1-5 ―統護vsオルタナティヴ②―

         5


 グゥバァァアアアアンッ!!

 炸裂音の残響の中、統護とうごの顎が高々と跳ね上がった。

 視界が黒く染まった。一瞬だけ意識を飛ばされたが、辛うじて踏み留まる。

 刹那、動きが止まった統護に対し、オルタナティヴの追撃はこなかった。

 ゼロコンマ数秒で迎撃態勢を取り戻した統護が、次の瞬間に目にした黒髪の少女は――


 アッパーカットを振り切った姿勢のまま、ぐらぐらと揺れている。


 オルタナティヴは緩慢な動作で、両腕をオンガードに戻そうとする――が、秒を要する速度であった。つまり超人的な超高速で展開しているこのバトルにおいては、遅すぎた。

 ここが――勝負だ。

 統護はコンパクトな左ショートフックを放つ。

 今度はライトクロスを許さない。

 右頬の中央にジャストミートした。

 ドン、という重い打撃音と共に、オルタナティヴの身体が力なく半回転して、数メートル後退させられた。しかし彼女の意識はまだ繋がっている。手応えはあったが、意識を絶てなかったか。

 ギラリ、と少女の紅い双眸が光を湛える。

 さらに半回転した状態から、回転させられた勢いを利して、オルタナティヴがロングの右フックを繰り出しにいく。

 統護も距離をつめてフィニッシュを狙う。

 防御を度外視して、攻撃のみに意識を集中する。どちらが先に決定打を届かせるかだ。

 互いに渾身の一撃。

 ヴゥぉぉおおおォッ!! 二つの拳が空気を裂いて唸りをあげる。カウンターではなく相打ち狙いだ。統護とオルタナティヴの拳が互いの肩口を通過し、綺麗に交差クロスした。

 ぐシャりぃ。

 オルタナティヴの右拳が、統護の左頬にめり込んだ。先に当てたのは、オルタナティヴ。

 統護の頭蓋が一瞬、大きく歪む。

 同時に、頬の肉も波打つ。だが口の端を上げる――快心の笑みのカタチに。

 先に当てられた――のではなく、ヒットポイントをズラしたのだ。

 ゴォウ!

 コンマゼロゼロ単位の刹那の遅れで、統護の左フックがオルタナティヴの側頭部を捉える。拳が当たった頭部と支点として少女は砲弾のように飛ばさた。そのまま公園の裏地に面した住宅のブロック壁に激突する。


 灰色のブロック壁が崩れ、残骸と共にオルタナティヴの身体が――沈んだ。


 横薙ぎにダウンしている。残骸に埋もれた彼女が立ち上がってくる気配はない。

 無人の通学路から児童公園へと舞台リングを変えながら繰り広げられた激闘も、これで閉幕だ。

 深呼吸して、統護は乱れていた呼吸を整える。

 最初は防御主体で互いに当たらず、そして防御技術を見抜くと、フェイントを交えてのカウンター合戦。最後には攻撃主体での殴り合いになり、耐久力勝負になった。

 振り返ると、実に不思議な戦いだった。

 まるで合わせ鏡のごとく、互いの拳を交錯し合った。ギブ&テイクに近い打撃戦など、今までのスパーリングでは経験していない。不必要に相手に打たせないのが常道セオリーだからだ。よって通常ならば、展開を変えるケースなのだ……が、オルタナティヴ相手だと、そうならなかった。

 この戦闘で統護は自身の肉体性能の、実に八割以上を学習するに至った。体中に走っている痛みさえも、今は愛おしい。本当に充実感のある戦闘だった。


 なによりも、初の実戦を勝利で飾れた。


(これが戦い……か)

