第72話 イルメラの告白
「殿下!」
「まあ、なんとおいたわしい……」
砂漠にうつ伏せになって倒れ伏している王子の映像を見て、出入り口付近で待機していたメイドさんたちが口元を覆った。
「映像で見る限りではレオンは意識を失っているみたいだね」
「そんな!」
「きっと、転位で過剰に魔力を消費して昏倒しているんだろう」
「レオン様は、殿下は大丈夫ですの? お休みになればお元気になりますわよね?」
「大丈夫だよ。魔力を使い過ぎて昏倒するのは、魔法師なら誰でも一度は経験する事だから。昏倒するのは自己防衛本能がきちんと働いている証拠だよ」
珍しく大きな声を出すルーカスと、左手で赤いハンカチを握り締めて俺を問いつめるイルメラに微笑む。
だけどそれはあんまりうまくいかなかった。
俺も人の事は言えないな。
さっきので相当魔力を食われたみたいだ。
魔力消費量も相当なものだが、あれは精神への負荷が尋常じゃなかった。
子供の脳には……いや、大人でも普通の人間の脳には一度に入ってくる情報量が多過ぎる。
【千枚鏡】なんて言えば響きは何となくそれっぽくて格好いいかもしれないが、出来ればあまり使いたくはないな。
足を一歩踏み出そうとして、大きくよろめいた。
倒れなかったのは左右の学友がそれぞれ支えてくれたからだ。
「気絶している事自体は、それほど心配する必要はない。一番の問題は砂漠の気温と危険生物かな」
たった一つ輝きを失わずに寧ろ増していく水盆の前に立ち、映像を見てすっと目を細める。
水面越しにも照りつける日差しは厳しく、陽炎が立ちこめているのが判る。
おそらくあちらは灼熱地獄の世界だ。
「脱水症状を起こすのはもちろんの事、異常な高温は体力も奪う。それにもし、サソリや蛇、肉食動物なんかが襲ってきた場合、意識の無いレオンには身を守る術が無いね」
俺の言葉に全員が難しい顔をして考え込んでしまった。
「だけど、意識が無いのは悪い事ばかりじゃないよ。誤って毒性植物を口にしてしまう危険性が低くなるからね」
これにはレオンという人物をよく知るものが一斉に大きく頷いた。
食いしん坊で初見の物に対して真っ先に抱く疑問が、食べられるか否かなあの子なら、おかしなものを拾い食いなんて事も十分に有り得る。
落ちているもの、置いてあるものを拾って口に入れてはいけませんと常日頃から言い聞かせているが、それが果たしてどの程度刷り込まれているかは不明だ。
高貴な生まれに反する、困った習性だな。
貪欲なのか、食い意地が張っているだけなのか。
「まあ、ここでたられば話をしていても仕方ない。今俺たちが話し合うべきなのはどうやってレオンを救出するかだよね」
「転位魔法というのは?」
「結界が修復されたみたいだから、いったん城外、つまり結界の外に出てからっていう事になるね。それと、この方法の場合問題なのは、俺の残存魔力量だ。実際にやってみなきゃわからないけど、多分行って帰れる程残っていないと思う」
「それなら、マレーネ様は?」
「母上なら多分……」
「マレーネ教導官は結界修復を成し遂げられた後に、お倒れになりました」
マヤさんの質問に答えようとしたところ、彼女の背後から現れたファルコさんによってそれは遮られた。
「やっぱりか」
「無理もありません。人数と時間が足りないところをあの方の魔力で強引に補ったのですから。申し訳ございません」
俺の正面に立ったファルコ魔法師団長は迷い無く、深々と頭を下げた。
「そんな、頭を上げて。それは母上が自分でそう望んでした事だから。貴方が誤る必要は無いよ」
「寛大なお言葉、恐れ入ります」
彼を初めて見た時も、整った顔立ちの人だなと思った。
そして今、彼と話していてわかったのは彼が実直な人柄という事だ。
顔が良い上に、性格も良くて、地位もあるなんて、なんてハイスペックな人なんだろう。
何故彼が『運命の二人』で、攻略対象にならなかったのか不思議なくらいだ。
第二部開始時の、魔王討伐の旅の説明キャラとして城に駐在する各騎士団、魔法師団の長が役職名のみ出ていたけれど、名前は出てこなかった。
あれとはまた別人なのか?
