第15章

第94話 だるまさんが転んだ




「おはよう」

「おはよう、アルトくん」


 今日も朝がやってきた。

自室を出ると、ちょうど隣の部屋のドアが開いてルーカスが出てくる。

朝の弱い彼はまだ夢の中に囚われているような紫の瞳を擦りながら、ほにゃりと笑った。


 全体的にいつもより弛い。

そんな印象を受ける。


「襟が曲がっているぞ」

「あ……ホントだ。えへへ、ありがとう」


 落ち着いて見えるルーカスだけれど、こういうところはまだまだ子供だった。

手を伸ばして、折れ曲がっている制服の襟を直してやれば恥ずかしそうに白銀の頭を掻く。


「どういたしまして。っと……」

「イルメラちゃんはまだみたいだね」

「女の子だから、少し時間が掛かるんじゃないかな?」


 俺の部屋の向かいのドアを一瞥すれば、ルーカスは俺の考えを読み取ってそんな事を言う。

俺がイルメラに対して抱いている気持ちを知っているようだった。

特に隠しているつもりは無いが、まだ幼いのに恐ろしいと思う。


「どうする? ノックしてみる?」

「いや……。支度の最中だったら悪いからな。先に行こう」

「うん、そだね」


 そんな会話をして、俺たちは寮内の食堂へと向かった。



「遅いぞ、アルト!」


 食堂へと足を踏み入れた俺たちを出迎えたのはそんな声だった。

レオンだ。

一人だけ早くに席について、フォークとナイフを持った両手でバンバンとテーブルを叩き、騒いでいる。

その姿を見て、俺は頭が痛くなった。


「レオン、お前はまた朝練の後に直で食堂へ来たのか……」

「うむ。余は腹ペコであるぞ」

「一応曲がりなりにも高貴な王族が、飢えているような発言をするなよ……」

「しかし、余が空腹なのは事実である故……」

「だから、それが問題なんだよ。お前が腹が減った腹が減ったと騒いだら、料理人さんたちがビビるだろうが」


 俺がビシッと動きの止まっていた奥の厨房を指差し、それを追ってレオンが振り向けば中で忙しなく調理をするコックさんたちが一斉に顔を逸らす。

どうやら彼らは、何も聞いていないふりをする腹積もりらしい。


「む……? 誰も気にしておらぬではないかっ」


 わざとらしく、あー忙しい忙しいと連呼するコックさんたちだったが、レオンはその大根演技にまんまと引っ掛かった。

俺に向き直って、何もないじゃないかと憤慨するレオン。


 何であんなのに騙されるんだと俺が考えている間にも、レオンの視線から解放された彼らはこっちをガン見している。


 それでも手は止まることなく、俺たちの朝食の準備を続けているのはさすがプロと言うべきか。

手元を一切見ずに出来るものなのかと感心する。

まあそれも、これが毎朝の恒例行事と化しているからなのだが。

……あ、一人手元が狂ってスープの飛沫が掛かったみたいだ。


「いや、お前が目撃出来ていないだけでな。……ほらっ、今だ、レオン」

「む? やはり皆、調理に夢中ではないか。しつこいぞ、アルト」


 要するに、だるまさんが転んだと同じだ。

コックさんたちは、レオン本人だけには悟られないようにいつ王子が癇癪を起こすのかと気が気ではなく、こちらの様子を探っている。 

王子の機嫌を損ねてしまったら、悪くすれば彼らの料理人人生が閉ざされる。


 彼らとてこれまで何の対策も講じて来なかったわけではない。

実際、彼らがレオンに合わせて早めに厨房に赴き、朝食の支度を終えるくらいわけないのだ。


 だが、『朝食は可能な限り寮生皆で揃って取る』という白陽寮の掟がそれを阻んでいた。

早く食べたいという王子の要望と掟の間でわが寮所属のコックさんたちは板挟みにされている。


「じゃあ言い方を変えよう。テーブルをそうやってバンバン叩くのはマナー違反だ」

「そのくらい余とて知っておる。内輪の者しかおらぬのだから、良いではないか」

「そんな屁理屈を捏ねるなら、今日のお前の朝ご飯、野菜の量を倍にしてもらうぞ?」


 悪い子にはお仕置きだ。

厨房のコックさんが一斉に首をブンブン横に振っているが、そんなものは関係ない。

嘘も方便だ。


「なっ……! ゲオルグのような事を言うでない、アルト! ……わかった、わかったのだ。良い子をして待っておるから、野菜だけは何卒なにとぞ……」

「ふふっ……」


 くりくりの碧い目を潤ませて訴えるレオンに、俺は笑いを堪えきれなかった。

隣でも、それまで目をぱちくりさせながら俺たちの攻防戦を見守っていたルーカスが、同じように噴き出している。


「むっ。余を笑いものにするとは、無礼であるぞ!」

「ふふっ……。ごめんね。でもやっぱり可笑しいや。へへへっ」

「あー、はいはい。わかったわかった。もうすぐ出来上がるみたいだから、お薬を飲んで待っていような」

「さて、余はバルトロメウスたちの様子を見て来ねばならぬな……」

「行かなくていい。逃げるな、レオン」


 薬と聞いて露骨に嫌がりながらちょこまかと逃げ出そうとするレオンの首を引っ捕まえて、薬をレオンの口に投下する。


「うっ……」

「ほらっ、水」


 口の中に広がった苦味に、レオンは瞬く間に涙目になった。

それを見て、俺の中に罪悪感が沸き起こる。


 俺とて、嫌がる子に無理やり呑ませるのは本意ではないが、レオンの身の安全の為にこれは必要な措置だった。

それがわかっているから、レオン本人も薬を吐き出したりせず、眉間に皺を寄せながら水で流し込んでいる。


「全部呑んだか?」

「うむ。だが、口の中がまだ苦いのだ……」

「よく頑張ったな」

「何故薬はこうも苦いのだ? 薬が美味ならばいくらでも呑むと言うに……」

「いや、呑み過ぎはダメだろ。用法用量を守って正しく呑むんだぞ?」


 美味しい薬、特に甘い薬がいいと言うレオンに少し考えさせられる。


 要するには、子供用の歯磨き粉みたいなのだよな。

メロン風味とかぶどう風味とかイチゴ風味とか。


 いかにも人工的でケミカルな、「それっぽい」でしょうと言わんばかりの押しつけがましいあの味は、俺はあまり好きではなかったからその存在をすっかり忘れていたが、前世の世界にも子供が呑みやすいように味を調整された薬はあった。