 スパーリングとはまるで違った。喧嘩や試合に興味がないのは今でも変わらないが、このオルタナティヴとの戦闘は、統護にとってに思えた。初戦の相手が彼女で良かった。

「――これで決着、でいいな?」

 割れたコンクリートブロックとセメントの欠片を浴びている少女に、統護は確認する。

 倒れたままのオルタナティヴは降参だ、と両手をあげてアピールした。

 打撲傷だらけの顔に、幸せそうな笑顔を浮かべて。

「……」

「どうした? 勝ったのはお前よ、最強」

「いや、気になってな」

 確かに戦闘不能に陥るまでの肉体的ダメージを、オルタナティヴに与えた。彼女が戦闘継続するのは、生物学的に不可能なはずである。

 しかし、心は折れていない。

 いや、むしろ満ち足りている。

「お前はどうしてそんな顔をしているんだ?」

「そんな顔?」

「だから敗けたっていうのに、どうしてそんな嬉しそうなんだよ」

 統護の口調が苛立った。

 戦闘には勝利したが、、不思議とそんな感覚である。

「そうだな。強いていえば――やはり全力のアタシを倒せるのはお前だけだと解ったから。そして、生涯初めての敗北の味は案外美味だったから……かな?」

「お前は負けたかったのかよ」

「否定しない。一度でいいから全力でぶつかって、アタシは敗けてみたかった」

 傲慢かつ自信満々な女だ、と統護は呆れた。つまりオルタナティヴは、常に勝者としてスポットを浴びていたという事だ。日陰者でしかない統護には理解できない感覚だ。

 加えて、もう一点。納得のいかない点がある。


「全力だっていうのなら、なぜ魔術を使用しなかった?」


「お前が魔術を使用できないから――では、納得いかない?」

というクチか」

「ええ。アタシは素手の相手に武器を持つ、魔術を使えない相手に魔術を使う、なんてな性分なの。

 オルタナティヴの表情。統護は背筋に冷たい汗が流れるのを感じた。知っている。魔術が使えない事ではなく、淡雪あわゆきしかしらないはずの、統護の秘密を。

 浮かんでいた疑念が、想像が、そうではなく『事実』なのでは、と思い始めていた。

 コイツは。この女は――

「それにアタシもこの身体の性能テストをしたかった。お前はまだ限界の一歩手前、といった感じだったが、アタシは限界が把握できたわ。迷惑を掛けて済まなかったが、まともに正面からやり合える相手がお前しか思い浮かばなかったのよ――堂桜、統護」

 コイツも同じか、と統護は戦慄した。

「確認したい。お前はいったい何者なんだ?」

「アタシはアタシよ。その問いかけにだけは自信をもって答えられるわ。そして堂桜統護という存在は、やはりお前だと確認できた。本当にありがとう。起き上がれるのならば、感謝の印としてキスしてあげたいくらいだわ」

 ウィンクを添えてのキス云々の軽口に応えるだけの余裕は、統護にはない。

 何故ならば。

「やっぱり、お前は、俺と――」

「ええ。だったらどうする? アタシを殺して口封じする?」

「な」

「アタシを殺さなければ=再戦の機会を与える、と理解できないかしら?」

 統護の表情が凍りつく。その様をオルタナティヴは愉快そうに下から眺める。

 まるで見下ろされているように統護は錯覚した。

「お前が冷酷にアタシを殺せるのならば、アタシとてこんなカタチでコンタクトしない。お前はアタシをKOできても、決して殺すことはできない。堂桜統護はよ」

 否定できなかった。

 それは常識的な思考であり、安堵するべき回答であるはずなのに、まるで「欠点というべき甘さだ」と、嘲られているように統護は感じる。

「先に仕掛けてきたのはそっちだ。警察は面倒でも、堂桜一族の特殊部隊に引き渡す、という選択肢だってあるんだぜ」

「いいえ、それもないわね」と、オルタナティヴは断言した。

 統護は鼻白む。

「状況は最初からアタシが誘導している。お前に猶予はない。忘れているのなら教えるけれど、急がないと、護るべき姫君の身がピンチかもしれないわよ?」

「ッ!」

 その言葉で、統護の熱くなっていた頭が、一気に氷点下まで冷めた。

 この世界での初戦闘に、つい我を忘れていた。勝ち負けなんて初めから度外視で、とにかく先を急ぐべき立場だったのだ。

「しまったッ!!」

 寝転んだままのオルタナティヴを無視し、統護は再び駆け出した。

 アリーシアがいる方向へ。

 もう時間的に手遅れだとは理解してはいても。


         …


 統護のサポートを請け負っていた淡雪は、兄を見限った。

 もう統護は役割を遂行不能だ。


 堂桜兄妹は、以前から『とあるミッション』を一族本家から課せられている。


 それは統護が堂桜一族の次期当主としてクリアしなければならない試練でもあった。

 現在の統護は行方不明になっている元の統護とは別人だが、それでも統護がこの世界の堂桜統護として生活していく以上、彼にミッションを継いでもらっていた。

 つい最近まで平穏が続き、ミッションも監視だけで済んでいた。

 だが、今は違っている。緊急事態だ。

 統護が正体不明の同年代の少女と戦闘状況に陥り、容易に抜け出せない状況なのは、軌道衛星【ウルティマ】からの観測情報で把握していた。セーフティを無効化して【DVISデヴァイス】を破壊させる特異魔力で【魔導機術】を使用不能な、異世界の『別の兄』とはいえ、その超人的な身体能力を考慮して――実務担当を継続していた。

