5-5 零山彪真
俺は仕方なしに黙ってモニタを見つめていた。
黒川仁が屋根まで飛んだ。
屋根まで飛んで、そして今壊れて消えそうになっている。
壊れたといえばどうも俺の電動自転車は犠牲になってしまわれたようだ。まあ、いい。新モデルも出たし買い換える口実になる。
それはいい。
俺の隣では神室アイが同じくモニタに釘付けになっている。
黒川仁の頭の上にあるスマフォからは、映像も音声も鮮明に届いている。
ただしこちら側からの音声が届かない。屋根へダイブした衝撃でイヤフォンが外れたようだ。何度もマイクに向かって叫んだが反応がない。しばらくして画面にイヤフォンがぶらりと横切ったのを見て俺は呼びかけるのを止めた。
これでは俺の当意即妙かつ迅速丁寧なアドバイスが出来ない。
それが今は歯がゆい。大問題だ。
「あの……」
神室アイが俺に話しかけてきた。俺は彼女の方を向き、顎を軽く前に出して続きを促す。
「黒川くんって確かゴールデンウィークに部室棟の屋上から落っこちて、病院に運ばれてすごい大騒ぎになってましたよね?」
「そうだよ。アルミの手すりが腐りかけてて落ちたって。そのせいで屋上の使用が一時やばくなったんだ。ちょっと手を回して使えるようにしてもらったけどね」
「あの、彼って……その、亡くなったんですか?」
「さあ、意識不明で昏睡したままずっと入院してるとは聞いたけど、亡くなったとは聞いてないな。まあ、おかしいとは思ったんだ。奴がいるのは」
「私も、です」
「あのさあ、神室氏、眼鏡かけるとフェノミナは見えなくなるんだろう? フェノミナ大量発生で俺の眼鏡をかけていた時、黒川氏の姿は見えてたの?」
神室アイは宙を仰ぎ見て少し考え込んだ。見えていれば黒川仁は生きていて、見えてなければ幽霊、すなわち死んでいる、ということになる。やがて神室アイが答えた。
「……覚えてません。いたようにもいなかったようにも思います。正直彼、影が薄かったので……」
「見えてなかったかもしれないと……するとマジで黒川氏、死んじゃってるのかもなあ」
確証は持てない。
俺は黒川仁の肩に手を置いたこともあるし、やつの実体そのものを疑うような出来ごとは何もなかった。しかしフェノミナには物理攻撃も通用するし当たれば手応えもある。黒川仁と今日最初にあった時にはもう既に神室アイと出会い頭にぶつかったあとだった。その時の俺は既にフェノミナが見える体質になっている。
生きているとも、死んでいるとも判断がつかない。
「あ……」
神室アイが声を出したので、俺は再びモニタに目を向けた。
シロフクロウから幽霊だと言われたあと、どうやらその場に崩れ落ちた黒川仁からの映像は屋根ばかりを映していた。それに動きがあった。とらえたのはBMXで爆走する御来屋らんだった。シロフクロウは体育館の屋根のちょうど中央に陣取って動かない。屋根はかまぼこ型にゆるくアールを描いていてその頂点に鳥はいる。御来屋らんは屋根の裾野、下側の位置を、シロフクロウとは間合いを取りつつ走っていた。シロフクロウから離れていく。屋根の向こう端まで着いてからこちら側に華麗なジャンプターンを決めた。
「さあ、撃てるもんなら撃ってみなさい!」
声が遠いが、御来屋らんが叫ぶのが聞こえた。挑発だ。御来屋らんは立ち漕ぎでBMXをスタートさせた。こちらへ向かってくる。
「受けて立とう。オブザーバーの少女。……オルタードスケール!」
シロフクロウが唱えるとギターから、その名の通りオルタードスケールが奏でられた。
ドミナントセブンスコード向きのその旋律は人を不安にさせる。
先ほどの威嚇のような弾幕と違い今度は本気だった。
屋根に着弾するとスチールの屋根が弾けるようにめくり上がった。スケールの一音一音に対応するかのように次々と屋根に着弾し、弾けて屋根がめくり上がる。しかし巨大化した分、動きが緩慢になっているのか、それとも御来屋らんのキレがいいのか、彼女にはその銃弾は当たらない。オブザーバーである御来屋らんには実際のところ当てる気はないのかもしれない。真意は分からないが御来屋らんは着弾に先行して、BMXでこちら側に駆けてくる。彼女が走る軌跡をトレースするかのように屋根がめくり上がっていく。かまぼこ屋根を斜めに登りながら徐々にシロフクロウに近づく。
