第四章 写真の少年

胸騒ぎな出発①

 それまでSFの中のものであったワープ技術が現実のものとして開発されたのは、もうずいぶんと昔の話になる。現在は宇宙に建設された巨大なドーナツ型のワープゲートが超長距離超高速移動を可能としていた。


 地球の静止軌道上に建設されたワープゲートは、火星の静止軌道上にあるワープゲートに繋がっている。それまで片道数か月とかかっていた火星航路は、ワープゲートによって小一時間から数時間にまで短縮されていた。それによって人類の火星移住計画は躍進の一途をたどっている。


 火星はいまだ開拓中であるが、人口は増加傾向にあった。

 ただしそれは火星をつい住処すみかとする者たちではなく、開拓を実行する国の機関や業者などの者たち、またそこでビジネスを展開する企業の者たちの人口である。彼らは一時的な移住しか許可されていない。


 関係者以外の一般人の立ち入りも厳しく制限されてはいるが、旅行は例外で、限定区域内での短期間の滞在や地球と火星を往復する宇宙クルーズは人気であった。


 現在の火星は、まだ酸素量も少なく気温も低い。したがって、巨大なドーム状のコロニーが建設されている。

 コロニーは国ごとに所有しており、麗櫻国のコロニーは火星麗櫻国領と呼ばれている。ひとつの国が複数のコロニーを所有していたり、いくつかの国が共同で所有していたりする場合もある。


 それらのコロニーには空気バランスや気温、湿度を管理する環境制御装置や重力制御装置が備わっているので、コロニー内であれば地球と変わりなく生活することができた。


 しかし一歩コロニーの外に出れば、広大な赤土の荒野が広がっている。そこにも稀に建物は存在するが、密度はコロニー内の比ではなかった。


 そのように開発途上にある火星は、地球からの物資の運搬が欠かせない。その需要に目をつけて発展を遂げたのが星間運送会社であり、麗櫻国の誇る大手が『コズミックアーク株式会社』である。きめ細かなサービス精神が麗櫻国内に留まらず世界各国からの人気と信頼を得ていた。


 まるでビジネス街のように高層ビルの立ち並ぶ火星麗櫻国領のコロニー。そのビルの一つの最上階フロアにコズミックアークの本社がある。


 清潔な絨毯の廊下を、磨き上げられた革靴で歩く男がいた。

 歳は三十代も後半であるが、五歳ほど若く見える。上等なグレーのスーツに身を包み、張りのある青色のネクタイを合わせ、シルバーの眼鏡をかけた顔には常に優しげな微笑を湛えていた。その微笑みで社員らに挨拶を欠かさないので、社内での評判は男女問わず抜群だった。


雨宮あまみやさーん」

 不意に背後から馴れ馴れしく呼ばれ、雨宮けいは立ち止まって振り向いた。

「丁度お部屋に行こうと思ってところだったんですよ。今お時間あります?」


 にたにたと笑みを浮かべた男がタブレットを抱えてやってきた。


「ええ、大丈夫ですよ、佐古さこ君」

 雨宮は爽やかな微笑みを崩すことなく快諾すると、佐古臣吾しんごが追いついてくるのを待ってから並んで歩き出した。佐古は雨宮よりも若干若い。


 二人が立ち止まったのは『CEO』という札のついた扉の前だった。ノックもなしに扉を開けると、雨宮は自分のネームプレートが置いてある大きなデスクに腰掛けた。


「それで、要件とは?」

「トロイの話になるんですがね」

 佐古が切り出した。


「我らが鷹からやっと連絡が入りましたよ」

「それは安心しました。で、内容は?」


 笑みを崩さない雨宮に、佐古もにたにたと笑ったまま続けた。


「雨宮さんの読みは当たってましたよ。赤色人種の軍事利用計画は結局麗櫻国に引き継がれていました。やはりファルコンがその研究成果だったみたいです」

「そうでしょうね。フェスティバルの真っ只中に襲撃されたにもかかわらず、彼らはファルコンを動かしませんでした。絶好のお披露目となるチャンスだったというのに。つまり動かさなかったのではなく、動かせなかったんですよ。それだけ特殊な機体なんでしょう」


