第六話・向けられる心


 背を向けていた娘は剣を一振りして血を払い、鞘に収めた。そして、くるりと振り返る。

「!」

 それに、セイマティネスの者達は息を呑んだ。

 先程まで剣を振るっていたとは思えない程に娘の表情は穏やかで。

 且つ、息一つ乱してはいない様は、無駄な動きを一切行わなかった事を示していた。


「お師匠様、ご無事ですか?」

 娘の口から鈴を転がすような声が発せられる。

 アゼルクは頬を緩めた。

「無事だ。──しかしリウィアス。俺より強くなっていながら、まだ『師匠』と呼ぶのか? いい加減、名前で呼んだらどうだ」

 それに、間もなく十四となるリウィアスは口角を上げる。

「お師匠様はお師匠様です。それに尊敬も何も出来ない人を『師匠』とは呼びませんよ。幾らトゥルフ様に毎回のように雷を落とされていようと、料理が壊滅かいめつ的に下手であろうと、掃除をすると言って余計に散らかそうと、私はお師匠様を尊敬……」

「ああああ!! もう良い! 分かったから。師匠で良い、師匠で!」

 いきなり恥ずかしい一面を暴露されたアゼルクが大声を上げてリウィアスの言葉をさえぎる。

 コルゼスらがちらりと冷めて目で見ると、アゼルクは、ばつが悪そうな表情で目を逸らした。

 激しい戦闘を繰り広げたにも拘らず、未だフードは外れていないため口許くらいしか見えないが、空気でそうと知れる。

「……お前、俺にだけは厳しいよな」

「お父様の娘ですもの」

 若干、不貞腐ふてくされたように呟くアゼルクに、リウィアスは当然だろうと答える。


 アゼルクの幼馴染である養父トゥルフは温和な人柄で滅多に怒る事はしない人だが、例外としてアゼルクにだけは頻繁に雷を落とす。

 まあ、アゼルクの豪快で大雑把おおざっぱな性格が原因なのだが。

 譬えば、教会に顔を出す際には門や扉から入るのではなく柵を飛び越えたり窓から入ったり。共に食事をする時も副食が数あれば一緒くたにして食べたりと、作法において色々と問題を起こす。

 リウィアスも生活を共にするようになり、アゼルクに対してはずけずけと物を言うようになった。


 様々な事を思い起こしている様子のリウィアスに、アゼルクは焦ったような声を出す。

「と、とにかく、リウィアス、こちらは国王陛下と皇太子殿下であらせられる。ご挨拶を」

 アゼルクがコルゼスとレセナートを示すと、リウィアスは二人の前まで歩を進めて腰に帯いていた剣を鞘ごと引き抜き、地面に置いた。同時に、地に片膝を付く。

「お初にお目もじつかまつります。正式ではありませんがわたくし、『死の護人』代理者の職に就かせて頂いておりますリウィアスと申します。この度は御前を穢し、申し訳ございません」

