第42話 師匠の秘密
「うぬぬ……」
俺は自宅の書庫で一人唸っていた。
膝の上にはいつものように師匠の魔導書がある。
最初の頃は、授業の日は疲れ切って帰りの道中に眠ってしまっていたのだが、最近になってようやく慣れてきたのか、それとも単に俺が成長して体力が増えただけなのか、だいぶ起きていられる時間が長くなったので、少し前の習慣を思い出してこうして書庫を訪れている。
ここへ来たのは調べ物をする為だ。
先日、魔法の秘密特訓が母上に全てバレていたと発覚したのは苦い思い出だが、それは悪い事ばかりでは無かった。
あの日以来、家の中での行動の自由をある程度許されたのだ。
いや、許可もらう前から勝手にうろちょろしてたけどな。
やはり人目を忍ばなくて良いとなれば気が楽だった。
そこに割いていた気を、他に回す事が出来る。
さて、そんな訳で俺は気兼ねなく調べ物に邁進しているのだが、早くも行き詰まり掛けていた。
今回知りたかったのは、魔石の作り方である。
母上に聞けば一から十まですぐに分かるだろうが、サプライズを狙う俺は自力で調べる事にしたのだ。
そこで頼りにしていたのが師匠の魔導書なのだが、なんと!
何も載っていなかったのである。
作り方どころか、魔石の文字すら見当たらなかった事に俺は軽く衝撃を受けていた。
この本には師匠の持ちうる限りの魔法の知識が全て詰め込まれている。
それなのに書かれていないとなれば、師匠が魔石の存在自体を知らなかった可能性が考えられる。
案外、魔石は新しい技術だったのかもしれないな。
しかし困った。
当てが完全に外れてしまったな。
こうなるとこの書庫の中にある膨大な資料から探し出すしかないのか?
他の大人に聞こうにも、母上の他に知っていそうな人が思い当たらない。
マヤさんは魔法方面はからっきしらしいし、カーヤさんは……知ってる訳無いよな。
ゲーム中でも魔石は高値で取引されていた。
俺の身辺では母上がポンポンと手軽に生成しているせいで、希少価値が大暴落しているけれど、食べると疲労回復が出来る上に、魔力も回復出来るなんて、魔法みたいなアイテムだ。
あれ、本当に魔法なんだっけ?
まあいい。
そんな魔法みたいな、あるいは栄養ドリンクみたいなアイテムだけれど、やっぱり食べ過ぎは良くないようだ。
薬の注意書きによく、『用法・用量を守って正しくお使い下さい』と書かれているのと同じで、その人の元の魔力保有量にもよるけれど、あまりたくさん摂取するとその人の許容量をオーバーし、昏倒してしまうらしい。
その昔、愚かなお金持ちの貴族が実際にやらかした例があると聞いた。
構図的にはいい年した大人が口いっぱいに飴玉を頬張って泡を噴いているのと変わらないから、酷く滑稽だよな。
今回俺が魔石の生成法を調べているのは自分が食べる為では無い。
主に二つの目的があった。
一つ目は、それを以て魔力コントロールの鍛錬とする事。
もう一つは、それをプレゼントする事だ。
母上の説明によると魔石は魔力の塊で、普通は飴玉みたいに小さな球体に仕上げるけれど、形は自由に変えられるらしい。
俺が泣いた時に母上がよく作り出してくれる、ペガサスの氷像も見方によっては魔石の一種と言えるそうだ。
俺はこの性質を利用して、綺麗にデザインした魔石を母上とイルメラにプレゼントしようと考えたのだ。
ルーカスとは父母であるブロックマイアー公爵夫妻とも懇意になった。
レオンに至っては呼んでもいないのに、休日にお忍びで遊びに来る始末だ。
だけど、クラウゼヴィッツ兄妹とはこれ以上どうやって踏み込んだものかと考えあぐねていた。
兄のディーはもともと誰に対しても、何に対しても興味・関心の無い人だから、おから揚げと豆腐をきっかけに気まぐれにだが、あちらから話し掛けてくれるようになったので、ある意味大きな進歩と言える。
