幕間4 女王様と下僕ごっこ
さてはて、世の中には格言や名言というものが存在し、『恋愛は先に惚れた方の負け』と先達は遺しているが、概ねその通りだと俺は思っている。
「アルフレート! アルフレート!」
俺を呼ぶイルメラの声がする。
ちょっと芝居がかった、いつもより高い声だ。
「お呼びでしょうか、お嬢様」
「美味しいお茶を淹れて頂戴。それと、このお茶に合うお菓子も」
「畏まりました」
紅茶のおかわり、そしてお茶請けを要求された俺は深々と礼をし、白陽寮の談話室を後にした。
丁寧な手つきで音をさせないように静かに扉を閉め、いそいそと向かうのは自分の部屋だ。
それは無論、可愛いイルメラにお茶とお菓子を用意する為である。
お嬢様と召し使いごっこ。
それを提案してきたのはイルメラの方だった。
このところ色々あって、自分の不甲斐無さのせいでイルメラにストレスを与えてしまった事を悔いて、何かお詫びに出来ないかと訊ねたところ、一日召し使いになれと言われたのだ。
ごっこ遊びと言っても、彼女の元へ持っていくのは泥団子などでは無く、正真正銘のお茶とお菓子だ。
そのどちらも、俺の部屋のラボスペースで生み出されたものである。
本来、薬品などの研究に使われるスペースが、俺の部屋に限っては完全にお台所と化していた。
このラボで製薬をおこなった事はまだ一度もない。
念の為、水魔法できっちり浄化もしておいたので、薬品の混入の不安もない。
何故そこまでしてラボで料理をするのかと、とある王子に盛大に突っ込まれたのは記憶に新しいが、理科の授業中に実験道具を使ってカルメ焼きを作った時のような背徳感を得ながらの料理もまた乙であると言っておこう。
お茶の為のお湯を沸かしている間に、先日自作した焼き菓子を皿に盛る。
一度煮沸し、火力を弱めて良い感じに冷ましたところで火から下ろす。
お湯の一部は飛沫で火傷をしないように注意しながらカップにかける。
これは消毒の為ではなく、おいしい紅茶を淹れる為のコツだ。
そうして一式用意が調うと銀製のトレイに載せ、談話室へと引き返した。
「イルメラお嬢様、只今お持ちいたしました」
「ふん、早くなさい、愚図なんだから」
「仰せのままに」
そんなイルメラと俺のやりとりは、高飛車なお嬢様と従順な執事の会話に聞こえる事だろう。
しかし俺に言わせれば、これは『お嬢様と召し使いごっこ』などでは無く、『女王様と下僕ごっこ』だ。
俺は決してマゾでは無いが、わざと高慢な態度で俺を困らせようとするイルメラが可愛く見えて仕方がない。
あれこれと用事を言い付けられたところで、少しも苦痛では無かった。
むしろあれこれと頼み事をされるのが嬉しくてたまらない。
恋の奴隷だと言えば笑われるだろうか。
「ふんっ……」
イルメラの好きなお茶、センティッド・ティーの一種のローズティーを淹れ、そっとイルメラの前にカップを置けば、イルメラの口許が弛む。
俺に見られていると判ると慌てて頬を引き締め、無理をして気難しげな表情を続けた。
「それで、お菓子は?」
「はい、こちらをお持ちしました」
その言葉を待っていましたとばかりに俺が出したのは、狐色をした細いスティックタイプの焼き菓子だった。
「……これは何ですの?」
見た事の無い菓子の出現に戸惑いながら、真っ赤な宝石の瞳を煌めかせてイルメラは俺に問う。
好奇心と不安と期待がない交ぜになったような表情だ。
「こちらはブレーツェルの一種にございます」
「ブレーツェルの?」
イルメラは人形のように長い睫毛をぱちくりとさせる。
ブレーツェル、つまりプレッツェルはこの国で最もポピュラーなお菓子の一つだ。
庶民から貴族まで、老若男女を問わず人気のお菓子である。
「でもこれは……私が知っているブレーツェルと形が随分と違いますわ」
「ええ。少し独自性を出そうかと思いまして」
なおもイルメラは困惑する。
