第85話 始まりの空砲




 ――ドッカーン!!


 翌朝、俺は騒々しい音と共に目を覚ました。

何事かと驚いて表に出ると、ちょうど向かいの部屋の扉が開く。


「これはいったい何ですの!?」


 イルメラも俺と同じように驚いて起きたらしい。

怖いのか、自然と俺の背中に半分隠れるようにしながらイルメラは寄り添ってきた。

俺の服を掴む手が少し震えている。


「大丈夫だよ。多分、あっちじゃないかな?」


 寝起きで反射的に飛び出してしまった俺だけれど、原因は何だと考え始めた途端にすぐに見当がついた。

あっちと言って俺が指差したのは、バルトロメウスの部屋だ。

見る者を誘うように、扉が半開きになっている。


 あれは何かが爆ぜた音だった。


「あの部屋で何が行われているのですか? まさか、バルトロメウス様を狙った誰かが襲撃を!?」

「落ち着いて。きっと大した事じゃないよ。ちょっと見てくるから、イルメラちゃんはここで待っていて」

「わ、私もついて行ってあげますわ。その、貴方が怖くないように……。誤解しないで下さいませ、貴方の為に仕方なく私はついて行って差し上げるのよ?」


 慌てるイルメラの肩をそっと叩いて宥める。

廊下に彼女を残して一人踏み込もうとすると、一人を嫌がった彼女は俺の背中に追い縋ってついてきた。


「バルトロメウス~? 入るぞ?」


 一応、人の部屋なので声を掛けてみるが返事は無かった。

扉を開けると何かの薬品のような匂いが鼻を突く。

しかし、あれだけすごい音がしたというのに、焦げたような匂いはしない。


 自分の部屋と全く同じ構造をしている為、最初から当たりをつけていた事件現場には迷う事なく辿りついた。

そこには一人前に白衣を纏って鼻歌交じりに高く掲げた三角フラスコのような小瓶を振るバルトロメウスの後ろ姿があった。


「バルトロメウス?」

「ふふ~ん、ふ~ん」

「バルトロメウス!」


 備え付けの小さなラボの入り口付近に立って再び声を掛けるが、手元の小瓶に夢中の彼は気付かない。

仕方なくもう一度、今度は大きな声で名前を呼ぶと、やっとこちらを振り返った。


「おお! おはよう、アルトくんにイルメラ嬢。実にすがすがしい朝であるな!」

「いや、騒々しいの間違いだろ!」

「うん? そうかね? 私は特に気付かなかったが……。ところで、諸君はどうやって私の部屋に入ったのだね?」

「いや、扉普通に開いてたから入ったんだけど。健やかな睡眠を中断させられたのはお前のせいだ、多分!」

「アルトくんは朝が弱いタイプなのだな。そんな君に、この『寝起きスッキリ爽快! 目覚まし湯冷ましくん』を進呈しよう。ささっ、グイッといきたまえ」

「そんなものはいらん!」


 起きているのに寝呆けた発言を繰り返すバルトロメウスに、頭痛を覚える。

別に俺は寝起きが悪いタイプでは無い。


 小瓶に入った緑の蛍光色の液体を飲まされそうになり、断固拒否する構えでぴしゃりと撥ねのけた。

千パーセントただの湯冷ましでは無い。


「そんな事より、さっきのあの音は何だ? 見たところ、音の割に規模の小さい爆発みたいだけど……」

「さてはて、全く心当たりが無いのだが……。アルトくん、無闇に人を疑うのはやめたまえ」

「どう考えてもお前が一番怪しいんだよ!」


 困った事にバルトロメウスには自分が問題児であるという自覚が無いらしい。

レオンはあれで少しでも自覚している分、マシというものだ。

俺の隣ではイルメラがコクコクとしきりに頷いている。


「だってあの炸裂音、地響き。あれで何もない筈無いだろう?」

「私も聞きましたわ。確かに隣の部屋から聞こえてきましたもの」

「では、ディートリヒくんの部屋の間違いではないのか? そうだ、きっとそうに違いない。間違い無い」

「いや、間違ってるよ、盛大に」

「お兄様は朝に弱いので、こんな早朝から騒ぎを起こすだなんて考えにくいですわ」

「私は忙しいのだ。些末でくだらない話ならば後で存分に聞かせてくれたまえ」


