似していた。


 レオンが稽古、バルトロメウスが研究、ディーとイルメラは兄妹で仲良く図書館に行っている。


 さて、一人になってしまった俺は、 暇をもて余してしまった。

何をすべきかと、頭を悩ませる。


 希望的にはイルメラと図書館デート(瘤付き)と行きたいところだが、せっかくの兄妹水入らずを邪魔するのは悪いとも思う。

かと言って、レオンやバルトロメウスのところに行けば、何らかの騒ぎに巻き込まれそうな気がしてならない。

賑やかなのは嫌いじゃないが、たまには心穏やかに過ごしたいものだ。

物静かといえば我が寮所属にはもう一人、ルーカスがいるが、彼は昼食の後にどこかへ一人で出掛けてしまった。


 それならいっそ何もせず部屋に篭って自堕落な生活を満喫しようかとも考えたがそこはそれ。

いざ時間が出来てダラダラしてみると、ダラダラしている事に落ち着かず、逆にストレスにすら感じてしまう始末だった。



「魔法の訓練……はやり過ぎるなって釘を刺されているんだよな」


 結局目的も定めず、時折独り言を呟きながら学内をぶらぶらと徘徊する。

それでも広い学内はまだ使用した事の無い施設がたくさん備わっていて、退屈はしない。


 今もちょうど獣舎の前に差し掛かって、どうせ暇なのだからと興味本位に覗いてみる事にした。


「メェ~」


 一歩足を踏み入れると、そこはもふもふパラダイスだった。

羊、馬、牛、山羊、ウサギ、猿など様々な動物がいる。


 触りたい。

そんな欲求が湧き起こる。

勿論、動物は二重の柵の向こうなので、こちらが腕をどんなに伸ばしたところで届かないのだけれど。


 一見して、白塗りの木製の柵は何の変哲も無い物に見えるが、実は魔法結界と一体化し、強固に内側と外側を隔てている。

恐らく、白い塗装の下に術式が刻み込まれているのだろう。


 柵そのものはきっと、ここから立ち入り禁止であると子供たちに判りやすいようにと設置されているに過ぎない。

本気で侵入しようと思うのなら、柵の下の土を掘ればいい。

そこまでして、中に入ろうとする子供がいるのかはともかく、子供たちが窮屈さを感じず伸び伸びと、しかし安全に暮らせるように、学内にはそこかしこにこういった仕掛けが見られた。


 そんな大人たちの優しさ、学園側の配慮を前に、苦悩している様子の先客が一人いた。

見知った白銀の後頭部に、ここに居たのかと呟いてから声を掛ける。


「ルーカス」

「あ……、アルトくん」


 彼は柵の前で膝を折って胸の前で畳み、屈み込んでいた。


「どうしたんだ? ディーみたいな反応をして」

「ううん、ちょっとあそこのお馬さんに見とれていただけだよ」

「馬……?」


 ディーみたい、つまりぼんやりとしていて元気が無いと指摘すれば、ルーカスはゆるりと首を振って柵の向こうの一点を指差した。

それを視線で辿った俺は目標物を目にした瞬間、ハッと息を呑んだ。


「オスカー……」

「うん、似ているよね」


 そう言って微かに笑みを溢すルーカスが見ていたのは、漆黒の馬だった。


 烏羽玉うばたまの毛並みはきちんと手入れがされている故なのか、はたまたその個体の健康状態を反映してなのか、遠目にも艶やかなのが判る。


 大きさはきっとオスカーの方が一回りは大きい。

だけど、その黒馬はなかなかどうして威風堂々とした佇まいで、角こそ無いものの、北領で出会った黒いユニコーンのオスカーを彷彿とさせた。

……そう言うと、本人ならぬ本馬は自分の方がもっと格好いいと言い張るだろうが。


「オスカー、どうしているかな?」

「城で若いメイドさんにデレデレしているんじゃないのか?」


 ブロックマイアー公爵家別邸でお留守番中の彼は、見た目はよく聞くユニコーンと違い真っ黒だが、中身は伝承にぴったりと合致している。

つまりは気位が高く、極度の女好きなのだ。


 初めて男のルーカスと契約を結んで、その性格が軟化するかと思ったが、そんな事は全く無かった。

むしろ、悪化したと言っていい。

連れ帰ったその日にあれやこれやと待遇について、注文をつけて騒動を起こし、ルーカスに叱られている。


 あまりに行動が目に余るからと、女の子に接近禁止令を出したところ、最初の頃こそ労働者の春闘やストライキ紛いの事をしていたらしいが、最後の方は演技などではなく本気でぐったりとしていた。