 だが甘かった。

 その目論見が、オルタナティヴと名乗る少女によって崩れていた。

 訓練として淡雪との魔術戦闘はこなしていたが、なにしろ統護にとって初の実戦だった。

 近接格闘能力が極めて高かったので戦力扱いしたのが、間違いだったかもしれない。

 フォワードとバックアップという、兄妹のフォーメーションを破棄する決断が必要だ。

 淡雪とて【ソーサラー】として魔術戦闘の訓練は幼少時から積んでいる。

 だが、統護と同様に実戦は未経験だ。

 模擬戦のみで実戦未経験だからといって、もう躊躇いは許されない。堂桜一族の直系として、自分が戦う状況だと判断した。その能力はあると自負している。

 とはいえ、今からでは自らの足で走っても間に合わない。気が付かれない為に、アリーシアと一定の距離を置いているのがあだとなった。ここからでは【魔導機術】によって超高速移動するしかない。

 淡雪の専用【DVIS】にインストールされているアプリケーション・プログラムには、低空ならば高速飛行可能な魔術がある。

 電脳世界内の【ベース・ウィンドウ】から【アプリケーション・ウィンドウ】を展開した、その時。

 軌道衛星【ウルティマ】からのエマージェンシーコールが、淡雪のスマートフォンを掻き鳴らす。警報を確認するまでもない。

 本当は分かっていた。

 実際はとっくに手遅れだ。兄が想定外の戦闘に巻き込まれた、その瞬間から。

 統護は現在も死闘に身を投じている。

 自分も魔術を使用して現場に駆け付けるには、一分近く時間を要する。

 対して、アリーシアの状況は一刻すらの猶予もない。

「どうして?」

 絶望と共に淡雪は両膝を着いた。

 初ミッションに対して、自分の判断ミスがあったにしても、何故エマージェンシーのタイミングが今なのか。もっと早く報せるはずではなかったのか。

 ふと脳裏に浮かぶ、通称――ネコという少女の貌。

 ひょっとして自分は、あの狂人にして凶人に、嵌められてしまったのか。

 ならばあの狂った天才の目的は――?