 もしくはオブラート、か。

技術的には出来なくは無いと思う。

だけど問題は原料の寒天、もっと言うのならテングサをどうやって入手するかだ。


 この国の文化として、基本的に海草をあまり食さない為に普通、市場にはほとんど出回らない。

加えて海産物といえば、我が国では南領の特産だ。


 北・西・東の公爵家とはそれなりに付き合いがあり、コネクションを持つ俺だが、今のところ南の領主のドッペルバウワー公爵家とは何のツテも無い。

つまり、生クリームのように簡単に分けて貰う事が出来ないのだ。


いざとなれば父上に頭を下げれば橋渡しくらいはしてもらえるだろうが、出来る事ならあまりそれはやりたくはなかった。

下らない意地、されど男のプライドだ。


 これまで南のドッペルバウワー家と交流が無いのは、あの家がある意味でまた際立って曲者であるからだった。

いや、いっそ曲者なのが地域カラーと言ってしまった方が正しいかもしれない。


 我がアイヒベルガー皇国は東西南北それぞれの領地に公爵家を擁しているが、その地域に住まう人々の性質は領主の家風に多大な影響を受けている。


 例えば西領ならば保守的なクラウゼヴィッツ家の影響で、昔ながらの慣習を重視する古風な人が多いという具合だ。


 異なる地域や国の文化にも比較的寛容で受け入れられ易い半面、雑多色々集まって魑魅魍魎ちみもうりょうの巣窟と揶揄される我がシックザール家の中央区はさておき。


 南には独特の風習があった。

勿論、全てがそうと言うわけではないが、あそこにはこの国の闇の部分に当たる歴史が多く眠り、また受け継がれている。

保守的を通り越して閉鎖的、秘密主義である種の得体の知れなさがある。

南領の、特に海岸沿い地域とはまさにそんな場所である。


 それ故か、王家と北・西の公爵家が関わる母上の魔法教室にもドッペルバウワー家は一切接触してこなかった。

あの家にも、俺たちと同世代の子供がいるのだが、あちらはあちらのやり方で教育するつもりらしい。


 学年でいえば、ドッペルバウワー家の子は確か俺たちの一つ下だった筈だから、南の出方を窺うという意味では重要なのは来年の春だ。

もし入学してくるようなら、王子と四大公爵家と我が家で、国内最古参の家系の子が学園に集つどう事になる。

そうなれば、これまで以上に子供を使って擦り寄ろうとしてくる家は増える事だろう。


 特に敵対しているわけではないが、南の公爵家は下手に刺激をしない方がいい。

そんな事情から、オブラートという選択肢は現状無しと云わざるを得なかった。


 勿論、前世日本人の俺としては和食の再現に欠かせないあれやこれやの多くを天然資源に持つ南領へのツテもいずれは作るつもりだが。


 ちなみに一人でこっそり行って、こっそり海草を集めて帰るのは無しだ。

俺がシックザール家の跡取りであるが故にバレた時には非常に困った立場になり、そっち系の分野は南のまさに得意分野なのだ。

そんな事をするくらいなら、正面を切って頼もうとやった方がまだましだ。


 それにレオンの好みに合わせるのなら、味そのものを調整してしまう方が良い気がする。


「甘いお薬ってどんなのだろう? マレーネ先生の魔石みたいなのかな?」


 半ば強引に選ぶ理由を正当化させ、味を調整する方向で固めた俺を後押しするかのようにルーカスが呟いた。

彼の中で甘いものというと一番に思い付くのが魔石のようだ。


「そうだな……、ちょっと試してみるよ」

「まことか!?」

