第53話 被り物




 蜂蜜色の髪がこぼれて、丸い頬を撫でた。


「っ……!!」

「アルト様、どうされたのですか?」


 後ろで叫ぶカーヤさんの声も私の耳には入らなかった。

無我夢中で人混みを掻き分けて、前へ進む。


 ルルか?

ヒロインなのか?


 胸の息苦しさを覚えながら俺はようやく追いついたフードの子の肩に手を掛け、振り向かせた。



「ルルか!?」

「何を……!」


 フードがはらりと揺れて、脱げ落ちる。

正面から現れた顔を見て、俺は驚いた。


「痛いではないか、アルト!」


 よく知っている顔だった。

毎日のように顔を合わせている、乱れた髪がトレードマークの子。

あっちへこっちへと自由奔放に躍動する様は本人の性質を如実に表している。

今日もフードの下でボサボサになった髪が、雲の陰から抜け出してきた太陽の光を受けて輝いていた。


「なんだ、お前か……」


 張りつめていたものが一気に開放されて、どっど疲れた気がした。


 蜂蜜色の髪。

そういえばレオンも金髪だったね。


「……余では不満か? 余ではなく、ルルとやらの方が良かったのか?」

「ごめん、そうじゃないよ」


 脅かされた、と苦情を言いそうになったところで友人の顔を見てハッとし、それらを呑み込む。

眉根を寄せて、いかにも不安げだ。


 せっかく来てくれたのにそれは無いよな。

他の誰かの方が良かったとか、迷惑だとか言われたら嫌だ。

それにこの段階でのルルとの邂逅は俺の望むところでは無い。


 先に相手の尻尾を掴んだ方が優位に立てるだろう状況で、何の手がかりも無いから焦ってしまった。

そうだよな、そもそも彼女がこの街にいるかどうかさえ定かでは無いし、初日から遭遇なんてそうそうあるものじゃない。


「来てくれて嬉しいよ」

「そうであろう、そうであろう! 何せ、この余が来たとなれば王し……むぐっ。何故口を塞ぐのだ?」

「騒ぎになるだろう」


 レオンは変に自信過剰なところがあるのに、変に人の好意に鈍感だからストレートに言ってやらなければ気持ちが伝わらない。

そう思って、直球で感謝と感動を伝えたのだが、今度は慌てて口を塞ぐ事になってしまった。

この往来の中で声高に身分を叫ぶのは頭の良い行動とは言えない。

『王室御用達』なんて言おうものなら、トラブルになる事間違い無しだ。


 今のところ、俺たちのごろつき豆腐店は色物的に客を集めているだけだ。

ただ珍しいだけに過ぎない。

ここから如何にしてリピーターを増やすのかが肝要なのに、初日からおかしな騒動を起こしたとあっては、計画丸潰れだ。


 王室御用達が真実であっても初日からなんて胡散臭く思って疑いの目を向ける者がいるのは目に見えているし、そうなれば色物のレッテルを返上する事が難しくなる。

それに一般市民が受け入れやすい、安価で栄養たっぷりの新食材が謳い文句なのに、最初から一見さんお断りの老舗料亭のような雰囲気を醸し出してどうするというのだ。


「そうであった。余はお忍び中なのだった」

「お忍び、ね……」


 加減が難しい。

扱いやすいけれど、扱いにくい。

一見矛盾しているけれど、これは真実だ。

レオンのご機嫌は高次方程式のグラフのような放物線を描いて遷移するらしい。


 これで忍んでいるのか?

盛大に目立っていたぞと言ってやるべきか、にへらと笑ってやり過ごすべきか迷う。

多分、多くの人には身分まではバレていないだろうが、レオンが口を開く前から彼の周りは異様な雰囲気で目立っていた。


「マヤさんはどうしたんだ? 一人じゃ危ないだろう」

「一人ではない、護衛ならばたくさん連れておるぞ。ほれ、そこにもあそこにも……」


 そう言ってレオンはあちらこちらに立っている人を示す。

その数、実に十数人だ。


「他にもどこにおるかは見えぬが、数十人ほど近衛の者を待機させておる」

「いや、それはいいんだけど、なんで離れて警備しているんだ?」


 お忍び一つに数十人も護衛がつけられるなんて大変だなと人事のように思いながらも俺はどうしても押さえきれない疑問を口にした。

さっきからレオンが護衛だと言って指さす人物は皆、どういう訳か少し離れた位置に立っている。

間合いの内側だとしても、近くにいる方が守りやすいんじゃないのか?