「なんだ! ってことは、あの襲撃はそれを確かめるためだったんですか?」

 面白そうに驚く佐古に、雨宮は笑った。


「それだけではないですよ。我らが鷹への合図であったり、幼い兵士たちの実戦訓練を兼ねていたりね。輸送機に乗せていた彼らに出番がなかったことは残念でしたが。それで、他には?」

「鷹からの情報では、ファルコンには人工ROPシステムというものが搭載されているようです。これがその詳細ですよ」


 佐古からタブレットを受け取ると、雨宮はさっそく表示されていた資料に目を通した。


「なるほど。うまく利用したものですね。我々も早くこのシステムを導入しましょう」

「ということは、いよいよファルコンを強奪……?」

 佐古が目を輝かせて雨宮を覗き込んだ。


「ええ。強力な兵器は、持っているだけで我々の発言力を高めてくれますからね」

「武力として使わないんですか?」

 不満そうな佐古に、雨宮は笑った。


「保険でもありますから、有事の際は使います。そのための鷹ですよ」

 その答えに佐古はにやりと笑った。


「保険にしてはもったいないですよ。早々に使っちゃいましょうよ!」

「慌てないで下さい。その前にするべきことがあるんです」


 デスクの引き出しから薄いファイルを取り出し、佐古に差し出した。


「その人物を消しておきましょう。人工ROPシステムを使える者が防衛軍側にいるのは厄介ですから。僕の読みでは、ファルコンのような機体は複数生産されています。希少な一機を、いくら軍事力の顕示とはいえ学校なんかに配備しないでしょう。防衛隊本部か基地のどこかに隠されているのでしょうね」

「なぁるほど! それは確かに、早めに消しておかないと厄介ですねぇ」


 そのように相槌を打ってから、佐古は「あ、そうだ」と思い出したように胸ポケットを探った。そこから一枚の写真を取り出し雨宮に差し出す。

 耳の下で三つ編みをした、初等学校の入学式のような装いの女児が写っていた。


「これは?」

「鷹からの資料で気づいて、私が独自に調べたんです! 大手柄ですよ! その子も重要人物なので一緒に消しちゃいましょう! それとも誘拐します? 私はどちらでも!」

「見たところ初等学生じゃないですか。この幼い少女がどうして重要人物なんです?」


 佐古は得意げに人差し指を振った。


「それは昔の写真です。当時七歳で彼女はメディアに引っ張りだこになった。それはその時にメディアに流れた写真です。彼女が立っているのは初等学校の校門ではなく、ご存じ麗櫻国最難関の麗明れいめい大学の校門なんですよ」


 佐古がそこまで言うと、雨宮は全てを理解した。


「思い出しました。確かに当時はよくメディアに取り上げられていましたね。本田さんでしたっけ? というと、まさかこの子が人工ROPシステムの発明者だと?」

「そのまさかなんですよねぇ」

 たくらみをありありと含んだ笑みで佐古は言った。


「なるほど。天才少女は成長し、成し遂げてしまったというわけですか」

 雨宮はデスクの上に写真を置くと、両手を組んで頷いた。


「では彼女に協力を仰ぎましょう。我々に力を貸してほしいと。でも無理強いする必要はありませんよ。あまり強制すると可哀想ですから」

「嫌だと言ったらどうするんです? 逃がしちゃうんですか?」


「さすがに野放しにはしておけませんよ。だから、その時は殺してあげて下さい」

「ですよねぇ!」

 佐古は肩を震わせると、声を上げて笑った。


「ようやく面白くなってきましたよ! この始まりの時をどれほど待ったことか! 赤色人種を利用した人工ROPシステム搭載のファルコン! 鷹に乗らせたらきっともっと面白くなる!」


「そうですね。彼こそが僕らのトロイの鷹トロージャン・ホークですから」


 静かに微笑む雨宮の目にも、狂気の光が垣間見えた。

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