ある程度の間合いと角度をつけてシロフクロウに近づいていく。正面から突っ込むと見えない銃弾を交わすことが難しいと判断したのかもしれない。いずれにしても彼女が通り過ぎた直後に屋根には見えない銃弾が炸裂し次々とスチール板がめくれ上がっていった。
しかし角度を取ったままではBMXを当てられない。そのままシロフクロウの前を通り過ぎると思ったその瞬間、思い切りハンドルを切ってシロフクロウへ突っ込む。御来屋らんは立ち漕ぎから一瞬ペダルを止め腰を落とす。ハンドルを手前に思い切り引く。前輪が浮く。そしてそのままBMXごとジャンプする。
バニーホップだ。
屋根から一メートル以上飛んだ。タイヤの下の空間に銃弾が炸裂する。その勢いに乗じてシロフクロウに体当りするかと思ったが、目算が違ったのか鳥の直前で着地した。そして鳥にぶつかる寸前にBMXごと御来屋らんが倒れた。
「きゃっ!」
よこで神室アイが悲鳴をあげる。
ついに銃弾が当たったか! さすがの俺も心臓が跳ね上がる。
しかしそれは故意の動作だった。
御来屋らんはBMXをわざと倒してスライディングするかのようにシロフクロウに突っ込んだのだ。
BMXは完全に屋根の上を滑っていた。
ハンドルは両手でしっかり握りしめている。倒れたBMXの上側になった左足はペダルにかけたまま、右足はフレームの下敷きにならないように大きく足を開いて避けている。
股にBMXを挟んだ状態のスライディングだ。
BMXと屋根の接地面が火花を散らす。そうして御来屋らんはシロフクロウの両足の間、鳥の股間に出来たほんの小さなスペースをくぐり抜けた。再びBMXを起こすとすぐに立ち漕ぎを開始する。
しかしなぜ当てないのだ?
なぜ当てずに股の間をくぐった?
俺は疑問に思う。しかし問いただすこともできない。モニタの向こう側で起こっていることに介入できない。もどかしい。
御来屋らんは先ほどこちらへ向かって来たのとは反対側のかまぼこ屋根の麓を、シロフクロウから離れるように向こう側へとBMXを走らせている。シロフクロウの奏でるオルタードスケールは上昇下降を繰り返しながら絶えず鳴り響いたままで、見えない銃弾は御来屋らんを追うように着弾する。
彼女は遠ざかる。先ほど挑発した位置に近づいていっている。カメラにズーム機能がないので御来屋らんの姿がどんどん小さくなる。
もう屋根は滅茶苦茶だ。御来屋らんの走った位置をトレースするようにどこもかしこもスチールの屋根がめくれ上がっている。
いや。待て。
これは!
BMXの走る軌跡を描いてめくり上がったスチールの屋根は、かなりいびつであるが、まるで傾斜が付いた自転車トラックレースのコースだ。競輪場のバンクが付いた周回コースにそっくりだった。最後こそ急になるが全体的には緩いカーブを描きながらシロフクロウのもとに向かっている。
これならば。
カーブしながらでもスピードを殺さずにシロフクロウへ突っ込める。バンクがついてるため、高さも稼げる。足元へ突っ込むより胴体へ突っ込むほうがダメージが大きいだろう。
一度目はオトリ。
二度目がきっと本番だ。
屋根の向こう端でジャンプターンをした御来屋らんは一度BMXをウィリーさせて再度こちらに向かってくる。
読み通り、めくれた屋根の上を走りながら。
「うおりやああああああああああああああああ!」
御来屋らんが怒号を上げてBMXを漕ぐ。みるみるスピードを上げてシロフクロウのもとへと突っ込んでいく。
「ホウ、これは愉快愉快。人間とは面白いものよ」
シロフクロウが呟いた。ギターの演奏が止まる。御来屋らんの叫び声だけがこだまする。
「くらえええええええええええええええええええええ!」
あっという間にシロフクロウの直前に迫る。最後のバンクを下から上へ駆け抜ける。腰を落とし一気にハンドルを引く。
そして。
御来屋らんは再び宙を舞った。
シロフクロウの腹のど真ん中に吸い込まれるようにBMXは飛ぶ。
「やった!」
神室アイが歓声をあげた。俺も御来屋らんはやってのけたと確信した。しかし、俺は次に起こった出来事に度肝を抜かれる。