「助けて、お兄様」

 祈るように淡雪は呟いた。

 その兄が、姿を消している本当の兄なのか、あるいは異世界からの別人の兄なのかは、当の淡雪にすら分からなかった――


         …


 瞼の重さに負け、視界を闇に閉ざしたアリーシアは『終わり』を覚悟した。

 心中でゴメンと謝った。誕生日会に参加できなくて……

 瞼越しの真っ黒い視界に主張してきたのは。

 紫電、であった。

 華のような稲光のスパークの共演だ。

 瞼を通してさえ網膜が認識できる光の焼き付きに、アリーシアは恐る恐る目を開く。

 自分に斬りかかっている男子生徒を、泰然と右手を向けて制止している学校制服の背中が、其処そこにはあった。

「堂桜――くん?」

 違うとは分かっていても、アリーシアはその名を口にした。

 この背中は堂桜統護のものではない。明らかに違う男子の背である。

 背中越しからの声色は、やはり期待を裏切り別人だ。


「――違うな。ボクは統護ではない」


 しかしアリーシアはその声色を知っていた。肉声とネットを通じての声を聞いていた。一番印象に残っているのは、やはり選挙演説であった。

 声の主は、肩口にアリーシアを振り返る。

 清潔に切り揃えられた頭髪に、やや広めの額に細めの双眸。そして神経質そうな顔立ちと、鋭利なデザインの銀縁眼鏡。

 鍛え上げられている長身の体躯なのに、与える印象は華奢かつ文系のインテリ。

 アリーシアはその顔に見覚えがあった。

「生徒会長」

 学内で、統護と並ぶ有名人であった。否、このニホンにおいても統護の名と同等の響きを有している名を持つ少年であった。

 生徒会長という肩書きは、あくまで彼にとっては学園内限定での付属品だ。


東雲しののめ黎八れいや


 黎八は顔筋が死んでいる――《鉄仮面》と揶揄される鉄面皮を、ほんの微かに緩めた。

「ボクを知っているのかい。姫皇路ひめおうじさん」

「え、ええ」

 むしろ学内で知らない生徒などいないはずだ。生徒会長としてというよりも――世界第一位のシェアを誇る【AMP】製造メーカーの御曹司としての彼を。

 東雲家の【SNONOME・カンパニー】は、【堂桜エンジニアリング・グループ】においても、かなりの権力と影響力を誇っている上位傘下企業であるのだ。

 逆に、黎八が自分を知っている事に、アリーシアは驚いた。

 攻撃を止められた少年が怒りも露わに怒鳴る。

「お前ぇ、邪魔するんじゃねえ!」

 そう。アリーシアの手前で、彼の斬撃は停止している。


 真っ直ぐ剣に向けられている――五指が開かれた黎八の右手。


 触れてはいないその手の平によって、雷の刃を止められた男子生徒は、怒りに顔を赤くする。

 しかし彼の赫怒とは裏腹に、剣は微動だにしない。

 魔術的な不可視の力が働いている。魔術幻像として――など前代未聞だ。

「くそっ。どうなっていやがるんだよ。どんな魔術特性だよコレ」

 アリーシアにも皆目、見当がつかない。考えられるとすれば、【重力】のエレメントであるが、【重力】操作は『加重』や『加速』がメインで、この様な『停止』は不可能なはず。

 顔を歪める男子生徒。

 対照的に、左目のウィンクを涼しげに解く黎八。

 黎八はアリーシアを庇うように前に出た。

「君の剣型【AMP】の魔術ベクトルをボクが制御している。抵抗は無駄だから、やめておいた方が賢明だ。ボクが魔術戦闘において主力としている【基本形態】は、他者の【魔導機術】と物理挙動のベクトル解析して――」

 平坦なアクセントで綴られる長口上の台詞は、次の瞬間、強制的に中止させられた。

 ッガガガガガガガッッ!

 射撃音が連なる。

 双子の姉が撃った氷の散弾が黎八に殺到した。

 今度は右目をウィンク。秒に満たない間に飛来した三十を超える魔弾の群さえ、黎八の一瞥の前には、しつけられた子犬ように停止する。

 弾は全て地面に落下した。

 使用していない左手で、黎八は眼鏡のフレームの位置を直す。

 そして右手を双子に翳した。


「要するに、ボクの【基本形態】――この右手の前には『全てのベクトル』が


 弾丸の雨を防ぐ瞬間を狙い、弟が黎八から剣を引いて、刃の属性を【雷】から【氷】へと換えた。見事な手際だ。

 そして再び横凪に斬りかかる。

 だが、渾身の斬撃もたったの一振りで、右手の制止動作により停止されてしまった。

 アリーシアは息を飲む。ベクトルとは『大きさ(スカラー)と向き』を有する量であり、エレメントではないはずだ。物理量=ベクトル量は『力』『速度』『加速度』――すなわち『移動』を指しており、直接的なエレメント(=魔術特性)としては【重力】しか思い当たらない。基本的には、あくまで魔術現象によって、『力』『速度』『加速度』を実現しているのだから。

「だから無駄だと――」

 左目をウィンクする黎八は余裕の表情だ。

 この片目を瞑る癖が出ている時の黎八は、心身共に絶好調である――と、アリーシアは聞き及んでいた。

「いや無駄じゃないね! ハッタリかますのにも程があるだろう!!」

 停止された剣ではなく右ミドルキックで、双子の弟は黎八の言葉を否定する。

 黎八が言うように『全てのベクトル』つまり、運動エネルギーの位相と変化をリアルタイムで解析して、かつ制御下に置くという魔術プログラムのアルゴリズムなど実現不可能といっていい。