 流れるような動作で頭を下げるリウィアスを、アゼルク以外の人々は驚きを持って見つめた。

「いや、此度こたびの働き、称賛に値する。良くやった」

「勿体なきお言葉、光栄でございます」

「──立ちなさい」

 こうべを垂れるリウィアスに、コルゼスは告げる。

 その言葉を受けて、今一度ぐっと頭を下げたリウィアスは立ち上がり、顔を上げた。


 間近で冷静になって見るリウィアスの美貌に、コルゼスを始めとするセイマティネスの者達は、ごくっ、と息を呑む。

 特に一言も発さずにコルゼスの傍らに控えているレセナートは、リウィアスの一挙一動いっきょいちどうから目が離せないでいた。


 場にいる誰よりも熱く、注がれるもの。

 その視線に気付かないはずがないリウィアスはレセナートに顔を向けると、柔らかな笑みを浮かべた。

「っっ!!」

 瞬間、レセナートの顔が真っ赤に染まる。

 周囲にいた者達は皆、何が起きたかを瞬時に察した。

「?」

 分からぬは首を傾げるリウィアスただ一人。


 そんな中、コルゼスとレセナートが降りた馬車の中から声が掛かる。

「──終わったの?」

 それは柔らかな女の声。

「……ああ、もう大丈夫だ。敵は殲滅せんめつした」

 コルゼスが応えると、馬車の扉が内側からゆっくりと開かれる。

 それにリウィアスは微かに眉根を寄せた。

「この場をご覧にならない方がよろしいのでは……?」

「ぁ……!」

 リウィアスの指摘にコルゼス、レセナート、アゼルクがはっとする。


 今この場には、まだ息のある者はいるが賊の遺体が五百近くあり、おびただしい程の血で地面は赤く染まっている。

 それははたから見れば、あまりにも凄惨せいさんな光景。


「──まっ……!」

 コルゼスが制止の声を上げる。が、しかし、間に合わなかった。

「っ!!!」

 落ち着いた色合いのドレスに身を包んだ女が、悲鳴こそ上げなかったものの目を見開いてその場に凍り付いた。

 そこで、はっとなり動いたのは騎士達。

「王妃様っ、中へお戻りを!!」

 リウィアスの美貌に思考が停止していた彼らが慌てて女を馬車の中へ戻そうとする。

 しかし、固まっていた女は我に返ったようにまばたいたのちかぶりを振った。

「……いいえ、大丈夫です。わたくし達を護ってくれた結果なのですから、仮にもセイマティネスの王妃であるわたくしが目を背けるわけには参りません」

 強い色を瞳に宿して真っ直ぐに言い放つと、女は完全に地に降り立った。

 そして、周囲の心配げな視線を他所よそにコルゼスのそばまで歩みを進める。

「フィローラ、流石我が妻だ」

 コルゼスが頼もしげに微笑んだ。

 王妃フィローラは夫に笑んで応えると、気遣わしげな表情のリウィアスに顔を向ける。

 それを受けて、リウィアスは再びその場に片膝を付いた。

「──王妃様のお目を穢す事となり、誠に申し訳ございません」

 詫びるリウィアスに、フィローラは好ましい者を見る目で微笑んだ。

 屈み込むようにしてリウィアスの肩にそっと触れる。

「いいえ。貴女あなたが助けてくれたのでしょう? ──ありがとう。さあ、立ちなさい」

 フィローラに促されて立ち上がったリウィアスは困惑の表情を浮かべた。

「……あまりわたくしに触れない方がよろしいかと。……汚れてしまいます」

 リウィアスは先程二百近くの賊を斬り倒したばかり。

 そのほとんどは返り血を浴びる事なく倒したが、最後の首領の男の血だけはそれなりに浴びていた。

 フィローラの顔色がすぐれないのは多少なりともリウィアスの身体に飛んでいる血のせいもあるだろう。

 しかし、フィローラはかぶりを振る。

わたくし達を護った結果ならば受け入れます。ありがとう」

 笑んで礼を言うフィローラにまばたくと、リウィアスは何処か安堵あんどを窺わせる笑みを浮かべた。

 その時、ふと怪訝な顔を見せたフィローラ。何を思ったか、じっとリウィアスの両目を凝視した。そして、みるみるうちに目を見開く。

「……貴女、……まさか……」

 フィローラのたったそれだけの言葉で何を言いたいのかを察したリウィアスは頷いた。

「……まあ、まあ、なんてこと……!!」

「? どうした、フィローラ」

「どうしました? 母上」

 驚愕の声を上げるフィローラに、コルゼスとレセナートは揃って首を傾げる。

 アゼルクは察した様子で、多少の驚きを持ってフィローラを見遣みやった。

「──流石、王妃様。まさかお気付きになられるとは……」

「?? 何がだ」

 コルゼスがますます首を捻る。

 レセナートも同じ様子で、訝しげに三人を見た。


「……この子、目が見えていないわ……!」


「「…………は?」」

 フィローラの言葉に、夫と息子だけでなく、その場にいた騎士達も困惑の声を上げた。

 彼らの様子に、アゼルクは小さく笑う。

「事実ですよ。リウィアスは生まれついての全盲です。──まあ、そうと悟れない程に何でも出来ますし、健常者以上に他の五感でいますので気付く人間はまずいなかったのですが……」

 その言葉を肯定する意味でリウィアスは頷いた。

 皆の目が見開かれた。

「……どのくらいお分かりになられるのですか……?」

 ぽつりと呟くような問いは、レセナートのもの。

 答えたのはリウィアスで、彼女は自身の事を客観的に述べた。

「人の数、物の位置、動きなどに関して言えば常人よりは広範囲にわたって正確に捉える事が出来ます。ただ、表情は正確に読み取れますが、人の顔の造形に関して言うと、触れない限りは細部までは分かりかねます」