しかし、イルメラはおから揚げを受け取ってはくれるものの、俺に対してだけ妙に冷たいというか、辛辣な態度だった。
ディーに聞く限りではいつも完食してくれているらしい(それを聞き出した時に、イルメラは何故か真っ赤になって怒った)けれど、毎週同じものでは近いうちに飽きられてしまうだろう。
本当は新しい和食やデザートのレパートリーを考えたいところだけれど、さすがに子供の身でそうそう好き勝手に作らせてもらえるとは考え難かった。
ひよこ豆腐は加熱作業以外なら、子供の不器用な手でも危険無く作れるが、他となるとレシピやら何やらの問題もあって、なかなか手が出せない。
材料がこちらで揃うのかどうかも怪しいところなのだ。
かと言って、こちらの世界にもあるビスケットなんかを作ったところで、インパクトに欠けるだろう。
そんな事情でで新作メニューはいったん保留にし、食べ物から離れてみる事にした。
そこで白羽の矢が立ったのが、魔石アートというわけだ。
キラキラと透き通った魔石でお花とか幻獣の像とか作ったら、絶対綺麗だよな。
女の子受けも良さそうな気がする。
それに、細かい細工を施そうとすると技術力が必要になってきそうだから、魔法の鍛錬にもちょうど良さそうだ。
だけど肝心の作り方が分からない。
さて、どうしたものか?
この部屋中の本という本を読み漁ればどこかには載っているかもしれないけれど、そんな事をしていては目的の資料に行き当たるまで、何年掛かるのか分かったものじゃない。
それに、必ず載っているという保証はどこにも無いのだ。
やっぱりあの人に聞くしか無いのだろうか?
あの人、父上に聞くのは何となく男のプライドが許さないから、端から選択肢を除外していた。
だけど聞けばかなりの高確率で答えが返って来る筈だ。
聞きたいけれど聞きたくない。
一つ質問したら、根掘り葉掘りと十どころか百くらい聞き出されてしまいそうだ。
普段は無口だというのに、誠に恐ろしい話術だと思う。
曖昧にぼやかしたところで、それで納得してくれる父上では無い事は今更語る必要も無い。
母上におねだりして図書館に連れて行ってもらう方が、ここで闇雲に探すよりは現実的か。
これからの事を考えながら俺はぼんやりと手持ち無沙汰に魔導書の小口を人差し指でなぞった。
「……いたっ」
無意味な動作が三往復目に突入した時、それは起こった。
突然、指先にぴりっと痛みが走ったのだ。
そういえばこの本に初めて触れた時も似たような事が無かったか?
光に導かれてこの本に手を伸ばしたら、静電気のようなものを指先に感じて、この本には何かあると思って表紙を見たら何も書かれていなくて、一度は落胆したのを覚えている。
……まさか、な。
痛みを感じだ指先を見ると、赤い筋が斜めに細く走っているのが見える。
何の事は無い、紙で切れただけの事だ。
指でなぞる事に何か意味があるのかもなんて少しだけ期待したけれど、俺の思い過ごしだったみたいだ。
あの時は、見返しに書かれた意味深な一文に心を惹かれたのだ。
魔導書をいったん閉じて、今は思い出となった高揚感を懐かしむように見返しのページを開く。
『――ようこそ、正当なる血筋の我が後継者候補よ』
あれ?
己の記憶と目の前の文字の相違に俺は戸惑った。
偉そうというか、無駄に荘厳で古めかしい言葉遣いの雰囲気はそのままだけれど、文章が違う。
絶対に違う。
ここに来る度に、俺はこの文字を目にしていた。
師匠がいつ、どんな気持ちでこの一文を書いたのだろうかと考えを巡らせていたのだ。
ページ数通りに一番最初に書いたのか、それとも後で書き加えたものなのかによってその意味合いは違ってくる。
最初に書いたのなら、それはこれから書くぞと自分を奮い立たせる為のものだった可能性がある。
だけど後で書き加えたのなら、それは明らかに後でこれを読むだろう誰かに向けた言葉じゃないだろうか?
