第三章  それぞれの選択

3-1 ―朝食―

  第三章  それぞれの選択


         1


 淡雪あわゆきにとって兄の統護とうごは特別で、統護にとっても淡雪は特別だった。

 統護はその才能と能力、そして家柄によって女性にもてた。

 兄が小学生の頃から様々な女性にアプローチを受けていたのを、淡雪は知っている。

 しかし統護は誰にも興味を示さなかった。

 人間嫌い以上に――のようであった。

 しかし淡雪は女性だ。

(お兄様がわたしに向けていた特別な感情――その正体はなんだったのでしょう?)

 実妹に対する

 かといって、身内に対する家族愛や親愛とも少し異なる。

 むろん淡雪の兄への想いも、恋愛感情ではなく、たぶん淡雪を贔屓せずに特別だと云う兄に対しての畏敬いけいの念だったのだろう。


「どうしてこの俺がこんな女を……」


 基本的にクールな兄が、あれほどまでに感情を露わにしたのは、あの時が初めてだった。

 コードネーム 《隠れ姫君》ことアリーシア・ファン・姫皇路ひめおうじの護衛任務を、一族会議で通達された時だった。メインは兄で、妹である淡雪はサポート役を命じられた。

 万が一の時には、統護は責任をとれと云われていた。

 アリーシアと統護が同じ学校で同じクラスなのは、最初から仕組まれていたのだ。

 兄は任務に対しては実直だったが、明白にアリーシアを嫌っていた。

 その事を、淡雪はなんとも思っていなかった。

 自分もただ堂桜一族本家の人間として、この試練を兄と共に超えるだけだと割り切っていた。

 そのはず……だった。

 兄は消えた。特別であるはずの自分に何も云わずに。

 そして兄が帰ってきた。


「じゃあ、――改めてよろしくね、統護」

「こっちこそな、アリーシア」


 二人は親しげに名前を呼び合い、あろうことか近い距離で見つめ合っていた。

 正確には、この統護は失踪した元の統護とは別人である。

 平行世界において無限に存在している『堂桜統護』というラベルを共有している別個体が、なにかの因果でこの【イグニアス】に転生してきた――別の統護だ。

 別の兄は、元の兄とはまるで違う。

 基本的に女にもてそうになかった。外見は元の統護と同一なのだから決して悪くはないはずだが、不思議と女と無縁そうなのだ。

 だから安心した。そう。安心である。

 この統護にとっても、自分は特別でいられるだろう――と。

 いや、妹である自分だけが統護を護れる存在なのだ。彼にとっての異世界で、その秘密を知るの自分だけなのだから。


「お初にお目に掛かります、堂桜統護」


 ルシア・A・吹雪野ふぶきのの台詞が、衝撃をもって再生される。

 直感した。今の統護が異世界人であると知っているかどうかは別にして、今の統護が元の兄とは同一人物にして別個体だと、ルシアと那々呼ななこは判っている。

 そして――

「よろしくお願いします、ご主人様」

 女を毛嫌いしていた元の兄とは正反対に、今の兄はメイドのキスを無警戒に受けて、頬まで赤くしていた。

 アリーシアへの態度にしても同様だ。

 なぜ元の兄と同様に拒絶できない。彼女達に特別は淡雪だけだと云わないのだろう。

 再び蘇るキスシーン。何度も何度もくり返される接吻キス場面。

 こ、こ、こ、こ、こ、

 この浮気ものぉぉおおおおぉおおおおおおおお~~~~~~~っ!!