「余がずっと物々しい警備でくっつかれていては窮屈だと申したのだ。そうしたら、このような陣形になった」

「誇らしげに言うことじゃないからな、それ」


 マヤさんの策でとか、尤もらしい回答を期待していた俺に返されたのは、お粗末なものだった。

謎のドーナツ化現象の正体は、ただのレオンの我が儘か。


 護衛がレオンの周りに円を描くような陣形を取り、その内側に人を入れないようにしている。


 どうだすごいだろうと鼻高々に言うレオンには悪いけれど、もっと他にやり方が無かったのかと問いたくなった。

要人を警護しています、警護されていますと触れて回っているのと同じだ。


「お忍びって……」

「余と判らぬよう、変装もしたのだ。完璧であろう?」


 俺の真意に気付かないレオンはフードの袖を俺の前でひらひらとさせる。

褒めてほしいと言わんばかりだ。


 頭を抱えたくなった。

俺を殿下のご友人と認識されているから、俺は防衛線を突破出来たのだろう。

それについてはきちんと情報統制がされている事に感動すら覚えた。

もし、彼らが近づくもの全てを切り捨て御免していたら、今頃俺の首は跳んでいる。


 だけどお忍びと言いつつ、全く忍ばれていないのはどういう訳か。

陣形を組んで一糸乱れぬ様子でそのまま街を練り歩くって、どう考えても目立つからな。

軍隊が行進しているのと何ら変わりない。


 懸案事項はまだある。


 俺の護衛とかち合っていないだろうか?

今のところ、俺の護衛の人たちに魔力の乱れはないけれど、待機しているという近衛騎士さんたちの気配がどれなのか判らないから事件が起きていないと断定は出来ない。


 自分の護衛の存在に気付いたのだって、自分が動き回るのに付いて回る気配があるから気付いただけに過ぎなかった。

こんな人通りの多いところで一々他人の動きなんて気に掛けないから、飛び抜けて高い魔力の気配だとか、知っている人だとか、目星をつけられる情報が無いと誰がレオン護衛なのかさっぱりだ。

俺の護衛について回ってくれていた人たちとは別働隊がいたとしても、それも俺の預かり知らぬところである。


 取りあえずざっと周囲の様子を探ってみて、死傷者はいないと判った時点でこれ以上考えるのはやめにした。

皆強くあれ。



「どうだ、驚いたか?」

「うん、すごくびっくりした」

「そうであろう、そうであろう」


 俺の返事を聞いたレオンはそれはそれは満足げに頷いて、サプライズが成功したと喜んだ。

一番驚いたのはやっぱり、フード姿の変装だけどな。

驚かされたというより、脅かされたと言うべきか。


 バルトロメウスの話でフードを被った怪しげな女の子の話を聞いていたから、余計に疑ってしまった。

フードの子供、金髪ときて、その他の可能性を全部すっ飛ばして条件反射的にルルだと思ったのだ。

心臓に悪いとはこの事だろう。

俺が一人で慌てただけなんだけど。

子供の悪戯に肝を冷やされる大人の気持ちが解った気がした。



「そういえばマヤさんは?」


 何かが足りない。

いつもならこの辺りで狙い澄ましたように茶々を入れてくる人がいるのにと考えたところで、はたと思い当たった。

授業中以外は常に付き添っていたから、何となく二人一組のイメージが定着してしまっているのに、雰囲気ブレイカーズの片割れがいない。

マヤさんの話を一度振ったにもかかわらず、レオンにスルーされてしまっている。


「今はその名前は聞きとうない」


 何かあったのか、なんて勘ぐる暇も無く小さな王子は渋面を作った。


「喧嘩でもしたのか?」


 主従関係において、喧嘩という表現は何だか違和感がある。

普通は主人の方が絶対的上位者だから、衝突があったとしても喧嘩とは違う気がする。

だけど今回俺は敢えて喧嘩と表現した。

それくらい、雰囲気ブレイカーズは特殊な主従関係だ。


 これはどちらかというと、マヤさんの方が従者にしては異色な面が大きいからだろう。

元近衛騎士団長にして王妃付きの女官で、現在の主な職務内容は王子のお世話。

いざとなれば戦える女官さんだなんて切り札や懐刀みたいで格好いいけれど、そのまま近衛騎士団所属で良かったんじゃないかと思えてくる。


 お世話して、緊急時には最強の守りにもなりますって、やっている事は昔とあまり変わっていないんじゃなかろうか?

いや、むしろ仕事が増えたのか?