御来屋らんがBMXとともに、シロフクロウの腹の中へ忽然と姿を消したのだ。
本当に吸い込まれた。何が起きたか理解できずに俺はただ息を飲み込んだ。
いや。
違う。
飲み込まれたわけじゃない。御来屋らんが再び姿を見せた。シロフクロウの背中側の屋根に着地してブレーキを掛ける姿が見えた。
御来屋らんは、シロフクロウを通り抜けたのだった。
フェノミナはある程度質量を持った物理攻撃でないと効かない。
膝くらいの高さの、もとのシロフクロウだったらその攻撃は効いたであろう。しかし、今のシロフクロウは体長五メートルほどに巨大化している。五十センチが五百センチだ。身長は十倍でも体積は単純計算で千倍。重さだってそうなる。御来屋らんとBMX程度の質量では蚊ほどのダメージも与えられない。
当然考慮すべきことだった。
これは俺のミスだ。
「オブザーバーの少女よ。気づいたかね?」
シロフクロウが語りだした。完全に足を止めた御来屋らんが悔しげな表情でシロフクロウを見つめていた。鳥が続ける。
「無駄なのだよ。吾輩にその攻撃は効かぬ。全然質量が足りぬ。言ったであろう、オブザーバーの少女。オブザーバーの役目はただ観測すること。それ以上でもそれ以下でもない。吾輩を消そうなどと思い上がったことは考えるな」
「い……嫌よ! こんなの理不尽よ。道理も何もあったもんじゃない!」
「これは人間が望んだ世界だ。知らぬ。吾輩の関知するところではない。オブザーバーの少女よ、諦めよ。君に吾輩を倒すことなど出来ぬのだ」
御来屋らんは何も答えなかった。眉間にしわを寄せて鋭い目つきでただシロフクロウを見ている。
万事休す。
と、思われたその時、意外な声が響いた。
「なあ、シロフクロウさん。ひとつ確認なんだが……」
黒川仁の声だった。
「僕は死んだのか?」
「こちら側の少年よ。いかにも。その通り。君は既に死んでおる」
シロフクロウの回答に、やや置いて、黒川仁が応じた。
「ふうん。じゃあ僕は幽霊なんだな」
「人間の呼び名は知らぬ。現象としてはそうであろう」
「なるほど分かったよ。考えてみればいろいろ思い当たるフシもある。僕は僕が幽霊であるということを受け止めることにする」
「違うの! 黒川くん、それは違うのよ!」
御来屋らんが悲痛な面持ちで口を挟んだが、黒川仁が手で制した。画面上には手しか映らない。黒川仁の表情は分からない。しかし、自分の死を認めるというのはどういうものか? いったいどんな感情が内面に吹き荒れるのか。
「いや、いいんだ御来屋さん。自分がいちばん分かってる」
そう言いながら一度御来屋らんを見た黒川仁は再度シロフクロウに向き直る。そして続けた。
「ついでに教えてくれ、シロフクロウさん。もしこんな世界にならなければ、御来屋さんの攻撃はシロフクロウさんに届いたのかい?」
「で、あろうな。しかし今の吾輩には効かぬ。しかしそれは吾輩のあずかり知らぬところだ。ただの鏡。望みを映しただけのものだ」
「今のシロフクロウさんには、一切の攻撃は効かないと?」
「くどい。その通りである。どのような攻撃も効かぬ」
「……分かった」
ふいに画面が揺れカメラからシロフクロウが消えた。黒川仁がシロフクロウから背を向けたらしい。スピーカーからゴソゴソと雑音が響いた。そしてついに俺が待ち望んでいた声を聞いた。
「おい零山」
小声で黒川仁が喋り出した。俺は興奮のあまり必要もないのにヘッドセットマイクのマイク部分を掴んで答える。
「あ、黒川氏、イヤフォン外れてるの気づいたの?」
「今気づいた。すまん。ひとつ確認だ」
「なに?」
「お前、曲は自分で作ってるな?」
「え?」
「いいから答えろ。兄貴が作ってるというのは嘘だな?」
「いや……それは……」
予想外の質問に面食らう。
「嘘だな?」
「分かったよ白状しますよ黒川氏。嘘だよ。兄貴が作ったって言うのはウソ。俺が作った。でもそれが何なの?」
「嘘だとわかればいいんだ」
横で会話を聞いていた神室アイが、じっとりとした視線をよこしてきたが俺は気が付かないふりをした。
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