 そんなオスカーだから、唯一自分に説教が出来るルーカスのいない間に、好き勝手やっている事だろう。


「オスカーに、会いたいなぁ……」


 ポツリと、しかししみじみとルーカスは呟く。


 この時、始めて理解した。

ルーカスは単に動物好きだから、ここに来たのではない。

オスカーに似た馬を通して、しばらく帰っていない家に思いを馳せているのだ。

いわゆるホームシックというやつだ。


「今度の休みに、外泊許可をとって会いにいくか? 学園内だと結界で外に転位出来ないけど、一歩外に出れば一瞬で城までいけるぞ?」

「ホント!?」


 俺の提案にルーカスは飛び付いた。

急に大きな声を上げて立ち上がったルーカスに驚いたのか、柵の向こうで動物たちが騒ぎ出す。


「今度のお休みって事は、土の日だよね? 三日後か……。ふふふっ、楽しみだなぁ」


 文字通り小躍りして喜ぶ様子を目にして、俺はある種の不安を頭に過よぎらせた。


 いつもなら、もっと穏やかな喜び方をする子じゃあなかったか?


 ちょっと愛馬の顔を見たい。

見て、1日家に泊まったらまた頑張れる。

それならいいんだけどな……。


 俺のこの不安は後々、見事に的中する事となる。



 家に帰るという俺の言葉を聞き咎めたバルトロメウス以外の、城住まいメンバーに自分も帰りたい、一緒に連れて帰ってくれと頼み込まれ、急遽他の子たちの外泊届けも提出し、学園の外に出て五人で城の外周に転位したのが、昨日の朝の事。


そこから全員をそれぞれの家まで送り届け、俺は俺で家に再度転位してカーヤさんや母上を驚かせ、思い出したようにフリューゲルの顔を見に行った。


『息災なのは知っておったが、今日は疲れておるようだな』

「久々に自分以外の人間をつれて転位をしたからな。城の中を結構歩き回ったし」

『知っておる。あちらへこちらへとご苦労だったな。適当な兵士を使いに遣って、迎えを呼べば良かろうに』

「それだと、最後の最後で人任せになるようで嫌なんだよ」

『子守りも難儀なものだな。我には解せぬ。奮闘しておるそなたを見るのは愉快だがな』

「お前、相変わらず性格悪いな、オイ。疲れている原因もわかっているなら、もう少し契約者を労れよ!」

『ほう? それなら、最近何やら悩み事があるようだが、我が聞いてやっても良いぞ?』

「超上から目線だな、お前。相談したら負けな気がする……」


 そんな会話をして、久々の我が家を堪能する間もなく、ぐっすり眠った。



 そして今日のお昼過ぎの事。


「学園に帰りたくない。ずっとお家にいたい」


 事前に伝えていた刻限になっても集合場所にルーカスが現れず、首を傾げていると、ブロックマイアー家からの使いが来て、ルーカスが学園に戻るのを渋っていると伝えられた。


 普段が我が儘など滅多に口にせず、聞き分けが良過ぎるくらいのいい子な為、本格的に困らされた経験が無く、ブロックマイアー家の者たちもどう説得したらいいのか手をこまねいているらしい。


 俺が行くと、ルーカスは邸の玄関ホールにいた。

使用人の一人がルーカスの手を取ろうとすると、ルーカスはいやいやをするように首を振って触れられるのを拒否する。


「先程からずっとあのご様子で……」

「何となく、こうなる気はしていたんだよな」


 オロオロとするブロックマイアーの使用人さんの隣で、呟く。

今日は残念ながら家令のセバスチャンさんは公爵様と一緒に北領に出掛けていて不在らしい。


 家に一時帰宅をしてそれで気が済むか、余計に郷愁の念が増してしまうか。

可能性としては五分五分くらいだった。

だけど、今回は後者だったようだ。


 今でこそ、日常生活には特に支障がなく暮らせているルーカスだが、三歳の時分には例の毒の影響で一度死にかけている。


 セバスチャンさん以外の使用人さんは薬により錯乱した公爵夫人により暇を出されていた為に、その場面を直接見ているのは、あの日あの時ここにいた俺たち七人だけだが、それでも次第に容態を悪化させ、ルーカスの命が危ない状態にあった事は多くの使用人たちの記憶に刻み込まれている。