 万が一、実現可能だとしても――


 仮に『魔術のベクトル』が黎八の支配下に置かれてしまったのならば、打撃による物理攻撃を併用するだけだ。


 魔術現象は物理現象よりも上位――とはいっても魔術師の挙動はその限りではない。

 戦闘時には【基本形態】として起動用魔力をデフォルトとして纏っているからである。

 それに加えて、黎八が不可視の【結界】を展開していたと仮定しても、蹴り技を自動認識して停止させるパラメータ設定など無理に決まっている。

 超高速――すなわち亜光速や超音速の物体は、魔術プログラムのパラメータ設定により自動認識して、停止させるのは容易だ。他の運動物体との相対速度が大きいからだ。

 だが、逆に時速数十キロの打撃を、他の運動物体と区分して自働認識させる事は難しい。

 そんな面倒で煩雑なパラメータ設定にするくらいならば、近接戦闘における打撃への対処は【結界】に頼らずに、格闘技術で対応する方が効率的だ。

 また格闘技による近接物理攻撃の速度次元は、【基本形態】と共に展開される術者の電脳世界にて同位相で扱えない。つまりとなるのだ。

 魔術攻撃と物理攻撃は完全に別存在なのである。

 よって戦闘系魔術師ソーサラーには近接戦闘における格闘技術が必須となっている。

 黎八の【基本形態】はエレメント(属性・特性)は判別不能であるが、魔術属性に関係なく、『魔術のベクトル』と『物理運動のベクトル』の同時対応は不可能と断言できる。

 理由はベクトルという概念が共通していたとしても、二つは根本的に別次元のモノだからだ。


 しかし――ことわりに反してミドルキックが不可視の力で弾き返された。


 やはり黎八の右手が向けられている。

 アリーシアは驚く。あり得ない。障壁や粒子を使用した魔術力場――局所【結界】を発生させて防いだのではないのならば、直接的に二種類(魔術と物理)のベクトルに干渉可能な、常識外の魔術が存在するという事に他ならない。

 アリーシアは黎八に言った。

「まさか本当にベクトルという『概念』ごと?」

 それならば『二種類のベクトル』への同時干渉と制御も可能だろう。

 黎八は首を横に振り、アリーシアの言葉を否定した。

「いいや。概念というエレメントなどボクには想像もつかない。概念魔術の噂は聞くが、そんなエレメントを使える者がいたとしたら、本当の魔術の天才だろうね」

「じゃあ、何故――!?」


 考えられるのは、魔術攻撃を止めた魔術と、ミドルキックを弾いた魔術が――同時に起動している?


 魔術ベクトルの操作と物理ベクトルの操作――二種類の魔術属性を、一つの【基本形態】でマルチタスクさせるなど、どういったカラクリがあるのか。

 そもそも【結界】ではないのに、どうやって不可視の魔術力場を維持しているのか、という疑問も残っている。黎八から感じる魔術出力では、魔術師単体での【結界】起動など間違いなく無理なレヴェルなのだ。【魔導機術】において定義される【結界】とは、【直接魔導】ならば複数人の魔術師によって起動・維持される大魔術である。

 姉が黎八に殴りかかった。

 左ストレート。洗練されたフォームから繰り出される必倒の拳だ。

 魔術攻撃から物理攻撃に切り替えた。二つの使い分けも魔術戦闘には必須となる。

 しかし、その左拳も黎八の前にストップしてしまった。

 黎八は姉に右手を向ける。

「素晴らしい動きだ。やはり《究極の戦闘少女》と異名されるだけはある」

 その言葉に、姉は微かに顔色を変えた。

 弟が再度、【氷】の刃で斬りかかる。

 その斬撃を、右手を翳して『停止』させた黎八は、すかさず半身になると左肘で刀剣をはたき落とし、先程のお返しとばかりに左ミドルキックで双子の弟を蹴り飛ばした。姉の傍まで吹き飛んだ弟は、どうにか倒れずに両足で着地する。苦しそうに脇腹を押さえ、背を丸める弟に、姉は冷たい視線を向けていた。

 彼女は黎八の実力を肌で感じ取っていた。


「無駄だと云っただろうに。――一年F組の楯四万たてしま姉弟」


 名を言い当てられ、楯四万姉弟はギクリ、と顔を引き攣らせる。

 驚いたのはアリーシアも同じだ。

「どうして?」というアリーシアの疑問に、黎八はさも当然と答えた。

「ボクの記憶では、全校生徒のフルネームと顔が一致しているからね」

 にわかには信じられない台詞である。

 アリーシア達の通う学校――【セントイビリアル学園】は高等部だけでも約二千四百人が在籍している。生徒会長とはいえ教師でもないのに、そこまでする必要性が理解できない。