「いや、今すぐってわけじゃないからな。必ず作れるとも言ってない」

「しかし、アルトが作るなら心配はいらぬのだ。アルトならば必ず完成させて余のもとへ献上するからな」


 これが全幅の信頼というものなのだろうか?

必ず成し遂げると信じて疑わず、レオンが目をキラキラさせていれば、ルーカスもそれに同調して頷いていた。


「これまた大層な期待を寄せられたものだな」

「やあ、ご機嫌麗しゅう。今日も良い朝だな、諸君」

「ごきげんよう。何のお話をしておいでですの?」

「おはよう」


 頭を掻きながら苦笑いをしていると、漸くバルトロメウス、イルメラ、ディーの三人が入室してきた。

これで白陽寮メンバー全員集合だ。


「おはよう。大した話じゃないよ。それより、今日もイルメラちゃんは可愛いね」

「はっ、破廉恥ですわっ……」


 にっこり笑って挨拶をすれば、イルメラはぶわっと顔を赤くしてそっぽを向く。

黒髪から覗く耳までが赤かった。


 あんなの社交辞令でも言われなれているだろうに、いちいち赤くなって照れてしまうところがやっぱり可愛いらしく感じる。


「アルトくんって……だよね」

「うむ」


 ルーカスとレオンが何やら俺の事でひそひそ話をしているようだが、今は無視だ。

そんなものよりも遥かに気になる事に気付いて、イルメラの胸元に目を留める。


「今日はどうしてあのブローチをしていないの?」


 そう、今朝のイルメラの胸元には薔薇のブローチが無かった。

定位置には、赤い宝石の別のブローチが鎮座している。


 ブローチといえば、例のあの事件が記憶に新しいが、どうもあの時とはイルメラの様子が違う。

しかし、俺に問われた瞬間まごつき始めたのを見て首を傾げていると、隣のお兄ちゃんが欠伸まじりに代わりに答えてくれた。


「身に付けていると、先日のようにくしてしまうかもしれないから、だって」

「なっ、お兄様! それは言わない約束でしたのに……!」

「ごめん、忘れてた」


 すぐに聞き咎めたイルメラが、内緒にするつもりだったのかディーに約束が違うと訴えながら、俺の方をチラチラと罰が悪そうに見てくる。

なるほど、大切過ぎて落としてしまうのが怖過ぎて、付けられなくなってしまったのか。


「大事にしてくれているんだね、ありがとう。でも、俺は毎日でもイルメラちゃんに身に付けていてほしいな。その方がブローチも喜ぶと思うから」

「でも……」

「もしまた失くなったら、また俺が探して必ず見つけ出すよ。だから、ねっ?」


 じっと目を見つめて説得すると、随分迷ったようだけれど最終的にはこくんと黙って頷いてくれた。


「ありがとう、イルメラちゃん」

「べっ、別に貴方の為じゃなくってよ」

「うん、でも俺が勝手に喜んで感謝しているんだ」


 にこにこと微笑めば、可愛い照れ屋さんはつんと顔を逸らした。


「さあ、皆さん揃いましたね。それでは朝食に致しましょう」

「バルトロメウス、食事の時は白衣は脱ごうな」

「だがしかし、これは私にとっていわば正装でだな……」

「ルーカス、一緒に脱がせるぞ」

「やっ、やめたまえ!」


 寮母のリタさんの号令で、コックさんたちが一斉に配膳に動く。


 俺たちは俺たちで第二の問題児へ対処しつつ、ふんわりと香る焼きたてパンとコトコト煮込まれたスープの香りに食欲をそそられるのだった。



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