 イルメラから絶妙な援護射撃をもらいながら、俺はジト目でバルトロメウスを見つめる。

しかし、バルトロメウスはそれをあっさりと無視して作業台に向き直った。


「この真正研究お馬鹿め」

「フフフ、それはとても名誉な称号であるな。照れるではないか。だがしかし、そなたがそう望むのであればもっと私を崇め奉っても私は構わぬのだぞ?」

「微塵も褒めてないからな」

「さあ、そろそろ仕上げといこうではないか。『寝起きスッキリ爽快! 目覚まし湯冷ましくん』に、この熱した月光草の朝露を加えれば完成だ」


 都合の悪い事はとことんまでバルトロメウスには聞こえないらしい。

やはり彼は俺のつっこみを無視して、意気揚々と両手の小瓶を掲げ、さっきの蛍光色の液体に透明な液体を注ぐ。

そこで再び事件は起きた。


 ――ドッカーン!!


 先程叩き起こされた時と同じ音、同じ振動が俺たちの身体を貫いた。


「なっ、何ですの!?」

「イルメラちゃん、こっち!」


 もくもくとおかしな色の煙が室内に充満して見通しの悪い視界の中、俺はとっさに手探りでイルメラを背後に庇う。

バルトロメウスの姿は見えない。

しかし、爆発音に続いて耳障りな高笑いが煙の向こうからした。


 笑っている余裕があるのだから、とりあえずは無事だと判断した俺はさっと窓に掛け寄り、開け放つ。

換気により煙が霧散すると、バルトロメウスの元気な姿が見えた。

あれだけの爆発だったにも関わらず、傷一つ無い。

それどころか、彼の持つ小瓶も無傷のまま、見るからにどろっとして粘性のある液体をその内に宿していた。


「……失敗をしたのか?」

「何を人聞きの悪い事を言っているのだ? 見たまえ! 大成功だぞ!」


 ババーンと劇画調の鬱陶しい背景を背負いながら、バルトロメウスは誇らしげに宣言する。

それをポカンと見届けた俺はますます訳が判らなかった。


「じゃあさっきの爆発は何だったんだ? 奇跡的に怪我が無かったから良かったようなものを……」

「安心したまえ。怪我など出る訳がなかろう? 爆発などしておらぬのだから」

「どういう事ですの?」


 イルメラと俺が、全く同じタイミングで同じ方向に首を傾げる。

すると、バルトロメウスはさも当然だとでも言いたげに、衝撃的なカミングアウトをした。


「あれは私の演出だ」

「……は?」

「……え?」


 二人揃って間抜けな声を出す。

三秒ほどフリーズして先に復活した俺は、バルトロメウスに掴み掛かるように詰め寄った。


「いや、ちょっと待て。演出って何だ? まさか、あれもそうだって言うのか?」

「だからそう言って……」

「いつもあんな傍迷惑で近所迷惑な事をしていたのか? あんな爆音を轟かせていたのか?」

「いや。今朝は珍しく興が乗ってだな。いつもより余計に鳴らしたのだ」

「余計に鳴らすな!」


 忘年会の余興をする芸人のような事を言われても困る。

素面で言う台詞では無い。


「しかし、効果音が無くては気分が盛り上がらぬではないか。勿論、研究の結果も重要だが、その過程は一種の芸術なのだよ、アルトくん。魅せる研究をする事が、我々に与えられた使命なのだ!」

「やるならもっと周りに迷惑を掛けない演出にしろ。いいか、深夜・早朝は消音が基本だ、毎秒人騒がせな生き物め。世の中にもっと遠慮と配慮をしろ!」


 鼻息荒く尤もらしい言い訳を捲くし立てるバルトロメウスに対して、俺は眩暈すら覚えた。

同情するような朝日が異常に目に染みたように思う。



「そのような事があったのか? 何故余を起こしてくれなかったのだ?」

「あれで起きなかった方がおかしいだろ」


 二度もあんな騒ぎがあったというのに、眠りの深いタイプらしいレオン、ルーカスと、朝が弱いらしいディーは何も知らずに眠りこけていて、俺とイルメラの他、駆け込んできたのは寮母のリタさんだけだった。

あの中で眠っていられるなら、どんな環境でも熟睡出来るんじゃないだろうか?