 黎八は指さしながら付け加えた。

「双子で、姉が楯四万たてしま締里しまり。弟が楯四万たてしま羽狩はかり。共に正真正銘、我が校の生徒だ」

 冷徹な表情のまま、締里は薄く苦笑した。

「計算外ね。どうやら茶番だったにしても、少々余興が過ぎたみたいね」


「――その通りよ!!」


 凛とした声を発したのは、この場にいる者ではなく、この場に駆けつけた少女であった。

 呼応して。

 白銀の吹雪が楯四万姉弟を中心として巻き起こる。

 ひゅごごぅぅぅうううううううう――……

 五体エレメントの【水】から派生する『氷系』の魔術属性で、さらに極めて珍しい【雪】の【魔導機術】だ。


 その【基本形態】の名称も――《クリスタル・ストーム》。


 統護を威嚇した時とは、吹雪の輝きが段違いだ。

 プラチナ色に輝く黒髪の少女に、一同の視線が集中する。

 様々な種類の【基本形態】がある中でも、最も稀少な【結界】を【基本形態】として纏う戦闘系魔術師ソーサラーの少女。

 自身の周囲のみという小規模クラスとはいえ、並の魔術師には真似のできない芸当だ。

 平均的な戦闘用魔術の比ではない魔力総量と意識容量を必要とするので、通常の魔術師ならば効率以前の問題で【結界】を【基本形態】になどしない。

 淡雪は【結界】――《クリスタル・ストーム》をOS的な基点として、楯四万姉弟を閉じ込める『雪壁の檻』を精製してみせたのである。

 魔術的な吹雪による凍結攻撃も【結界】の基本性能として加えられているが、楯四万姉弟は魔術抵抗レジストに成功していた。自らに影響を及ぼす魔術現象のプログラムのアルゴリズムを部分的に解析して、事を『レジスト』と定義するのだ。魔術理論そのものの解析ではない。また【基本形態】の起動が必須でもある。

 ギリ、と羽狩が奥歯を摩った。

淡雪あわゆき。……堂桜淡雪か」

 中等部三年。世界的企業【堂桜エンジニアリング・グループ】を経営し、【魔導機術】の核である【DVIS】理論を独占する堂桜財閥のお姫様だ。

 雪女と見紛うばかりの儚さを武器とする少女は、氷よりも冷たい声色で警句する。

「大人しく投降してください。お二人には訊きたい事がたくさんあります」

「冗談ッ!」

 姉弟はアイコンタクトを交わすと、羽狩が刃の属性を【火】に変化させて、自分達を囲っている吹雪の壁を切り開いた。一瞬で切り開かれた箇所は閉じようとするが、締里が炎弾をショットガンモードで撃って、修復を遅らせる。修復完了するタッチの差で二人は飛び出した。

 秒を要さない、双子姉弟ならではの抜群のコンビネーションである。

 二人は『吹雪の限定地域』から脱出すると、羽狩が前方突破役を受け持ち、締里が退路に炎の弾丸をまき散らしながら追っ手を牽制した。

 ガガガガンッ!

 暴力的な着弾音が残響し、縮こまったアリーシアが小さく悲鳴をあげる。


 しかし淡雪は吹雪で壁――局地的な防御【結界】を発生させて、魔術弾を防御していた。


 派生魔術の名称は《ダイヤモンド・インターセプト》だ。

 魔術抵抗レジストとは真逆の対応で、相手の魔術理論と己の魔術理論のぶつけ合いだ。

 基本的に魔術出力・魔術強度・魔術密度で総合的に勝る方が打ち勝てる。

 勝ったのは、淡雪の防御だ。

 アリーシアは安堵から、立ち眩みのような目眩に襲われたが、どうにか踏み留まる。

 取りあえずは助かったようだが、なにからなにまで理解の範疇外で、今でも現実感が希薄であった。

 だが、楯四万姉弟はそのまま逃走してしまう。

「捕まえてはくれませんのね」

 恨みがましい淡雪の批難を、生徒会長は当然といった顔で首肯した。

「事情は知らない。しかしボクの義務は喧嘩を仲裁して被害者を保護する、単純にそれだけに過ぎないからね」

 ため息をつく淡雪。

 アリーシアは混乱していた。

 自分が襲われたのは決して喧嘩などという生やさしいものではなかった。命の危機を覚えた紛れもない本物の戦闘で、そして自分は『姫』と呼ばれた。

 なによりも自分の命を狙ってきたのは、同じ学園の生徒であった事。

「ええと……。助けてくれてありがとうございました」

 訳が分からなかったが、とにかく助けられたのは事実だ。アリーシアは深く腰を折った。

「たまたまボクの個人的な警邏中に発見できたからよかったものの、今後はもっと周囲に人気を確認して用心した方が賢明かもね」

「はい」

 そこまで気にした事はなかったが、アリーシアは調子を合わせた。それに楯四万姉弟は音を遮断する【結界】を広域に張っていた。

 複雑なパラメータ設定が必須で、かつ多大な魔術パワーを要する障壁系ではなく、パラメータ設定が比較的容易で、音のみを遮断するだけとはいえ、本来ならば多人数で施術する【結界】という高等魔術を、あの楯四万姉弟はたった二人で形成していたのだ。しかも人払いまで事前に行っていた。ただ者であるはずがない。