俺、ブレーツェル、俺、お菓子、俺と交互に見遣る目の動きが非常に世話しない。
菓子の表面にまぶされている彼女の故郷でとれた岩塩がキラキラと輝いていた。
一般的なブレーツェルといえば、あの独特な結び目が特徴的な一品だが、俺の作ったものにはそれが無い。
だからこそ、彼女は目の前のお菓子を何とするか戸惑っていたのだ。
もともと、このお菓子は自分専用のラボもといキッチンを得た俺が、前世の記憶にあるとあるお菓子を再現してみようと思いつきでチャレンジした際のもので、彼女の言うように伝統的なブレーツェルとは大きく異なっている。
普通はパンのようにふんわりと焼き上げるものなのに、スティックタイプのそれはふんわりというよりはサクサクだとかカリカリという表現が正しい。
蛇足ながらそこに付け加えておくならば、前世の某メーカーが売り出していた某焼き菓子とも異なるものとなった。
やはり、記憶を頼りにした再現の道のりは険しいらしい。
だが、これはこれで美味しいので良しとする事にした。
「むむむっ? 何やら香ばしい匂いがするぞ」
戸惑うイルメラがなかなか手を付けられずにいると、ふらりふらりとお邪魔虫が現れた。
言わずもがな、レオンだ。
どうやら、隅の方でバルトロメウスと遊んでいたところを匂いにつられてやって来たようだ。
ちらりと背後に視線を遣れば、部屋の隅に置き去りにされたバルトロメウスが、背中に哀愁を漂わせながら小さくなっているのが見える。
ご丁寧にどんよりマークを出しているのが、いかにも構って欲しそうな雰囲気を醸し出している。
今の俺はイルメラの忠実な僕なので、バルトロメウスの事は見なかった事にし、さっくりと放置しておく。
前に向き直れば、自他共に認める食いしん坊王子がそろりそろりと皿に手を伸ばしているところだった。
それを避けるようにひょいと皿を遠ざける。
「むっ! 一つくらい良いではないか!」
「いいえ、そういう問題ではございませんよ、殿下。ティータイムの前に、手を綺麗にせねばなりません」
「アルトはその堅苦しい喋り方をするとマヤのようだな」
小腹をすかせたレオンは俺に憎まれ口叩きながら、それでもダッシュで扉へと向かう。
そこ潜って彼の向かう先はおそらく水場だろう。
「さて、お嬢様。お一ついかがですか?」
「……もういいわ。くだらないごっこ遊びは飽きましたもの」
再度、手製のブレーツェルを勧める俺に、急に遊び飽きたとイルメラは言う。
このタイミングでのその発言に俺はすぐにピンと来た。
彼女は遠回しに一緒に食べたいと言ったのだ。
俺が執事のままでは同じテーブルを囲む事が出来ない。
だから、ごっこ遊びはやめようと言ったのだ。
「うん、そうだね」
口角が上がっているのを自覚しながら俺は自分の分のお茶を淹れて席につく。
用意がしてあったのは、もともとその予定だったからだ。
その間にお菓子を手に取っていたイルメラは、慎重に口許へとそれを運び、先端の方を小さく齧る。
ほんの僅かのそれを彼女は目を細めてゆっくりと味わい、やがて満足のため息をついた。
お気に召してくれたようだ。
俺の方も固く焼きしめたブレーツェルを一本手に取る。
そして表面に掛けられている結晶状の岩塩を指で払い落とし、口へと運んだ。
ポキッと軽い音をさせて中程で折れたそれは俺の手中に片割れを残し、口の中に転がり込む。
最初に感じたのはスッキリとした塩気。
続いてバターの香りが口の中全体に広がり、続いて小麦の豊かな甘さがほろりと舌の上で解ける。
紅茶をひと口飲めば、素朴な焼き菓子の風味に薔薇の香りが加わって華やかになる。
生地に使ったバターと小麦は北領から、岩塩は西領から、紅茶は東領から。
三位一体となってそれらは午後のティータイムを賑わせていた。
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