【最終話】それぞれの飛翔⑤
「そんな風に謝らないで。顔上げてよ」
海から一陣の風が吹き、その風が遠くに吹き抜けていった後、莉々亜はやっと顔を上げた。
「俺も、伝えたかったことがあるんだ」
莉々亜が怯えた様子でわずかに小首を傾げる。
「初めて会ったあの日、俺は莉々亜のおかげで自信を持てるようになったんだ。赤色人種の赤い髪、緑の目。みんなと違うことが嫌だったけど、おさげの女の子はそんなことを人と比べるなんて無意味だって教えてくれた。むしろそれが俺らしさであることを教えてくれた。それでやっと、周りと違う部分こそ大切にしようって思えるようになったんだ。だからほら、髪も目も隠さないでここまでこれた」
千鶴は足元にレモンコーヒーを置いて、不安そうな莉々亜に微笑んだ。
「でも、どんなふうに考えても、俺はやっぱり赤色人種だ。髪は赤いし目は緑。時々赤になったりもする。それに、遺伝的に子供を作れない体なのかもしれない。髪や目は一目でわかるけど、子供を作れないってことが好きな人に知られたとき、どんな反応をされるかが怖かった。だから誰とも付き合わず、結婚もせず、一生ひとりでいようって決めてた」
悲しそうに目を細めた莉々亜に、千鶴はいつの間にかうつむいていた顔を上げた。
「でも、好きって気持ちは抑えられないもんなんだな」
照れ隠しで、苦笑しながら頭をかいた。
「頑張ってあきらめろって自分に言い聞かせたけど、やっぱり苦しすぎて無理だよ。相手が自分のこと好きでいてくれたから、なおさら」
莉々亜ははっと目を見開いた。言いたいことが悟られてしまうと、余計に恥ずかしい。
「言わなきゃ伝わらないし、聞かなきゃわからないんだ。それをしないであきらめるのは、可能性を捨ててるのと同じことだから」
千鶴は大きく息を吸い込むと、背筋を伸ばし、莉々亜の目を見て精一杯微笑んだ。
「ずっと伝えたかったんだ。好きだよ、莉々亜。莉々亜がいるから俺は飛ぶことができたんだ。可能性の翼は誰もが持っているのかもしれないけど、翼があるからといって飛べるかどうかは別の話だ。でも俺は飛べたと思ってる。約束通り、莉々亜が俺に飛ぶための力をくれたから」
内に潜む翼の存在に気づけても、莉々亜の言葉と笑顔がなければ羽ばたかせることはできなかった。
「俺はこれからも飛び続けたい。元気をくれる笑顔も、俺を見てくれるその瞳も、やっぱり誰にも渡したくないよ。だけど俺はたとえ莉々亜が望んだとしても、莉々亜をお母さんにしてあげられないかもしれない。もしも莉々亜がそんな俺でもいいって言ってくれるなら、俺は莉々亜に一番そばで笑っていてほしいんだ。……どうかな?」
星空の下で一度はあんなことを言ってしまったから、内心は不安だらけだった。断られるのがあたり前だと覚悟している。
それでもこうして言葉にすることが、千鶴の新たな一歩だった。踏み出したことに後悔はしない。たとえそれが悲しい結果に終わっても。
莉々亜は辛そうに目を伏せた。
「私、赤色人種を利用したのよ?」
「俺たちの大きな可能性を見つけてくれたんじゃないか。大発見だよ」
「これからも櫻ヶ原で研究を続けるのよ?」
「悪用させないためだろ。応援するよ。俺でよければ協力もする」
「私、あの時の約束をこんな形にしてしまった……」
「約束は守ってくれた。俺の飛ぶための力は、莉々亜の笑顔なんだ」
やっと顔を上げた莉々亜に、千鶴はグローブを外してから片手をそっと差し出した。深い傷が残る手。しかしその傷にもう痛みはない。
「今度は俺が約束を守りたいんだ。だから莉々亜、俺と一緒にこのそらを飛んでくれませんか?」
莉々亜は大きな瞳を見開いた。すぐにその目は細められ、涙がぽろぽろとこぼれ始める。
「千鶴君!」
莉々亜は駆け出し、千鶴に飛びついた。
「おおっ!」
千鶴は莉々亜を受け止めていた。手どころか、莉々亜はこの体を丸ごと強く抱きしめてくれる。
「私も大好きよ、千鶴君! 赤色人種とか、子供が作れないとか、そんなの関係ないの。私が好きなのは千鶴君なんだから!」
「ありがとう」
嬉しくて、千鶴もそっと莉々亜の体にしっかりと両腕を回した。
たくさんの翼が羽ばたく音が聞こえる。柵にとまっていた鳩たちが一斉に飛び立っていった。大空に翼を広げ、風の吹く彼方へ飛んでゆく。
「莉々亜、もう一つ約束しない?」
「何?」
腕を緩めて顔を覗くと、大きな瞳がかわいらしく数度またたいた。
「この世界の戦闘機を全部アクロバットショーのためだけの機体にしよう! 俺たちならきっとできるよ」
「うん!」
莉々亜の腕が、もう一度千鶴をぎゅっと抱きしめた。その莉々亜を千鶴も抱きしめる。だがそこで、千鶴はずっと疑問に思っていたことをふと思い出した。
「そう言えば莉々亜、いろんな用語に使われてるけど、ROP代謝のROPってどういう意味なんだ?」
すると、莉々亜は嬉しそうに言った。
「
「へ? この赤色が!」
「そうよ。だから私、初めて会ったとき、その色は大きな可能性を秘めた特別な翼だって言ったじゃない」
莉々亜は得意げに微笑む。
「そっか、不死鳥か……。そんなに期待されてるなんて、こりゃ責任重大だ!」
千鶴は笑って星が覗き始めた空を仰いだ。
昼間は吸い込まれるような青、夕暮れはとろけるような橙色。太陽が隠れて大気の奥がクリアに見えた時、その広大さを思い知る。
翼の存在を知り飛ぶ力を得られたのなら、いつどこにいても飛び立てる。
だからそらはどんなときもどこにでも頭上に無限に広がっているのだと、千鶴はようやく気が付いた。
了
RedWing ~光翼のクレイン〜 やいろ由季 @yairobird
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