 淡雪は冷たく言った。

「わたしは逆に、どうして黎八さんがこの場にいたのかの方が疑問ですけれど」

「警邏中にたまたま、と言ったはずだが? 堂桜のお姫様」

「その呼び方はよしてください、と何度も申しているはずです」

「これは失礼」

 どう見ても、アリーシアには二人は友好そうとは思えない。

 ふと、激しい足音が近づいてきた。

 アリーシアが音に気が付いた時には、すでに統護が傍まで駆け寄っていた。

 その速度にアリーシアは目を丸くした。百メートル十秒どころのレヴェルではない。しかも統護は全く疲労を感じさせない。どんな脚力と持久力をしているのだろうか。

「悪い。遅くなっちまった」

「お兄様」と、淡雪が弱った顔の統護を睨み付ける。

 堂桜兄弟のやり取りでアリーシアは理解した。

 どうやらこの二人は自分をマークしていたようだ。状況から判断すると目的は――護衛か。

 ズキリ、とアリーシアの胸が軋む。

 理由は明白だ。


 そっかぁ。堂桜くんが変わったのは、自分が護衛対象になったからか……


 詳しい事情はこれから確かめるけれど、堂桜統護に対しての感情は自分の独り相撲だったに過ぎない。

 自意識過剰に、アリーシアは泣きたくなったが、涙を堪える。

 今までも孤児として様々な目に遭ってきたけれど、気が付けば、どんな目に遭わされても泣くことだけは拒否していた。

 泣くことは『本当の』負けだがら、と昔から決めていた。


         …


 現場に駆けつけた統護であったが、敵襲は終わっていた。

 とにかくアリーシアが無事で安堵する。

「悪い。遅くなっちまった」と謝ると、淡雪にキツイ目で睨まれてしまった。

 うっかり口を滑らせた事に統護は気がつく。やはり気が動転したままかもしれない。

 アリーシアを確認すると、外傷はみられない。

 だが、やはり精神的ダメージが深刻な様子であった。

「君も来たのか、統護」

 黎八が歩み寄ってきた。

 統護は思わず、微かにだが身構える。

 東雲黎八は、元の世界にも生徒会長として存在していた。元の世界でも実家は資産家で、某化学繊維会社を経営していたはずだ。そしてこの世界での統護との関係も知っていた。

「せい……じゃない、お前こそどうして此処ここに?」

「たまたまだ。個人的な警邏の最中にボクの網に引っかかった――だけだ」

 黎八が眼鏡の眉間を押し上げる。

「どっちでもいいさ」と、統護は肩を竦めた。

 とにかく『それっぽく』でいいから演技をしなければ。

 統護は黎八の眼鏡型【DVIS】が特殊性だと知っていた。正確には淡雪から聞かされていた。淡雪を見やる。妹も「偶然」という黎八の言葉を信じていない様子である。

 既知の間柄として会話するのに気を遣う。

「――ま、クラスメートを助けてくれて、ありがとうな」

 途端。

 鉄面皮、といわれている黎八が顔を歪めた。

「その態度だ!! お前は変わった! このボクが世界で唯一認めていた帝王である堂桜統護はどこに消えたんだ!!」

 いまにも掴みかかってきそうな剣幕に、統護は気圧される。

「いや、そうは言われてもな……」

「だからその態度だと言っている! 貴様は孤高にして孤独の王であったはずだ!! それが今では天才と称されていた魔術を棄て、大衆に馬鹿にされ、あげく迎合しようとさえしている。お前の身に何があったんだ? ボクはお前の右腕ではなかったのか!?」