 リウィアスの言う『細部』とは眉や皺の事。そこまでになると、流石に触れてしまわねば分からない。

 それを告げると、レセナートから思いもかけぬ言葉が返って来る。

「──では、触れて下さい」

「え……?」

 戸惑うリウィアスを真っ直ぐに見据えて、レセナートは己の気持ちを口にする。

「私は、リウィアス嬢に私の全てを知ってもらいたい」

 それは何処か、こいねがうような声音。

「……」

 その言葉にいざなわれるようにしてリウィアスの足が動き、自然とその手がレセナートの顔へと伸びた。


 ──本来、王族に気安く触れるなど許されない事。最悪、不敬罪に問われる行為。

 しかし、本人がそれを望み、且つ国王夫妻がそれを諌めなかった。

 そのため、誰にもはばまれる事なくリウィアスの指先がレセナートの頬に触れる。


 レセナートはそっと目を閉じた。

 慈しむように指を滑らせるリウィアスは、自然その顔に優しい笑みを浮かべていて。

「……殿下は、やはりお優しい顔をされていますね」

 微笑むリウィアスの言葉と暖かい声音に、さそわれるようにまぶたを上げたレセナートは目を細めた。

「それは光栄な事ですが……、私の事は、ただの『レセナート』とお呼び下さいませんか?」

 その申し出に、リウィアスは困惑の表情を浮かべる。

「ですが……」

「お願いします」

 レセナートの懇願に、リウィアスは少し考えを巡らせる。

「……では、私に対しては普通に話して下さいますか? 私にそのような丁寧な言動を取って頂く必要はございませんし」

「それならばリウィアス嬢も普通に話して下さい。それならば私も普通に話させて頂きます」

 リウィアスはますます困惑の表情を浮かべた。そして、彼の両親の様子を窺う。


 レセナートが求める言動は、先程の触れる行為と同じく不敬罪に問われかねないもの。

 皇太子自身が望んだ事のため問題はないだろうが、念を入れて国王夫妻に確認を取った。


 リウィアスが顔を向けると、二人は頷く。

 それを受けたリウィアスはレセナートに向き直り、意を決したように微笑んだ。

「……これでいい? レセナート」

 リウィアスが言葉遣いを改めると、レセナートは一瞬驚いたようにまばたき、次いで嬉しそうに顔を綻ばせた。

「──ありがとう、リウィアス」

 レセナートも言葉遣いを改め、二人は笑みを交わす。

「……あー、もういいか?そろそろ王都に怪我人を運ばないとまずいと思うんだが……」

 先の戦闘にいて死人こそ出なかったもののセイマティネス側も怪我の大きい小さいは置いてかなりの負傷者を出している。また侍従や侍女は騎士の努力あって怪我こそ負わなかったがしかし戦闘を目の当たりにしたうえ、現在五百近い賊の遺体に囲まれている状況下に置かれているために顔色がすこぶる悪い。

 冗談抜きで、今にも倒れそうである。


 アゼルクが躊躇いがちに言葉を挟んだ事で、セイマティネス一行は王都へと向かって再び出発した。

 先頭はアゼルクが、殿しんがりはリウィアスが務める。

 馬を数頭殺られていたため数が足りなかったのだが、リウィアスが指笛で呼んだ森の馬が代役を務めたために事なきを得た。

 コルゼスは重傷者を馬に乗せ、自身はフィローラと共に馬に跨る。

 レセナートもまた馬の背に乗り、セレイスレイドを目指した。


 そうして進み、森を出たところでリウィアスは一行を見送った。


 それで終わりだと思っていた。任務以外でこれ以上レセナートと親しく言葉を交わす事はないと、そう思っていた。

 ──しかし、そうではなかった。

 翌日からレセナートは忙しい中、時間を作り、リウィアスに毎日のように会いに来た。

 そしてただ真っ直ぐに、正直に自分の想いを伝え──求婚した。


 その事に戸惑ったリウィアス。

 心に痛みを感じながらもその申し出を断る。

 だが、レセナートは決して諦めない。けれど強制する事だけはしなかった。

 会うたびに熱心にリウィアスに愛を伝えた。誠実に。


 何度断っても、幾度も真っ直ぐに熱く大きな想いを伝え、そして注いでくれるレセナート。そんな彼を、リウィアスは何時しか心から愛するようになっていた。

 しかし、リウィアスがその想いに応える事はなかった。


 リウィアスが愛する者の求婚に素直に応じる事が出来ない理由は、自身の障害にある。

 レセナートは皇太子。いずれはセイマティネス王国の王として君臨する。そしてその子供も。

 リウィアスとレセナートが結ばれ、万が一リウィアスの障害を子供が受け継いでいた場合、それは別の意味での大きな障害となる。

 それは一般人の比ではない。

 全盲であるリウィアスが常人以上に事が出来るのは、稀有な才能を開花させたが故。通常は、出来ない事柄だ。

 ──苦労し、傷付くのは、子供。リウィアスではない。

 自身の障害については全く気にもしていないリウィアスだが、こればかりは気にせざるを得なかった。


 それでも、レセナートは決してブレる事なくリウィアスだけを想い続けて来た。




 ──出逢いから四年が経った今では恋人に近い関係にはなった二人。だが、いまだリウィアスは自分の気持ちに従えずにいた。


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