「ファルコさんは大丈夫?」
「ええ、私はある役目の為に放出魔力を抑えておりましたので。マレーネ教導官から貴方にこれをと」
ファルコさんが手を取って落とし込んできたのは、ファンシーな柄の紙に包まれた魔石だった。
「今日の授業で使う予定だったものです。一つは勝手ながら、教導官ご自身に投与致しました。魔力の回復という意味では気休め程度にしかなりませんが、残り三つをどうぞお使い下さい」
「母上の事、大事にしてくれているんだね。ありがとう」
「私もあの方には返しきれないご恩がございますので」
捻ってある包みの両端を引っ張って一つ口に含むと優しい甘さが広がる。
少しだけ頭痛が楽になった。
「では、先生か、貴方の魔力の回復を待って転位魔法で迎えに行くのが一番良いのかしら?」
「そんな時間は無いよ」
「どうして?」
「砂漠っていうのは日が沈むと急激に冷え込むんだ。何の備えも無く、体力の著しく低下したレオンに夜は越せない」
イルメラに説明する俺の言葉の後に、重い沈黙が訪れた。
タイムリミットは日没までだ。
俺たちに残されているのはせいぜい二時間くらいのものだろう。
転位魔法がダメだからといって、ここから馬で向かったのでは到底間に合わないし、馬では砂に足を取られて砂漠は思うように進めない。
「じゃあいったいどうすれば……?」
「一つだけ方法があるよ」
八方塞がりに見える状況下、皆が俺に縋るようなまなざしを向ける。
「俺の残存魔力は片道分はある。それを使ってレオンのところに跳んだ後、念話を使ってクラウゼヴィッツ家に救援を要請するんだ」
領地に砂漠地帯を持つクラウゼヴィッツ家ならば、移動に適したラクダを所有している筈だ。
ラクダの足は時速約三十キロメートル。
ここから結界の外に出るまで約一時間。
クラウゼヴィッツ本邸から、レオンの元まで約十五分。
往復で三十分だ、なんとか間に合う。
「どうやらそれしか道は無いようですね。我々が不甲斐ないばかりにまだ幼い貴方や、現役を退いたマレーネ様にばかりに頼ってしまい、申し訳ない」
深々と頭を下げてくる大人たちに俺は首を振った。
「そういうのは後で聞くよ。それから後一つだけ。俺の魔力が片道の移動で完全に尽きてしまった場合を考慮して、念話を使う要員として誰かについてきて欲しいんだ。大人だと重量オーバーで転位に必要な魔力が倍に増えて片道すら足りなくなってしまうから、子供がいいんだけど……」
「僕が行く」
「ルーカスはダメだ」
「どうして!?」
「砂漠の日差しは強い。それに君の身体は耐えられない」
ルーカスは俯いてぎゅっと唇を噛み締めた。
何も出来ない事を、己の無力を悔いているのだ。
だけどアルビノの彼を連れていく訳にはいかない。
三人揃って死ぬなんて事はあってはならないのだ。
「……私が行きますわ」
念話の使える子供なんて他にはいないと諦めムードになりかけたところにイルメラが名乗りを上げた。
「だけどイルメラちゃんは念話は使えなかった筈……」
「あれから密かに練習していたの。まだ成功こそしていないけれど、あともう少しのような気がするのよ」
好きな女の子を危険地帯に連れて行きたくない。
彼女がぶっつけ本番で念話を使えるようになるとは限らないのだ。
「やっぱり俺が一人で……」
「殿下が苦しむ原因を作ったのは私ですわ。ならば私もかの地へ向かうのが当然だわ」
渋る俺にもイルメラは一歩も譲らなかった。
赤みがかった瞳が強い意志の光を灯している。
彼女の決意は固いようだ。