 悲痛に訴えられたが、統護はため息をついた。

「右腕云々は悪いけれど忘れた。ただ友人としてなら付き合っていきたいと思う」

「ふざけるなッ!!」

 吠えた黎八は、拳を振りかぶろうとして、辛うじて思い留まる。

 生徒会長……、と統護は苦い思いを味わった。放課後の廊下で、自分に声を掛けてくれた彼とは別人だと分かっていても、胸が苦しい。


「俺はふざけていない。前の俺は――やっぱり間違いだったみたいだ」


 それを今、心の底から思い知った。

 元の世界と【イグニアス】世界の東雲黎八によって。

 この世界の東雲黎八と友達になれれば、あの廊下での彼への贖罪になるのだろうか。この彼を変えて、友達になりたい――と本気で思えない時点で、まだ自分は……

 鉄面皮に戻った黎八は、平坦な声で言う。

「間違っているのは、今のお前だ。正しいのは以前のお前だ。ボクがそれを思い出させる」

 言い残すと、黎八は個人警邏こじんけいらに戻った。

 その背に、統護は言葉をかけられなかった。

「お兄様……」

 寄り添ってきた淡雪に、統護は視線を外したまま小声で訊いた。

「今の俺への周囲の評判に、生徒会長の態度。お前から聞いていたよりこの世界の俺は、随分とアレなヤツみたいだな」

 元の世界での自分も相当にアレだったが。もしも入れ替わりで、この世界の堂桜統護が自分の世界にいるのならば、彼はこの堂桜統護をどう評しているのだろうか?

「申し訳ありません」

「まあ、いいさ」

「それでも」と、淡雪は語気を強める。

 批難を込めた瞳で統護を見る。統護も視線を合わせた。

「お兄様は、どんな方であろうと、淡雪のたった一人のお兄様だから――ッ!!」

 むろん淡雪の言うお兄様は、自分を指していない。

「そっか。そうだよな……」

 その気持ちはよく分かる。

 今から思えば酷い父親であったが、それでも統護にはこの世界の父親を本当の父だとは思えない。異世界の本人で姿カタチは同一でも、やはり本当の父親は――たった一人だ。

 それに【イグニアス】での両親の方も、明らかに統護をが散見できる。同一人物の堂桜統護であっても偽物の息子だと、勘づかれているようだ。

 母親に至っては、本当に姿形と声音だけが同一の正反対である。

 それでも今は親子ゴッコをするしか道はない。他にこの異世界での生活手段はなかった。

「無神経なこと言って、悪かった」

「い、いえ! お兄様は悪くありません。悪いのは――」

 目を白黒させる淡雪。

 そんな淡雪の頭に手を置き、統護は会話を打ち切るとアリーシアの方へ歩く。

 会話から取り残されていたアリーシアは、距離を置いていた。

「ゴメン。無視したみたいになって」

「別にいいんです。だいたい私は助けてもらった側ですし」

 アリーシアは険しい顔で視線を逸らす。

 統護は怯えた。

 明らかによそよそしい。拒絶さえ感じられる。ひょっとして嫌われてしまった?

 こういった雰囲気は苦手を通り越して、恐かった。

 伊達に長年『ぼっち』ではないのだ。

 やはり自分から歩み寄る社交性は、そう簡単には身につかない。

 掛ける言葉を探しあぐねている統護に代わって、淡雪がアリーシアに言った。

「危険に晒して申し訳ありませんでした。楯四万姉弟については、我が堂桜一族が責任をもって対処します。だから必要以上に怖がらないで下さい。姫皇路先輩」

 目線を合わせないままのアリーシアは固い声で言った。

「あの二人は私を『姫』と言っていたわ。堂桜一族本家の貴女達が私をマークしているのも、その事に関係しているの?」

 統護は息を飲んだ。可能な限りアリーシアの出自は秘密にする契約だ。それは彼女自身に対しても同様だった。ゆえに統護と淡雪が警護を任されているのだ。おそらくは自分達兄妹以外にも堂桜の特殊部隊が付いているはずだが、今回はまだ本当のピンチとは判断しなかったのか動きはなかった。

「それについては、守秘気味がありますので」

 淡雪はやんわりと言及を断った。

「姫って何かの符丁ふちょうなの? 例えば淡雪さんが堂桜のお姫様と呼ばれているみたいな。それとも、本当に私は――ッ!!」

「一切の回答はできません。ただしわたし達兄妹は貴女の味方です」

 先程よりも強い拒否に、アリーシアは唇を真一文字にする。

 それで会話は終わった。

 今後の協力体制についての言質げんちは得たが、アリーシアは最後まで統護を無視した。

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