 と、声にならない叫びを響かせたところで、淡雪の意識は夢から覚醒した。


         …


「はぁっ、はぁっ、はぁっ」

 起きた時には、布団をはね除けていた。

 こんなにも乱暴な寝相は、幼少時以外では記憶にない。

 淡雪は陰鬱にため息をつく。夢の内容は克明に覚えている。

「元のお兄様。異世界からのお兄様は、優柔不断でです」

 本当ならば本家ではなく、孤児院【光の里】に押しかけたい。

 しかしそれは立場上、許されなかった。

 統護が独断で【光の里】に赴けたのは、今の兄が以前の兄とは違い、次期当主の立場から追われつつあるからだ。

「わたしが、代わりにそのしがらみを受けます。お兄様」

 だから他の女にデレるな、と目を据わらせた。

 時計に目をやる。まだ四時前だ。普段は六時起きで、まだ二時間も余裕がある。

 しかし淡雪は起床した。

 清めの水浴びをする為、自室から出て板張りの縁側を歩いて行く。

 普段は影のように付き従っている年下の専属侍女が、やや遠慮がちに声を掛けてきた。

「少し変わられましたね、淡雪様」

「え」と、淡雪は軽く驚く。

「以前の淡雪様は感情を殺しているようでなんだか人形めいていましたけど、今の淡雪様って表情が豊かになって、前よりも魅力的になられました」

 きょとんとする淡雪。

 その反応に、侍女は恐縮した。

「あ、あの。失礼な事を言ってしまい」

「いいえ」

 淡雪は降りしきるパウダースノゥのような微笑みを浮かべた。

「ありがとう。嬉しい言葉でした」


         …


 朝日に包まれている孤児院の庭を、アリーシアは黙々とランニングしていた。

 早朝の五時半から走っている。

 ランニングの後は、統護が格闘戦の練習相手を務める約束だった。組み手程度ならば、統護も指導できる。あくまで我流に過ぎず、締里のようにプロの戦闘技術は教えられない。アメリカでの集中合宿でも、統護は教わる専門だった。トレーナーの真似事は専門外だ。

 アリーシアのランニングを、厨房の窓から統護は眺めていた。

 統護は感じた。

 たったの二日だ。

 それで彼女の世界が一変したのだろう。

 一昨日の放課後に襲撃を受けて、出自の欠片を識らされて――アリーシアの世界が変わった。

 彼女にとっての聖域であるはずの厨房を、他人に預けてまで自身を変えようとしている。

 自分も世界が入れ替わった。世界最強が誇張ではない存在になっていた。

 俺はどうなのかな、と統護は思った。

 オルタナティヴとの一戦と美弥子みやことの模擬戦。


 とりあえず二戦ばかり消化したが、まだ生死を賭けた戦いは経験していない。


 結局、この異世界でも時間を見つけては継続している修練やトレーニングに関してだが、身体を鍛える必要はなくなった。よって技術的な部分に集中できる。その分の時間は浮く。だから、なおのこと心を鍛える必要があるのかもしれない――

(いや、それだけじゃないか)

 今回のミッションを無事に終えたとして、その後、自分はどうするのか。

 戦う理由は――まだない。

 けれども、この異世界において、戦わなければならない気がしている。


「ご主人様。味見をお願いします」


 強引に顔の角度を修正され、ルシアに卵焼きを口に放り込まれた。

 歯ごたえは雪のよう。ほんのりと甘く、卵と出汁の風味が完全一体となっている。

 とても美味だ。

 統護は驚く。家庭料理とは明らかにレヴェルが違っている。完全に一流のプロの味だ。

「どうです?」

「いや、めっちゃ美味いけど、よくこんなの作れるな」

「メイドですので」

 褒めてもニコリともせず、ルシアは調理に戻る。

 何を考えているのかサッパリ不明だ。キスの感触が蘇る。人生で初だったが、とても良かった。意味不明であってもこんな美女で美少女とキスできれば、男としては本望だ。キスの後で、淡雪とアリーシアに散々なじられたが、後悔はない。

 それにしてもルシアは本気で自分を主人にするつもりなのだろうか? 雇用契約書を用意できないし、給金は出せない。引き出し金額無制限のクレジットカードは所持しているが、まさかカード払いで他人を雇えないだろう。

 統護は首を捻るが分からなかった。しかしルシアの助けはありがたかった。

 ファン王国の内乱が一段落するまで、朝夕の食事はルシアが孤児院に来て、担当してくれる事になっていた。そのお陰で、アリーシアは遠慮なく特訓に精をだせる。

 謎の塊のようなメイド少女だが、彼女は凄腕のエージェントでもある。国際的魔術テロ集団【エルメ・サイア】からの刺客も考慮すると、心強くもあった。


「おはようございます、お兄様」


 そんな声に、統護は思考を中断された。

 厨房の入口には、なぜか真白色の割烹着に身を包んでいる淡雪が立っていた。

 誕生パーティの手伝いで、妹の料理のセンスを知ってしまった統護は、顔をしかめる。

 この時の統護は知らなかった。

 自分がこの後、昨夜から用意してあったアリーシアの作り置きと、ルシアの朝食と、淡雪の失敗作という三人前を食べる羽目になる――悲惨な運命を。

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