そんなふうに推察していたから、ここに書かれていた文字を俺は一字一句違わずに暗唱する事が出来る。
この本の最初のメッセージは『我、全てを此処に記す者なり――』だった。
それがいつの間にか書き換わっているとは、いったいどういう事だろう?
この新しいメッセージ自体も気になる。
正当なる血筋の後継者候補とはどういう意味だ?
逸る気持ちを抑えながら、ゆっくりとページを捲った。
書き出しの一文に視線を走らせて俺は確信する。
間違いない、内容もさっきまでと違っている。
『まず、これを読む事の出来た全ての者に告げたいのは、よくぞ私を見つけてくれたという感謝の気持ちに他ならない。ここへ行き着いたのが偶然であったにしろ、必然であったにしろ、それは今となっては大した問題では無いだろう。もう一度言う、よくぞ私を見つけてくれた。諸君らが最初に目にしたメッセージ通り、私はここに私の知りうる全ての魔法に関する知識・見解を書き遺した。本来であれば書に記すという行為は後世にそれを遺し、広く伝える為のものであろうが、今回私は故あってその内容を多くの者の目から隠す事にした』
最初に読んだ時の冒頭部は師匠の生い立ちについて、日記風に書かれていた。
ところが今はこれを読む者がいる事を想定し、語り掛けている。
見つけてほしいと願いながら、その一方で内容を秘匿しなければならなかった理由とは?
隠したのと内容が書き換わったこの現象は関係しているのだろうか?
頭の中で次々と沸き起こる疑問に目眩すら覚えながら、続きに目を通す。
『私はこの本に幾つかの細工を施した。まず邪悪な心を持った者にこれが渡った場合を想定し、魔法に対する飽く無き探求心を持った者にしかこの書を認識出来ぬように魔法を掛けた。さらにいくつかの条件を満たし、正しい開き方をした者にのみ、一部の文章が読めるように細工をしてある。その資格を持たぬ者、或いは開き方を誤った者にはこれが白紙に見える事だろう。そして、今これを読んでいる諸君らならばもう察しはついているかもしれないが、とりわけ世に与える影響の大きい、重要度の高い知識を血を鍵として閲覧制限を掛けている』
つまり、幾重にも鍵を掛けられている本、という事か。
条件を満たしていない人には白紙に見えるって、これを読んでいるところを人に見られるとまずいのか。
白紙のページを開いてウンウン唸っているなんて、変な人以外の何者でも無い。
そんな落とし穴があったなんて、知らなかった。
その次の段階の情報、つまりこれを読む鍵は血。
さっき偶然にも指先を切ってしまったおかげで、こうして読む事が出来ているのか。
だけど、どうしよう。
もし、俺以外にもこれを読んだ人がいたのだとしたら、この魔導書は何人もの生き血を啜っている事になる。
血濡れの魔導書なんて聞くと、呪いのアイテムみたいだ。
気味が悪い。
そう思う一方で、続きが、この後に記された知識の数々が気になる。
好奇心は身を滅ぼすと言うけれど、結局のところ俺にはそれを抑える事が出来なかった。
パラパラとページを捲る。
すると本来ここに来た目的、魔石の文字が飛び込んできた。
作り方もきちんと書いてある。
そうか、魔石の情報は師匠の見解でも世の中に与える影響が大きいという判断だったのか。
考えてみれば確かに乱用は危険な物だ。
それを何の気無しに作り出している母上の倫理観とはいったい……?
ダメだ、頭が割れるように痛い。
「アルト様」
ちょうど集中が途切れてしまったところで、扉の外からカーヤさんの声がした。
ここに籠もる事を告げた上で、覗かないようにお願いしていたのだ。
それを律儀に守ってくれているようで、カーヤさんはドア板ごしに続ける。
「そろそろお夕食のお時間ですよ?」
そう言われて改めて周囲を見回すと、だいぶ薄暗くなっている。
今日はここまでだな。
「はーい」
明るく返事をすると、本を棚のいつもの場所に戻し、書庫を後にした。
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