 もともと繊細で儚げな風貌のルーカスが、菫色の瞳に涙をいっぱいにためていれば、手荒な真似なんて出来ないだろう。

公爵夫人は公爵夫人で、使用人さんたち以上に自分の息子に対して過保護だ。


 夫人自身があまり身体が丈夫ではないので、あまり心労をかけられない。


 セバスチャンさんなら上手く宥めてくれたかもしれないと思うと、余計に彼の不在が悔やまれた。


「ルーカス」

「アルトくん……」


 俺が意を決して声を掛けると、ルーカスは泣き腫らした目で俺を見つめた。

暴れ疲れたようで、今はじっとしている。


「帰るぞ」

「王都にある僕のお家はここだもん。帰るっていうのは、ここが僕の居場所だなって思うのはお家だけだもん……」

「そうだな。だけど、学園に所属している間は寮も帰るべき場所、家の一つだ」


 迎えに来た旨を短く伝えれば、ルーカスは珍しく屁理屈を口にする。


 まだ幼い子供に対して、全寮制は酷だとも思う。

だからこそ他の色んな思惑があるにせよ、親しい友人たち同士で同じ寮の所属になるよう、学園側の配慮があった訳で。


それは初めは寮のような小さな組織から、自治を行う事を次代を担うであろう俺たちに学ばせる為でもある。


 特に政治経済に対して明るい訳でも無い俺だが、国や地域によって様々な政治体制がありながら、この国は有事には率先して高位貴族や王族が頭立ち、事件解決に当たるのを知っている。

それをする為には、誰がこの国のトップになるのか、それがどんな人物なのかを国民に知らしめておかねばならないのだ。


 今や、俺たちの動向は国中の注目するところとなっている。


 次代のトップがどんな者たちなのか。

子供に問うべき事かとも思うが、世の中そんなに甘くはない。

誰も待ってはくれないのだ。


 統治者たる器か、あちらこちらから監視されている。

そんな事情があるからこそ、初年度から休学だとかは望ましくない。


 家柄でいえば王家に次ぐと言われているブロックマイアー家だが、次期公爵のルーカスが病弱体質であるというのは貴族社会では周知の事実で、そうなれば当然、養子をという声も方々から上がっている筈だ。

隙を見せれば、ここぞとばかりに食らいついてくる者がいる。

四大公爵のうちどの家が没落しても、どれか一つの家が突出して繁栄しても均衡は崩れる。


「帰るぞ」

「うん……」


 もう一度同じ言葉を繰り返すと、ルーカスは不承不承ながら頷いた。


「お邪魔致しました」

「いえ、若様を宜しくお願い申し上げます」

「皆様の元までお送り致します」


 不在のセバスチャンさんに代わって執事さんが俺たちを見送る。


 先を行く俺の半歩後ろをルーカスはとぼとぼと歩く。

しきりに後ろを振り返って、遠ざかっていく家を眺める姿は、後ろ髪を引かれるような彼の心情を如実に表していた。


 そんな姿を見て、俺は密かにある決意を固めた。

在学中の課題というか目標に据えているものがあった。


 それは新魔法の開発だ。

母上が水系統と光系統を組み合わせて水鏡の魔法を編み出したように、俺にも何か出来ないだろうかと考えるのは成り行きとしてはありがちだろう。

また、前世の科学技術のあれやこれやを魔法や魔導具で再現出来ないかと考えるのも、ある種の人間の性だ。

こちらの生活に慣れているとはいえ、あったらいいのになぁと思う事はしばしばある。


 具体的に何を再現するか考えあぐねていたが、今日ここに至ってそれが定まった。

どうせなら、喜んでもらえるものがいいに決まっている。


「やっと戻ってきたのだ」

「遅いですわ」

「朝寝坊かね、ルーカスくん?」

「ん……」

「もう、夕方が近いけどな。急げ、このままじゃ閉門時間に間に合わなくなる」


 合流した途端に、レオンたちがそれぞれ思い思い言葉で気遣う様子を見せる。

どちらとも取れるような、曖昧な返事をしてルーカスは下を向く。

この気まずさを脱する為に俺はわざと閉門時間の話を出す。


 門限というものが存在し、それを破った者には処罰が与えられるのは本当だ。


「なんと! それなら、急ぐのだ。万が一にでも遅れたら余の沽券に関わる。行くぞ、アルト」

「一人で盛り上がっているところ悪いが、その場で足踏みする意味は無いからな」


 行きの時と同じように手に手に取り合い、輪になってもらい、一瞬で無事帰還を果たした。



 ルーカスが失踪したのは、その三日後の事である。



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