「わかった。レオン救出に向かうのは俺とイルメラちゃんの二人だ」
「絶対に帰ってきてね」
「ああ、絶対だ」
「約束するわ」
部屋を出て行く背中に掛けられたルーカスの声に、俺とイルメラはしっかりと頷いた。
「ここなら転位が可能です。それからこれを」
魔法師団長の直々の案内のもと、無事に結界の外に出るとファルコさんはおもむろに自分の上着を脱いで渡してきた。
「これは?」
「それは魔法師団長用の外套です。それならある程度、暑さも寒さも防いでくれます」
「ありがとう。絶対に返すからね」
「ええ、是非その時をお待ちしております」
受け取った真っ赤な外套は子供の俺たちには大きくて、イルメラと二人一緒になって、てるてる坊主のように被る。
見るからに高価そうで特別製な外套をこれから砂埃まみれにしてしまう事を思うと気が重いが、極力考えない事にした。
「行こうか」
「わ、私はいつでもよろしくってよ!」
間近に見るイルメラの頬は、どうしてだか外套よりも赤く見えた。
「孤高なる光よ、我をかの地へ運び給え!」
ぐにゃりと目の前の景色が歪む。
呪文を唱えた瞬間にさらに酷くなる頭痛を自覚しながら目を瞑った。
「殿下!」
駆け寄るイルメラに半ば引きずられるようにして、倒れ伏すレオンのもとに移動した。
「しっかりなさいませ」
「イルメラちゃん。レオンの容態は気になるけれど今はまず、クラウゼヴィッツ公爵に念話を」
「貴方は使えないの?」
「ごめん。正直意識を保っているのが精一杯なくらいだ」
喋るのすらやっとで、ズキズキと痛む頭を押さえながら謝る俺に、イルメラは青ざめながら頷くと目を閉じた。
長い沈黙が訪れる。
全身から血の気が引いたような寒気とぼやける視界の中、レオンの口元に手をかざし、呼吸があるのを確認すると魔石を落とし込んだ。
吐き気を催しながら最後の一つの魔石を自分の口に押し込む。
だけど、劇的な体調の回復は見られなかった。
酷く眠い。
「そんな! しっかりなさい!」
俺の異変に気付いたイルメラが叫ぶが俺にはもう、それに応える元気は残されていなかった。
だらりと力無く身体の横に両腕を垂らし、イルメラに寄り掛かるようにして身体を預け、目を閉じる。
風の音も、隣のイルメラの息遣いも、何も聞こえない。
あれだけ酷かった頭の痛みも、嘘のように感じなくなっていた。
これが昏倒か。
初めての経験だけど結構つらいものだな。
いや、初めてじゃないか。
自覚は無かったけれど、魔力を暴発させかけた時も倒れたんだ。
自分の事なのにどこか遠く感じる。
そんな中、ぽつりと何かが俺の頬に落ちた。
――雨、か?
それが妙に気になって、鉛のように重い瞼を押し上げる。
僅かに開いた瞼の隙間から見えたのは、イルメラの酷く歪んだ顔だった。
泣いているのか。
怖いから?
それとも俺の為に?
ごめんね、イルメラちゃん。
最後の最後で守れなくて。
泣かないで。
そう伝えたいのに、声が思うように出せない。
頭を撫でてあげたいのに腕が上がらない。
涙を拭ってやりたいのに、指先一つ動かせない。
『……起きて、しっかりして。目を開けて! 私をひとりにしないで! 私は貴方の事が大好きなんだから。だから……。誰か……。誰でもいいから私を……、私の大事な人を助けて!』
下へ、下へと落ちていく意識。
それが途切れてしまう寸前に、そんな声が聞こえた気がした。
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