そんな地味な大物たちを少し羨ましく思いながらも、目覚めた事で寝間着姿のイルメラを見られたので良しとする事にする。


 早起きした分、時間を持て余した俺はいつもの魔法の訓練を始め、朝食には少し早めの時間にレオンを起こしに行った。

彼は彼で、剣術の朝練があるのだ。


 寮の周辺の走り込みに付き合った後、レオンは素振りを、俺は瞑想をしながら今朝の顛末を語って聞かせると、バルトロメウスに妙な憧憬の念を抱いているらしいレオンは見たかったと心の底から悔しそうにしていた。


 さて、全員で賑やかな朝食を終えると、いよいよ学生の本分である学業を行うべく、学舎へと向かった。


 この学園はその名の通り、魔法師・騎士の養成機関だが、初等部の特に最初の三年程は大半の講義内容はいわゆる教養科目に属するものである。

明確に魔法科・騎士科が分かれるのは中等部からで、それでも単位制度という形をとっている為、希望すればどちらの講義も選択は可能で、希に魔法と剣術のハイブリット型・魔法剣士なるものを目指す人もいるとか、いないとか。

勿論、その場合とても多忙になる事は間違い無いが。


「ほら、白陽寮の方々がお見えですわよ……」

「あれが噂の……」

「昨日の魔力測定で、全員が色違いの学生証をお手にされたそうよ」


 無駄に広い学内を教室に向かって歩いていると、幾つもの視線が自分たちに注がれているのを肌で感じた。

あちらこちらで噂されている。


「じゃ」

「キャー、ディートリヒ様~!」


 一つ上の学年の為、別の講義に出るディーと別れ際、彼が教室に入った瞬間に黄色い声が上がったのを耳にした。

どうやら女の子に人気らしい。

それも一人や二人ならまあよくある話だが、明らかにもっと多い女の子の黄色い声が上がっていた。


 あれはディーのせいなのか、周りの女の子たちが年齢の割にませているのか、どちらだろう?

いったい何をしたらああなるのだろうかと首を傾げつつ、イルメラの方を見るとむっとした表情で不機嫌そうに鼻を鳴らしていた。



「あれが噂の殿下……」

「一緒にいるのは誰?」


 途中でバルトロメウスと別れ、最初の講義の教室に無事に辿り着いた俺たちだったが、早めに到着したのを後悔する事態に陥っていた。

そわそわとお尻が落ち着かない。

それもこれも、周りの子たちがこちらを見ながらひそひそ話をしているせいだ。


 誰だよ、最初だから早めに行こうって言った奴は?

俺だけど!


 ここにいるのは半数以上が貴族の子とはいえ、全員六歳の子供だからなのか、視線にも口にも遠慮が無い。

ひそひそというレベルでなく、堂々と指を差して誰だと隣の知り合いらしい子に尋ねる子までいる。


 いっそ俺たち本人に直接聞いてくれれば名乗りようもあるし、余計な憶測でおかしな噂が蔓延するのも防ぎようがあるのだが、皆遠巻きにするばかりである。

近寄り難いオーラをでも放っているのか知らないが、動物園のライオン状態だった。

その事をイルメラやレオン、ルーカスももどかしいと、或いは居心地が悪いと感じているみたいだ。


 早く先生が来て講義が始まってくれればと願うばかりの俺たちだったが、トラブル回避という意味ではとことん運に見放されているらしい。

これでも前世は運命の女神様の血を引いているんだけどな。


「見つけたぞ!」


 虫取り少年か、ツチノコを発見した人みたいなハイテンションで砂色の髪をした男の子が躍り出てきた。

左手を腰に当て、狙いを定めるかのようにこちらに向けられた右手人差し指の指紋がよく見える。

あの急角度に湾曲した独特の線は蹄状紋か。


 あれだけ騒がしかった周囲の声はぴたりと止んでいる。

教室中の視線がもれなく集められているようだ。


「決闘だ、レオンハルト・アイヒベルガー!」


 高らかに突拍子のない事を宣言する少年期特有の幼い声に、俺たちは揃って目を丸くした。



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