 騎士団長をやめた理由を、仕事に疲れたからだとか勝手に想像していたけれど、そんな安直な理由ではないのかもしれない。

今のマヤさんはレオンのお父さん役とお母さん役、一人二役やっているかのようだ。


「マヤには蟄居ちっきょを命じておる」

「蟄居!?」


 おいおい、随分と大事に聞こえるけれど大丈夫なのか、と思わず声のトーンを上げた。


 蟄居とはつまり、謹慎処分の事だ。

何をやらかしたんだ?


 普段の言動が言動だけに、俺は余り上手くマヤさんをフォロー出来ない。

身分の高い人にも物怖じしない性格をレオンは慕っているようだけれど、一歩間違えばそれは不興を買いかねない。

近衛騎士団時代のマヤさんを知らない人、つまり根っからの文官たちは並々ならぬ不満を感じ、彼女に敵意すら抱いている可能性がある。


 マヤさんのフランクな対応がある程度許されているのは、やはり過去の功績によるところが大きいのだろう。

一騎当千だとか剣聖だとか英雄だとか、色々呼ばれているらしい。

そんな設定の人物がゲームにもいたけれど、女性だとは知らなかった。


「余がたまには一人歩きをしたいと申したら、マヤがならぬと言いおったのだ」

「……それだけ?」

「それだけとはなんだ! それでも行くと言い張ったら、マヤは余の大事なカネツグを隠したのだぞ!」


 真面目に憤慨するレオンの横で俺は拍子抜けしながらも、何故か安堵した気分になる。


『カネツグ』とは、俺がレオンにせがまれて魔石で作ったミニチュア兜シリーズの内の一つ。

銘は言うまでもなく頭上に大きな愛を掲げる戦国武将・直江兼続から取ったものだ。

他にもウサ耳がモチーフの『ケンシン』、燕尾形の『ウジサト』などがある。

制作に一番苦労したのは『南無阿弥陀佛』の名号を大胆にあしらった『ランマル』モデルだが、レオンが殊の外気に入ったのは最初に作ってやった、『カネツグ』だった。


 奇抜なデザインのものが多いのに言い訳をさせてもらうと、やはり前世の記憶の中でインパクトが大きかったからだ。



「反抗期だな」

「反抗期?」


 ゲームを隠されて怒る男子中学生と同じだと結論づけた。


 怒髪天をついて怒ったレオンは権力を振りかざし、マヤさんに留守番ならぬ謹慎を言い渡した。

マヤさん不在の中、面と向かって王子殿下に物申せる者が他にいないので、唯々諾々とちびっ子のやりたい放題の我が儘に付き合わされ、ドーナツが形成されるに至った。

そんなところだろう。

マヤさんは大人しく謹慎なんてするような玉じゃないから、どこかで見張っているのかもしれないけれど。


 根っこの部分は素直なくせにレオンは自分の両親以外だと、マヤさんか俺の言うことしか聞かないからな。

ここは俺がひと肌脱ぐべきだろう。


「レオン」

「なんだ?」

「もう十分一人歩きを満喫しただろう。そろそろ帰ろうな。それからマヤさんと仲直りしような?」 

「嫌だ!」


 まずは普通に穏便に言い聞かせてみた。

それをレオンは非常に元気良く、また子供らしく突っぱねた。

うん、想定通りだ。


「今なら、カリカリをお土産にあげるぞ?」

「なぬっ!? ……いや、そんな手など余には通じぬぞ!」


 第二の手は食べ物で釣る。

いつものならここでだいたい引っかかってくれるのだが、今回は相手も手強かった。

目は屋台の方に向けられていて、だいぶ揺れているようだが。

仕方ない、最終手段だな。


「あーあ、せっかく兜シリーズの新作を思いついたのにな……。喧嘩する悪い子にはあげられないな……」

「むむむっ!? 新作、とな?」

「そう、新作……」


 題して、男のロマンを突く作戦。

ここで目を伏せて大きくため息をつき、たっぷりと間を取るのがポイントだ。


「分かった、帰る! 帰れば良いのだな?」

「仲直りもね」

「分かった! お忍びは終いだ。余は帰るぞ。さらばだ!」


 新作の誘惑に、レオンは抗えなかった。

あれだけごねていたのが嘘のように、そそくさとフードを被り直して回れ右する。


「また闇の日にな!」


 みるみる遠ざかっていく背中に果たして俺の声は届いたのだろうか?

最初からハードルの高い奇抜なものを渡してしまったと反省しつつ、幾分かオーソドックスに近い『マサムネ』を明日にでも作ろうと俺は心に書き留めた。



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